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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

幼馴染を寝取られて、それでも彼女が大好きなどうしようもない僕が、ただ壊れただけのお話

 僕には幼馴染がいた。

 とても大切な、ずっと一緒にいたいと思っていた幼馴染が。


 僕の幼馴染、倉橋杏奈(くらはしあんな)は容姿端麗、成績優秀。

 それでいて人懐っこく、誰にでも平等に明るく接する天使のような性格を持ち合わせた、フィクションの世界の住人のような女の子だった。


 綺麗な長い黒髪に清楚な雰囲気を持ち合わせ、スタイルも抜群ときたものだから、まさに非の打ち所がない。誰もが一度は思い浮かべる美少女。

 完璧といってもいいと思う。神に愛された人間というのは、きっと杏奈のことをいうのだろう。




 それに対し、僕はかろうじて容姿こそ多少マシではあるけど、それ以外の能力は全て人並みかそれ以下。

 昔から杏奈と一緒にいたおかげもあり、交友関係は不自由してはいないけど、人に誇れるものがあるかと問われたら、首を振らざるを得ないだろう。それが高城優馬(たかぎゆうま)という人間だ。

 杏奈と比較するにもおごがましい、どこにでもいるただの凡人だった。




 そんな平凡な男である僕が、杏奈のような子と付き合うことができたのは、一言で言えば縁があったから。

 もっと平たく言うのなら、幼馴染であったからにほかならない。

 要は運に恵まれていたのだろう。杏奈に告白したあの日のことを、僕は今でもハッキリと覚えている。




 高校生になってから、杏奈はとても綺麗になった。

 元から可愛い子ではあったけど、お洒落な友人が彼女の周りに増えた影響か、目に見えてその容姿の美しさに拍車がかかったのだ。



 そんな彼女を男達が放っておくはずもない。

 クラスメイトは常に杏奈に注目してたし、イベントや行事のたびに彼女に近づこうとする男子は増えていく。




 そうなると気が気じゃないのが僕だった。

 その時には既に杏奈への好意を自覚しており、自分より優れた男子が下心を隠すことなく彼女に話しかける姿を見るたびに、心臓が張り裂けそうになる。

 この恋心で死ぬんじゃないかと、あの頃は本気で思ったくらいだ。

 それだけ杏奈に対して真剣だったし、彼女は間違いなく僕の全てだったから。


 だから彼女と付き合いたいと思って行動に移したのも、ごく当たり前のことなのだろう。

 誰にも杏奈を渡したくない。いつまでも僕の隣にいてほしい。

 その想いから、僕は一年の終わり頃、杏奈に告白した。


 正直玉砕覚悟だったけど、杏奈は嬉しそうに頷いてくれたのだ。

 僕を受け入れてくれたことが、飛び上がりたくなるほど嬉しかった。

 間違いなく、僕の16年の人生のなかであの瞬間が一番輝いていたに違いなかった。






 ―――同時にこう思ったのだ。生まれ変わろうと。彼女に釣り合うような男になろうって。




 それは僕の中に初めて生まれた男の意地、プライドと呼べるようなものだったのかもしれない。

 杏奈に恥をかかせたくない、一緒に隣を歩いていても、恥ずかしくない人間になりたいと、そう思ったんだ。








 杏奈と付き合い始めてほどなくして、僕はアルバイトを始めた。

 平日はスーパーのレジ打ちで、土日は引越しの手伝いという二足わらじ。

 わざわざこんなハードワークに挑むのは、彼女の誕生日プレゼントにちょっといいものを買ってあげたいという見栄と、長期休みの時にふたりでどこか遠くに出かけたいという、まぁお小遣いの足りない高校生男子としては、ごくありふれた目的のためだ。




 甘えたがりなところのある杏奈はふたりの時間が減ることに難色を示し、当初は渋ったけたど、長期休みに入るまでだからと根気よく説得したら意外と素直に納得してくれたのは助かった。

