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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第2章~魔族国サバト~
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24.次にすべきこと

 目を覚ましたリンファの視界はぼやけていた。それどころか、耳に入ってくる音もどこか籠ったように聞こえ、まるで水の中にでもいるかのようだった。


「……ファ」


 誰かが、名前を呼んでいる。ぼやける視界に錆色が映る。少しずつ、意識が明瞭になると共に視界のぼやけも、籠った音も、晴れていった。


「シグ……ルズ?」


 鮮明になった景色の中に居たのは、錆色の髪の元騎士だった。彼は不安そうな目をリンファに向け、意識を取り戻した彼女に胸を撫で下ろして、どこか安堵した様子を見せた。


「良かった。目が覚めた。今ウィノラを呼んでくる。少し待っていてくれ」


 そう残して、シグルズはどこかへ去っていった。階段を駆け下りる音がする。


 見覚えのある内装――ウィノラの家だ。恐らく二階、屋根裏部屋だろう。壁にはシグルズの槍が立てかけられ、窓の外は相変わらず赤黒い空が広がっているのが窺えた。


 ここにいるということはつまり、アンテロに囚われた自分をシグルズが助けてくれたのだろう。


 リンファは真っ先にそう思った。


 アンテロの屋敷に囚われていた間の記憶はほとんどない。そもそも囚われたときの記憶すらもないのだ。気がついたら掴まっていて、気がついたら助かっていた。そんな感じだ。唯一記憶に残っている光景を上げるとするならば、白い服の、料理人のような男にひどく殴られたことだ。理由も覚えている。魔族が作ったご飯など食えない、そう言ったから殴られた。殴られて、口の中は切れ、その血が床に飛び散っていた。頭を踏みつけにされ、色々なところを蹴られた。そんな思い出したくない、痛くて苦しい光景。


「あれ」


 ふと、リンファは自分に対する違和感に気づいた。それは別に、髪の毛がいつもよりサラサラだとか、見慣れない服を自分が纏っているだとか、そういう分かりやすいものじゃない。


 なんだろう、と自分の身体を触ってみる。特にどこにも変化はない。貧相な胸が大きくなったわけでもない。一体何に違和感を覚えたのだろうと、先の思考をもう一度繰り返す。


 アンテロに捕まって、彼の従者と思しき魔族に殴られて――。


「……治ってる」


 その違和感の正体は、自身の口の中にあった。切れていたはずの口の中が治っている。いや、口の中なのだから、直りは早いのかもしれないが、傷ができた形跡すら、自分の舌で口内を探ってみたが分からなかった。


 それだけではない。あの魔族には殴られただけではなく蹴られもした。それこそ、あざができるのではないかというほどに。


 身体には痛みを感じない。それどころか、体の調子は快調そのものだ。なんならここしばらくの体調で最も良いとすらいえる。


 魔法だろうかと思う。


 シグルズは陰魔法と、リンファから奪った魔力炉――すなわち水魔法しか使えないため、彼の仕業ではないだろう。となるとウィノラか。


 リンファは魔族が嫌いだ。魔人も、もちろん魔女も。しかしどういうわけか、魔女であるウィノラには、始めこそ嫌悪感を抱いたが、今はそれほどでもない。


 なぜだろうと考えるが、答えは分からなかった。


 ひとまず、傷を癒してくれたのはウィノラのだろう。となれば、感謝の言葉ぐらい述べねばなるまい。〈竜の守り人〉が謝辞すら言えないとなると、それはそれで神性を纏った存在としてどうなのだろうとなる。


 シグルズがウィノラを連れてきたら素直に感謝を述べようと、リンファは心の中で思った。


「やはり随分と顔色がいいな。おはよう、竜の魔女」


「ええ、おはよう魔女ウィノラ。自分でもびっくりするぐらい体調がいいわ。癪だけど、礼を言わせてもらうわ、ありがとう」


 階段を上ってきたウィノラにリンファが感謝を述べる。するとなぜか、ウィノラは不思議そうに首を傾げた。


「感謝されるいわれが分からん。私は今回の件では何もしていない。それどころか、アンテロをきみと合わせてしまったのが間違いだった。謝罪こそすれど、感謝されることは何一つとしてない」


「私が負った傷を治したのはウィノラ、あなたでしょう?」


 リンファが問うと、ウィノラは首を横に振った。


 はて、ではなぜ自分の身体はこれほどにまで綺麗さっぱり健康になっているのか。皆目見当がつかず首を捻っていると、ウィノラの後から階段を上がってきたシグルズが「おそらくファフニールだろう」と話を切り出した。



§



 その日の、夜のことである。


 リンファは一階のテーブルに向かい、一人で紅茶を啜っていた。湯気の立ち上る紅茶を、ソーサーの上にそっと置く。


 あのあと、シグルズに事の顛末を聞かされた。とは言っても、話の中身はファフニールのことだ。〈竜の守り人〉に守られ、そして神々を守る守護竜。彼女がリンファの身体を借りて現れ、窮地を救ったのだと。


 そんなことが可能なのかと、リンファ自身疑いを持ったが、とてもではないが彼が嘘を吐いているとは思えなかった。「助けたのは俺じゃない。お前が守っていた守護竜ファフニールだ。俺は何もできなかった」と、彼は言い切った。


 いつからそんな状態だったのだろうか。少なくとも、アンテロの屋敷で最初に目が覚めたときのことは覚えている。そのときから先の記憶を、リンファは一切保持していない。とすると、そのときには既にリンファの身体にはファフニールの意識が入っていたことになる。一体何がどうなって、そういう風になったのか、リンファにはとんと見当がつかなかった。


