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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第2章~魔族国サバト~
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17.獣慾の魔人

 目が覚める。瞼を持ち上げる。体を起こす。床が軋み、悲鳴を上げた。「ん」と息を漏らしながら伸びをする。窓から差し込む夕焼けのような朝日に、部屋の埃がキラキラと反射している。相変わらず、空は赤紫色だった。

立ち上がって、申し訳程度のその窓から見える街の風景を、その青藍色の瞳に映した。


 後ろを振り返る。錆色の髪の男がまだ眠っていた。


「シグルズ、朝よ。起きなさい」


 リンファは声を掛ける。


 すると気だるげにシグルズは体を起こした。リンファの方に首を向け、


「おはよう」


 小さく欠伸をして、そう挨拶した。


「ええ、おはよう」


 答えるが、シグルズは座らない目でぼんやりとしている。首を斜め上に向け、リンファの後ろにある小さな窓を、窓の外を眺めている。


「あなた、朝に弱いのね」


「……そういうわけじゃない。ただ、本当に魔族国サバトにいるのかと、そう思っただけだ」


「そう。なら早く朝食の準備をしてちょうだい」


「それぐらい自分で……」


 そこまで言ってシグルズは口元を隠すように抑える。思い出したように「無理か」と零す。


「失礼ね。あなたが作った方が美味しいだけよ。私だって料理ぐらい……」


「そう言って失敗したのはどこの誰だったか」


 リンファは「うるさいっ」とそっぽを向く。そしてそのまま、軋む床板を鳴らしながら部屋を出た。



§



 朝食は簡単なトーストとサラダだった。昨晩も思ったことだが、魔族国の植生が特別おかしなもの、というわけでもないらしい。中にはゲテモノも存在するが、普通の野菜や肉も出回っているようだ。


 そんなわけで、食後の食器洗いは全てリンファに任された。これぐらいならひとりでできるだろうと言わんばかりのシグルズの表情には心底腹が立つが、料理ができない手前、文句を言うことはできない。


 魔女ウィノラは相変わらず何もする様子はない。揺り椅子に揺られながら煙管を咥えている。この人は本当に一人で生きてきたのだろうかと、疑わしくなる。


 そんなわけで、緩やかな朝食の時間は終わりを迎えたわけだが。


「これを着けておけ」


 ウィノラは、シグルズと洗いものを終えたリンファにあるものを手渡した。仮面だ。片方はウィノラが着けていたものによく似た女性の顔を模したもの。涙を流しているような模様が描かれている。もう一つは道化師の仮面。シグルズが昨日ウィノラに頼まれたものを買いに行ったときに、着けていたものだ。