 僕としても寂しさはあったけど、それも数ヶ月の辛抱だったし、家は元々隣同士だ。

 会おうと思えばいつでも会えるし、連絡だってこまめに取ってる。

 だからそこまで深刻に考えることもないと思ってた。

 多少時間が減ったとしても、それだけの絆が僕たちの間にあるのだと、強く強く信じていたのだ。








 アルバイトを始めて、二ヶ月くらい経った頃だろうか。

 最初は慣れない肉体労働でクタクタになり、家に帰ればそのまま寝落ちすることも多かったけど、今ではだいぶ仕事にも慣れることができていた。

 体力もついてきた気がするし、なんとかやっていけるだけの自信はつけることができたと思う。


 一緒にいる時間こそ減ったものの、杏奈との仲も順調だ。

 友人の多い彼女は休みの日などはカラオケに行ったり遊びに出かけることが増えたようだけど、僕のせいで寂しい思いをさせてるのだと思うと口を挟むつもりはなかった。


「あと少しの我慢だしね」


 口の中で小さくつぶやきながら、僕は手に持ったアクセサリーケースをじっと見つめた。

 丁寧に梱包されたそれはすごく軽いけど、同時に何ヶ月もの努力の成果の証でもある。

 少なくとも僕にとっては、とても重いものだった。


「杏奈、喜んでくれるといいんだけど…」


 ケースの中には先ほど購入したばかりの指輪が収められており、それはちょっと早い彼女への誕生日プレゼントだ。

 もちろん渡すのは誕生日当日になるけど、いざという時に焦るより事前に余裕を持って手元に置いておきたかったのである。


 ついでに自分の頑張りを振り返りながらニヤケたいという、ちょっとした自分へのご褒美を兼ねていたりするのだが、それは言わぬが華というやつだろう。

 できれば喜ぶついでに褒めてくれたりすると嬉しいかも、なんて邪な考えを抱いてしまうあたりがいかにも小心者の僕らしいと、つい苦笑してしまう。


「こうして努力が形になるって、悪くないものなんだな…」


 愛でるようにケースの上に手を置くけど、梱包されているからちょっとざらついた感触しか伝わってこない。

 だけど、それで良かった。僕が本当に見たいのは杏奈の笑顔だ。

 気持ちを押し付けるつもりはないけど、それを見るためにずっと頑張ってきたのだから。


 これを渡されたとき、彼女はどんな顔をするだろう。

 できれば喜んでくれると嬉しい。そして、いつもの綺麗な笑顔を見せてくれたらいいな…そんな期待とともに家路につこうとした時。




「―――ねぇ、次はどこ行こっか?」


 誰かに話しかける女の子の声が何故か、僕の耳にまで届いた。


「え…………」


「そうだな、やっぱカラオケ行かね?金もないしさ」


「えー!いつも皆と行ってるじゃない!」


 次に聞こえてきたのは男の声。多分、僕と同い年くらいの。

 声量からして多分それなりに距離は空いてるはずなのに、さっきの女の子があげる不満そうな声と同様に、何故かハッキリと聞こえてしまう。


「しゃーねーじゃん。金ないんだからさ。俺んち小遣い厳しいんだって」


「むー…拓也くんっていっつもそれ言ってない?ならアルバイトでもしたら?」


 会話の内容からして、どうやらふたりの距離感はかなり近いらしい。

 もしかしたら恋人同士なのかもしれないな。うん、それはおかしくない。


 だって今日は日曜日だし。カップルが街中を歩くことなんて、珍しいことじゃない。むしろ健全と言えるだろう。

 いやぁ、拓也って人が羨ましいな。ははは。


「かえ、らなきゃ…」


 ああ、人を羨んでる場合じゃない。

 帰らないと。僕にだって彼女がいるんだ。

 それも、多くの人が羨むくらい、とびっきりの美少女で性格もいい、最高の彼女が。


 そうだよ、僕は杏奈の笑顔を見るために、これまでずっと頑張ってきた。

 だから、早く、早く帰って、杏奈の姿を見ないと…!


