41.夜の茶会
アーガルズ兵団内にはいくつかの接待室がある。それほど頻繁に使用されることはないが、国王の直轄地であった首都とは別に、東西南北の四都市を治める貴族たちの会合などに使われる程度だ。
その日、接待室は普段では見ない顔の客人を招き入れていた。人数は四人、そのうちの三人は完全に兵団内部の人物、身内であるわけだが。
「シグルズ、アーガルズの国王になってくれ」
テーブルを挟んだ向かい側でシグルズにそう頭を下げたのは、竜狩り騎士団団長のバロック・ハーヴェストだった。
時刻は兵士や騎士が夕食を終え、各々自室に戻ったり鍛錬に勤しんだり、夜の街に刺激を求めて繰り出したりする頃合い。革命から二十時間でも過ぎようかというぐらいのときだった。
シグルズはバロックの言葉に少し悩む。横を見るとテーブルに並べられた茶菓子を美味しそうに摘むリンファが目に入る。もう一度顔を正面に向け、きっぱりと「断る」とその申し出を斬り捨てた。
「別に俺は、王になりたくてアーガルズ国王を討ったんじゃない。今のままではいけないと思ったから行動したまでだ」
「そんなことは分かっている。だがな、行動した者には行動した者だけの義務が生じる。国王の死も、公式に知らせる前に、一日と経っていないのに首都に住む国民には広まっている。しばらくは暫定的にアーガルズ兵団長のラウラサー殿が治世の舵を握るが、我々愚かな人類には、新たに人類を導く王が必要だ。前王とは正反対の思想を持った、な」
バロックの言い分にアーガルズ兵団長、ラウラサー・エアルヴィも頷く。
確かに、彼の言い分が正しいとシグルズも思っている。行動した者にだけ発生する義務。革命を起こすだけ起こしておいて、後は他人に丸投げというのはたしかにあまりにも無責任だ。何かの形で責任を取るとなると、バロックの考え方にどうしても行きついてしまう。
「……そもそも、俺が王になったとして民衆はついてくるのか? どこの馬の骨とも知らぬ騎士が王になるなんて、俺だったら信用できない」
「そこは問題ない」と、ラウラサーが口を開く。
「兵団内部でも、民衆の中でもシグルズ・ブラッドを英雄視する声がある」
「だが、逆もあるだろう? 革命の結果、〈人神大戦〉における全ての作戦が中止になり、不満を漏らす者もいるはずだ。神々と徹底的に戦うべきだと、でなければ滅ぼされるのは人間の方だと。そう言う者たちが、刹那の英雄に靡くはずがない」
「そこでもう一つの頼みだ、シグルズ。いや、騎士団長としての命令だ」
紅茶を啜るシグルズに、バロックが真っ直ぐな視線をぶつける。
「一応、聞いておこう」
バロックは一呼吸置き、真っ直ぐに飛ばすような声で「神々をシグルズ一人で打ち滅ぼしてくれないか」と、この夜の茶会を開いた目的を口にした。
「独裁を敷いた前王を討った英雄が神々さえも討てば、今のところ靡いていない者どももシグルズを英雄として見るだろう。それにシグルズ、お前は〈竜の守り人〉を世界樹第七階層〈竜域〉に届けると言ったな。どのみち世界樹の上三階層〈神界〉へ足を踏み入れる。それに、シグルズが騎士になったのは両親の仇をとるためだったはずだ。〈混血〉であるお前は、神々とは簡単に切れぬ因縁がある。違うか?」
問われ、シグルズは「たしかにそうだ」と頷く。たしかにそういう経緯で騎士になった。リンファを〈竜域〉に送り届けるつもりだというのも事実だ。
「しかし――」
「シグルズは神々と戦う運命にあるわ」
バロックの申し出に反論しようとしたその時、ずっと黙っていたリンファが会話に割り込む。
「昔、〈人神大戦〉は神々が人間を滅ぼすために起きたと言ったわね。けれどそのとき、経緯はもっと複雑と言ったわ。その経緯のせいで、主目的は人間の殲滅じゃなくなっている」
「どういうことだ、〈竜の守り人〉」
バロックが問うと、リンファは溜め込んだ言葉を吐き出すようにゆっくりと、しかし確かな口調で神々の真の目的を告げる。
