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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第2章~魔族国サバト~
18/81

18.私の傍を離れないで

 日が落ちた。時刻は夜中の十一時ぐらいだろうか。


 夜の空は世界樹第七階層〈竜域〉と大差ないのだなとリンファは思う。


 街の灯りは所々消え始め、下の階で眠るウィノラの寝言が聞こえた。「ちょっとそっち、違うと思う」。一体どんな夢を見ているのだろうか。


 思いながら、布団をかぶった。


「今日は静かだな」


 被った布団の向こう側、手燭の柔らかな明かりで照らされた屋根裏部屋で、シグルズの声が空気を震わせた。


「私だって、静かな日ぐらいはあるわ」


 布団から顔を出し、横を見る。


 日が沈む前に帰宅したシグルズとは、然したる会話もなく夕飯を終え、食器洗いを終え、こうして二人一緒に屋根裏部屋に戻った。こうして会話を出来たことに、リンファは胸に刺さった棘が抜けるような、そんな感覚を覚えた。


 リンファが丸くなって乗っている布団の横に、同じように布団を敷いているシグルズの姿があった。敷いた布団に胡坐をかいて座り、リンファの方を見る。


「静か、というか元気が無いな」


「……そりゃ、魔族の男が私の身体を欲しがっているなんて聞いたら気分も落ち込むわよ」


 短いため息。それを心配するかのように、「怖いか?」とシグルズが尋ねる。


「……怖くは、ないわ。私を誰だと思っているのよ。〈竜の守り人〉よ? 魔族如きに怖がるわけがないじゃない」


 それもそうだとシグルズは笑い飛ばす。しかしどこか険しい表情を見せる。真っ直ぐにリンファを見つめ、重たく息を吐き出す。


「しかし今のお前は何の力もない少女だ。膂力も、魔力も、何もかも成人男性が相手では敵わんだろう?」


「なぁに? 襲ってくれるの? いいわよ。あなたになら身体を委ねても」


 大したもののついていない胸元をちらりと見せる。大したもののついていない、と自己評価したが、全くないとは言っていない。全くないとは。


「揶揄うな、そういうことを言いたいんじゃない。お前が、現状の自分に不安を感じていることぐらい、俺だって読み取れる」


 言われ、昼間に自分の心に浮かんできた空っぽな感情は不安だったのかと、自分で一人、心の中で頷いた。


 不安。確かに不安だ。でもきっと、この不安はシグルズの言う自分に対する不安ではない。一日中出掛けていたシグルズに対して、昼間に零した言葉。


「早く帰ってきて、って思った」


 それを、伝えた。


「たしかに不安よ。色々とね。でも私が一番不安に思ったのはシグルズ、あなたが隣にいないこと。私を守ると言ってくれたあなたが傍にいないこと。

 アンテロ……といったかしら。多分あなたがいなくても、ウィノラが私を守ってくれるかもしれない。けど、今の私に居場所を作ってくれているのは、紛れもなくあなたなの。だからあなたがいない時間が、堪らなく寂しい」


 返答、というか反応を待った。柄にもなく、赤裸々な心中を語ってしまったと、リンファは頬を赤く染める。


 俯かせていた視線を少しだけ持ち上げる。


「……なによ」


 少し驚いた顔をしたシグルズが瞳に映った。


「いや、お前がここまでしおらしくなるとは思っていなかった」


「バカにしてるの?」


「バカにしてはいないさ。出会ったときに比べて、角が随分と取れたなと思っただけだ」


「それをバカにしてるって言うのよ。でも、そうね……、全部、本当のことだから」


 シグルズは、リンファのことを丸くなったと言った。もちろん、物理的な意味ではなく精神的な意味であるが、実際自分でもそうだとリンファ自身思っている。人間に囚われたあの状況下で、彼だけが体制に背いた。自分は混血だと語った彼に、同様に混血であるリンファは親近感を持った。寄る辺のない自分の居場所を作ってくれている。そのどれもが、自身の孤独を否定する材料になっていた。


「明日は、どこにも行かないわよね。……いいえ、〈魔族国サバト〉にいる間は、どこにも行かないでほしいわ」


 願うように尋ね、縋るように言葉を零す。


 少なくとも、アンテロの脅威が去るまでは一人にしないでほしいと思った。布団を目深に被り、シグルズの返答を待つ。


「可能な限りそうするつもりだ」


 彼のその返答に、リンファは「そう」と短く返して、目を瞑った。


「お喋りが過ぎたわね。もう、寝るわ。おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」


 瞼越しに感じ取れていた蝋燭の明かりが静かに消える。それに連れられるように、リンファの意識も少しずつ、闇に溶けていった。



§



「こんにちは、竜の魔女。最高の朝だね」


 声がした。少し高めの、おしとやかな男性の声。どこかで聞いたことのある声だ。直後、リンファの鼻を香水の激臭が突き抜けた。


 鼻を反射的に手で押さえようとする。腕が上がらない。後ろに回された状態で、手の親指同士を紐か何かで一緒に括られているようだ。おまけに、腕と腕の間を通すように支柱のようなものが立てられており、簡単に逃げ出すことはできなさそうだ。


 目を開ける。


 煌びやかな部屋。壁には(はさみ)(つち)が飾られ、暖炉の上には大きな抽象絵画。たったそれだけの、ものがない部屋。違和感のある足元に目を向けると、床に取り付けられた足枷が、逃がすまいと言わんばかりにリンファの足首に取り付けられていた。そして、目の前に居たのは、仮面を着けた一人の男。件の〈獣慾(じゅうよく)の魔人〉アンテロ・バストロヴィーナだった。


