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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第3章~穢れた血~
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37.アーガルズ国王戦②

 自分はこんなに体力がなかっただろうかと、リンファは頭の片隅で思う。


 左斜め前方から襲い掛かる曲剣の斬撃。これを聖剣フロティールで受け止め、押すようにして後方に飛び、刃を交える相手との距離を取る。


 赤黒い人形。アーガルズ国王の権能が作り上げた戦闘人形だ。女性のような曲線的な容姿。踊るようにその片刃の曲剣をしなやかに振るい、少しずつリンファの体力を削っていく人形は、まるで疲れを感じさせない動きをしていた。いや、人形なのだからそもそも疲れなんて概念が存在しないのだろう。


 リンファは一度深呼吸をして早まった呼吸を整える。追い詰められた彼女の背は既に部屋の壁についており、これ以上後退はできない。


 人形が飛ぶようにして距離を詰める。下からの円弧を描くような斬撃が、リンファの喉元を捉えんとする勢いで襲い掛かる。


「……っ!」


 体力を消耗しないように身を捩り、最小限の動きでこれを躱す。人形の振るう曲剣の切先が僅かに右頬に触れる。傷口から血が滲み、赤い線をつくる。


 人形の剣撃はそこでは終わらなかった。紙一重で躱したリンファを追尾するように、滑らかに横薙ぎに刃を滑らせる。身を屈め、刃の進行方向と反対の位置に滑り込むと振り返りざまに人形の左腿めがけて勢いよく刃を運んだ。しかし刃は惜しくも虚空を切り裂く。不意の一撃のつもりだったが、それすらも華麗に回避された。体勢を立て直すべく人形から距離を取ると、聖剣フロティールを構え直してもう一度息を整えた。


 そもそも、リンファの戦闘スタイルは魔法による攻撃が主だ。聖剣フロティールによる攻撃はあくまでとどめの一撃、魔法攻撃の中で生まれる僅かな隙に打ち込むものだ。それ故、リンファは剣技らしい剣技など持ち合わせてはいないし、ずっと体を動かし続けるほど体力があるわけでもないのだ。魔力炉があればと思う反面、魔法が使えない自分はこんなにも弱いのかと改めて痛感する。


 聖剣フロティールも、相手を傷つけて初めてその力を発揮する。そもそも刃が届かなければ、それはただの板切れと同じだ。このままうだうだと戦闘を継続しても、リンファの体力が消耗されていくばかりで勝機がないのは明白だった。


 ちらりと視線をシグルズの方に向ける。彼も相当苦戦しているのか、リンファ同様アーガルズ国王から距離を取るようにして戦っている。このままでは共倒れだ。


(何か策を講じないと……)


 そう思うも、特別有効な手立てが頭に浮かぶわけでもなかった。なにかないかと頭を全力で回している間も、人形の猛攻は絶え間なく続く。現状どうにかこうにか攻撃を凌げているものの、リンファの体力だってそう長くは保たない。躱すために動かし続けてきた脚はもう限界だ。


 人形が下から切り上げた曲剣が腿を掠める。細い切り傷から赤い血が一筋、脛を伝う。その攻撃が脚に溜まっていた疲労の糸を切ったのだろう。溜まり続けた疲れと一瞬の痛みにリンファは膝をつく。聖剣フロティールを杖のようにして、苦悶の表情と共に頭を持ち上げ立ち上がろうとした。しかしその一瞬は、命を一つ奪うには十分すぎる時間だった。


 視界の正面、その曲剣の側面は全く見えなかった。曲剣の切先は間違いなくリンファの眉間を捉えていた。貫こうとしていた。


「リンファ!!」


 シグルズの叫び声が聞こえる。危機的状況であるリンファの姿が視界に写り込んだのだろう。死を悟った間際、引き伸ばされたかのように感じる思考の中で、これはもう助からないだろうと頭の片隅に大切な人の顔を思い浮かべる。そういえばシグルズには危なくなったら逃げろと言われていたなと思い出す。今頃になってそんな言葉を思い出して、どうにかなるわけでもないが。結局、世界樹第七階層〈竜域〉に帰ることも叶わなかった。ファフニールにもう一度会いたかったと、そんな願いももう叶うことは――。