「えぇ…やだよ、めんどくせーし。そういうの柄じゃねーんだって。俺は遊ぶほうが合ってんの。高一のうちからバイトなんて、真面目くんのやることだぜ…あ、そういや」


 やめろって。言うな。聞くな、僕の耳。

 なんで声なんて拾うんだよ。どうでもいいだろ、他人なんて。

 今僕が聞きたいのは―――


「杏奈の彼氏クン、今バイトしてるんだっけ?ハハッ、こんなデート日和にご苦労様なこったな」



 杏奈の声、なんだ、から



「ぇ、ぁ……?」


「もー、今ユウくんの話するのやめてよ。白けちゃうじゃない」


「あー、わりぃわりぃ。余計なこと言ったわ。っつっても、杏奈ほど悪いことしてるわけじゃないけどな」


 どうして、僕の彼女の名前がコイツから出てくるんだ?

 女の子のほうも、なんでユウくんなんて言って…それは杏奈が、いつも僕を呼ぶときの愛称で…しかも、よく聞けばなんだか、声も、似て―――


「えー、なによそれ?」


「杏奈は彼氏がいない間にこうしてほかの男と遊ぶような悪い女だなっつってんの。」


 からかうように話す男の声にも、なんだか聞き覚えがある。

 いつもクラスで騒いでる、リア充男子のリーダー格の声に似ていた。


 確かそいつも拓也って呼ばれてたっけ。

なんでそんなことを、僕は今思い出してしまっているんだろうか。


「は、ぁ…はぁ…」


 気付けば息も荒くなっている。

 心臓もなんだかうるさいくらい脈打っていて、さっきまでの静かな興奮とはまるで違う状態だ。

 いつもの僕でないことは明白で、だけどその原因に心当たりなんて―――


「それは…でも、しょうがないじゃん」


 また、声が聞こえる。

 いい加減に口を閉じてくれないかな。

こっちはそれどころじゃないんだよ…!


