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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第2章~魔族国サバト~
15/81

15.仕事

 世界樹第三階層――〈魔族国サバト〉。



 男が走っている。


 少し沈む石畳を踏みしめ、道を走っている。両手には大量の荷物。息が荒い。吸い込む空気は魔族特有の――かなり刺激の強い香水の臭いがする。花なのか何なのかもはや分からない。つけさせられた仮面のせいで視界も悪い。下手をしたら躓きそうだ。


「遅いぞ、シグルズ」


 目的の場所にたどり着き、扉を開けてまず聞こえてきたのはウィノラのため息だった。


「……すまない、道に迷ってしまって」


 荷物を床に置き、仮面を外す。


「しかし、外を出歩くときは仮面を付けなければならないのは不便だな。視界が悪い」


「郷に入っては郷に従え、だ。魔族国サバトは常に誰かが誰かの命を狙っている。顔も隠すし偽名だって使う。自分の臭いを誤魔化すために誰も彼もが臭いのきつい香水をつけるし、家に入る時の合言葉も自衛のためだ」


「さっきは合言葉がなかったが」


「お前はいい。お前の魔力は分かりやすい」


「そういうものなのか」


 シグルズの視線の先にいるウィノラは大きな鍋の前に座ってそれをかき混ぜている。ぐつぐつぐつぐつと音を立て、ぼこり、またぼこりと怪しげな気泡が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。そんな彼女にシグルズは「リンファはどこだ?」と問う。


「二階のベランダさ。洗濯物を干してもらっている」


 視線を鍋から外すことなくウィノラは答えた。


「あいつがあんたの言うことを聞くとは思わなかった」


「彼女だって馬鹿じゃない。自分の立場ぐらいは弁えているさ」


 言いながら、ウィノラは手をシグルズに差し出し、何かを欲しそうに指先を小さく動かす。先ほどシグルズが買ってきたものを寄越せと言うのだろう。


 シグルズは床に置いた荷物をウィノラに手渡す。


「何を作っているんだ」


 随分と熱心に鍋と向き合っているウィノラに興味本位で尋ねてみる。


「嫌い薬さ」


「嫌い薬?」


 その単語を繰り返すと、ウィノラが頷く。


「知り合いに頼まれてな。惚れ薬の逆さ。自分を嫌わせるための薬」


「そんな薬を欲するなんて、変わったやつだな。普通惚れ薬だろう」


「色々事情があるのさ」


 シグルズはそれ以上は話に踏み込まないことにした。ちょっとした興味本位は満たされたし、それ以上のことを知ったところでシグルズには関係がないのだ。


「他に手伝うことはあるか?」


 周囲を見渡し、尋ねる。なんというか、散らかった部屋だ。本も落ちているし瓶のようなものも落ちている。なんなら、窓際に飾られていたと思われる観葉植物が、植わっていた鉢ごと床に落下している。掃除でも任されるのではと思いながら、視線をもう一度ウィノラに向ける。


「ああ、手伝いはもういい。休みたまえ」


「部屋の掃除とかはしなくていいのか?」


「散らかっている方が落ち着くんだ。別に困ることはない。私はどこに何が落ちているか分かるし、少し歩けば全て手の届く範囲だ。散らかっている状態こそ、最適化された形だと思うがね」


 そういうものなのだろうかと疑問に思うが、ウィノラが休んでいいというのだから、少しばかり休ませてもらおう。そう思い、シグルズはウィノラに一つ尋ねる。


「コーヒーを淹れたいんだが」


「別に構わんが、淹れるなら私の分も淹れてくれ。道具は全部炊事場の棚だ」


 そんなこんなで、休めと言われたシグルズは一つ仕事を増やされた。



§



 コーヒーを啜る。


 散らかった部屋に置かれた汚い椅子に座り、テーブルにことりと音を立てて黒い液体の入ったカップを置いた。


 ウィノラに視線を向ける。


 随分と例の嫌い薬とやらを作っているのに集中しているようだった。話しかけるのは無粋だろうと、シグルズは一人、部屋の丸窓からぼんやりと外を眺めつつ、もの思いに耽ってみることにした。


