27.帰郷②
アリエル・ハーヴェストの生活はいつも一人だ。朝起きたときも、朝食も、自身が営んでいる花屋の仕事も、夕飯の買い出しも、ずっと。
店にやって来る客とのコミュニケーションはあるが、腹を割って話せるほどの仲ではない。週に一度顔を見せていた騎士団長の兄はここしばらく顔を見せていないし、一緒に育った男の子もほとんど帰ってこない。
だから、アリエルはずっと独りだった。
この日も、ずっと独りであるはずだった。
「久しぶりだな、アリエル」
昼下がり、アリエルは突然の来訪者に手に持つ商品の花束を落とした。
「シグルズ……?」
外套のフードを目深に被っているが、間違えようがなかった。その声も、フードの隙間から覗く錆色の髪も、アリエルの良く知るシグルズ・ブラッドそのものだった。よく見ると、どうやら連れがいるようだ。背の低い、女の子だろうか。目線の高さ的に、女の子の顔は良く見えなかった。かろうじて確認できたのは、澄んだ空色の髪だけだ。
「ど、どうしたのさ、急に。帰ってくるなんて珍しいじゃん」
突然のことに驚きながらも、普段通りの口調で話しかける。すると、シグルズはキョロキョロと周囲を確認するかのような素振りを見せ、
「お兄さんは、バロック騎士団長閣下は帰ってきているか」とアリエルに問うた。
「いや、帰ってきてないよ。っていうか、ここ三週間一度も顔を見せてないんだ。薄情な兄貴だよ」
「……三週間、そうか。だったら今日、帰ってくるな」
「兄貴に用事?」
「ああ。今日一日、邪魔しても構わないだろうか。閣下と大事な話をしたいんだ」
「別にいいけど、それだったら兵団本部に行けばいいんじゃ……」
「そこではダメだ。他の者の目がある」
アリエルにはシグルズが何をそんなに人目を気にしているのか分からなかった。とはいえ、彼の頼みを聞かない理由もない。
「別にいいよ。お客さんも今日は少ないし。そっちの……」
視線をシグルズより一回り小さな女の子に向ける。
するとアリエルの視線を感じ取ったのか、首を少しだけ持ち上げて、「リンファよ」と名乗った。フードから、青藍色の綺麗な瞳がアリエルを見ていた。
「急に押しかけてすまない、アリエル。助かるよ」
軽く頭を下げるシグルズを、アリエルは「あたしらの仲でしょ」とはにかみながら腕を引いて家に上げた。
§
シグルズは、その景色をひどく懐かしいと感じた。
店先に並んだ鮮やかな花、縦長のひっかき傷のついたテーブル、目の前に座る妹のような少女。
「帰ってくるのいつぶり? 一年ぐらい?」
シグルズの向かいに座るその少女――アリエル・ハーヴェストが明るい口調で尋ねる。それにシグルズも、いつもの調子で答える。
「一年と四か月ぶりだ」
「帰れないくらい忙しかったの?」
「いや、そういうわけじゃない。帰る機会はいくらでもあったが、どうにも、槍を振るっていないと落ち着かなくてな。休暇の日も鍛錬をしてただけだ」
「相変わらず克己的だね。恋人出来ないよ」
「耳が痛いな」
そんな風に、懐かしく感じる彼女とのやりとりを交わし、自身の前に出されたコーヒーを一口啜った。
「それで」
コーヒーカップをソーサーに置くシグルズを見ながら、アリエルは頬杖をついて「兄貴は本当に今日帰ってくるの?」と問う。
「帰ってくるよ。バロック閣下はいくら多忙でも、月に一度は帰る日を自分で設けてるんだ。三週間帰ってないなら、今日は帰ってくる」
「そうなんだ。それは楽しみだ」
言って、アリエルは笑っていた。ティーカップを両手で持ちながら少し口に含むと、それを飲み込んで「さっきさ」と話の話題を変える。
「シグルズに恋人出来ないよって言ったけど、そっちのリンファちゃん? はシグルズの恋人?」
「あー、えっと」
いざ、何も事情を知らないであろう人に聞かれると、回答に困る。
シグルズがアリエルの元を尋ねたとき、彼女はいつも通りシグルズに振舞った。つまるところ、シグルズの反逆に関わる話は民衆にまで周知されていないのだろう。兵団上層部が、竜の守り人を竜狩り騎士が逃がしたことを公にしないのは、竜狩り騎士団の、ひいてはアーガルズ兵団の信頼に関わると判断したのだろう。一介の騎士が、捕らえた敵を逃がしたともなれば、兵団に対する民衆の不信感は高まる。
いや、そもそも竜の守り人たるリンファを捕えた事すら周知されていないはずだ。そう言った話を、シグルズは未だ耳にしていない。
「まあ、そんな感じだ」
面倒ごとを避けようと、アリエルの問いにそう答えたつもりだった。しかし、シグルズは答え方を誤ったと、直後に後悔した。
「いつからいつから!? 二人の出会いは? どこで? どんな風に!? 告白はどっちからだったの!?」
口を挟む余地もなく、アリエルはシグルズに問いを投げる。一つとして拾うことができないというか、拾う前から次の質問が飛んでくるのでどうしようもないわけだが、彼女の絶え間ない質問攻めに、シグルズはたじろいだ。
するとずっと横で黙っていたリンファが「彼からよ」と身も蓋もないことを言いだした。
「り、リンファ?」
「えっ、シグルズから!?」
「そう、彼から。それはもう、熱いプロポーズだったわ。『全てを捨ててお前を選ぶ、お前の全てを受け止める』とか言ってたかしら」
ちょっと待てと、シグルズはリンファを制する。
確かに、そんな風なことは言った気がしなくもないが、そういう意味で言ったわけではないし、リンファに恋心を抱いているなど断じてない、はずだ。
「揶揄うのはよせ」
「事実を言ったまでじゃない」
「たしかに言ったかもしれんが、そういう意味じゃなくて――」
「シグルズ、そんな告白するんだ……」
アリエルは口元を押さえ、耳まで真っ赤にして目をぱちぱちとさせていた。
シグルズの弁明は、もはや彼女には届いていなかった。
もうどうにでもなれと、シグルズが深いため息をしたとき、「ただいま」という声と共に、シグルズにとっての兄が、上司が、竜狩り騎士団団長が、家の扉を開けて帰ってきた。




