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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第4章~紅葉色の髪の少女~
40/81

40.占い師を名乗る男②

 一人、街を歩く。


 空は既に闇色に染まり、陽光の指していた昼間の通りを賑わせていた市場は軒並み閉まっていた。代わりに街路に漏れ出ているのは品のない笑い声を伴った騒音と、酒場の明かりだけだった。


 少しだけ、一人で歩きたかった。頭の中を整理したかったのだ。目的もなく動くエルマの脚は、なぜか街の暗い方へと向かっていた。


 国が変わった。大好きだった先輩、シグルズ・ブラッドが変えたのだ。彼は国王の治世や言動に疑問を持ち、行動した。もちろん、これまでの歴史の中でも前アーガルズ国王に反旗を翻した者は少なからずいた。その全てが漏れなく断頭台に送られていた。多くの人が「アーガルズ国王に歯向かえば殺される」と学習した中で起きた反乱(クーデター)。いや、革命と言うべきだろう。


 ともかく、目と鼻の先まで迫っていた邪竜討伐作戦は白紙となった。きっとそれは、とてもいいことなのだ。いいことのはずなのだ。多くの騎士が大切な者と今生の別れをせずに済む。無駄に命を散らす必要がないのだ。エルマの心の中ではそう結論づいているはずなのに、なぜかエルマ自身はこの事実を受けてまるで心に穴が空いたような気分になっていた。


 理由は何となく分かっていた。エルマが邪竜討伐作戦に志願したのは、自分の中で騎士であるエルマ・ライオットとしてのけじめをつけるためだった。叶わぬ恋に踏ん切りをつけるためだった。そのために、まるで八つ当たりみたいに参加することにした。


 そんな邪竜討伐作戦がなくなった。エルマの感情はまるで行き場を失くしたようだった。行く当てもなく夜の街を歩くエルマと同じように。


「悩み事ですか?」


 その声に立ち止まる。気づけば周囲に目立った明かりはなく、随分と街の端まで歩いてきてしまっていたことに気づいた。反射的に右腰に提げた剣の柄を握る。


「誰ですか」


 声に棘を含ませて問う。すると、エルマの右側、建物の間の路地から一つの人影が現れ、「そんなに警戒しないでください」と言って目深に被っていた頭巾を脱いだ。


 そこから出てきた顔は、夜闇には似つかわない白い肌、白い髪、白い瞳だった。少し高めの声をしているが紛れもなく男性だ。全身白い外套に身を包んでいるため体格は分からないが、背はエルマの良く知る錆色の髪の騎士よりも高かった。


「こんな夜更けに女の子一人だと危ないですよ」


 男が言う。エルマは「問題ないです」とわざとらしく柄を握った手を誇張するように動かした。


「騎士の方でしたか。これは失敬。随分と少女らしい表情(かお)をしていらしたので」


 男の言い方に、エルマはぴくりと眉を動かす。


「どういうことですか」


「なにか悩みがあるのでしょう? 言ってごらんなさい。こう見えて私は占い師なんですよ。今夜は特別に、タダであなたを占って差し上げます」


 胡散臭い男の笑顔に、エルマは間髪入れずに「結構です」と答える。


「こんな時間に一人でいる女の子に話しかけている時点で、あなたは不審者以外の何でもありません。今晩は見逃してあげます。家に帰りなさい」


 騎士としての厳格さを思い出すようにして男に忠告する。「それではこれで」とエルマは来た道を戻ろうとする。


「感情の行き場を失っていますね? これは……なんでしょうか。恋心? それとも憧憬? 一人の男性があなたを置いて行こうとしていることに、あなたは酷く怯えている……といった感じでしょうか」


 ぴたりと足を止める。男の方を振り返る。エルマの驚いたような顔を見てかは分からないが、男がニヤリと笑った。


「占い師ですから。これぐらいは分かりますよ」


 エルマは男の白い瞳をじっと見つめる。なぜかエルマは、帰ろうとしていたはずが男の口から紡ぎだされる言葉を待っていた。


「あなたはその男性に振り向いてほしいのでしょう。おそらく、その男性には別に想い人がいる」


「……そんなこと分かってますよ」


「あなたに振り向くことはない」


「分かってるって言ってるじゃないですか!!」


 いつの間にか声を荒げていた。夜も更け切った街の中であることを思い出し、口元を押さえる。まるで見透かしたような物言いに腹が立ったのか、はたまた現状そうである自分自身に憤りを感じたのかは分からない。が、男の言っていることはほとんど当たっているようなものだった。


 シグルズ・ブラッドが竜の守り人を連れて逃げ出した時点で、彼はあの空色の髪の少女に惹かれていたのだろう。何もかもをかなぐり捨ててしまうくらいに。


「まあ、そう大きな声を出さないでください。ここで出会ったのも何かの縁。私はあなたの味方です。あなた、お名前は?」


 問われ、少し乱暴に、それでいてそんな自分を落ち着かせるかのように「エルマ・ライオット三等騎士」と名乗る。


「エルマさん、ですね。あなたの想い人があなたの方に振り向くお手伝いをしましょう。お代は要りません。私があなたを手助けしたくて手を貸すだけなので。恋に心を悩ませる少女を私は放っておけないのです」


