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Rap1254-鳥取大病院救命救急センター、3月末で専属医4人全員退職

Rap1254-タムラ先生夜間外来総合


Rap1254-鳥取大病院救命救急センター、3月末で専属医4人全員退職


 今回も少し、専門的と言うか、現実です医療の現状です。

興味のある方はどうぞ、そして、関係ないとお考えの方、

どうぞ読み飛ばしてください。

後で、私なりの考察を・・・・・・・


「m3.com」より転記

2/11号 緊急インタビュー・鳥取大・救急災害医学教授

2009年02月11日

 先週、「鳥取大病院救命救急センター、3月末で専属医4人全員退職」と言う

ニュースを聞き、同センター長で、救急災害医学教授の八木啓一氏に取材を申し込みました。ニュースには「燃え尽きた」との八木氏のコメントもあり、ギリギリの状態で保っている救急医療が各地で“なだれ”を打って崩れてしまうのでは……

との懸念を抱き、詳細な話をお聞きしたいと思ったからです。

FAXなどをして、直接連絡が取れたのは2月7日。

9日の週は予定が合わず、「明日(8日)なら」ということで、急きょ、鳥取大までお伺いすることになりました。

 取材の基本は様々ありますが、「一次情報に当たること(当事者の声を聞くこと)」「裏を取ること」は重要なポイントです。

その意味で、今回の件の当事者は多岐にわたり、八木氏の発言ですべてを語ることはできませんが、まずは一番の当事者の声をお届けしたいと思い、インタビューの形でまとめたのが、「救急医4人が一斉退職する理由-鳥取大学救急災害医学教授・八木啓一氏に聞く◆Vol.1」です。

救急医4人が一斉退職する理由-鳥取大学救急災害医学教授・八木啓一氏に聞く◆Vol.1

「私が災害医療の“赤タグ”に」、窮状すら訴えられない状態

2009年2月10日 聞き手・橋本佳子(m3.com編集部)

 先週、「鳥取大病院救命救急センター、3月末で専属医4人全員退職」というニュースが流れ、医療界に驚きが走った。同救命救急センター長で、救急災害医学教授の八木啓一氏によると、退職を決めた背景には、救急設備の非効率性や院内の診療体制の問題、多忙な業務、その一方での2004年度の卒後臨床研修の必修化以降の人手不足など、実に様々な要因があるという。

様々な働きかけをしてきたものの、もはや改善は期待できない状況になり、「何も希望がなくなった」(八木氏)ことが退職の直接的な理由だ。

 「もうすべて吹っ切れた」という八木氏に、退職の経緯や今の心境を率直に語ってもらった(2009年2月8日にインタビュー)。

 ――2月4日に院長とお二人で記者会見を開き、退職を公表されました。今の率直な気持ちをお聞かせください。

 今回退職を決意したのは、様々な事情からであり、理由は一つではありません。 どれか一つがなければ、辞めなかったかもしれません。                                                        しかし、もう私自身が災害医療のトリアージにおける「赤タグ」になってしまいました。 「緑タグ」は軽症の患者で、自分で声を上げることができます。              「大変だ、大変だ」と自ら助けを求めることができる状態はまだいいのです。      しかし、今の私は、生命の危機にありながら、自分で声を上げることができない「赤タグ」の状態です。

 知り合いの医師からは「どこの病院でも、大変なんだから」などと言われますが、私自身も我慢強く、がんばってきたつもりです。                         当大学に来たのは2002年10月で、救急災害医学の初代の教授として赴任しました。     様々な困難は承知の上でした。諸問題を改善するため、これまで何度も院長や医学部長などに働きかけてきました。                                今の救急災害医学には4人の医師がいますが、うち2人は大学院生ですから、   教育まで担当できるのは私と准教授の2人。                        講義と教授会が重なることも多く、教授会などで意見を言うこともままならず、学会などにもなかなか出席することはできず、窮状を訴えようにも、「声を上げられなくなった」のです。                                             この2月10日には、札幌市で国立大学救急部連絡協議会があり、文部科学省の官僚なども出席すると思いますが、私は出席できません。

 院長と医学部長に辞表を出したのは、昨年末のことです。               実は2年前にも一度、両者に辞意を伝え、警鐘を鳴らしてはいました。         そのときは、「今までの体制で問題があったところは改善するので、もう少しがんばって残ってくれ」と慰留され、今までやってきました。                      当院の救命救急センターは設備面で劣り、医師も少ない上、院内の体制にも問題がありましたが、なかなか改善は進みませんでした。                     また、救急医療は当センターが単独でできるわけではなく、他科との連携・協力も不可欠ですが、10年、20年先を考え、そもそもどんな救急医療に取り組むのか、病院としてのコンセプトがありません。

 「辞表」と引き換えに、交渉するのは嫌でしたので、2年前の時点で「次に辞意を表明するときは、もう翻意はしない」と伝えていました。                    お二人は、私がかなり疲れているのをご存知でしたから、昨年末に辞意を伝えた時には、「もう何も言わない。慰留はしない」と。

