39.占い師を名乗る男①
歴史が動いた。〈三国統一戦争〉という歴史の節目から六十余年、一人の騎士崩れが一夜にして革命を起こしたのだ。
その騎士の名を、シグルズ・ブラッドという。
§
「エルマ! 話聞いてる!?」
名前を呼ばれた赤髪の騎士は「あ、ごめん。なんの話だっけ」と顔を持ち上げる。横で髪を留めた金髪の少女の顔が瞳に映る。食堂は全体がざわつき、落ち着きのない様子だった。騒ぐまでは行かずとも、エルマもそんな落ち着きのない人間の一人だった。
また顔を落とす。無意識につついていたのか、皿に乗った焼き魚はフォークで穴だらけになっていた。
時刻は午後六時半ごろ。太陽は既に西に傾き、窓から覗く空は赤紫色に染まっていた。向かいに座る友人の女の子はため息とともに「だから~」と口を開く。
「これから私たちどうなるんだろうって話だよ。今朝の兵団長と騎士団長の話、覚えてるでしょ?」
そう言ってソフィアはサラダを口に運ぶ。
もちろん、覚えている。邪竜討伐作戦の中止とともに告げられた衝撃の事実。
昨晩、歴史が一つ動いた。〈三国統一戦争〉によってアーガルズが統一されてからおよそ六十年、一人の暴君が国を統べていた。その暴君が、アーガルズ国王が反乱によって殺されたのだ。そしてその反乱を引き起こしたのが――。
「……先輩」
「エルマ、さっきからそれしか言ってないよ」
言われ、慌てて口元を押さえる。
そうだっただろうかと思いつつも、もしかしたら無意識に先輩先輩と零していたかもしれないと、恥ずかしさに顔を紅潮させる。
「まぁ、私としては邪竜討伐作戦が中止になったのは良かったと思うけどね。なによりエルマが危険な目に遭わなくて済むから。多分、兵団のほとんどの人間がそういうふうに思ってる。ま、一部そうじゃない人も居るかもしれないけど」
ソフィアが視線を僅かに横にずらす。隣の机では二人の兵士が言い争いをしていた。かたや「これを機に神々と和睦を結ぼう」と、かたや「邪竜討伐作戦は実行すべきだった、神々を討つべきだ」と、意見が食い違っていた。
「……兵団長閣下のお言葉だと、当分大きな作戦は実行しないみたいだけどね」
エルマも隣の机の様子を眺めながら、そんなことを呟く。
アーガルズ国王が死に、実質的な国政の権限を持っているのは、宰相の役割も担っていたアーガルズ兵団長のラウラサー・エアルヴィだ。今は彼の言葉が最も権限を持つ。その彼が、邪竜討伐作戦の中止を宣言し、当分は〈人神大戦〉における作戦は実行しないとの意を表明した。
革命直後でそのことを宣言したところを見るに、兵団長ラウラサー、騎士団長バロックもこの出来事に噛んでいるのだろう。
それはそれとして。
「エルマはどう思う? 神々と仲直りできると思う?」
「仲直りって……子どもじゃないんだから」
ソフィアの言い草に苦笑しながら、自分の考えを頭の中で整理する。答えは思ったよりも簡単に出た。
「……流れる血は少ない方がいいと思う」
「先輩の受け売り?」
ソフィアの言葉に「そうかも」と顔を綻ばせる。
「神々と仲良くできるなら、それに越したことはないよ。〈人神大戦〉も必然的に終わるし、無意味に命が奪われることもなくなる。その方が、皆にとっては幸せなこと」
「なんか、他人事みたいに言うね」
そうだっただろうかと、エルマは自分の言葉を振り返る。特に違和感はなかった。
「ソフィアはどう思うの?」
話を逸らすように、ソフィアに意見を尋ねる。
「うーん、王が変わるから、〈人神大戦〉はやっぱり終わるんじゃないかな」
その回答にエルマは「えっ」と息を零す。
「王って変わるの?」
「そりゃそうでしょ。今までの王様が討たれちゃったんだから。前国王は血縁者もいないから、兵団内でも街中でも、反乱を起こしたエルマの大好きな先輩が国王になるんじゃないかって噂されてる。
私だって、シグルズ先輩がどんな人かはある程度知ってる。神々が〈人神大戦〉を引き起こすに至った前アーガルズ国王はもう居ない。代わりに人間を統べるのがあの人なら、神々だって矛を収めるでしょ。時間はかかるかもしれないけど、第六階層の妖精や第四階層の巨人とも仲良くなれるかもね。残虐非道な人間という種族としてじゃなくて、分かりあえる隣人として」
たしかに、ソフィアの言う通りだ。シグルズが国王になるというのであれば、ほとんどの人が賛同するだろう。彼が混血であることや、竜の守り人脱走に手を貸したことを知らない一般市民にとっては特に、彼はアーガルズ国王の恐怖による独裁を退けた英雄だ。問題があるとすれば兵団内での反発だが、少なくとも前王でいいと考えるものは限りなく少ないだろう。
きっと、全ての人にとってはそれが最良の結果なのだ。
「エルマはさっきから浮かない顔してるけど、シグルズ先輩が国王になることには反対?」
尋ねられ、いつの間にか自分の腿を見ていた顔を上げる。「反対じゃない」と口を開く。
「反対じゃない、けど、なんだか先輩がまた遠くに行っちゃった気がして」
「そんなに悩むんなら、いっそ先輩のお嫁さんにしてもらえばいいんじゃない? 先輩が国王になるんだったら王妃様だよ。大出世じゃん」
ソフィアがそんな揶揄いの言葉を口にする。
「冗談よしなって。それに私、もう先輩に『大嫌い』って言っちゃったんだもの。今更だよ」
小さく笑って放ったその言葉を、ソフィアへの返答とした。
「この後の予定は?」
空になった皿を載せた盆を持って立ち上がるエルマにソフィアが問う。
「ちょっと街の方に行ってくる。消灯時間までには帰るから」
「ん、分かった」
ソフィアがひらひらと手を振る。エルマも彼女に対して同じ動作をすると、食器を返却して食堂を後にした。
エルマを見送ったソフィアは、焼き魚の最後の一口を口に運んで呟いた。
「素直じゃないんだから」