「〈混血〉を殺すためよ」
リンファのその言葉に、誰も驚きはしなかった。そうなのだろうなと、バロックもラウラサーも、シグルズでさえも思っていた。
「〈混血〉は神々を滅ぼす力を持っていると、神々は思っている。なぜそうなのか理由は分からないけど。だから、〈混血〉である私も、神々に捨て駒のように扱われた。私が人間に囚われたとき、私は殺されるように言われていたの。ひどく無惨にね。そうすれば〈混血〉を一人処理できるし、『残虐非道な人間を滅ぼす』という〈人神大戦〉における大義名分にもなる。そしてシグルズも神々にとっては邪魔な存在、処分の対象なの。だから、神々と刃を交えることは避けて通れないわ」
そう言われてしまっては、シグルズに拒否権などない。しかし、一つ忘れてはならない事柄がある。
「神々は〈混血〉を殺せないんじゃないのか? ファフニールとの制約か何かで」
リンファはシグルズの反論に「そうね」と同意した後、「でも」と続ける。
「神々が何も考えていないとは思えない」
険しい顔でそう言葉を顕わにした。
「まあ、シグルズがアーガルズの王になるかならないかは私には関係ないとしても、神々との因縁は私自身にも絡んでくる話。避けて通れないということだけは伝えておくわ。その後のことはあなたたちで好きに決めてちょうだい」
語り終えたリンファのため息を最後に、室内を静寂が包む。バロックとラウラサーが、決断を求めるようにシグルズに視線を送る。
リンファの話を踏まえても、これからとるべき行動、選択肢は一つしかない。
シグルズがリンファを世界樹第七階層〈竜域〉に送り届けることはかねてから話していた決定事項だ。これは揺るがない。ただ、それを果たした後自分が何をすべきなのかということは深く考えていなかった。
少しだけ、未来のことを考える。仮に今、バロックやラウラサーの申し出を断り、リンファと共に世界樹第七階層〈竜域〉に足を運んだとして、自分がそのまま引き返すだろうか。いや、とてもではないがそうは思えなかった。きっと自分はその槍を片手に両親を殺した宿敵を目指してさらに上の階層を目指すだろう。
もちろん、神々に両親を殺された恨みもある。特にあの白髪白眼の男――竜神ヨルムントに対しての憎悪は自分でも計り知れない。
ならばやはり、答えは一つだ。
「分かった。神々を討とう」
「本当か!?」
「ああ」
シグルズが申し出を承諾すると、バロックとラウラサーは顔を輝かせ、安堵の表情を浮かべた。
「ただし、国王になるという件は保留してほしい。やはり、とてもではないが俺にそんな大役が務まるとも思えない」
シグルズがそれだけ伝えると、ラウラサーは「分かった」と頷いた。
「急を要することじゃない。我々としてはきみが国王になってくれるのが一番ありがたいが、それを考えるのは〈人神大戦〉が終結した後でも問題はない。ゆっくり考えてくれていい」
シグルズはそれに頷くと、明日にでもアーガルズを発つことをラウラサーたちに伝え、リンファと共に接待室を出た。
自分たちに与えられた仮住まいである客室に向かいながら、「ようやく帰れるのね」と零した。
「帰って、リンファはどうするんだ?」
「どうしようかしらね」
シグルズの問いに考えるように天井を見上げる。
「私は神々にとっては邪魔者以外の何者でもない。帰ったところで、穏やかな生活ができるとも思えないわ。いっそ、ファフニールと一緒に人間の側に寝返ってやろうかしら。私一人じゃ心細いけど、ファフニールとあなたが一緒なら何も怖くはないわ」
そう言ってリンファは朗らかに微笑んだ。
初めて出会ったときと比べて、随分と軟らかい表情をするようになったとシグルズは思う。初めて会ったときはまるで冷えたナイフのように殺気を纏っていたが、今の彼女にそんな面影は一切残っていない。
「変わったな、お前」
「変えたのはあなたよ、シグルズ」
リンファはそう言うと、まるで無垢な少女のように顔を綻ばせた。




