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5、若林純一市議のブログに寄せられたコメントに対する天乃川の反論(nさん編)③

n氏より返答が来たのだが、なかなか難解な言い回しで理解に時間を要した。だが、概ね言いたいことは理解したように思う。


かなりの長文となるのだが、一言で文章の内容全てを言い表せと言われたら、おそらく「ポピュリズム」という言葉が妥当だろうか?


ポピュリズムとは「知恵蔵」によると


「政治に関して理性的に判断する知的な市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める手法あるいはそうした大衆の基盤に立つ運動」


――このように記載されている。


n氏が体制側の人間なのかどうか分からないが、この人物はワクチンの有効性や危険性に関するデータや知識をあまり持ち合わせていない。――いや、というよりも、n氏はワクチンに関するデータも知識もあまり興味がないようにすら見える。


しかし、それはある意味当たり前の事なのかもしれない。


n氏は、「コロナに苦しめられた地球市民達が様々な感染対策を組み合わせて頑張った末、とうとう手にした夢のワクチンによってコロナ禍を克服して大団円を迎える」――このような、ある意味大衆が求めているであろう分かりやすいストーリーに立脚したシナリオを想定し、このシナリオに沿うような形で論理を組み立てている――ように私には見える――からだ。


要するにn氏は、欲望や感情によって態度を決めるという、全くもって理性的ではない「大衆」という連中を想定して論理を組み立てているのだから、ワクチンの有効性や危険性に関するデータも知識も、さして重要ではないという事になるのだろう。――と、このように私は感じたワケだ。


n氏が体制側の人間かどうかは分からないが、体制側の人間と言うのはこのような眼差しで大衆を見つめていて、このような論理展開をするのだろうな。――こんなような事も感じた次第だ。


n氏の私に対する返答を紹介する前に、あまりぐちゃぐちゃと解説めいた事を言いたくなかったのだが、n氏の文章がかなり難解で分かりづらい為、不本意ではあるが事前にこのような解説めいた無作法をさせていただいた次第だ(決して、事前に私に有利になるようなバイアスをかけようとしているワケではない)。


さて、それではn氏から天乃川に寄せられたコメントを紹介したいと思う。


――いってみよ!


●「n」氏による「天乃川シン」への返答①


天乃川シン様


いくつかお答えします。


「現在の日本人の劣化具合」,(ニーチェ的意味合い?)「畜群」という点については,お答えいたしかねます。


さて,


① ワクチンの有効性について。

これについてはまだはっきりと確信を抱いている状況ではないですね。

まぁ医学者がいうのだから,それなりに効果があるのだろう,言っていることもわからなくもないし,という程度の理解です。

ファイザーについては,中和能が高いというのもポイントです。

下手なワクチンではADEが起こりかねないし。

将来的にも起こらなければいいなぁ,と思っています。


② 生理食塩水よりも恐ろしい副反応〜自ら受け入れるリスク判断


天乃川さんは,ワクチンについて,「危険」性が「大変」高いという理解のもと,「有効性は極めて低」いという評価。


私は,起こりうる確率が10^(-6)程度(と思えれば)であれば,個々人レベルでの視点では,もうそれは起こらないものとして扱ってもいいんじゃないか,ましてや有効性が一定程度認められるならばその判断もOKとおもっています。


ワクチン観もなにも,出発時点で大きな断絶がありますね。


では有効性判断を一時的に排除して検討してみると,私と天乃川さんとでは,微少確率に関する考え方,捉え方が大きく異なっているように思われます(まあ,そもそも天乃川さんは微少確率問題として扱ってないですよね。それはさておき,です。)。


私は,確率が一定程度小さくなってしまえば,個々人レベルの判断としては,ないものとして扱うことを許容してしまう考え方,天乃川さんは,それが一定の重要な利益に関わる場合には,許容が難しいというふうにとらえているのでしょうか(天乃川さんの場合,それは① コロナで死んでいない ② 10代の若者が ③ 死んでしまうというリスク ということでしょう)。


