50.神の茶会②
ヨルムントがシグルズに手招きをする。彼の向かいに置かれたテーブルには3段のケーキスタンドが置かれ、その上にクリームのついたケーキやクッキーなど、色とりどりのお菓子が並べられている。
ヨルムントは動こうとしないシグルズから視線を横にずらすと、フェンルに声を掛ける。
「フェンル、きみもおいで。いつもなら君が一番にケーキに齧りつくだろう?」
フェンルの紅潮した顔を見たヨルムントは穏やかに笑う。当のフェンルは無言のまま、ヨルムントの右手側の椅子に座った。シグルズも彼女の後を追い、彼女の前に座ろうとする。
「ああ、きみの席はそこじゃない。僕の正面だ。きみが座ろうとした席は空神ヘイルの席だ。奴は気まぐれでね。普段は茶会になんて参加しないが、今日は参加するかもしれない。一応空けておいてやってほしい」
そう説明され、シグルズは渋々見たくもない顔の正面に座った。
「ああ、お菓子は好きに食べてくれて構わない」
「……神が出したものなど食えるものか」
正面のうざったい顔を睨む。
「心外だなぁ。僕がきみに毒を盛るような姑息な神に見えるかい?」
「見えるよ」
シグルズより先に口を開いたのはフェンルだった。彼女は横目にヨルムントを見ると「そう思われても仕方ないぐらいのことはしてる」と、先ほどシグルズと二人で話していた彼女とは思えない冷ややかな声で言い放った。
「……まあ、否定はしないが。食べないというのなら仕方がない、仕舞っておこう」
ヨルムントが指を鳴らす。ケーキスタンドがお菓子ごと消える。
「俺に何の話がある」
飄々とした態度のヨルムントに、シグルズは語気を強めて言う。
「言い訳をする、と言ったらきみは怒るだろうね、混血の騎士シグルズ・ブラッド。だから遠回しな言い方はやめよう。こちら側の――神々の事情を説明する。そして最後にきみに一つ提案をしたい」
聞く価値もないと判断したシグルズは立ち上がった。こんなところで油を売っている時間はない。一刻も早くエルマを――。
「エルマ・ライオットのことも説明しよう。とは言っても、その大部分は彼女の選択だ。僕が直接的に関与したのは彼女が〈竜の守り人〉となった事実だけだ。ただまあ、そのあたりの話は彼女から直接聞いてくれ。僕のする提案はその機会を得られるような提案だ」
ヨルムントの言葉にシグルズは再度椅子に腰を下ろす。眼前の白髪白眼の軽薄な男が「話を聞く気になってくれて嬉しいよ」と微笑む。シグルズは腕を組み、男の言葉を待つ。
「まずは何について話そうか。順を追って話そうとするとものすごく長くなってね、話している僕が退屈になる。だから逆に質問しよう。シグルズ・ブラッド、きみは何を聞きたい?」
問われ、シグルズは「なぜエルマが〈竜の守り人〉になっている」と即答した。
「ファフニールを討ち滅ぼすためだよ」
ヨルムントは淡々と答える。
「邪竜を殺すために作ったニーズヘッグという剣――これをエルマに与えたんだ」
「エルマである必要はないだろう?」
「いや、彼女である必要はあった。そもそも、ニーズヘッグは僕たち神々には扱うことができない。あの剣は命あるものが命を奪うためにある剣だ。生命ですらない神が振るうことも、神を傷つけることもできない。そして彼女はきみをおびき寄せるための餌だった」
それを聞き、シグルズはテーブルに手を突き立ち上がる。「ふざけているのか」と怒号を飛ばす。
「ふざけちゃいないさ、本気も本気だ。しかし、〈竜域〉に来たのも、〈竜の守り人〉になる選択肢を選んだのも彼女の意思だ。きみの怒りは、彼女のその決意すらも蔑ろにするものだ。また自分に想いを寄せる少女から目を背けるのか?」
「ちょっとヨルムント、その言い方はさすがに――」
口を挟んだフェンルにヨルムントは視線を注ぐ。黙っていてくれと言われたように感じたフェンルはそこで口を噤んだ。