 いっそ注意のひとつでもしてやろうかと、普段の僕なら絶対に考えないようなことを思いついてしまうあたり、まともな精神状態でないのは確かだった。

 本能はやめろと全力で止めてきていたのに、聞こえないフリをしてつい振り返ってしまったのだから。


「ちょっとそこの…」


「だって、拓也くんと一緒にいるほうが…」


 そして僕は見てしまったんだ。


 僕の彼女が僕以外の男と一緒に歩いている、その姿を。


「あん、な……?」



 そして、僕という彼氏を否定するように。



「ユウくんといるよりも、楽しいんだもの」



 隣を歩く男に微笑む杏奈の笑顔も、僕の瞳にハッキリと映し出されていた―――











「う、ぷ…」


 途端、襲ってきたのは吐き気だった。

 なんでとかどうしてとか、あれは杏奈じゃないという疑問や否定を全て置き去りにして、僕の体は目にした光景に対し、明確な拒絶反応を示していた。


「へへ、そうかよ。嬉しいこと言ってくれるな。それじゃあさ、予定を変更して、俺の家にでも―――」


 咄嗟に胃の内容物がこみ上げてきた口を手を押さえ、その場から駆け出すことができたことは、今思い返せば上出来だったと思う。

 まだ人通りの多い道端で吐いてしまっていたら、注目を浴びていたに違いない。

 そうなると杏奈にも見つかっていただろう。それを避けるために、意識せずとも身体が動いてくれたのだ。


「えー、仕方ないなぁ…それじゃ先にコンビニに寄って―――」


 きっと、彼女に嫌われたくないという想いが、頭で考えるより先に僕の身体を動かしたんだろう。

 その先の会話を絶対に聞きたくなかったという本音は、心の奥へと無理やりに押し込んだ。





「うげぇぇぇ…う、ぇ、ぇぇぇぇ…」


 そのまま近くの公園のトイレへと一目散に駆け込んだ僕は、ドアを閉めると同時に便器に向かって胃の中のものを全て吐き出していた。

 何度も何度もえづいては吐いて吐いて吐きまくって。


 気付けば流れていた涙も、薄汚れた白いセラミックと、吐瀉物で濁った水の中へと混ぜ込んだ。

 時折聞こえてくる靴音すら心に響かず、なにもかもをその場で流し込んでしまおうと、胃液しか出なくなっても、ひたすらなにかを吐き出していく。


「ぁ、ぁぁぁぁ……」


 なにも考えたくなかった。

 あそこで歩いていたのは本当に杏奈だったのかとか、見間違いだったんじゃないか。

 そう思い込もうとしても出来ないことは、もうわかってしまったからだ。

 こうして吐いてしまっていることそのものが、動かぬ証拠にほかならないのだから。


「げ、ぇぇぇ…うがぁぁ…」


 頭で誤魔化そうとしたところで、僕の身体はあそこにいたのは杏奈であると明確に告げている。

 現実を拒絶する頭と、否定したくても積み上げてきた年月が嘘をつけない身体がせめぎあい、その結果がこの有様だ。


 この記憶を消さない限り、僕は最愛の彼女が浮気をしていたという、心の底から信じたくない現実をこれから先正面から受け止めなくてはならないだろう。


「ぐ、ぅぅぅ…」


 そんなことに耐えられる自信はまるでなかった。今もまるで涙が止まらないんだ。

 意識せずとも溢れてくるそれは、自分の意思で制御するなんてできそうもない。

 何度目か覚えていないほど押し込んだ水洗レバーで綺麗になった水の中に映る僕の顔は、みっともなさすぎるほどぐしゃぐしゃだった。


「ぁぁぁぁ…」


 だから、今はなにも考えたくなかった。

 考えることを先延ばしすれば、そのぶんだけ楽になれるから。


「ぁ、…な…」


 彼女へのプレゼントを選ぶのに必死だった時間へと戻りたかった。

 ほんの数時間前のことなのに、今では遥か遠い昔のことのように思えてしまう。

 手持ちのお金との相談。杏奈に似合うかどうか、喜んでもらえるか。


 それを考えるのは大変だったけど、同時にとても嬉しくて。


 指輪選びに付き合ってくれた店員さんにも、彼女さんはきっと喜んでくれますよなんて背中を押してもらえて。


 最初は足を震わせながら入ったアクセサリーショップも、出るころには震えが止まってるどころか、逆に自信がついたくらいで。


 後は帰って部屋にプレゼントを隠した後、夜になるまで杏奈とゆっくり話をしながら、誕生日まで待ちわびるつもりだったのに…


「……んな…ぁぁぁ…」


 どうしてこんなことになったんだろう。

 あんな道を通って帰るんじゃなかった。大通りでなく、もっと早く帰れる近道を僕は知っていたのに。

 いや、そもそもの話、杏奈が、杏奈が浮気…浮気、なんて…


「がぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 それを考えた瞬間、僕はまた吐いた。

 もうなにも残ってなくて、胃の中はすっからかんになっているはずなのに、まだ出るのか。そんなどうでもいいことを、便器の水の向こう側にいる自分を見ながら考えた。


 汚い。汚い。汚い。

 今の僕は、すごく汚い。