 ――今回、再び退職を考え、決意されたのはいつ頃でしょうか。

 私が辞めれば、地域の患者さんをはじめ、各方面に迷惑がかかります。       しかし、決定的だったのは、昨年夏、2人の大学院生から「もうもたない、辞めたい」と言われた時です。                                         これまで「来年になったら設備を改善するから、ヘリポートができるから、救急外来で手術ができるようにするから、体制は変えるから、もう少し待ってくれ」などと言い、引き止めていました。

 救急医療の守備範囲は病院により違うので、他の病院での勤務は非常に勉強になります。                                                しかし、人的に余裕がないので、他科とは異なり、他の病院に2年や3年などの期間、スタッフを出すことはできません。                               設備もまた研修体制も十分でない状態で引き止めることは、もはや難しかった。   私が彼らの立場だったら、「同級生は外の病院に行って、武者修行をしているのに、大学で“下積み”をやらされている」と思ったでしょう。

 卒後臨床研修では救急医療が必修ですので、ローテーションで研修医が来ます。 しかし、救急医療に興味を持っていても、私やスタッフの疲れた姿、また救命救急センターの現状を考え、結局は他科を専攻したり、都会の設備が整った救急の病院に行ってしまいます。                                          私は救急医を育成したいという思いから、大学に赴任したのですが、今後2年間は当科に医師が来る見込みがない状態です。

 准教授からは昨年末に、他の病院に行く意向があることを聞きました。        もう私自身が「改善するから」と実現性のないことを繰り返すのは嫌だったので、引き止めはしませんでした。                                   准教授と大学院生2人を置いていくことはできませんから、これで私も最終的な決心が付いたのです。

 でも、地域の患者さんには、最後まで前向きな姿勢を見せていました。       昨年夏には救命救急センターのユニフォームを作ったり、昨年秋からヘリコプターでの「ホイスト降下」(傷病現場で、応急処置やトリアージなどが迅速に実施できるようにするため、ヘリコプターから医師や看護師を直接降下させること)の訓練を始めたりもしました。                                               これは先駆的な取り組みで、訓練は皆が関心を持ってやりましたが、一番面白がってやったのは私でしたね。救急は好きですから。

 今回の件でインターネット上でもいろいろ書かれていますが、断片的な情報しか伝わらないためか、「そんなことまでやらされているから、辞めるんだ」「無理な理想を言っている」などのコメントがありましたが、それは違います。                私の若い時代は設備的に充実していなくても、やってきました。             当時はよかったのでしょう。けれども、今の若い人はそれでは付いてきません。   何かウリがないと、若い人は集まってきません。

 今いるスタッフは辞め、新しい人が入ってくる見込みはない、設備が改善する見込みもない……。                                            何らの希望も持てなくなりました。

 辞表を出してからも、「これでよかったのか」と後悔していました。けれど、12月は私自身4回当直したのですが、12月30日の深夜、交通外傷の患者が救急車で運ばれてきました。                                             両側の気胸、肝破裂、骨盤の骨折などがあり、本当に重症の患者さんでしたが、一人で処置をしました。                                         当院のX線CT室は2階にあります。                              1階にある救命救急センターから、看護師と2人で夜間の暗い廊下をストレッチャーで運んだ際は、さすがにむなしくなりました。

 処置開始は午前1時で、終わったのは午前5時。                     体力的にもつらく、「救急医を育てるために、ここに来たけれど、この年齢になっても、真夜中、それも年末に一人で処置をしている。私は何をしているんだろう」と、    辞表を出してよかったと思いましたね。                                救急医を目指す医師に、手取り足取り教え、今まで自分がやってきたことを受け継いでもらうことが、私の夢でした。

 ――先生ご自身も当直をされているとのことですが、現在どんな体制で救急医療を実施されているのでしょうか。

 当院の救急外来を受診する患者数は年間約1万2000人、うち救急車による搬送患者は約900人。1日当たり平均2.5台です。                          救急医療の分野では、人口10万人1日当たり3次救急の患者は1人と言われており、当院の周辺人口は約24万人ですので、妥当な数でしょう。

 この約900人を救命救急センターの7人の医師が24時間体制で診ています。   残りの患者は、各科が交代の救急当直1人と2年目の研修医1人が担当しています。

 救命救急センターの7人のうち、救急災害医学に籍を置く医師は4人。        4人では不足のため、残る3人は、各診療科から交代で、3カ月から半年間程度、  救命救急センターに専従医として勤務してもらっています。                今は整形外科から2人、第一外科から1人です。                      院長が整形外科なので、同科からは常に医師を出していただいていますが、    他科は特定していないため、常に綱渡りの状態です。

 救命救急センターの医師は、ICU(10床)のほか、患者数はわずかですが、総合診療科の外来も担当しています。                                 さらに、当院では病棟を持っていても、当直医を置かず、オンコール体制になっている診療科があります。これらの病棟の入院患者の夜間急変時にも対応するなど、当センターの仕事は多岐にわたります。