この微少確率については,視点が二つ存在します。一つは,天下国家から見下ろしたときの視点。もう一つは,個々の人々が,自らについて判断するときの視点です。


私は毎日自動車を運転して仕事場に向かい,いろんな人と打ち合わせたりします。


その際,自動車事故を起こしたり,起こされたりして,誰かを殺し,誰かに殺されることを当然の前提としては考えません。


いろんな人と会いますが,その誰かが致死的な何かを持っていて私が死ぬ結果を招来することを当然の可能性として考えていません。


あるいは誰かが私に何かしら恨みをもっていたりして,殺しに来るかもしれない,という微少確率事象をないものとして扱っています。


もちろんこれらはないものと扱っているだけであって,現実にはリスクは存在します。


そのため大数の法則が適用されるレベルの視点,つまりは天下国家レベルになれば,これらの微少確率事象は,現実のものとして発生します。


だからこそ,天下国家レベルの視点では,これらに対する手当が必要となるのです。


ワクチンについても同様です。


治験において一定程度の安全性は立証されました。


その後多数の人が実際に接種を受け,そのほぼ全員が平穏無事に過ごしていることからも,事実上世界規模での追試もなされたと理解しています(つまりは私の考えといたしましては「安全性の推定」が働いています。)。


数々の接種状況,接種後死亡者の数,その他諸々から,個々人レベルの視点では,ワクチン接種後の事象は,発熱等を除き,一定の注意事項(1週間は激しい運動を避ける,胸が苦しいなど特徴的な一定の症状が出たら直ぐ救急病院に駆け込む!等々)を守れば,もうそれほど深刻に受け止める必要がないのではないかと考えています。


これは個々人レベルの視点での話なので,天下国家レベルの視点に目を向ければ,当然,接種後の,ないし接種による死人は生じうる事になります。


そこで因果関係が判明した事例,否定しがたくかつその存在が疑われる事例については,別途手当が必要でしょう。そうでなければ,人々はワクチン接種をしようとしなくなります。


長期的問題も,0として消去できない可能性ないし懸念としてのレベルで残ることになります。これについても必要に応じて副反応被害として,因果関係が判明し,あるいは否定しがたくかつその存在が疑われる事例については救済の対象とすべきでしょう。


個々人レベルでは,救済されうるという可能性を念頭に置いた上で,これらの微少確率事象を自身の問題として許容できるかどうかが重要です。


では,有効性の話を入れ込みます。


私は,根拠はあまり持ち合わせてありませんが,ワクチンの有効性はあると信じています。


このため,(純粋個人的視点からは)ワクチン接種により,接種者は,コロナ罹患による諸々の問題を軽減し,ないし回避できるチャンスを得ることができる,ということになります。


ワクチン接種を決断する際の個々人の判断とは,接種後死亡事例が100万分の10ぐらいの確率で生じるかもしれない(インフルワクチン等と違い,全世代にまんべんなく打ちまくったので,他のワクチンと違って死亡率が高く見えるだけかもしれないし,そうではないかもしれない),将来的にもひょっとしたら何かよくないことが起こる可能性を完全に否定しきることは現代の科学では不可能。でも,ワクチン接種により,死亡の機会を下げることができる,コロナにかかっても後遺障害の可能性を有意に下げることができる(有意性について研究報告が出ているそうです。),重症化リスクを下げることができる,これらのリスクと引き換えにチャンスを選びますか? というリスク受容の判断になります。


このとき重要なのは,個々人レベルにおいて死等のリスクと得られるチャンスとを比較したとき,チャンスのほうが有意に大きいことです。


ワクチン接種後の死亡事象の報道がされていますが,有意に多いかどうかは判断に苦しむところです。


この点は我が国の平素の死亡統計や死亡事象の取り扱いが,思いのほか適当であることが残念というほかありません。


平素の死亡統計・死因調査がしっかりしていれば,ワクチン接種後の突然死等の死亡事象が,ワクチンによる可能性を示唆するものなのか,検討材料もあったと考えます。


いずれにしても,ワクチン安全性の推定が働いている以上,その推定が破れない限り,私の新型コロナに対する「ワクチン観」(ファイザー限定)というのは,① 短期的危険性は,個々人的には一定の注意をした上で無視しても差し支えない程度の微少確率,② 長期的懸念は,現時点では憶測の域を出ない,ゼロであると証明できないレベルの微少確率,③ その上で一定の有効性が認められるというものです。