ヨルムントは視線をシグルズに戻し、言葉を続ける。
「きみは優しすぎる男だ。敵に情を抱いてしまうぐらい。そんなきみはもうエルマから目を背けることができないはずだ。きみが〈竜域〉に来た目的はリンファを送り届けるためだった。しかしその心中は、もはやそれどころではなかっただろう? エルマ・ライオットが大事で、彼女の傍に居てやりたいと思っているはずだ。だからこそ、僕からの提案だ」
ヨルムントは一呼吸置き、テーブルに肘をついて両手を組み、顎を乗せる。
「シグルズ・ブラッド、神になるんだ」
それは、シグルズが欠片も考えていなかった提案だった。
「神に……?」
ヨルムントが「そうだよ」と頷く。
「エルマはもう人間じゃない。元の寿命で生きていけない。これから何百年という時を過ごすことになる。そんな彼女の隣にいるには、きみは短命すぎるんだ」
彼女の傍に居てやりたいだろう? と付け加え、ヨルムントは視線をシグルズに真っ直ぐに向ける。
まるで全てを見透かしているかのようなその白眼に、シグルズは頭の中に幾つかの疑問点を浮かべた。
そもそも、シグルズ・ブラッドという〈混血〉の命は神々にとって不都合極まりない存在のはずだ。それが突如、手のひらを返して「神になれ」などと言う意味が分からない。
「俺は、混血だぞ」
事実確認というには、その情報はこの場ではあまりにも常識的なことだった。「知っているとも」とヨルムントは言い、さらに言葉を付け加える。
「たしかにきみは混血で、僕たち神々にとっては不都合な存在だ。世界樹を枯らす芽だ。ただ、きみはまだ命として芽吹いたばかりだ。花も咲いていなければ実だってついちゃいない。世界樹を枯らす力は持っていない」
「どういうことだ」
ヨルムントの言葉はあまりにも比喩的過ぎた。世界樹という生命の樹はそう簡単に枯れるような代物ではない。そもそもの話、混血がそれほどの力を持っているのかすら怪しいと思っている。
「ああ、混血が何なのか君には話していなかったね」
ヨルムントが思い出したかのように口を開く。
「〈目覚め〉を迎えた混血の血は神を浄化するんだ。〈目覚め〉は種としての覚醒だ。人間であれば魔法が使えるようになったり、巨人で言えば角が生え怪力になったりする。混血の場合はその血が神を殺す毒になるというのが、目覚めた結果得られる力だ。なぜそんな風になっているのかは分からないがね。
世界樹から神が消えると、この樹は管理者を失う。世話をされなくなった世界樹は少しずつ枯れていく。幸い、きみはまだ〈目覚め〉ていない。今ならまだ摘むべき芽にはなっていないんだ。もちろん、もともとは殺すつもりだった。けれどフェンルが駄々をこねてね、僕が考えた妥協案がこれだったわけだ」
「つまり、俺が神々を殺す前に懐柔してしまおうと?」
「概ねその通りだ。この方法が、一番全ての気持ちを汲んでいる。神にとっての脅威は無くなり、フェンルの希望も叶い、エルマはきみの隣にいられる。きみもまたそうなる」
笑顔でヨルムントはそう語った。その言葉の中に、シグルズは足りないものがあることに気づいていた。
「リンファはどうなる」
問う。間髪入れずにヨルムントは「殺すに決まってるでしょ」と答える。
「彼女は〈目覚め〉を迎えている、非常に危険な存在だ。それに彼女の持つ〈竜の権能〉はその真価を発揮すれば神をも凌駕する全知全能の力となる。僕の半身であるファフニールのようにね」
「……誰が殺すんだ」
尋ねると、ヨルムントは少し笑って左手の人差し指を垂直にテーブルに置いた。爪とテーブル板がぶつかり、カツリと軽い音を立てる。「彼女が」と遠回しに、それでいてあまりにも明確な答えを示す。
彼が指さしたのは二階層下方、世界樹第七階層〈竜域〉で焔の如き刃を振るう紅葉色の髪の少女だった。
ヨルムントは再び笑みを浮かべる。
「竜の魔女リンファは、エルマ・ライオットには勝てない」




