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竜の魔女と混血の騎士  作者: 与瀬啓一
第2章~魔族国サバト~
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11.階層渡りの魔法

 ファナケルの泉。またの名を不可侵の泉ともいう。魔力を纏った水、周囲に群生する動植物。それはまさに、自然そのものだ。


 ファナケルの泉およびそれを囲むファナケルの森は、豊かな土壌と豊富な種類の動植物が生息する世界樹第五階層〈アーガルズ〉の中心だ。かつてその豊かさに人間が泉の周辺に村を形成したことが何度もあったらしいが、そのこと如くは飢饉や原因不明の病で跡形もなく朽ちている。今ではその跡すらも残らないほどの昔の話だ。だから不可侵の泉なんて呼ばれ方もされているわけだが、魔力を帯びた水を人間が独占しようとしたから、そういう風になってしまったらしい。別段、人間が近寄ることができないだとか、近寄ったら殺されるだとか、そういうわけではないし、数日の滞在であれば何の問題もないのだ。


 その神聖な泉に、シグルズは頬を朱に染めて背を向けていた。


「……終わったか?」


 水飛沫が返事を返す。ちゃぽんと少し沈む音。激しい波音の後、濡れた足が若草を軋ませて、軟らかくも締まった土を踏みしめる音がした。


「終わったわよ」


 振り返る。


 そこには空色の長髪を濡らした一人の少女が、手拭いで体の水分を拭っている姿があった。


「終わっていないじゃないか。早く服を着ろ」


 再び目を逸らすように彼女に背を向けた。


「女の裸ぐらいでそんなに興奮しないでよ、気持ち悪いわ」


「黙って服を着ろ」


 揶揄い甲斐がないわね、と悪態をつきながら、その少女――リンファは申し訳程度の自分の衣服を頭から被って、両腕と頭を通して最後に湿った髪を出す。


 別に、シグルズは自分の後ろで繰り広げられる一人の少女の沐浴にドギマギしていたわけではない。これは人間としてというより紳士として、異性が服を脱いでいる状態を見ること自体が極めて紳士的ではないと判断してこういう対処を取ったまでで――。


「耳、真っ赤よ?」


 突如耳元で囁かれたその言葉に驚き、前に飛び退(すさ)る。後ろを向くと服を着たリンファがまるで面白がるようにシグルズを見つめていた。


「……揶揄うんじゃない」


「別にいいじゃない。あなたの反応、初々しくて面白いわ。女性経験がないのかしら?」


「……終わったなら行くぞ」


 ため息を吐き、立ち上がる。


「目的の場所はこの近くなのよね?」


「ああ」


 目的の場所、つまりは世界樹第三階層〈魔族国サバト〉に通ずる門扉(もんぴ)。シグルズの母親が開いたその扉が、この近くにあるはずだ。


「……それで、それはどこにあるのかしら。見たところ、それらしいものはどこにもないけれど」


「当たり前だ」


 シグルズはリンファのその疑問にそう答えた。


「ファナケルの泉は不可侵だ。何者もこの場に人工物を作り上げることはできない。一時的な天幕などは別だが、恒久的に使用することを想定したものとなると、その限りじゃない」


「じゃあ、何かしらの魔法的作用が必要ってこと? 作ったのはあなたの母親――魔女でしょう?」


「ああ、そうだ。だから所定の位置で呪文を唱える」


 シグルズは、真っ直ぐに泉まで向かうと、服を着たまま、その泉に足を踏み入れた。ずんと体が沈む。思っていたよりも深いようだ。そのまま泉の中心に向かう。振り返り、リンファに手を伸ばした。


 シグルズの意図を汲み取ったのか、リンファも後を追うように泉に足を入れる。伸ばされた手を取る。そのままシグルズと共に、泉の中心に立つ。


「……行くぞ」


 リンファが頷く。それを確認したシグルズは、ファナケルの森を覆う清らかな空気を胸いっぱいに吸い込んで、口をゆっくりと開いた。


扉を開け(オペルナー・ドマオラ)第三の(ゴナ・テヒルラデ)地へ(ラウナーデ)


 ずぶりと足が沈む。


 魔法が発動したのだ。泉が淡く輝き、二人を少しずつ泉に引きずり込んでいく。


「……これ、大丈夫よね」


 既に胸の下まで沈んだリンファがシグルズを見上げる。


「多分大丈夫だ。このままゆっくり沈んでいって、第三階層に行けるはず――」


 そのときだった。


 まるで沈む足を引っ張られるかのように一気に引きずり込まれる。一瞬にして全身は泉の中、いや――


「どこよ、ここ」


 身体は宙に浮いている、というよりは、泉と繋がっているかのように感じる感覚は水の中だ。しかし呼吸は容易にできる。口から泡ぶくが出てくることもない。視界は一面の闇。光の一つも感じない。


「リンファ」


 隣にいると思われる少女の名を呼ぶ。


「なによ」


「手を」


 言って、横に腕を伸ばす。軟らかいものに触れる。掴む。


「どこ触ってるのよ」


 怒気の感じられる声音で言われる。


「すまない」


 謝り、伸ばした腕を引っ込めようとする。その腕を、小さな手が掴んだ。


「……リンファ?」


「手、繋ぐんでしょ。その方が安全だわ」


 ぐい、と引かれる。その小さな手が腕を手繰り、シグルズの手を握る。


 そのまま、幾らか時間が過ぎた。一分だったか、二分だったか。


 ふっ、と突然体が軽くなる、かと思えば、体に重りでも付けたかのように、重力に引っ張られた。


「うおっ!?」


「きゃっ!?」


 恐らくどこかの道端に落下したのだろう。草の生えていない地面に打ちつけた背が響くように痛む。おまけに上から覆いかぶさったリンファの重みで挟まれ、かなり辛い。


「……どいてくれ、重い」


「女の子に重いは失礼じゃない?」


「そうかもしれんが重いものは重いんだ。早くどいてくれ」


 自分の腹の上に正座で座るリンファに、ため息まじりに訴える。仕方ないわねとリンファがどくと、ようやくシグルズは立ち上がった。


 周囲を見回す。空はリンファの髪色のような澄んだ水色ではなく、赤紫色の、まるでワインを零したかのような空だった。おまけに、家らしい家は見当たらなければ人影もとい魔族の姿も見受けられない。そもそも町中というよりは町はずれの田舎道のようなところに二人は突っ立っていた。


 視界に入る植生は世界樹第五階層〈アーガルズ〉のものではない。植物はその葉先を渦のように巻き、背の高いものから低いものから揃いも揃って、産毛のようなものが生えている。実に不気味だ。近場に立っている木は、一見アーガルズにあるものと酷似しているが、よくよく見れば幹に顔のような(うろ)ができている、というか顔そのものだ。なんなら微妙にその洞が動いている。気持ち悪い。


「気持ち悪い場所ね」


 そんなシグルズの気持ちをリンファが代弁する。


「……ああ。ここが、〈冥界〉の入り口――世界樹第三階層〈魔族国サバト〉だ」

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