12.訪問
世界樹第三階層〈魔族国サバト〉。全九層からなる世界樹の下部三層ある下層領域〈冥界〉の入り口。魔人や魔女といった魔族が住まう怪奇な世界。
少しだけ、道を歩いた。空の色は変わらず赤紫色の不気味な空だったが、周囲の景色は少しずつ変わっていった。申し訳程度に除草された道がいつの間にか石畳に変わり、ぽつりぽつりと民家のようなものが見えてきた。
「……魔族臭い」
隣を歩くリンファがそう言って鼻を摘まんでいた。
シグルズも同意見だった。つい先ほどから、吐き気がするほどの甘い臭いが鼻を突いてくる。色々な花の臭いをいっぺんに混ぜて煮詰めた……そんな感じ。
「これは、きついな……」
シグルズもその臭いに耐え切れず、片手で口と鼻を押さえた。
景色は少しずつ街はずれから町中へと変わっていく。道を挟む奇々怪々な家々。規則性はなく、それは石造りだったり木造だったりレンガ造りだったり、様々だ。皆共通しているのは屋根の上に煙突を有しているところ。ご立派なものもあれば、今にも朽ちてしまいそうなほど、貧相なものもある。
そんな風に、街並みを観察するシグルズとリンファはふと感じた視線に足を止めた。周囲には二、三人程度、二人と同じように足を止めている人物がいた。揃いも揃って仮面を付けていた。その仮面越しでも分かるほどの奇異の目を、二人は感じ取っていた。
何かまずい気がした。明らかにやってはいけないことをしている気がした。しかしそれが何か分からない。
仮面越しの瞳と目が合う。じっと、睨みつけているかのようだった。
「早く行きましょう。こんな空気が不味い所に長居は出来ないわ」
服の袖を引っ張られ、シグルズは「そうだな」とリンファの手を取って、足早にその場を離れた。
それからというもの、少しずつ仮面が二人を凝視することが増えた。もちろん、仮面越しなのだから、本当の表情は分からない。ただ分かるのは、この街に歓迎されていない事だった。
「……どこに向かってるの?」
少し足早に、というか半ば走るように石畳を沈めて進む中でリンファがシグルズに問う。
「母親の知り合いの魔女がいるらしい。そこに尋ねる。特徴は緋色の屋根にレンガ造りの壁、二本の煙突、丸型の窓が二つ」
「あれじゃない?」
リンファが指さす。その先に、特徴と一致する建物が目に入った。緋色の屋根、レンガ造りの壁、二本の煙突、二つの丸窓。まるで顔みたいだ。
「あれだな。行こう」
走り、その家の玄関扉の前に立つ。扉を叩く前に丸い窓から少しだけ中の様子を窺う。真っ暗で何も見えない。人の気配も感じられない。不在かもしれないが、異国の地で頼れる場所を他に知らないのだから、この扉を叩くしかない。
そう思い、扉を三度ノックした。
「……白樺造り」
扉の向こうから声が聞こえた。女性の声だ。
「白樺造りって、どういうこと?」
魔族の挨拶? と首を傾げるリンファを横目に、シグルズは胸ポケットから一枚の紙を取り出す。再び扉の向こうから「白樺造り」と聞こえる。
シグルズは紙に視線を落とし、答えるように口を開ける。
「朽ちた街」
「くすんだ空」
「花の雪」
「ジェイとヴェイズは」
「食いしん坊」
「バルトロックの徽章は」
「壊された」
ガチャリと鍵の開く音。開く扉の隙間から、一人の女性の顔ではなく、女性の顔を模した仮面が覗いた。
「誰だ」
仮面の向こうから問われる。
「この合言葉を知っているやつは、お前のような半端な餓鬼じゃない。どこでその合言葉を知った」
「シアナという名前を知っているか」
シグルズがそう言うと、女性の肩がぴくりと持ち上がる。
「お前、あの子のなんだ」
「……息子だ。残念なことにな」
沈黙が二人の間を漂う。
仮面の奥の、表情は分からない。しかし女性は何かに納得したかのように「入れ」とだけ言って、扉を離れ家の奥に歩いて行った。
後について行くように、シグルズは家の中に入る。リンファも、それに続いた。
「……昔話をしよう」
女性は暖炉横に置かれた揺り椅子に座ると、右手のテーブルに置かれた煙管を手に取り、口に運んだ。少しだけ吸って、煙を吐く。
「シアナはその権能から〈貪汚の魔女〉と呼ばれていた。他者から魔力炉ごと魔法を奪う盗人だった。そりゃもう強かったさ。本来一種類しか魔法は使えないのに、あいつは多種多様な魔法を使えた。炎をうねらせ、土を操り、水を生み出し、風を巻き起こした。人の心に入り込むこともあれば、人の傷を癒すこともあった。
そいつがある日言った。『世界樹第五階層〈アーガルズ〉に行ってみたい』とな。そいつは優秀だった。だから階層飛びの魔法を作って、見事〈アーガルズ〉に行ったんだ。それ以降、私はそいつと連絡を取っていない。……お前の、母親の話だ」
再び煙草を吸い、ため息と一緒に煙を吐いた。
「……母から、何かあったときはあなたを頼れと伝えられていた。あなたが〈魔女ウィノラ〉で間違いないか」
シグルズが問うと、女性は「くくく」と笑って、顔を覆うその仮面を外した。
「懐かしい呼び名だ。如何にも、私が魔女ウィノラだ。まさか子どもを拵えているとは思わなかった。歓迎するよ、〈混血の忌子〉よ」