 さて、こうして一時的にだが、身を置く場所を提供してもらえているわけだが、シグルズとていつまでもこのままでいいとは思っていない。いつかはこの場所を発ち、別の場所へ移動しなければならない。


 移動とは言っても、世界樹第三階層〈魔族国サバト〉から移動できるのは世界樹第五階層〈アーガルズ〉だけだ。別の場所――世界樹第四階層〈巨人国リートニア〉や世界樹第六階層〈妖精国アルヘーム〉に行くにはアーガルズ兵団が所属する〈方舟〉を使わなければならない。現状の技術では、〈方舟〉による移動は一度で一階層分しか上昇、降下できない。


 仮にもし、リンファが「世界樹第七階層〈竜域〉に帰りたい」と言うのであれば、一度〈アーガルズ〉に戻って〈方舟〉を奪取、〈妖精国アルヘーム〉を経由して向かわなければならない。しかし、〈方舟〉はそう簡単に奪取できるものではないことぐらい、シグルズも理解している。


 とにかく、今は一時的に匿ってもらっているだけだ。この後の身の振り方は、リンファと相談してからでも遅くはないだろう。


 まだ湯気の立つコーヒーを一口飲みながら、シグルズはそう結論付けた。



「洗濯物、終わったわよ」


 階段の軋む音と共に、部屋の奥からリンファが姿を現した。両手には、空になった麻籠を抱えていた。


「ありがとう、きみもシグルズと一緒にしばらく休みたまえ」


「そうさせてもらうわ。……まったく、〈竜の守り人〉をこき使うなんて、とんだ罰当たりね」


 そうぼやきながら向かいに座るリンファに「コーヒーはいるか」と問う。彼女は「いらないわ」と首を横に振る。


「あの人は何を作っているのかしら」


 頬杖を突き、ウィノラの方をぼんやりと眺めながら、リンファがシグルズに問う。


「嫌い薬だと」


「なにそれ」


「惚れ薬の逆らしい。頼まれて作っているんだと」


「そんなものを欲しがるなんて、物好きもいるのね」


 まったくである。


 それにしても、リンファが思いの外従順に、というか真面目にウィノラの手伝いをしていることに、シグルズは素直に驚いた。伸びをしながら「ふぅ」と一息つくリンファをしげしげと見つめる。


「なに? 私が魔女の手伝いをしているのがそんなに不思議?」


 視線に気づいたのだろう。まるで心を読んでいるかのように、リンファがシグルズを睨んだ。


「まあ、そうだな。お前は魔女を嫌っているのかと思った」


「嫌いよ。でも、自分の好き嫌いと今の状況は切って考えなきゃ、どうしようもないもの。それに、いつまでもここにいていいわけでもないわ。それまでは、大人しくここで世話になるしかないもの」


 リンファも、どうやらシグルズと同じことを考えているようだった。完全に帰る場所を失ったシグルズとは違い、リンファには〈竜域〉がある。そこにいるファフニールのことも気がかりだろう。


「〈竜域〉に戻りたいか?」


 シグルズは率直に問う。


「どうかしらね。戻りたいとも思うわ。けど、戻れないとも思ってる。ファフニール(あの子)次第よ。あの子が快く敗走した私を迎え入れてくれればそれでよし、そうでなかったら……そうでないことは、考えたくもないわ。

 守護竜ファフニールは、竜神ヨルムントが育てた竜よ。私を捨て駒にする策も、彼が考えた。もし彼が私の生存を良しとしないのならば、すでに私の帰る場所ではないわ」


「……そうか」


 俯きがちにそう答えたリンファに、シグルズは何も言うことができなかった。


 というのも、不安要素は彼女の生存云々だけではない。シグルズが所属していた〈竜狩り騎士団〉。邪竜もとい、守護竜ファフニールを討伐するために組織された騎士団だ。アーガルズ国王が、〈竜の守り人〉が〈竜域〉に居ないこの状況を見逃すわけがない。近いうちにファフニール討伐作戦を実施するだろう。