 しかし、分かったこともあった。


ファフニール(あの子)は、私のことを嫌いになったわけではないのね」


 そう口にして、ティーカップを口に付けた。温かい紅茶が今まで感じていた不安を押し退け、温め、安心させているかのようだった。


 リンファが危惧していたこと、これから先のことを決めかねていた理由はファフニールにあった。


 本来リンファは既に死んでいるはずの身だ。神々に駒として使われ、正義を掲げるための背の高い旗柱になる。そのはずだったし、それはファフニールも知っていたことだ。しかしそれは成し遂げられなかった。あろうことか、生きたいと願い、逃げ出した。そんな自分をファフニールも見ていることは分かっていた。


 〈竜の守り人〉が〈竜の守り人〉たる所以は、守護竜ファフニールと本当の意味で意思疎通が図れるところにある。もちろん、相手は竜なのだから人の言葉を話すわけではない。だがファフニールは世界樹に住まう生命体の頂点だ。どの生命体よりも強く、賢い。当たり前のように理性もある。だが彼と言葉を交わせるものはいない。言葉が交わせないのでは、意思疎通を図ることは困難だ。だが〈竜の守り人〉は違う。正真正銘、〝意思疎通〟をしているのだ。


 心で言の葉を交わし、互いを理解し合う一心同体。互いの思考を把握することはできないが、見たもの、聞いたものをある程度は無意識化で共有できる。そうやって、ファフニールはリンファをずっと見ていたはずだ。


 だから逃げ出したリンファも見ている。見ているから、リンファ自身は「逃げた自分に失望しているんじゃないか」と危惧した。嫌われたのではないかとさえ思った。


 しかしどうやら、それは杞憂だったらしい。


 助けてくれた。それだけで長い間心に抱えていた不安が一気に蒸発した気がした。それと同時に、決めかねていたこれから先のことも、少し前向きに考えられるようになった。


 シグルズは一人で世界樹第三階層〈魔族国サバト〉を発つつもりらしい。人間という種の歩みを元ある形に戻すため、アーガルズ国王を殺すため。



「姿が見えないと思ったら、こんなところにいたのか」


 不意に後ろから声が聞こえた。振り返ると、寝間着姿のシグルズが立っていた。


「体の調子はどうだ」


「とってもいいわ。少し眠れないから、お茶を飲んでいたの」


 そうかと返事をしてシグルズがリンファの正面に腰を掛ける。どうやら飲み終わるまで付き合ってくれるらしい。


 ちょうどいいと思い、リンファは先ほど考えていたことをシグルズに打ち明けることにした。


「あなた、明後日にはここを発つのよね」


「ああ、まあ。色々と予想外のこともあったし、長居はしていられない。明日準備をして、明後日の朝には発つさ」


「それ、私もついて行くわ」


「それは――」


 できない。そう言おうとしたシグルズの言葉を「分かってるわ」と遮る。


「あなたがそう答えることぐらい、想像がつくもの。アーガルズの国王が私を欲している。だから無闇に近づけさせるわけにはいかない。シグルズはきっとそう思っているのよね? でも、私だってずっとここにいていいわけじゃない。それに、これからどうしたいのか、私も決めたから」


 言うと、シグルズは何かを察したのか「そうか」と真っ直ぐにリンファの目を見た。


「〈竜域〉に帰るんだな」


「ええ。ファフニール(あの子)が待ってくれているもの」


 だから結局のところ、一度アーガルズに帰らねばならないのだ。シグルズの母親――〈貪汚(たんお)の魔女〉だったか。彼女が作ったその扉とやらを使って。


 そのことをシグルズに説明すると、彼はため息を吐きながらも「分かった」と承諾した。


「そういうことなら、ついてくるなと言う方が無理だろう。好きにしろ。俺はお前を守るだけだ」


「心強いわね。その姿勢を見込んでもう一つ頼みがあるのだけれど」


 微笑む。室内に灯された蝋燭の明かりが揺れる。


「なんだ?」


「私の剣――聖剣フロティールを取り返したいの。それがあれば、あなたの手伝いだって出来るわ」


「アーガルズ国王との戦いに加わるというのか?」


「そういうことよ」


 断言すると、シグルズは頭を掻き、うーんと唸る。


「個人的には聖剣は取り返そう。ただ、国王と戦うことは――」


「大丈夫よ。私がどれだけ人間を殺したと思ってるの? 聖剣があればどうにでもなるわ」


「……随分と聖剣フロティールに対する信用が厚いな。そんなにすごい剣なのか? なにか特殊な力があるとか」


「それはナイショよ」


 そう答えると「なら追及はしない」とシグルズは話を切った。


 確かに彼の言う通り、聖剣フロティールはすごい剣で、特殊な力を持っている。いや、制限と言った方がいいだろうか。それについて、今はまだ彼には言わない方がいいだろう。


「それで? そういう方向でいいかしら?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべて見せる。シグルズは諦めたように「分かった」と結論を出した。


「別にそれで構わない。ただ一つだけ約束してくれ。危なくなったら逃げろ。いいな?」


「ええ、分かったわ」


 返事をし、ティーカップの中身の残りを飲み干した。


「さ、私はもう寝るわね。あなたも寝るの?」


「あー……いや、俺はもう少しここにいる」


 何か含みのある返事を訝し気に思ったが、彼も眠れないのだろうということで自分の中で処理しておく。立ち上がりながら「そうなのね」と相槌を打つ。


「それじゃあ、おやすみなさい」


「ああ、おやすみ、リンファ」


 リンファはその声を背中で受け止め、二階の屋根裏部屋に戻った。

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