間違っていたら責任がとれるのか! などという非難ができそうですが,「そんなんとれるわけねーだろ!」というのが答えになります。


③ ワクチンによる死者を想定しつつ,他人に接種を強要することは,人道に対する罪になるか。〜他人への強要問題


国際法上の概念じゃないですよ。当然。


さて,人道に対する罪となりますと,事実上生じうる他人に対する強制性が問題となるでしょう。


コロナが落ち着かなければ経済的に困窮し,自殺者が増えます。


なんだかんだ言いつつ,ワクチンなしにコロナが広がれば,先ほどの大数の法則に従って,少確率が牙をむいてきます。


コロナワクチン接種により一定の死人発生が想定される場合において,その死者数が,コロナ罹患等による直接的副次的死者数を有意に下回る場合に,事実上にせよ,制度上にせよ,コロナワクチンを接種することを強制しうるか。


つまりは少数の犠牲のもと,多数を救うことが許されるかという問題があります。


でもこれは前提がおかしいです。ワクチン接種で不幸にして被害が現実化した「少数」は何らの利益を受けることもなくただ犠牲にされただけではないです。ことワクチン問題については,犠牲となってしまった「少数」も利益を受けています。


みんなで助かろうとして(この場合には感染拡大予防効果も含まれよう。),そのためのチャンスを得るためにワクチンを接種したけれども,不幸にして,死者が出てしまった。それは誰であってもおかしくなかった,ということであって,死んだ方々は,生き残った方々の踏み台になったわけではないのです。


この点に関しては,個人の選択権との関係で,ある意味究極的な問題ですので,この場でいろいろ言うのは不適切でしょう。


ところで,以上の話は,あくまで接種後死亡事例が,因果関係でワクチン接種と結ばれる場合に成立します。


若くても突然死する人は結構いるので,前後関係の特定だけでなく,あくまで因果関係,機序の解明・立証を要するでしょう。


④ あなたは全体を俯瞰して眺める事のできる頭の良さを持っている人でしょう。別の出口戦略を


おだてても何も出やしません。

別の出口戦略ですが,そういうのはお上に任せたいと思います。


ただ国民はもう今ある出口に向かってまっしぐらみたいですね。いい兆候です。

この流れは既定路線になってしまっていてよほどのことがない限りかわらないでしょう。


予言しますが,おそらく政府が行おうとする実証実験はよい結果をもたらすでしょう。重要な政治日程も駆け込みですぐ終わります。

そうなれば,(いきなりではないにしても)「終わり」でしょう。


●「n」氏による「天乃川シン」への返答②


なぜ確信できないものを信じることができるのか。


わたしが言う確信とはわたしが自らの責任において調べ上げ、自らの判断において信じることが出来た状態を言います。


では確信を抱けない状況で何をもって信頼するのか。


いろいろありますが、構造に目を向けるのが方法の一つとしてありえます。


我が国の公衆衛生当局の人員は医師免許を有する医系技官等から構成されており人的バックグラウンドに一定の信頼が置けること


彼らは常日頃から自身の専門領域について研鑽を積んでおり、公表したての論文等への目利きを期待しうること


彼らは多くの医学者の監視下にあり、おかしい指示を出し、または見解を示そうものならひどい突き上げを食らうことが容易に想定されること


当然そのことも彼らは知っているので、必要かつ妥当な政策決定が迅速にできるよう、心血を注ぐことが構造上なかば強制されていること


もちろん盲目的に信じるべきではないでしょうが、一定の信頼を及ぼしても良いでしょう。


(※以上で引用終わり)



いかがでしたでしょうか? なかなか難解だったでしょ?


正直、私はどのようにnagi氏に返答すべきか迷っている。しかし、やはり私はワクチンの有効性や危険性を示した科学的根拠やデータを提示するしかないのだろう。そしてそのうえで、子供を守るための発言をする必要があるのだろう。


他にも、コロナに感染した事による死とワクチンを接種した事による死とでは、その内実が全く違う事も伝えたいし、言いたいことはいくつかある。


とりあえず、続きをお楽しみに。


……アルコールでこれ以上、頭が回りませぬ。

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