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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第3章~穢れた血~
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30.嘘の約束

 食事が喉を通らないと思っているのは自分だけではないはずだと、エルマ・ライオットは食事の手を止め、サラダが未だに残っている皿にフォークを置いた。


 西の空が赤らむ夕食時、普段であれば食堂の不味いご飯に文句を言いながらも賑わっているが、この日だけは違った。多くのものが下を向き、食事を運ぶ手は止まっていた。


「エルマ、食べないと元気でないよ」


 親の顔より見た同居人が、向かいで眉間に皺をよせていた。


「ごめん、ソフィア。でも、どうしても喉を通らなくって」


 俯く。汚い食堂の床が目に入った。


 エルマのその様子に、ソフィアは長いため息を吐く。


「まあ、そうなっちゃうのも分からなくはないけどさ」


 うーん、と呻く。少しばかりの沈黙が流れた後、「よし!」とソフィアが勢い良く立ち上がる。


「エルマ、この後時間ある?」


「え? うん、あると思うよ。昨日と今日は作戦に参加する騎士は全員休暇になってるから――」


「よ~し、じゃあデートしよう!」


「デートって、ちょっ、待ってって!」


 腕を掴まれ、立たされる。そのまま引きずられるようにして、言葉を挟む隙もなく、兵団内の食堂を後にした。



§



 場所はアーガルズ兵団付近の市街地。つまるところ、アーガルズの首都である。


 腕を引かれるがまま、というより引きずられるがままにソフィアについて行った場所は、エルマも見覚えのある場所だった。


「ここって……」


「スイーツは別腹って言うでしょ? ほら、入ろ入ろ!」


 チラシで一度だけ見た店名。つい数週間前に開いたばかりのケーキ屋だった。チラシに書かれていた〈恋人割り〉なる割引は、一日前の日付で終わっていた。


 店に入ると店員が「何名様ですか」と尋ねる。ソフィアが「二人です!」と元気に答える。


「ごめんね、一緒に来る相手が大好きな先輩じゃなくって」


 冗談交じりに言うソフィアが、通された二人用のテーブルの向かいに座った。


「ううん。もう割り切ってるから」


 ソフィアの言葉に、エルマの口はそう答えていた。


「ほら、好きなもの注文しなよ。今日は私のおごり」


「でも……」


「口答えしないの! いいから頼む!」


 ビシッ、と指を刺される。言われるがままメニュー表に目を通し、自分の好みのものを探す。「決まった?」というソフィアの問いに、無言で頷くとソフィアは手を挙げて元気な声で店員を呼んだ。


「青林檎のケーキと、紅茶で……エルマは?」


「マロンケーキとコーヒーでお願いします」


 かしこまりましたと店員が席を離れる。


「初めて来たけど、結構お洒落なお店だね。一人だったら絶対来ないかも」


 遠ざかっていく店員の背をぼんやりと眺めるエルマに、ソフィアがそう話しかける。その後も、メニュー表を開いてみては「あ、こっちの方が良かったかも」とか、「エルマが注文したケーキも一口分けて~」などと、いつもの調子と無垢な笑顔で言ってくる。


 それはまるで、あえて普段通りに振舞っているかのように、エルマには思えた。


「……元気づけてくれてる?」


 一応、確認した。


「まぁね。エルマを元気づけるのは私の仕事……みたいな?」


「なにそれ」


 ソフィアの回答に頬が緩む。その緩みと一緒に、エルマの中で張り詰めていた緊張の糸がふわりと(たる)んだ気がした。


「……私さ、自分で討伐作戦に志願したんだ」


「知ってる。エルマは真面目ちゃんだから、絶対作戦に参加できるし参加するって。まあ私はそもそも不真面目だし、そのせいで今回の作戦から外された四等騎士なわけですけど」


「でも、私はソフィアが作戦に参加できなくてホッとしてる」


「理由は友達の私が死ぬ可能性から遠ざかったから?」


「それも多分ある、けど――」


 言葉の最中に注文したコーヒーと紅茶が運ばれてくる。エルマはその黒い液体に映った自分の顔を見ながら「私の帰りを待っててくれる人って、ソフィアぐらいしかいないから」と言葉の続きを口にした。


「私ってさ、親も兄妹も居ないし、友達もそんなに多くないし……」


「そうだねぇ。親のことは、まあ、どうしようもないけどさ。友達いないのはアレだよね、騎士訓練校でガサツすぎて誰も近づかなかったのと――」


「逆に今の私は克己的(こっきてき)過ぎて近寄りがたい……だっけ?」


 ソフィアが言おうとした言葉を先回りして言うと、ソフィアは「そう」と言って頷いた。自分では全くもってそんなつもりはないのだが、ソフィアいわく真面目過ぎる様子が人を寄せ付けないらしい。


「まあ、だから、ソフィアには生きていてほしいっていうかなんていうか」


 話を戻す。


「いや、生きていてほしいはちょっと違うかも。なんだろう。覚えていてほしい、みたいな?」


「疑問形で言われても」


 紅茶を飲みながらソフィアが突っ込む。そうだよねとエルマは苦笑いする。そうしてもう一度、自分の頭の中を整理して、それを自分の口から紡ぎだす。


「なんていうかな、私がいたってこと、生きてたってことを覚えておいてほしいの。ほら、多分私死んじゃうからさ」


 俯く。大して減っていないコーヒーが目に入る。俯く視界の端に、女性店員の声と共にマロンケーキが現れた。


「えー、そういう事ならお断りだよ。最初っから死ぬ気で行くのは残された人に対して失礼だよ」


 青林檎のケーキを一口食べるとソフィアは不貞腐れたような声音で言う。


「それに、そういうのは友達じゃなくて恋人とかに言う台詞でしょ。まあ、エルマが私を恋人にしたいって言うなら話は別だけど、そうじゃないでしょ?」


 そう言われてしまうと、何も言い返せない。エルマ自身が抱く今はもうどこかへ行ってしまった先輩騎士への恋心のことはとっくの昔に話しているし、相談に乗ってもらうことも多々あった。彼が消えてしまってからも、胸の内で燻って消えない思いを、ソフィアに零すこともあった。


「とりあえず、死ぬ気で行かないこと。死ぬ気で行ったら本当に死んじゃうから。絶対生きて帰ってきて。戦いの最中に逃げ出したっていい。かっこよく死ななくていい。どれだけ不格好でも、私はエルマに生きてほしい。生きて帰ってきてほしい。何も重く考えないで。エルマは一人じゃない」


 ソフィアのその声は、エルマが生涯聞いてきた中で最も強く、真っ直ぐだった。真剣なその声音が鼓膜を、そしてエルマの喉を「うん」と震わせた。


「分かった、生きて帰ってくる」


「……戦いに赴く恐怖と緊張の糸は緩んだ?」


「うん、ばっちり」


「それなら今日はケーキ食べて帰ってぐっすり寝なさいな。私にできるのはここまでだから、後はエルマ次第」


 そう言ってソフィアは青林檎のケーキの最後の一欠けを頬張って。


「またこのケーキ屋、二人で来ようね!」


 満面の笑みを浮かべるソフィアに、エルマは「うん」と頷いて、一つの約束を交わした。

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