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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第4章~紅葉色の髪の少女~
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44.エルマの決断③

 私は一体何をしているのだろうと、エルマ・ライオットは自問する。


「私、何やってるんだろ」


 呆れたように、その疑問を今度は声に出す。


 九つに枝分かれした上に成り立つ各階層、その下から五番目である世界樹第五階層〈アーガルズ〉の、さらに直上に位置する世界樹第七階層〈竜域〉。エルマが初めて訪れるそこは、酷く霧が視界を隠し、背の高い針葉樹が不規則に立ち並んでいる、幻想的という言葉がお似合いな場所だった。本来人間が立ち入る場所ではないというのを、本能的に感じ取ることができるまでに浮世離れした空間だった。


 〈方舟〉を手足のように操り、立ち並ぶ針葉樹を避けて霧を裂くように進んでいく。木々の隙間、霧の向こう側に黒い山の影のようなものが見えた。


 否、山ではない。エルマはその黒い塊の正体を知っている。近づくためにさらに踏板を踏む足に力を入れる。〈方舟〉の両翼が一度羽ばたき、周囲の霧を散らしながら加速する。


 近づくにつれて霧に隠されていた影がその細部を顕わにする。木々の枝葉や濃霧に遮られて陽光は届いていないが、それでもその影の表面が光沢を帯びていることは、表面を濡らす露から明らかだった。その()()()()が、影の呼吸に合わせてそれぞれ身体をすり合わせながら動いている。


 影全体が動く。長い尾をうねらせ、二本の脚で立ち上がる。大地の揺れに合わせて木々が揺れる。濡れた枝葉から雨のように雫が落ちる。


 そして今度は、空気が震えた。


「――――――――――――!!」


 鳴き声、というよりはまるで雷が大地を貫くかのような轟音だった。揺れた空気にあおられ、エルマの握る総舵輪が機能を失う。近づくなと言わんばかりにその轟くような鳴き声はエルマを影から――いや、邪竜ファフニールから遠ざけた。


「……っ!」


 総舵輪がガタガタと揺れる。動かない。右側の翼が針葉樹の太い幹に当たる。羽根を散らしながら折れたそれはゆっくりとした速度で地面に落ちていく。それとは対照的に、エルマを乗せた〈方舟〉本体は重力に従うままさらに加速していく。船首が地面に突き立つ瞬間、エルマは総舵輪から手を放し、〈方舟〉から飛び降りる。全身を湿った土で汚しながら、受け身を取る。直後、激しい音と共に〈方舟〉が地面に衝突し、船首からまるで避けるようにしてバラバラになる。


 受け身を取り、仰向けになったエルマの視界に映ったのは枝葉の隙間から覗く僅かな灰色の空と、彼女を覗き込む邪竜の頭だった。


 荒い息を漏らしながらも、少しだけ痛む身体を起こして二本の脚でしっかりと〈竜域〉の地を踏みしめる。腰に提げた剣を抜き払い、正面で構える。邪竜を見上げる。


 見上げた先にいる邪竜ファフニールは、〈方舟〉の上から見下ろしていたときよりもずっとずっと大きく見えた。


 こんな山のように大きな相手と、人間一人の力でどう戦えばいいというのか。こんなもの、蟻が一匹で人間に立ち向かうようなものではないか。


 そもそもの話、邪竜ファフニールとの戦闘は空中戦を想定されていた。そのために小型の一人乗り用の〈方舟〉が開発された。機体の上に立ち、近づき斬りつける。時には邪竜の背に飛び乗り刃を突き立てる、鱗を剥がす。そうやって邪竜の体力を削っていくのが、本来想定されていた戦い方だった。もちろんこれは、〈竜狩り騎士団〉という組織単位での話である。人間一人で邪竜に勝とうなど、考える者は一人もいない。


 エルマは改めて、なぜ自分がここに立っているのかを考える。


 人間を救うため?


 英雄という栄誉を得るため?


 〈人神大戦〉を終わらせるため?


 騎士としての誇りのため?


 そのどれもが全くと言っていいほど当てはまらなかった。では自分は、エルマ・ライオットはなぜ剣を執り、邪竜ファフニールに切先を向けているのか。


 そこに大義なんてものは在りはしない。他者の感情なんてものも、入る余地はない。そこにあるのは自己中心的な八つ当たりに近い何かだった。


 きっとこの行動は、あの占い師に唆されようがそうでなかろうが、取っていた行動だ。選んでいた選択だ。エルマは騎士としてけじめをつける機会を失い、さらに一人の男性を想う少女すらも捨てられなかった、中途半端な存在だ。死に場所を探していた、もしかしたらそういう感情もあるのだろう。消えてしまいたい、誰かの記憶に残っていたい、誰かに気にかけてほしい――大好きな先輩に、こんな私を救ってほしい。


「あああああああああああああああッ!!」


 感情を吐き出すようにして喉を震わせ叫ぶ。右足を前へ、そして今度は左足を前へ。足を動かし、大地を蹴り、剣を構えて走る。邪竜に向かって加速していく。


 それに反応するかのように、邪竜ファフニールは頭をエルマの目の前まで下げ、口を開け、その鋭い牙を覗かせる。その口が徐々に開かれる。


 眼前にしたそれはあまりにも恐ろしかった。まるで死の淵に立っているかのようだった。この期に及んで、大好きな先輩が助けに来てくれるんじゃないかと、そんなことをエルマは思っていた。


 いや、そんなわけがないのだ。エルマの大好きな先輩は、シグルズ・ブラッドは〈竜の守り人〉を選んだ。それに、そんなすぐに助けに来れるはずがない。エルマ・ライオットという一人の人間は、ここで邪竜に食い殺されて死ぬのだ。


 目を瞑る。閉ざされた瞼から涙が零れ、頬を伝ったそれが〈竜域〉の大地を僅かに濡らした。

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