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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第3章~穢れた血~
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29.真の約束

 ご馳走様と、シグルズは手に持つナイフとフォークを空になった皿の上に丁寧に置いた。


「お粗末さまでした」


 そう言って、目の前に座るアリエル・ハーヴェストは微笑む。


 あっという間に過ぎた穏やかな時間。その穏やかさはどこかに気まずさを内包していて、料理を振舞ったアリエルは事情を知らないせいか、終始ぎこちない表情をしていた。


 リンファはもちろんのこと、シグルズも、バロックでさえも食事中に談笑らしい談笑を出来なかった。この静かな食卓で交わされた言葉は「いただきます」と「ご馳走様」と「美味い」ぐらいなものだった。


「……なんか、静か、だね」


 ついに耐え切れなくなったのか、アリエルが居心地悪そうにそう零した。


「せっ、せっかく二人とも久々に帰ってきたんだしさ! なんかもっとこう、無いの!?」


 身振り手振りで話を引き出そうとするアリエルに、シグルズは俯く。リンファは我関せずといった様子で未だに皿に乗った魚をつついている。


「……アリエル、お前に大事な話があるんだ」


 そんな二人をよそに、アリエルの隣に座るバロックが彼女に向き直る。


「なにさ、あらたまっちゃって」


「……明後日、竜狩り騎士団は世界樹第七階層〈竜域〉に邪竜ファフニールの討伐に向かう。私も……もちろんシグルズもだ。――だから、戦いの前にアリエルの手料理が食べたくなって帰ってきたんだ」


 バロックが視線だけを僅かばかりシグルズに向ける。そういうことで話を進めろと、そう言いたいのだろう。そんな視線に小さく頷く。


「……俺なんか、随分長い間帰っていなかったからな。最後にアリエルの手料理が食べられてよかった」


 言って、微笑みをアリエルに向ける。しかしアリエルは「え?」と息を零し。


「最後って、どういうこと?」


 声を、震わせた。


 その様子を見て初めて、シグルズは自分が言ってしまった言葉の、単語の意味を理解した。何を言っているんだと言わんばかりにバロックも頭を抱えている。


「ああ、いや、最後っていうのは言葉の綾でだな……」


「帰ってくるよね?」


 アリエルは俯き、膝に置いた拳をぎゅっと握りしめる。そしてもう一度。


「帰ってくるよね?」


 確かめるように言葉に表す。終いには「ううん」と自分の言葉を否定して、「帰ってくる。絶対帰ってくる。だって二人とも強いんでしょ? 兄貴もシグルズもすっごく強いんでしょ? だったら、帰ってくるよね?」と。自分に言い聞かせるようで、それでいて誰かに答えを求めるように、「帰ってきてくれるよね?」と震える声に涙を浮かべた。


 アリエルの反応にシグルズは黙り込む。


 そもそも、シグルズに至ってはアリエルに会えなくなる理由が別だ。邪竜ファフニールの討伐に向かうわけでもなければ、前提として既に騎士でもない。だからここで何かを言うべきなのはシグルズではないのだ。


 ちらりとバロックに目配せをする。見つめた赤い瞳が、頷いたように見えた。


「ああ、帰ってくる。絶対に帰ってくる。だから、何も心配するな」


 その言葉とともに、バロックはアリエルを自分の胸に抱き寄せた。


「……何かさ、帰ってきたとき食べたいものとかある?」


 バロックの胸に顔を(うず)め、鼻をすすりながらアリエルが問う。


「アリエルが作る料理なら何でも」


「それ、一番困るやつじゃん。でも、うん、分かった。兄貴が好きな魚料理も、シグルズが好きな肉料理も、どっちも作って待ってるから。絶対、帰ってきてよね」


 その言葉にバロックは「ああ」と頷いていた。シグルズは、頷くことも声を上げることも出来ないままだった。



§



 翌日の別れの言葉は随分とそっけないものだった。


「いってらっしゃい、気をつけてね」


 エプロン姿のアリエルが、笑って手を振っていた。シグルズは、どうして笑っているのかと、訳を聞いた。


「泣くのは昨日の夜で終わり。送り出すときはいつだって笑顔だよ。そのほうが送り出される側も気持ちがいいから。次に泣くのは嬉し泣き。二人が帰ってきたときにとっておくんだ!」


 シグルズは、そんなアリエルの無垢な笑顔を、直視することができなかった。



「人間は嘘つきね」


 アーガルズ兵団本部へ向かう途中、リンファがそんなことを呟いた。


ファフニール(あの子)と戦って、生きて帰れるわけがないじゃない。人間はもっと現実を見るべきよ。それに、ありのままを伝えた方がいい。悲しみを生み出すのは期待よ。その大きさにとらわれず、外れたときは悲しいもの。だったら帰ってこられない可能性も提示しておくべきなのよ。その方が、心の準備ができるでしょう?」


「……そうだな。だが、ありのままの現実よりも、そんな裏切りかねない僅かな期待のほうが、魅力的に見えてしまうんだ。光があるから、その光の方に走ってしまうんだ。期待に縋るのは生命の本能的思考だと、俺は思う」


 シグルズのそんな個人的見解に、リンファは「やっぱり分からないわ」と首を傾げているだけだった。



§



 閉められた鉄格子の扉が、リンファの顔に縦縞模様の影を落とす。土で出来た床はひんやりとし、空気も湿気を帯びていた。何故かリンファはその空間を、懐かしいと感じた。


「それで、どうするつもりなの?」


 一つ横の鉄格子に向かって声を掛ける。



 ――アーガルズ兵団本部。その地下牢に、リンファとシグルズはいた。バロックに連れられるがままこの場所まで来たわけだが。


「捕まっちゃってるけど、さすがに何も考えていないわけじゃないわよね」


「ああ」


 隣の牢に入っているシグルズが頷く。


「むしろ、真正面から反逆者が兵団に攻め入るよりずっと入りやすい。罪人という立場も利用すれば簡単に兵団内に入れる」


「それはいいんだけど、どうやって牢から出るつもりなの」


「出るも何も、鍵は開いている」


 そう言って、シグルズは自分の入っている牢の鉄格子の扉を押してみせた。キィ、と耳障りな軋む音と共に、扉が動く。


「バロック殿の精一杯の抵抗だよ。国王に対する、な。罪人の鍵をかけ忘れたといえばそれまでだし、俺が力尽くで扉をこじ開けた事にもできる。昨日の夜から、バロック殿はこうするつもりだった」


「……つくづく、人間というのは嘘が好きなのね」


「嘘が好きなんじゃない。嘘に好かれているんだ。きっとな」


 そんな個人的なシグルズの見解に、やはりリンファは首を傾げていた。


「それじゃあ、作戦会議と行こうか」


 そんなリンファをよそに、シグルズは不敵に頬を吊り上げた。

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