再開の春
「好きだよ。」
「うん!私も!」
アラームを数秒ほど止めずに俺、立林智大は布団の上で横になっていた。未だに夢の声が頭に残っている。
あぁ、夢か。
小学生の頃の俺は幼馴染の徳田みほりのことが好きだった。小学校の六年になる頃に、一度、告白をしたことがある。
「ごめんなさい。」
一言、そう言われて廊下に立ち尽くした。今、振り返ってみれば、別にそこまで雰囲気的にも告白のタイミングではなかっただろうし、なんならあの時のみほりの顔を思い出せば一種の不快感を覚えたに違いない。とても驚いた顔で足早に帰っていったもんな。告白にあたって、共通の友人である水川夏子に相談していたから、フラれたことももちろん報告をした。
「もう一度、告白した方が良い。」
あの時に言っていた言葉は当時の俺は全く意味が分かっていなかったし、今もその意味を理解した訳ではなかった。ため息と共に朝の準備を始める。朝食を揃え、歯を磨き、着替えて、家を出る。ここ数日、こんな調子である。駅まで歩いていると、スマホの振動がポケット越しに太ももに感じられた。画面を見ると、大学の同級生でもあるあの水川の表示があった。俺は第一志望の大学に入学することができたのだが、この水川も同じ大学に入学していたのだ。それを知ったのは、夏休みを過ぎたあたりだったからだったが、それまで彼女が県内にいることさえ知らなかった。
「もしもし。」
「もしもし!朝から暗いなぁ。ひろ君!」
「水川が元気なだけじゃないか?」
「そんなことないよ!それより、今日の昼って空いてる?」
「今日?あぁ、一限が終わったら今日はもう何もないけど。」
「オッケー!じゃあ、いつもの食堂で!」
何か言おうとした俺の言葉を待たずに電話は切れた。
何か要件があれば今、言えばいいのに。この要件ならメールでもいいのにな。
俺はなんなのかと思いながら、電車に乗った。いつもより人が多いのは気のせいだろうか。いや、気のせいではない。今日は新入生の初講義の日のはずだ。水川が言っていたから覚えているが、こんなに元気なものだったろうか。何かここに居づらいような息苦しさまで感じる。ため息をつきながらスマホのニュースアプリを見ていた。数駅、過ぎた時いきなりドアに押された。
そうだこの駅は普段でも乗り降りが激しいんだ。
ふと、ホームに目をやると、乗れなかったのかドアの前で諦めた顔をした女性が立っていた。ムッとした表情も混じっていたかもしれない。ただ気にするな。この電車に乗れなかったからといって遅刻することはない。俺は彼女に心の中で助言をしておいた。届くことはないだろうが。その時、彼女がふと顔を上げた。目が合った。気のせいだろうか。俺は気のせいということにした。電車はそのまま大学の最寄りまで着いた。ぞろぞろと中の乗客は出ていくが、やはりほとんどがこの大学の学生だったようだ。
講義が終わった。特にやることもないし、図書館で適当に時間を潰すのも悪くないかもしれない。俺は荷物を持って教室を出た。それにしてもキャンパスには学生の若々しいエネルギーが満たされていた。
まるで、新しい絵の具を混ぜたようだ。キャンパスだけに。
上手いことを言えたわけではないと思いつつ、図書館を目指した。春の陽気に少しの退屈を紛らわせながら歩いていると、肩を後ろからポンポンと叩かれた。振り返ると、笑顔で水川が立っていた。
「やっほー!ひろ君!」
「何してんの?」
「ついてきて!」
そう言われて、講義はそろそろだぞと思いながらついていくと
「はい。」
教室に案内されたようだ。
「講義、受けるよ!」
「は?」
後ろの席に水川と隣同士で座った。いや、座らされたという感じか。
「何これ。何の講義だよ。」
「教育学だよ。そろそろ始まるから。」
チャイムと共に女の講師が入ってきた。水川に何の講義か聞くのは無粋だったかもしれないな。なぜならこいつは教育学部なのだから、当然、こういう講義を履修しているに違いないのだ。今日の講義は配られたこのプリントを使いながら、自己紹介をするというものである。
なんなんだ。この講義は!こんな講義があるのか。とても楽じゃないか!
「は~い!じゃあ、隣の人とペアワークを行ってください!」
そういうことか。ペアワークのために俺を呼んだようだ。でも、こいつなら俺じゃなくても別にいいと思うけどな。
チャイムが鳴った。やっと終わった。あの講師、何もしてないんじゃないか?
俺は講義に少しの疑問を感じながらプリントを眺めていた。
「じゃあ、お昼ご飯を食べに行こうか!」
「あぁ。」
食堂は去年よりも多くの学生で埋まっていた。水川に席を取ってもらっているうちに、俺は券売機で食券を買い、プレートに乗せて机に運んだ。今日の昼はラーメンだ。安いし旨いから俺のお気に入りである。席に行くと、水川は自前の弁当をすでに食べ始めていた。
「それにしても混んでるな。」
「そりゃあね。この食堂って付近の大学の中でも美味しいって評判なのよ。」
「そうなんだ。」
「この話、もう何回かひろ君にしてる気がするけど。」
「そうだっけ。忘れたな。」
二人で会話をしながら食べていた。すると
「つーこちゃん?」
懐かしいあだ名の呼び方が聞こえた。水川とその声の方を見ると、朝のあの女性が立っていた。
「あー!待ってたよ!」
そう言うと、水川は隣のもう一つの席に座らせた。
「久しぶり!」
「久しぶり!おめでとう!」
「ありがとう。」
「試験、受かってよかったね!また一緒に通えるね!」
「うん!」
俺だけ、蚊帳の外である。女子のこういった会話はどうも苦手だ。入る余地がないというか、隙間がないというか。密着したようなこのスタイルの会話は女子の特有のものだろうか。
水川はこちらを見ると、自慢げな顔というか、喜びを分かち合いたいとでもいうような表情をした。
「ええと、初めまして。立林です。」
言葉に詰まりながら、自己紹介をした。
さっきの講義の時の俺はどこに行ったんだ。まるで水川の時とは違って、顔もまともに見れないじゃないか。あの講義も無駄ではないということか。
しかし、水川は次に怪訝な顔をした。
「え?どうしたの?」
「は?いや、自己紹介をと思って。」
「もしかして忘れたの!?」
恐る恐る、彼女の顔を見たが、こんな綺麗な知り合いはいなかったはずだ。というより、まともに顔を覚えてる奴なんかそんなにいないのだが。
「徳田みほり!みーちゃん!覚えてないの?幼稚園の頃から一緒だったでしょ!」
徳田みほり?この女性が?
俺はより綺麗になった彼女を見て、一層、惚れたのであった。
水川の声は一言すら耳に入ってくることはなかった。