02.混血
朝が来た。
いや、断言はしたが実際に外の様子がこの地下牢で分かるはずもないので、正確なことは分からないが朝が来た、と思う。寝て起きたので朝ということにしておく。
どうにも人間は捕虜の扱いが雑らしく、牢屋の中にはベッドがない。寝て起きれば体の節々に軋むような痛みが残っていた。
「それで」
リンファが小さく欠伸をする。
「どうして竜狩りがまたここに来ているのかしらね」
鉄格子の向こう、壁に寄り掛かるようにして一人の男が座っている。名前は……なんだったか、ちょっと覚えていないが、自分を捕えた竜狩りの男である。
「暇なの?」
蔑むように言う。
「仕事だ。お前から情報を聞き出せって上からの命令でな。お前に興味があるっていうのも理由だが、竜の守り人が意思疎通のできる相手だと思っていなかったんだ。好奇心のままに声を聞きに来ているだけだ」
「口説いているつもりなら百年早いわ。もっといい男になって出直して来たら?」
「いや、俺も若作りしているババァにそういう面では興味ない」
「あら、そう」
そっけなく返す。
若作りなどと評価されるのは心外である。確かに三百五十年近くは生きているが、リンファは人間とは時の流れが違う。多少見聞が広いだけで、精神的な年齢は人間でいうところの十七歳かそこらだ。
この男も見たところ二十歳ぐらいの年齢だろう。ともすれば、自分の方が若干若いのである。精神年齢の方は。もちろん見た目もだが。
「それで?」
気怠そうに、右頬を両腕で抱えた膝に置いて男の方を見る。
「私に何か聞きに来たんでしょう?」
問うと男は思い出したように「ああ」と相槌を打つ。
「邪竜ファフニールの弱点を聞きに来た」
「邪な竜とは、随分な言い草ね。あの子は〈竜域〉の上の、世界樹第八階層〈聖域〉、第九階層〈神域〉を守っているだけよ。何も邪な行いはしていないわ」
「呼び名など何でもいいだろう。それより弱点だ。何かないのか」
少し考える。答えはすぐに出た。
「ないわ」
「そうだと思って竜の守り人たるお前に聞きに来ているんだ。一つぐらいあるだろう」
「ないものはないわ。何度も言わせないでちょうだい」
「……口を割らないのならお前、拷問にかけられるぞ」
「あら、私の心配? それはどうもありがとう。でも残念だけど、拷問したところで私の悲鳴と血ぐらいしか出てこないと思うわよ。それとも、私のようなうら若い乙女の泣き叫ぶ声をご所望かしら?」
唇に人差し指を押さえながら蒲魚ぶる。
自分で言うのもアレだが、見た目は本当に十七歳前後の少女のそれである。多少ツンケンした態度で物を言っているが、情に訴えかければ拷問ぐらいは免れられるだろう。苦しいのはごめんだ。
そんなリンファの言動が効いたのか、男はため息とともにその錆色の髪を蓄えた頭を困ったように掻いた。
「別に、拷問しようっていうんじゃない。本当にないのであればそういうことで上には報告する」
「それはご親切にどうも」
男の反応はリンファの予想した通りであった。この男のことを優しいとは思わないが、惨い行いは好かなそうな顔をしている。男はもう一度ため息を吐き、「話はそれだけだ」といって立ち上がる。リンファは去ろうとする男を「待って」と呼び止めた。
「次は私から、あなたに一つ質問いいかしら」
「なんだ?」
男が振り返る。
「あなたはどうして魔法が使えるのかしら。あなたは自分を人間だと言い張るけど、実際はそうではないのでしょう?」
この竜狩りの男は人間ではない。人間は本来、魔法を使うための魔力炉を持たない。今まで殺してきた百二十七人の竜狩りたちもそうだった。剣やら斧やらを振り回すだけの脳筋種族とばかり思っていた。もちろんこの男のことも初めはそうだと思っていた。
しかしこの男は魔法を使った。あろうことか他者から魔力炉ごと奪い取り我が物にする魔法だ。自らも魔法を扱う手前、その種を知りたくなるのは自然なことだった。
「そんなことを聞いてなんになる」
「純粋な興味よ。あなたが興味本位で私に話しかけるのと同じ」
鉄格子から覗く男の後姿は動かぬまま、三度目のため息とともに「魔族と人間の混血なんだ」と切り出した。
「母親が魔女で父親が人間だった。それだけの話だ」
ああなるほどと、リンファは思った。珍しい話だ。古くから他種族間での交配は禁忌であるはずだ。人は人同士で、妖精は妖精同士で、巨人は巨人同士で、魔族は魔族同士で、子を成さねばならない。他種族間で子を成すことが禁忌とされているのは古い神が、リンファが今現在言葉を交わしている竜狩りの男のようなイレギュラーな存在による自滅を恐れたからである。実際、この竜狩りの男は人間に味方し、神々と戦火を交えようというのだから、古い神の判断はあながち間違いではなかったのだろう。
実に珍しい話である。人間が魔族である魔女との間に子を成すなど、三百五十年生きてきて初めて聞いた話だ。
ただ、だからといって大して驚きはしなかった。むしろこの男に共感、同情すらした。なぜならリンファも――。
「私と同じね」
混血だった。詳しい話は知らない。先代の竜の守り人――リンファの母に当たる存在が人間との間に子を孕んだ。それがリンファだった。たったそれだけの話。
「一つ、あなたに有益な情報を教えてあげるわ」
首をこちらに向けた男を見上げてリンファは口を開く。
「竜の守り人って本当はもっと強いの。私は弱い方。先代は――もっと強かった、らしいわ」
「それだけか?」
「ええ、それだけよ。あなたも多くは語らなかったでしょう?」
男は一度、悪態をつくように鼻を鳴らし、地下牢を出て行った。
リンファは男が去っていく後姿を、何を考えるでもなくぼんやりと眺めていた。
そしてぽつり、と。
「そっか、私と同じなのか」
そう、呟いた。