 騎士団がファフニールに敵うなどとはシグルズも微塵も思っていない。〈竜の守り人〉に対してさえ、百二十七人の騎士が命を落とした。それよりもはるかに強い邪竜に、騎士団が太刀打ちできるわけがない。しかし、万が一邪竜が倒れる可能性があることも否定できない。そうなった場合、リンファにとっての僅かな可能性すら費えるだろう。


 ともかく、この一時的な平穏にもあまり時間は残されてはいない。


「シグルズ、あなたの方はどうしたいの?」


 空になったコーヒーカップをテーブルに置くシグルズに、リンファが問う。


「前にも聞いたわよね。あなたならどうするの、と」


 そういえばそうだったと、思い出す。あなたなら自分の処遇をどうするのかと、リンファに問われた。


「あのとき、あなたは自分の信念を貫いたわよね。騎士である自分より、人間である自分を取って、私を助けた。その決断が私に対する優しさ故のものだったと理解しているわ。だから今回もあなたに聞いてみたいの。人間になりたい、優しい〈混血〉のあなたは、どんな答えを出すのか」


 少し、考えてみる。


 シグルズは、リンファを救い出したときに、何が何でも彼女を守ると心に誓っていた。情動的で突発的に起こした脱走劇だったが、生ぬるい決意で行ったわけではない。なにが自分をそこまで奮い立たせたのか、それはシグルズ自身にもあまりよく分かっていないが、決めた決意を揺るがすことは決してない。


 だから、ここで答えられるのは一つだけだった。


「……俺は、お前を守るだけだ」


「あら、臭いこと言ってくれるじゃない」


「残念ながらそれ以外に能がなくてな。とは言っても、このままでいいと俺も思っていない。これからの身の振り方ぐらいは決めておきたいと思うが……」


「会話の途中ですまない。そろそろ夕飯にしないか。腹が減った」


 声のした方に、シグルズとリンファは同時に向き直る。


 ウィノラが椅子から立ち上がり、煙管を咥えていた。手には緑色の液体が入った小瓶が三つ。


「できたのか、その嫌い薬とやらは」


「ああ、あとは依頼主が取りに来るのを待つだけだ。その前に飯だ、飯。未来のことなぞ飯を食った後でいくらでも話せばいい。二人とも腹は減るだろう?」


 言われ、腹を摩ってみる。確かに、若干の空腹感はある。それもそうだ。昨晩の脱走からこの時まで、口にしたのは水とコーヒーぐらいなものだ。そろそろ固形物を胃に入れなければ、空腹で倒れてしまう。


「それもそうね、晩御飯にしましょう。それで、魔女は何を振舞ってくれるのかしら。芋虫とかそういうのは嫌よ?」


「妖精じゃないから芋虫は食わんよ。それに、飯を用意するのは今日からお前たち二人だ。ハキハキ働きたまえよ」


 リンファが露骨に嫌そうな顔をする。料理はしたくない(できないのかもしれないが)、しかし居候の身である以上、家主の言うことには従うべきだという考えがある以上、なにも言い返せないのだろう。


「料理ができないのなら俺がやるが」


「……そんなわけないじゃない、料理ぐらいできるわよ。シグルズは邪魔しないで」


 そう言って、リンファは炊事場の前に立つ。


 その後姿に一抹の不安をシグルズは感じたが、邪魔をするなと言われてしまえばもはや手出しはすまい。家主であるウィノラも、揺り椅子に座って依然として煙管を咥えて寛いでいる。完全にリンファに任せる様子を見せていた。



 そんなリンファの作った料理に、一同が顔を歪めたことは言うまでもなかった。

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