ゲロにまみれた汚物そのもの。

人といえるかもわからない、どうしようもないやつがそこにいた。


「あん、なぁ…あんなぁぁぁ…」


 そんな男が、便座に上半身をのせ、こうして縋り付くように女の子の名前を呼ぶ様は、きっとひどく不気味に映るに違いなかった。

 こんなやつ、浮気されて他の男に取られても仕方ないという、明確すぎるほどハッキリとした説得力を伴う絵面だ。


 尊厳もなにもなく、ただひたすら惨めで哀れな人間。それが今の僕だった。




 ヴー…ヴー…



「ぅ、ぇ…?」


 なにもかもがぐちゃぐちゃになったなかで、聞こえてくる異音。

 それはスマホの振動音だ。ジャケットのポケットにいれていたそれが、今暴れるように震えている。

 無視しようかとも思ったけど、どんな形であろうと外部からの介入により少し冷静さを取り戻してしまった僕に、スマホを取らないという選択肢はもはやなかった。


「……だれ、だろ…」


 掠れた声で呟きながら、僕はポケットへと手を伸ばす。

 その手も汚れていたけど、もう今更だ。気合を入れるために新しく買ったジャケットもとっくに濁った染みが張り付いている。

 帰ったら捨てなくてはいけないだろう…8000円もしたんだけどな、これ。

 杏奈とのデートにも、着ていくつもりだったのに…


「……やめろ」


 ……くそ、また杏奈のことを…なんで考えちゃうんだよ。畜生…

 もはや苛立ちすら覚えることすら憔悴しているはずなのに、考えることは全て杏奈に直結している自分がどうしようもなく憎らしい。


 べたついた手を強引に突っ込み、スマホを取り出すのだが、勢いをつけすぎたからか、中に合ったもうひとつのものが同時に飛び出し、地面へ向かって落ちていく。


「あ……」


 それは綺麗に、そして丁寧に梱包されたケースだった。

 まるでスローモーションのようにゆっくりと落下していくそれを、僕はただ見ていることしかできず。


 数瞬もしないうちに、ケースは便所の床へとカツンと音を立て、転がり落ちた。


「…………はは」


 綺麗だったものが、また汚れた。


 大切だったものが、転がり落ちた。


 僕がやったんだ。


大切にしまっておくつもりだったのに。


ポケットに突っ込んでいたことにも気付かないで、落としてしまった。


 ちゃんと確認しておけば、落とさずにすんだのに……取りこぼさないで、手元に置いておけたはずだったのに……


「ハハッ、ハハハハハハッッ!!」


 気付けば僕は笑っていた。

 悔しさからなのか、あるいは自分を自分で嘲笑うことで自我を保とうとしているのか、それすらもう分からない。


 確かなのは、僕という人間の尊厳はさっき指輪を落とした瞬間、全て砕けてなくなってしまったということくらいだろう。


 大好きだった。僕は本当に、杏奈のことが心から大好きだった。

 だけど、彼女はそうじゃなかった。だけどそれもしょうがないことで。

 こんなマヌケで、どうしようもない男から他の男のところにいくなんて当たり前のことなんだ。


 それに気付くと、なんだか妙に頭がスッキリしてくる。

 あれだけ胸が痛んでいたのに、それも次第に溶けていくように収まっていくのはなんでだろう。

 心が壊れてしまったのかもしれないけど、この爽快感すら覚えるような気持ちの揺れの前では、全部どうでもいいことだった。


「く、くくく…あははは…」


 狂ったように泣き笑いながら、僕はスマホを覗き込む。

 そこには杏奈からの「バイト終わった?」という、短いメッセージがあった。


「はは…杏奈、心配してくれているのかな…」


 ほんとは拓也ってやつと一緒にいるほうが楽しいだろうに。

 本当にどこまでも優しい子だ。だから好きになったんだ。この子を好きになって良かったと、心から思えた。


「大丈夫だよ…もう終わって、これから帰るところだから…」


 震える手で、僕はメッセージを打ち込んでいく。

 心配かけさせちゃ悪いものな。そんなの彼氏失格だ。いや、そもそも僕って杏奈にとっては、もう彼氏じゃないんだろうか。一応まだ別れを切り出されていないはずだし、まだ恋人か。うん、そうだ。そうだった。


 そうして自分ひとり納得していると、次のメッセージが画面へと表示される。


 ―――そっか。じゃあ、帰ったら話さない?今日美味しいスイーツのお店見つけたんだよねー


「……それは」


 アイツと行った店なんだろうか。文字を打つ指が、ピタリと止まった。


 ―――それは良かったね。そうだ、杏奈の誕生日もうすぐだし、そのお店でお祝いするものありかも!


 だけど、それは一瞬のことだ。すぐに僕の指先は、新たな文章を打ち出していく。


 ―――あ、それいいかも!えへへ、ちゃんと誕生日、覚えてくれたんだね


 ―――もちろんだよ。毎年一緒にお祝いしてたじゃないか。忘れたの?


 ―――忘れるわけないよ。それに今年は、ユウくんと恋人になった初めての年になるしね!すっごく楽しみにしてたんだから!