 そう言う男の顔は相変わらず胡散臭い表情をしていた。だというのにエルマはその男に背を向けるでもなくその場を立ち去るでもなく、まるで縋るように男に問いを投げた。


「私、どうしたらいいんですか。どうやったら、先輩に振り向いてもらえるんですか」


「簡単なことです」


 男がエルマの問いに答えるように歩み寄る。


「その男性があなたのために動かざるを得ない状況を作るのです」


「私のために動かざるを得ない状況?」


「ええ」


 男が頷く。


「その男性……も、騎士ですかね。その男性はあなたのことを大切に思っています。想い人がいようと、これは確実です。先輩、と仰いましたね。その男性にとってあなたは大切な後輩。そんな大切な後輩が命の危機に瀕していたら、その男性はどうしますかね。助けに向かうんじゃないですかね。きっとその男性は優しい男だから」


 確かにこの男の言う通りだ。エルマはシグルズ・ブラッドという人物がどれだけ優しく、他人のために動ける人間なのかをよく理解している。もし自分の身に危険が迫っているとして、彼がそれを知ったならば、彼はまた、全てを捨てて行動するだろう。


「あなたのために動く彼の姿、想像できましたね? では具体的にどうしたらいいか。ありましたよね、つい昨日まであなたの命を脅かしていたものが」


 言われ、エルマはその危険の正体をぽろりと口から零す。それは、〈人神大戦〉における重要な戦いの一つで、エルマの悩みの種の一つでもあって、多くの人が無意味に命を散らすはずだった――。


「邪竜討伐作戦……」


「そうです。その邪竜討伐作戦に、行くんですよ。あなた一人で」


「――え」


 自分の耳を疑った。一人で邪竜討伐に向かう? そんなもの、死にに行くようなものではないか。


 そんなエルマの戸惑いも意に介さないように男は続ける。


「邪竜ファフニールはこの世界樹に住まう生命体の頂点。倒すのは容易ではありません。あなた一人で太刀打ちできる相手ではないでしょう。そんな命がけの戦いを大切な後輩がしていると知れば、きっとあなたの想い人はあなたの元へ駆けつけます。そうすれば、その男性の感情は、視線は、行動は、そのときだけ全てあなたのモノです。あとはあなたの好きなようにすればいい。押し倒して既成事実を作ってしまうのも、殺してしまって真に自分のものにしてしまうのも、ね」


 言いたいことを言ったのか、「助言はしましたよ」と男はどこかへ行こうとする。


「ちょっ、ちょっと待って」


 男を今度はエルマが呼び止めた。


「まだ、なにか?」


「他に方法はないんですか? その、もっと平和的な」


 問う。「ありません」と男は即答した。


「逆に問いますが、あなたが命を賭ける以外にその男性の想い人に敵う部分はありますか? 容姿は? 性格は? 強さは? その他諸々で、あなたが勝てる部分なんてありますか? あるわけないでしょう? なんせ相手は〈竜の守り人〉ですからね。ただの人間であるあなたに勝ち目はない。それこそ、命を燃やさない限りは」


 男の言葉にエルマは目を丸くする。


「今、〈竜の守り人〉って……何でそのことを知って……」


「さあ、どうしてでしょう? 私は占い師ですから、あなたのことはもちろん、あなたの身の回りの人間関係も知っています。あなたの知らないあなたのことまで。賢い選択をすることです、エルマ・ライオット三等騎士。真にあの男を我が物にしたいのであれば」


 男が不敵に笑みを浮かべる。


「ちょっと待って、まだ話は終わってな――」


「そろそろ私はお暇致します。またどこかでお会いしましょう、エルマ・ライオット」


 そう言い残して、占い師を名乗った男はまるで闇に溶けるようにして再び路地に姿を消した。追いかけようと路地に入ったが、既にそこに男の姿はなかった。



§



「おかえり、ヨルムント」


「ただいま、フェンル。世界樹の観察は楽しめてるか?」


 世界樹第九階層〈神域〉。男は「ふう」と息を吐きながら纏っていた外套を脱ぐと、自分の机に向かっている緑の波打つ髪を揺らしている地神フェンルの顔を覗き込んだ。


「楽しくないよ。それに、ヨルムントこそどこに行ってたの? また第五階層に遊びに行ってたの?」


 フェンルが不貞腐れたように頬を膨らませる。それにヨルムントは「まあね」と答える。


「邪竜を殺すのに人間が一人必要だって前に話しただろう? だから、〈混血の騎士〉に恋心を抱いている女の子をちょっと焚きつけてきたんだ」


 説明すると、フェンルは「うわぁ」と声をあげる。


「ヨルムントって性格悪いよね。なんでそんな遠回りなやり方するの?」


「どうせ観察するなら、面白い方がいいだろう? それ以外に特別な理由はないよ」


 ヨルムントの答えに「やっぱり性格悪い」とフェンルは自分の中で出した結論を繰り返し口にする。


「そもそも、その人間は本当にファフニールを殺すためにやってくるの?」


 そんな純粋な疑問を口にする。これにヨルムントは「来るよ」と即答した。そしてそれに付け加えるように口を開く。


「人間は愚かな生き物だからね。彼女は自分の恋心に従って愚かな行動をとるよ」


 そうして竜神ヨルムントは不気味に口を歪めて微笑んだ。

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