 当センターの医師の当直回数は月5回程度。ただし、地域の他の医療機関への応援も行っていますから、自宅に帰れない日は月10日程度あるのではないでしょうか。私自身の当直は月1-2回ですが、12月は6人体制でしたので、4回。年末も12月30日は当直、元旦はオンコールでした。

 当直に加えて、私と准教授は、各科から救命救急センターには来る3人の医師のバックアップもしています。医師が代わる度に、つまり3カ月か半年ごとに、彼らが慣れるまでは私もしくは准教授が教授室などに泊まり、救命救急センターの様子を映すモニターを見て、指導できる体制にしています。

 ――救急の患者さん以外の対応のほか、様々な業務があったということですが、退職を決めたのはどのような理由からでしょうか。

 救命救急センターには“コンビニ受診”の患者が来るわけではなく、患者数自体はさほどでもありませんが、それ以外の業務もあり、様々なストレスがありました。ここは大学ですから、教育も担当します。その一方で、2004年度の卒後臨床研修の必修化を機に、研修医の数は減りました。さらに、救急の設備面でも数多くの問題があります。環境が悪いために医師が集まらず、多忙になるため、さらに過酷な勤務環境になる。そんな悪循環が続き、退職を決意しました。

 取材当日、まず救命救急センターを見学させていただきました。                驚いたのが、動線の悪さ。インタビューで八木氏も語っていますが、1階の救急処置室から2階の単純X線やX線CTのある部屋まで、外来の待合室を通らなければなりません。    当日は日曜日だったので、患者さんはいませんでしたが、平日だったら、と思うと……。   さらにICUや手術室は4階にあります。医師の1日当たりの移動距離はどのくらいなのでしょうか(医療従事者の移動距離の長さは、何も鳥取大、救急部門に限ったことではありません。万歩計をつけている方、1日の歩数をお教えください)。

 医療提供体制は地域によって異なるため、救急医療をめぐる問題も様々です。       また同じ地域でも、医療機関によって抱える問題が違います。最近は、“コンビニ受診”や医療訴訟のリスク、搬送の受け入れ問題などが取り上げられることが多いですが、鳥取大の場合は多少事情が異なります。                                       院内の救急設備や診療体制の問題、さらには臨床研修必修化に伴う医師不足、国立大学法人固有の問題が、八木氏の話から浮き彫りになっています。

 記事を読んでくださった先生から、下記のコメントをいただきました。

 「大学の体制を恨むわけではなく、同僚を批難するわけでもなく、確かに、悟りのような境地に達した言葉に聞こえました。ただ、八木先生の胸中には、自ら言葉を発することによって、日本全体で、同じことが繰り返されないようにという、静かな思いが込められているように感じられました。

 当大学と鳥取大学との違いは、当大学は理事長の個人経営である一方、鳥取は国立大学法人であることでしょうか。当大学も、いろいろと問題はありますが、救急医療については、理事長自身がその重要性を認識しておりますので、完全にバックアップしてくれることです。それである故に、私自身の気持ちは萎えないのかもしれません」

 なお、救急医療の関連で、「“コンビニ受診”で現場は疲弊している」をまとめ、「m3.comリサーチ」で、「“コンビニ受診”の患者は、救急患者の何割? 」とお聞きしたところ、「60%以上」という回答が約半数を占めました。“コンビニ受診”の定義が曖昧であることなどから、「時間外に受診する軽症患者」の実態を正確に把握することは難しいのですが、“コンビニ受診”が時間外診療、救急の現場を疲弊させている要因であることは確かなようです

もうこの話、日本の救急医療の末期的症状に近いのでは・・・嘆かわしい。

全てが悪い、大学病院のあり方、白い巨棟崩れ落ちるなだれのように・・・・

もう1人は2人の力ではこの日本の医療どうする事も・・・・

 こんな現状で、救急車中の患者、たらい回し起こるべきして起こっている。

医者は真面目に持ち場の医療に真剣に行う、それでどれ程患者が救える。

こつこつと、1人1人治療すればいつかは・・・でもそれは壮大な時間が・・・

そう非効率的だ。

 それと、患者側のモラルの低下、コンビニ診療、受診の抑制は、

どの様にすれば減少するか・・・・

救急出動を受け出動する。そこで、果たしてこの患者・・・・救急が必要か・・・

 多くの医療関係者、救急隊が疑問に思う方が多いと思われる。

もう全てが乱れている。それを誰が統制する。

 それは、やはり、国の力で全体を上手くコントロールする方法を・・・・

利害関係を無視して、抜け駆けの無い方法を考えなければ・・・

 日本の医療制度は終る!! 

医者も、患者も不幸になる。余力を残して・・・・


賢い知恵を、見識者たちよ!


ではまた・・・・暫くのオフです! 浅見 のぞみ


タムラ先生夜間外来(総合) R1254


DrDr――――――総合Tamura ―――――DrDr


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