28.説得
帰って来たばかりのバロック・ハーヴェストは私服だった。似つかわない花柄のシャツに、短パンという出で立ち。シグルズには見慣れたものだが、横に座るリンファは「うわぁ……」と声を顕わにして本気で引いていた。
「シグルズ……お前、なんでここに……」
シグルズと目が合った瞬間、バロックはその目を丸くしてそう零した。ごもっともな言葉である。
「お久しぶりです。バロック……殿」
「……元気そうで何よりだ。それに、竜の守り人も」
バロックがリンファを一瞥する。その様子を見ていたアリエルは「えっ、どういうこと?」と首を回し、リンファ、シグルズ、そしてバロックの顔を順繰り順繰り見ては首を傾げた。
「アリエル、今日の晩御飯は決まっているか」
バロックの脈絡のない問いに困惑しながらもアリエルは「決まってないけど……」と返す。
「だったら、これで新鮮な魚を買ってきなさい。久しぶりにアリエルの魚料理が食いたい」
バロックはそう言いながら、懐から取り出した財布をアリエルに手渡した。
「う、うん。分かった」
抜けきらない困惑を感じながらも、アリエルは受け取った財布を握りしめる。そして残りの少し冷めた紅茶を飲み干して逃げるように家を出て行った。
「……さて」
そんなアリエルの背を見送ったバロックは、シグルズの向かいに座ると「今までどこにいた」と真剣な眼差しを向けた。
「母の故郷――世界樹第三階層〈魔族国サバト〉にいました」
「……やはりそうか。アーガルズに帰ってきたのも、私の家に尋ねてきたのにも理由があるな? 回りくどい言い方はしなくていい。目的はなんだ?」
「――アーガルズ国王を、打ち倒すことです」
バロックのその真っ直ぐな視線に応えるように、確かな口調でそう告げた。バロックは腕を組み、目を閉じ、短くため息を吐く。
「それで、私にどうしてほしいんだ」
シグルズはバロックの言葉に俯く。
「手を貸してほしい、とは言いません。国王に歯向かった者がどうなるのかぐらい、俺も理解しています。ただ、少しの時間だけ、俺たちを見逃してほしい。それだけです」
「それなら、なぜわざわざ私の前に姿を現した? 私が反逆者のお前を、敵である〈竜の守り人〉を、みすみす見逃すと思うのか?」
目を開き、じっとシグルズを睨みつける。
「あなただって、国王に対して不信感がないわけではないはずです。だったら――」
「口を閉じろ、愚か者」
バロックの言葉にシグルズはぐっ、と押し黙る。
「私は以前、そう言って反乱を起こした兵士を知っている。シグルズ、お前のように〝話で聞いた〟のではなく、直接見て、知っていた。彼が断頭台の上で自らの正当性を叫ぶ姿も、それを腐った目で見ていた兵団も、彼の家族が石を投げられ、心中したことも、全部覚えている。お前には、そうなってほしくはない。国王はお前が〈竜の守り人〉を連れ出したことは『当然だ』と言っていた。国王陛下は〈混血〉のお前を大層気に入っている。捕まっても、殺されることはないはずだ」
「しかし――」
「それだけじゃない。今更あの暴君をどうにかしたところで、人間の愚行は止まらない。騎士団は明後日の朝、世界樹第七階層〈竜域〉に邪竜ファフニールの討伐に行く。国王の命令で、だれも望んでいない戦いに赴く」
「だからこそです。だからこそ、今すぐに国王を打倒して、そんなバカげた命令を止めさせて――」
「それをすれば、神々は人間のこれまでの蛮行を許すのか? 今までの行いはすべて一人の王の責任ですと言えば、その振り上げた手を収めてくれるのか? そうではないだろう? 〈竜の守り人〉よ」
言って、視線をシグルズの横に座る空色の髪の少女に向ける。彼女は短く息を吐いてから「ええ、そうね」と答えた。
「神々は止まらないわ。必ず人間を滅ぼす。私としては、〈人神大戦〉の結末がどんなものでも構わないし、人間がどうなろうが知ったことではないわ。ただ、私を救ってくれた恩人だけは別。彼が、シグルズがやろうとしていることは手伝ってあげたい。それが私なりの恩返し。どのみち、竜域に帰るなら人間の〈方舟〉……だったかしら。それを使わなければならないし。私からすればただの寄り道よ。どうせ滅ぶなら、何が起きたって変わらないし意味もないでしょう? だったら好きにさせたらいいと思うわ。もしかしたら、もっといい結末に向かうかもしれないから」
そういって、彼女は笑みを浮かべていた。
バロックには彼女の意図が分からなかった。彼女の言う『いい結末』というのが何を指しているのか、分からなかった。いや、分からないというよりは信じることができなかった。
「……人間が、神々に勝つとでも?」
問うと、彼女は掴みの悪い表情を見せる。
