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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第3章~穢れた血~
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26.帰郷①

 世界樹第三階層〈魔族国サバト〉で過ごす最後の一日はあっという間に過ぎ去った。特別なことをするわけでもなく、僅かばかりだったウィノラとの生活を反復しているだけだった。朝食を作り、彼女のよく分からない怪しい作業を手伝い、昼食を胃袋に詰めた。視界の悪い仮面を着けて買い出しに行き、燭台の灯りを頼りにウィノラとの最後の夕飯をとった。シアナについて、前日の夜ほど彼女と話すこともなかった。



 翌日の早朝。まだ空が赤紫色になっていない頃だ。人目につくの避けるように、シグルズとリンファはウィノラの家を後にした。見送りでさえも簡便なもので「気をつけて」の一言だけだった。彼女とシグルズたちの関係というのは、その程度で済むほどの、しかしその程度で充分なほどだった。


「魔族にもいい人はいるのね」


 目的地、つまりはシグルズの母――〈貪汚(たんお)の魔女〉シアナ・ブラッドが作った階層渡りの魔法の扉がある場所に向かう途中、リンファはそう零していた。


 彼女なりに、魔族に対する解釈が変わったのだろう。魔族は人間以上に意地汚く、悪知恵が回り、平然と悪事を犯し、手を赤く染める。〈竜の魔女〉と呼ばれることに抵抗を覚えていたリンファだったが、ウィノラとの出会いが彼女自身の固定観念を崩したのだろう。


「シグルズ、あなたの母親の話を聞いたことがなかったわね」


 突然、リンファがそんなことを問う。


「気になるか」


「ええ、魔女ウィノラが、私の知っていた魔女像と異なっていたから。あなたの母親はどうなんだろうと思って」


 少しだけ、母親のことを考えてみる。


「昔も言っただろう。母親のことは嫌いだ」


「じゃあ、シグルズの母親はちゃんと〝魔女〟だったのね」


 リンファの言葉に、シグルズは首を横に振って「いや」と否定した。


「たしかに俺は魔女としての母親が嫌いだ。だが、母親としての彼女は優しかった」


 ウィノラと会話を交えた一夜で、何を得たというわけでも何かが変わったというわけでもなかった。母親のことは嫌いなままだし、優しかった記憶もそのままだった。手紙を見たら涙を流してしまうことも含めて。


「じゃあ、いい母親だったのね。羨ましいわ」


 それは、シグルズが一度も口にしなかった言葉だった。優しい母親だと口にしたことはあった。ただそれは、魔女である母親を差別化するために言っていたにすぎない。だからだろう。リンファの放ったその評価が、シグルズにはしっくり来たのだ。


「……ああ、そうだな。いい母親だったよ」


 そう口にするシグルズの頬は、不意に緩んでいた。



 気がつけば目的地に到着していた。階層渡りの扉がある場所、シグルズとリンファが世界樹第三階層に降り立った、と言うより落ちてきた場所だ。


 空は少しだけ黒から赤紫色に変わり、朝の訪れを告げていた。


「準備はいいか、リンファ」


「ええ、いつでもいいわよ」


 リンファがシグルズの手を握り込む。シグルズは横を見てリンファの様子を確認した。小さく深呼吸をして目を瞑っていた。それに倣うように、シグルズも大して乱れていない呼吸を整える。


 小さく空気を吸い込んで、呪文を唱えた。


「――扉を開け(オペルナー・ドマオラ)第五の(ゴナ・フィアフテハ)地へ(ラウナーデ)


 呪文を唱えると同時に、視界をまばゆい光が包む。その光は視界ごと、二人の意識をも飲み込んだ。



§



 頬に不快でないこそばゆさを感じる。それと一緒に鼻孔を(くすぐ)ったのは、〈魔族国サバト〉に漂うきつい香水の臭いとは正反対の、生命力溢れる青草の香りだった。


 シグルズは瞼を持ち上げる。眩しい光が視界に差し込んだ。爽やかな風に、青草とともにシグルズの錆色の髪が揺れた。


 身体を持ち上げ、周囲を見渡す。青々と生い茂る草木と、それを映えさせる青空が頭上には広がっている。少し離れた先には小さな泉があった。ファナケルの泉だ。ということは、無事世界樹第五階層〈アーガルズ〉に帰ってきたということだろう。


 ふと、右手に感じた温もりに、首をそちらに向ける。小さな空色が、若草の中に川を作っていた。彼女はすぅすぅと小さな寝息を立てて、眠りこけていた。


「リンファ、〈アーガルズ〉に到着したぞ」


 シグルズは彼女の――リンファの身体を揺する。


 穏やかに閉じられた彼女の瞼がゆっくりと持ち上がる。かと思いきや、勢いよく体を起こしを起こし――というよりも、起こした勢いで立ち上がった。


 そして、両手を後ろに逸らして大きく息を吸い込んで。


「空気が美味しいわ!!」


 叫んだ。


 あまりの晴れやかな声に驚きつつも「そうだな」と同意の声を入れる。


「一週間も〈魔族国サバト〉にいて慣れてしまっていたけど、やっぱりあの鼻を突くような香水の臭いがしないってのは最高ね! 思いっきり空気を吸っても不快にならないもの!」


「……そうだな」


 あまりのはしゃぎように、同意するほかなかった。いや、彼女の言葉を否定したいわけではない。実際、〈魔族国サバト〉の空気と比べて〈アーガルズ〉の空気には独特の重々しさがない。空気が軽い。というか、リンファがこれほど無邪気に声を上げることに驚いた。


 いや、今はそんなことはどうでもいいわけで、大事なのは――。


「今後のことについてなんだが」


 話を切り出す。するとリンファは「なに?」と不思議そうに振り向いた。


「アーガルズの国王を殺しに行くんでしょ?」


 確かに彼女の言う通り、アーガルズの国王を殺しに行く。しかしどうしても、会っておきたい人、会わなければならない人がいた。


「そうなんだが、その前に一度会っておかなければならない人がいる」


 言って、シグルズは心地よい〈アーガルズ〉の空気を胸に吸い込んだ。真っ直ぐにリンファの青藍色の瞳を見据え、はっきりと口を動かした。


「バロック騎士団長閣下に会いに行く」

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