『なんという為体(ていたらく)か。竜狩りが聞いて呆れる』


 迫りくる刃に瞼を下ろしていたリンファの耳に届いたのは――いや、頭の中に響いたのは優しく力強い聞き慣れた声だった。落としていた瞼を持ち上げる。視界の中央、リンファの向かいの壁際に、バラバラになった人形が散乱していた。リンファの目下にはつい先ほどまで彼女の命を握っているも同然だった曲剣が力なく落ちていた。


「……ファフニール?」


『守ってやれと言ったというのに、結局私が出張る羽目になった。リンファ、〈竜の権能〉の力の使い方を教える。少し身体を借りるぞ』


「えっ? どういうこ……と――」


 突然の事態にリンファは困惑していた。だが、答えが出るより先に彼女の意識は微睡みの中へと溶けていった。



§



「ヨルムント、何を見てるの?」


 世界樹第九階層――〈神域〉。波打つ新緑色の髪を揺らす一人の神の言葉に、竜神ヨルムントは「今面白い所だから話しかけるんじゃない」と僅かな苛立ちを込めて答える。ヨルムントが向かう机の上には、綺麗に磨き上げられた水晶玉が一つ、淡い光を放ちながらその中に像を映していた。


 槍を持った〈混血〉と筋骨隆々な老人の戦い。ヨルムントはそれから片時も目を放さず、瞬きさえ忘れて見入っていた。


「ヨルムントはいっつもそうだよね。人間の観察ばっかり。もっとあたしと遊ぼーよー」


「うるさいな。大体、フェンルたちが世界樹の観察を全くしないから僕がやっているんじゃないか。暇なら代わってほしいよ」


「でもさー、ヨルムントがずっと水晶玉独り占めしてるじゃない?」


 それはそうかもしれないと、ヨルムントはその神――地神フェンルの言葉への返答を詰まらせる。


「……ともかく、今はいい所なんだ。あっちでヘイルと遊んでおけ」


「例の〈混血の騎士〉?」


 フェンルの問いに、水晶玉から目を放さずに「そうだよ」と荒々しく答える。


「第五階層で何が起きてるの?」


「六十年ぐらい前に生まれた混血の男を、その混血の騎士が殺そうとしてるんだ。混血同士で争ってくれるんだから手間が省けると思って観察してるんだよ。本当だったら生まれたときに僕が殺しているはずだったんだけど、ファフニールとの制約で混血の子どもは殺せないんだ。生まれてしまった子どもに罪はない、って言うのがファフニールの言い分」


 ヨルムントの説明にフェンルは興味なさげに「ふぅん」と鼻で答える。


「どっちが勝つの?」


「僕としてはどっちが勝ってもあまり問題はないけどね。どうせ殺すんだから。そもそも、〈人神大戦〉だって表向きは人間を滅ぼすことにあるけど、主目的は〈混血〉の抹殺だ。人間の王は既に混血としての〈目覚め〉を迎えているし、混血の騎士が今後〈目覚め〉を迎えたとしても然したる問題はない。まあ、〈目覚め〉を迎えていない騎士が勝ってくれた方が僕たちとしては助かるけど」


「〈目覚め〉ちゃった混血の血は神を浄化させちゃうんだっけ?」


「フェンル、勝手に僕の日誌を読んだな?」


 えへへー、と笑いながらフェンルが悪戯っぽく舌を出す。


「ごめんごめん。風で(ページ)が捲れてたから、つい」


 両手を合わせて謝るフェンルにヨルムントはため息を吐く。


「それでさー、〈目覚め〉ってなんなの? あたしもヘイルもそんなもの聞いたことないよ」


「話してないからね」


「そうやってまた隠し事するんだー。ヨルムントのけち」


 別に隠していたわけじゃないとヨルムントは弁明する。机に設けられた簡易な本棚から自身の綴った日誌を取り出すと、該当する頁を開く。


「〈目覚め〉は種族としての覚醒だ。世界樹に住まう全ての生物がその可能性を抱えている。〈目覚め〉がもたらす力は種族によって異なる。

 世界樹第六階層の妖精たちは、火妖精(サラマンダー)は炎魔法、水妖精(ウンディーネ)なら水魔法というような自分の種族固有の魔法だけでなく、全ての魔法を操ることができるようになる。確認事例は一件。