 シグルズと共にそれを受け取る。


「昨日作っていた薬の依頼人が来る。悪いやつではないが、一応仮面を着けておけ。この国で、素顔を晒すのは特別な意味を与える」


「特別な意味?」


 リンファが聞き返す。


「それはなんなの?」


 ウィノラは小さく空気を吸い、吐き出した。


「ただの、信頼さ」


 そう言って、自分の顔も仮面で覆い隠した。


 そのとき、扉が三度叩かれる。件の依頼人とやらが訪れたのだろう。


 ウィノラは淡々とした声音で「白樺造り」と合言葉のひとつ目を言う。返答は間髪入れずに返ってきた。


「戦船」


「ドロトーアの秘薬は」


「穢れた血」


「フェリルの刃は」


「通さない」


「バルトロックの徽章は」


「失われた」


「……いいぞ、入れ」


 ウィノラの言葉と共に扉が開く。


「毎度毎度、この合言葉も面倒だよ、ウィノラ」


 一人の男が扉を開けて入ってくる。長身細身。身なりは整っていて、シルクハットにタキシード、片手には杖を持ち、その顔は意匠の少ない簡素な白い仮面で覆われている。


「我慢してくれアンテロ。誰が私を殺しに来るのか分かったモノではないからな」


「きみなら誰が家に近づいてくるかぐらい分かるだろう? 今日も僕が近づいてきたと分かったはずだ」


「ただの保険だよ。魔力炉の反応を誤魔化す魔女や魔人もいる」


「まあそれもそうだね。……ああ、今日の要件は――」


「嫌い薬だろう。出来ているぞ」


「さすが、仕事が早いね、魔女ウィノラ。この権能のせいで色々な女性に言い寄られて、迷惑被っているんだ。僕の悲願を果たす前に、僕自身が枯れてしまう。本当に助かるよ」


 ウィノラは机の引き出しを開けると、紙袋を三つ取り出した。


「とりあえず三つだ」


 アンテロと呼ばれた男に手渡す。


「効果のほどはどうだい?」


「試していない。が、結構強めに作ってある。嫌われすぎてナイフで刺し殺されないかが今のところの不安要素だ」


「商品としては最悪だね。でもありがとう。お代はいくらだ?」


「一本が金貨二枚。合計で金貨六枚だ」


「お高いね。巷のその手の薬は銅貨五枚程度で買えるのに」


「あんな粗悪品と一緒にされては困るな。こっちは材料を厳選して作っている」


「それなら文句は何も言うまい。金なら十分にあるからね」


 アンテロは懐から財布を取り出すと、ウィノラに輝かしいほどの金貨を九枚、手渡した。


「三枚多いが」


 手のひらに置かれた金貨を見つめ、ウィノラが頭の上に疑問符を浮かべる。


「なに、ただの礼金さ。バストロヴィーナ家の御曹司が、提示されたとおりの金額を出したなんて知られたら、家の名に傷がつくよ。いい仕事にはそれに見合った礼金を出すさ」


「このボンボンめ」


 そんな会話を、リンファとシグルズはぼんやりと仮面越しに眺めていた。


 不意に、アンテロの顔がリンファに向く。目が合った。ような気がした。


「客人が僕以外にいるとは珍しいね」


「ああ、まあ色々あってな」


「へえ、ワケアリってことかい」


 アンテロが、かつりかつりと革靴を鳴らしながら近づいてくる。リンファの前まで来ると、帽子を取って丁重にお辞儀をした。


「初めまして、お嬢さん。私はバストロヴィーナ家が第三子息、アンテロ・バストロヴィーナと申します。以後、お見知りおきを」


 ふわりと、色々な花を煮詰めたかのような香水の臭いが漂う。その臭いにリンファは顔を逸らした。


「魔族臭いわ。近寄らないで」


 言いながら、一歩後ずさった。リンファを守るように、シグルズの手がアンテロの前に伸ばされる。


「ああ、ワケアリとはそういうことか」


 納得したように、アンテロが頷いた。そんなアンテロに対し、シグルズが一度咳払いをする。


「……アーガルズ兵団、竜狩り騎士団所属だった元騎士のシグルズ・ブラッドだ。彼女はリンファ。俺は人間、彼女は――」


「シグルズ」


 答え合わせのように自己紹介をするシグルズに、ウィノラが制する声を入れた。


「あとの説明は私にさせてくれ。シグルズは貪汚(たんお)の魔女シアナの息子。人間と魔女の〈混血〉だ。そこの青髪の少女はその恋人。ワケがあって世界樹第五階層〈アーガルズ〉から逃げてきた。ただそれだけ、それだけだ」


「そうかい。まあ、首を突っ込むのも野暮だ。僕はこの辺りでお暇させていただくよ。それではまたお会いしましょう。リンファさん?」


 アンテロはそれだけ言い残し、家を出て行った。


 扉がばたりと閉まり、続くようにウィノラの長く深いため息が室内に響く。


「魔族をあまり信用しすぎるなと言ったはずだ、シグルズ」


 シグルズは「すまない」と謝る。


「魔族にしては随分と礼儀正しかったけど」


 リンファがウィノラに問う。


「アンテロの家、バストロヴィーナ家は国という体制ですらない魔族国を実質的に支配している家だ。まあ、あいつは王子様のようなものだよ」


 へえ、と気のない返事を返す。


「アンテロのヤツ、リンファに目をつけていた。〈竜の魔女〉であることに気づいている。悪いことは言わない。リンファ、きみは奴に近づくな」


 険しい表情で、ウィノラはそう警告した。


 別に、リンファだって先の男とお近づきになりたいわけではないし、近づかないで欲しい。どう頑張っても、魔族に対する抵抗感は拭えない。ウィノラに対する抵抗感がようやく少し、ほんの少し薄れてきたところだ。具体的に言うと、彼女のつけている臭いの強い香水の臭いに慣れただけなのだが。