「目覚めてくれて嬉しいよ、竜の魔女。自己紹介は必要ないね」


 ふざけるなと口を動かそうとする。が、それすらも叶わない。


「ああ、すまないね。魔法でも使われると面倒だから、念のため呪文を唱えられないように(くつわ)をつけさせてもらったよ。でも、どうやらあなたの中には魔力炉がないご様子だ。魔法が使えないんだろう?」


 アンテロの問いかけに睨み返す。するとアンテロは、どこか安堵したような、納得したような笑顔を浮かべた。


「そうだろう、そうだろう。あれか、あなたの近くにいたあの男か。〈貪汚(たんお)の魔女〉シアナの息子だと言っていたが、その権能を受け継いでいるんだね。人間と魔族の生殖行為……実に興味深い。僕の知る限り、〈神の禁忌〉を破り、その禁忌から生まれた忌子がのうのうと生きている事例を実際に見るのは初めてだ。どうして生きていられるんだろう? 普通、神の天罰で死ぬはずなんだけど。

 ああ、すまないね。今、(くつわ)を外してあげるよ。涎を垂らしっぱなしじゃ、綺麗なお顔が台無しだ」


 一人、喋るだけ喋ったアンテロは目を細める。朗らかな笑みを浮かべて、リンファの口にあてがわれた轡を外す。口に溜まっていた唾液が糸を引く。


「死んじゃえ」


 口の自由を取り戻したリンファが、肺いっぱいに空気を吸い込んで発したのは、それだけの嫌悪の言葉だった。


「開口一番、汚い言葉は良くないよ」


「汚いのはどちらかしらね。誘拐までして私の身体を貪ろうだなんて。そんな外道のような行為をして、そのバストロヴィーナ家とやらの名に傷がつくんじゃないかしら?」


「なに、問題ないさ。魔族はみんな、元々外道だからね。誘拐、殺害、暗殺、強姦……その他いろいろな悪行が跋扈(ばっこ)しているのが〈魔族国サバト〉だと、ウィノラに聞いていると思うんだけど」


 別に、ウィノラから話を聞かずとも、〈魔族国サバト〉がそう言う国であることは重々承知していた。だから警戒はしたし、近づくなと嫌悪の意も示していたつもりだった。意思の疎通が図れる故、話せばわかると勘違いしたのは、ウィノラがまだ真面(まとも)な方だったからなのだろう。基準を低く見積もった自分の失態に、リンファは下唇を噛む。


「随分僕を警戒しているようだけど、安心して欲しい。今から無理矢理手を出そうってわけじゃない。僕だってそういう強姦紛いの行為は嫌いだし、行為に及ぶならしっかりと同意を得てから行うつもりだ」


「……あら、それならあなたの悲願である『〈竜の守り人〉との子を成す』というのは達成できなくなるわよ?」


「問題ない。時間をかけてゆっくりやるからね。〈竜の魔女〉は長命、僕が死にさえしなければいいだけの話だ。老いてからでも、〈獣慾の権能〉があるから問題ない。ただ、この権能も無限というわけではないらしくてね。先日、僕の父から完全に〈獣慾の権能〉が消え去った。使いすぎると消えてしまうみたいだ。もうじき命も費えるだろう。僕はまだ童貞でね、そうはなりたくないから、あなたと交わるまで貞操を守り続けるよ」


「気持ち悪い約束をしないで」


「約束じゃない。これは誓いだ。魔族にとっての神である〈竜の魔女〉に全てを捧げる。金も、地位も、自身の貞操でさえも。僕の全てはこれからあなたのものになる」


「いらないわ」


 その誓いとやらを、リンファはその一言で切って捨てる。だが、アンテロにとってはそんなリンファの意思など問題のないこと、というよりは、関係のないことなのだろう。まるで呪文のように、「問題ない」と口にする。


「問題ないよ。何年、何十年経とうが『あなたが欲しい』と言わせるから。それじゃあまた明日ね。我が婚約者(フィアンセ)よ」



 アンテロ・バストロヴィーナが部屋を出て行った。重々しい扉が閉められ、施錠する音がリンファの耳に届いた。


 冷静になって、部屋の様子を確認する。何もない部屋、と思っていたが、その実そうでもなさそうだ。壁にはリンファの背にあるような支柱が幾つも存在し、部屋の隅には戸棚があった。中身までは詳しく確認できないが、鉄製の道具のようなものが見受けられる。端々が、赤黒く染まっているのも見て取れた。


 つまりここは、拷問部屋だ。豪勢な内観をしているが、どう見ても拷問部屋だ。いったいどれほどの命がこの場で消えていったのだろう。


 そう考えた途端、呼吸が浅くなる。


 恐怖している? そんな馬鹿な。〈竜の守り人〉ともあろう者が、魔族如きに恐怖しているはずがない。そのはず、なのに――。


「――助けて」


 声は震い、頬には一筋の涙が伝う。零れた本音が、自分の状況と、立場と、感情を、自分自身に理解させた。


 今のリンファは無力だ。何の力も持たない、人間の少女と何ら変わりない。魔法も使えず、手に持っていた聖剣フロティールもここにはない。膂力は見た目同様少女のそれだ。だから足にはめられた枷を外すことも、ましてや両手の親指に結ばれた紐をほどくこともできない。絶望に近い感情が、リンファの心を埋め尽くした。



 ――いや。



 まだだ。まだ絶望するには早い。必ず、あの男が助けに来てくれる。守ると誓ってくれた、一緒にいると言ってくれたあの男が必ず来る。だからリンファは、彼の手を求めるように、名前を呼んだ。


「――助けて、シグルズ」

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