 考えるな。考えるな。考えるなと、何度も何度も自分に言い聞かせながら、僕は彼女との会話を続けていった。


 ―――あはは。そっか、それなら僕もアルバイトこれまで頑張ってきた甲斐があったよ


 そうだ。頑張ってきた。杏奈のために頑張って、お金を貯めて……


 ―――…………え。ユウくん、もしかしてそのために……?


 だけどど杏奈は僕がなんでアルバイトをしてたのか、どうやら気付いていなかったらしい。


 ―――うん。実はそうなんだ。杏奈に喜んで欲しくて…あ、でもプレゼントの中身は内緒だよ。当日までのサプライズにしておきたいんだ


 でも、別にいい。ちょっと鈍いところがあるのは知ってたし。

 そのほうがサプライズになると思ってたから、むしろ魅力的なところだとすら思ってた。


 ―――ありがとう!すごく嬉しい!ユウくんからのプレゼント、楽しみにしてるから!


 ごめん、杏奈。君へのプレゼント、もう渡せないや。

 綺麗な杏奈に、こんな汚い便所に転がった指輪なんてあげれるはずないだろ。

 貰っても、きっと嬉しくないだろうしさ。


 ―――うん、楽しみにしてて


 思えば指輪を選んだのは失敗だったなぁ。

 冷静になった今ならわかるけど、高校生が貰うにはちょっと重いプレゼントだ。


 恋人になれたことで舞い上がりすぎてたんだな、僕は。

 とんだお花畑脳ってやつだ。こんな周りを見れない人間、そりゃ浮気もされるってものだよね。

 仕方ないってやつだよ、これじゃ。


 ―――それじゃ、また明日…


 ―――あ、待ってユウくん!


 大きくため息をつきながら、会話を打ち切ろうとしたところで杏奈から待ったがかかる。

 ……なんだろう。もう僕なんかに構わなくていいのに。僕に使う時間が、杏奈にはもったいないだろう。


 ―――えっと、ね。当日になったら、少し話したいことがあるの。ユウくんが私のために頑張ってくれてたなんて、私気付かなくて…


 話したいこと?ああ、それってもしかして…ああ、そういうことか。


 ―――あの、実は私……


 ―――わかった。じゃあその日になったら全部聞かせてもらうね。それじゃ、今度こそまた明日!


 全てを察した僕は、強引に話を打ち切ることにした。

 これから先のことは聞かなくてもわかることだし、必要ないと思ったのだ。

 返事を見ることなくポケットへスマホを突っ込むと、転がっていたケースを手に取り立ち上がった。


「別れようって、そういうことでしょ。大丈夫、わかってるから…」


 僕だって聞き分けが悪いほうじゃない。なにより大好きな杏奈が言うことには、これまで素直に聞き入れてきたと思ってる。

 今回もその延長線に過ぎないのだ。彼女の意図は察したし、むしろ杏奈が余計な罪悪感を抱え込まないよう、僕から別れの言葉を告げてあげよう。

 それが彼女にあげるものを全て失くした僕からあげられる、唯一のサプライズプレゼントだ。


「それならますます、これはもういらないな」


 僕は手に持ったケースを一瞥すると、トイレから出る際に洗面台の傍にあったゴミ箱へと指輪ごと投げ捨てた。


「……さよなら、そしてバイバイ」


 僕の初恋。大好きだった人。

 そして最初からいらなかった、僕に残ったちっぽけなプライド。


 その全てに別れを告げて、僕は公園の外へと歩き出す。


 今の僕には文字通り、もうなにも残されていなかった。




―――数年後、遠く離れた場所で暮らす僕のところまで、杏奈が結婚したという話が風の噂で流れてきたけど、それも今やどうでもいいことだった。

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― 新着の感想 ―
これを読むのは時間の無駄だ
この話、女性視点をちょっと読みたい。 後悔してるかなと。結末は変わらないけどね。
[一言] 彼女を許して浮気相手は裏で油かけて燃やして何食わぬ顔で彼女に会わなくちゃ
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