「別に、私はあの男と仲良くなりたいわけじゃないわ」


「きみはそうでもアンテロは違う」


「なぜそこまで彼を警戒するんだ? 取引相手だろう?」


 シグルズが問う。するとウィノラは煙管を咥えて、口から煙を吐き出した。


「理由は奴の異名が異名だからだ。シグルズ、きみの母君は他者から魔力炉を奪うその権能から〈貪汚(たんお)の魔女〉と呼ばれていた。力ある魔族はそういう二つ名で呼ばれることが多い。アンテロも例外じゃない。あいつの異名は……〈獣慾(じゅうよく)の魔人〉だ」


「またすごい異名ね。獣のようなってことでしょ? 魔族にピッタリじゃない」


 それがウィノラの言葉に対するリンファの率直な感想だった。リンファの言葉には答えずに、ウィノラは続ける。


「〈獣慾の権能〉。内容は至って単純なもので、尽きることのない精力が権能の中身だ。〈獣慾の魔人〉は本来、アンテロの父親――エッカルト・バストロヴィーナの異名だ。その権能で二百を超える子どもを拵えたそうだ。アンテロはその三番目。いつだったか、きみたちに『〈竜の守り人〉は生物学上は魔族である』と言ったな。それを突きとめたのもエッカルトだ。彼は〈竜の守り人〉に関する研究に着手していてね、アンテロもそれを引き継いでいる」


「その研究の話が、どうしてここで出てくるのかしら?」


 リンファが問うと、ウィノラは煙を吐き出す。煙管を机に置き、仮面を外してリンファの青藍色の瞳を真っ直ぐに見つめる。


「エッカルトの悲願は〈竜の魔女〉との間に子を成すことだった。我々魔族にとって神に等しい〈竜の魔女〉との間に子ができれば、神の近親者になれる。神の血を継いだ魔族の、親になれる。野望は他にも色々あっただろうが、その理念を、権能を引き継いだアンテロが目指している。だからリンファ、くれぐれもあの男には気をつけてくれ」



§



 ――あの男には気をつけろ。



 ウィノラの忠告が、リンファの脳裏を翳める。屋根裏部屋で一人、申し訳程度の窓に肘をついて手のひらに頬を乗せ、赤紫の空を眺める。


 もう少しだけ、〈獣慾(じゅうよく)の魔人〉アンテロ・バストロヴィーナについて詳しくウィノラから聞いた。


 〈獣慾の権能〉。尽きない精力というのが件の権能の力である。アンテロの父、エッカルト・バストロヴィーナはその力を存分に振るい、子を大勢成したらしいのだが、アンテロはその真逆らしい。権能を使わず、恋人を作ることもなく、婚約する予定もない。それもどうやら、彼自身の意志なのだとか。


 ウィノラはこれに対し、「アンテロの目標、〈竜の魔女〉との性交に、他の女性関係は邪魔だということだ」と語った。


 一度しかあったことのない男が、自分の身体を目当てに狙いを定めていると考えるだけで、リンファにとっては身の毛もよだつ話だが、これを聞いてアンテロがウィノラに〈嫌い薬〉の製作を依頼していた理由に納得がいった。


 ウィノラの憶測を聞いたわけでも、ましてやアンテロの口から引きずり出した本音でもないが、リンファは確信していた。


 アンテロが、その〈獣慾の権能〉の全てを〈竜の守り人〉――彼ら魔族が〈竜の魔女〉と呼ぶリンファ自身に、注ぎ込もうとしていること。それは状況だけを切り取れば明確だった。


 そんな危険な男が、自分のすぐ目の前まで迫っていたことに対し、小さな背中に悪寒が走った。


 そしてウィノラが「家で大人しくしていろ」と言ったがため、こうして屋根裏で一人呆けているわけである。因みに守ると誓ってくれた反逆の騎士様はというと、ウィノラに使われて街に繰り出している。こういう時こそ、傍を離れないで欲しいのだが。


「あれ」


 傍を、離れないで欲しいのだ。


 心の中にふわりと空っぽな感情が沸き上がった。赤ワインを零したかのような空を見上げる。空虚な感情が紡いだ本心が、ぽろりと零れ落ちる。


「早く、帰ってこないかしら」


 呟いたその声は、窓から外に吹き、香水の臭いが漂う風に巻かれて消えた。

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