「さあ、それはどうかしらね。それは私と、あの子と、彼次第。神々が禁忌になぜ〈異種族同士での交配を禁ずる〉というものを作ったのか。それがあなたたち人間にとっての希望……と言えば理解してもらえるかしら」
「待ってくれ」
いつの間にか話の主導権を奪われていたシグルズが、リンファの言葉を制止するように声を上げる。
「俺抜きで話を進めるんじゃ――」
「シグルズは黙っていて。今団長さんと話しているのは私よ」
じっ、と睨みを利かせるリンファに、シグルズが押し黙る。
「神々は保身的よ。世界を創り、そこに芽生えた生命に自由にやらせておきながら、自分たちに降りかかろうとする災難は取り除こうとしている。一つの種族が世界樹を統べかねない可能性を潰そうとしている。それが〈神の禁忌〉。それに歯向かったものは、神々を殺す可能性よ。現に行われている〈人神大戦〉だって、神が力をつけた人間を滅ぼしたくてやっているに等しいもの。まあ、経緯はもっと複雑でしょうけど」
「……だからといって、シグルズを国王の元に向かわせることはできない」
それが、高等騎士バロック・ハーヴェストが導き出した結論だった。
バロックにだって、この空色の髪の少女が言わんとしていることは汲み取れる。しかし、そんな風前の灯火のような可能性に、自分の家族を賭けられなかった。
仮にもし、シグルズを国王の元に向かわせて、返り討ちにあったとしよう。シグルズを止めなかった責任はそう遅くないうちにバロックに降りかかる。そうなれば、かつて反乱を企てた兵士の二の舞になりかねない。大切な妹を、守れない。
それに、神に対抗する手段が禁忌に背いたものであるならば、それこそ国王で充分事足りるではないか。国王だって禁忌に背いた〈混血〉だ。条件に不足はない。
「全部終わった後の世界を統べる人物がその王様でいいのなら、別にその判断でも私は構わないけど」
私はこれ以上は何も言わないわ、とリンファは口を噤む。
バロックは、両肘を机において、頭を抱えた。一つため息を吐く。
「バロック殿」
声に顔を上げる。錆色の髪の青年が、真っ直ぐに自分の目を見つめていた。いや、彼の瞳はもっと別のところを見ていた。もっと高くて、遠い所を。
「ご決断を」
そのあまりにも真っ直ぐな声に、バロックは乾いた笑い声を漏らした。
「……兵団に入りたいと言ったときと同じ目をしているな。あのとき私は、お前が騎士訓練校に入校することを拒んだはずだ。なのにお前はそれを無視して騎士になった。今回もそうなのだろう? 私にわざわざ自分の目的を話したのは、ただの〝家族への報告〟だろう? 背中を押してくれるのならなお良し、押してくれなくても、なんなら否定されても、止まるつもりはない。お前は……そういう奴だったな。情動的で後先考えない愚か者。お前のそういう性格を一番知っているのは、私だったな」
「……それじゃあ」
「だとしても、私にはお前ら二人を捕える義務がある。休暇といえど、私はアーガルズ兵団および竜狩り騎士団に所属する一介の騎士だ。自分の仕事に私情は持ち込まない。だがまあ、今夜一晩、この家で食卓を囲むぐらいは許してやるさ。
その後は大人しく私に捕まってくれ。そして、鉄格子の向こう側で、冷たい土の上で、この無意味な争いが終わるのを何も出来ないまま待っていてくれ」
そう言って、頭を下げた。
バロックが請け負っている仕事は反逆の騎士であるシグルズを捕えることだ。それだけは、一人の騎士として全うしなければならない。それは、シグルズも分かっているはずだと。ならば、大人しく捕まってくれと、深く、頭を下げた。
今だけは自分のいうことを聞いてくれと言わんばかりに。
「バロック殿……あなたは……」
「何も言うな、シグルズ。私は、こういうやり方しかできない」
その言葉にシグルズは俯きながら「分かりました」と答えるほかなかった。それ以外の回答を用意したところで、バロックがそれを聞き入れないと分かっているからだ。それで、いいのだ。
「ありがとう、シグルズ。今夜はゆっくりしていくといい」
「……ありがとう、バロック殿――いや、兄さん」
シグルズは立ち上がるとリンファに「行くぞ」と声を掛ける。それに反応するようにリンファも立ち上がり、シグルズの後に続くように部屋の横の廊下に消えていった。
バロックはそんな後姿を眺めながら「私も愚かだな」と自分自身を嘲笑った。
「ただいま」と、アリエルの声が聞こえた。
§
懐かしい自分の部屋の臭いが鼻を突き抜ける。それと同時に「説得できなかったわね」と言うリンファの声がシグルズの鼓膜を震わせた。
シグルズはその声に振り返る。そして小さく笑うと。
「いいや、説得は出来たさ」
その言葉で、リンファの発言を否定した。