 世界樹第四階層の巨人は額から角が生え、身体能力が遥かに向上する。確認事例は三件。

 世界樹第三階層の魔族は、もともと権能を使うことで寿命が縮み死に至る生き物だったが、権能の使用制限から解放される。さらに魔法を行使する際に呪文の詠唱が必要なくなる。確認事例は七件。

 世界樹第五階層の人間は体内に魔力炉が生み出され、魔法が使えるようになる。確認事例はなし。そして〈混血〉が――」


 頁を捲る。


「親元の〈目覚め〉の効果に加えてその血が神を殺す毒になる。確認事例は第五階層を統べる〈混血〉の王と竜の守り人、リンファの二人だけだ」


 結論を述べ、日誌を閉じる。もとの本棚に戻し、再び視線を水晶玉に注いだ。


「そんなにたくさん、どうやって調べたの?」


「ずっと世界樹を観察してきたからね。この木に住まう全ての生命の特徴は知っているつもりだ。それに、〈混血〉の血が僕たちの存在を脅かすものだっていうのはずいぶん昔から、というよりは世界樹ができた頃から分かっていた。それに沿うように〈神の禁忌〉も作った。ただ、最近まで〈混血〉の血がなぜ危険なのか分からなかったが――何十年も〈混血〉を観察してれば、その血を採る機会ぐらいいくらでもある。自分を実験台にしたのを後悔するぐらいあれは苦しいものだよ」


「あっ、ずるーい。また〈人界〉のほうに降りてたんだ」


 そう言って、フェンルはヨルムントの顔の横に自身の顔を近づけるようにしてしゃがむ。ヨルムントの視界の端で生命力を感じさせる緑色の髪が軽やかに揺れる。フェンルは揺れる髪を耳に掛けると、ヨルムントと同じように水晶玉に映される映像を覗き込んだ。


 槍を持った錆色の男が体つきの良い老人と戦っている。どうやら押されているようだった。その様子を見つめるフェンルは、ぼそりと口を動かす。


「本当に、〈混血〉を殺しちゃうの?」


「さっきも説明しただろ。〈混血〉の血は僕たち神々を浄化させる。その苦痛の一端もよく理解しているつもりだ。僕たちが消えてしまえば、誰が世界樹を管理するんだ? 樹を枯らすような芽は摘まなきゃならない。それが世界樹という生命の箱庭を作り上げた神々の責任だよ」


 フェンルはヨルムントの言葉が納得いかないのか、不服そうにうーんと唸る。


「あたしは、殺すのは勿体ないと思うけどなぁ」


「どうして?」


 水晶玉から目を放さずに聞き返す。


「だって、〈混血〉って種族を越えた愛の形でしょ? それってすっごく素敵なことだと思わない? そりゃ、ヨルムントの言い分だって分かるよ。〈混血〉という存在が危険なもので、さらには人間が自分勝手なことばかりしてるから滅ぼしちゃおう、っていうのも。だから、〈人神大戦〉そのものには賛同するよ。でも、そこに映ってる〈混血〉の――特に騎士の方は、なんだか殺すの勿体ないなぁって思う。その子は私に面白いものを見せてくれそう」


 竜神ヨルムントは、地神フェンルが時折見せるこういった感覚的な言動がよく理解できなかった。ただ、彼女の言葉は的を射るものが多い。現にヨルムント自身もまるで執着しているかのように水晶玉に映されている混血同士の戦いを見ている。


 ヨルムントは仕方がないと言うようにため息を吐く。


「……分かった。フェンルの言葉を信じるよ。ただ、彼らが僕たち神々に刃を向けるようなことがあれば殺す。それでいいな?」


「うん、それでいいよー。あたしだってヨルムントに色々とお仕事押し付けたくないし、それ以上は何も望まないよ」


 たった今余計に考えるべきことを増やした奴がよく言うものだとヨルムントは頭を抱える。殺しに行ったりしたらフェンルは確実に拗ねるだろう。


「ファフニールの方はどうなの?」


 フェンルの言葉で話題が変わる。


「ああ、そのことなら――」


 横に真っ直ぐ右手を伸ばす。その手に、眩い光と共に緋色の剣が姿を現す。まるで燃えるように波を描く刃。左手で柄を握りその剣を抜き払う。陽光を浴び、燃ゆるように刀身が煌めく。その刀身に視線を滑らせながら口を開いた。


「人間が一人用意できればいつでも殺せるよ」


 そう言って竜神ヨルムントは頬を小さく吊り上げて笑った。

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