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異世界恋愛系(短編)

これからもあなたが幸せでありますように。

あとがき部分に、イラストがあります。

不要の方は画像表示機能をオフにしてください。

「本当にすまない。僕は、彼女と結婚しようと思う。君のことを大切に思っていなかったわけじゃない。けれど、どうしようもなく彼女に惹かれてしまった……」


 こうこうと月が輝く空の下、地面にひざまずく美丈夫。花束を差し出し、ただひたすらに赦しを乞う彼の姿を見て、私はそっとため息をつきました。小さな吐息は彼の元に届く前にかき消えてしまったというのに、彼はひどく慌てたように私を見つめます。こんな時間にこんな場所で、別れを告げるなんて本当にどうしようもない方だこと。


 まったく、何もかも今更です。私が気づいていなかったとお思いなのでしょうか。


 控えめに絡み合う視線に。

 偶然を装って触れ合う指先に。

 名残惜しそうに終わるダンスに。

 彼女に向かって発せられる声色に。

 少しずつ少なくなるあなたの(おとな)いに。


 気がついていなかったなら、どれだけ心静かにいられたことでしょう。


 つきりと、治まったはずの痛みがぶり返してきて私は思わずうつむきました。あの夜、この身体を貫いた刃の鋭さを、あの熱をいまだに忘れることができないなんて。世の中というのはなんとも理不尽なもの。彼から見えないことは承知の上で、そっと自身の傷痕を服の上からなぞってみます。


「尽くしてくれた君をないがしろにし、勝手なことを言う僕を許しておくれ」


 思いきり抱きしめられたはずが、何の温度も力強さも感じられず。彼の言葉は風のように私を通り過ぎていきます。静かにかぶりを振りました。私とて、わかってはいたことなのです。


 王族である彼の子を産むことができない人間が、彼の隣にしがみついてはいけません。いつまでも、私ごときが彼の心を縛ってはならないと理解していたのに、彼の手を手放すことができなかったのは己の愚かさと未熟さゆえ。彼の優しさが、涙が、あまりにも心地よくてついわがままを通してしまいました。


 子どもの頃から、あなたの側で過ごしてきました。それは私にとってあまりにも当たり前過ぎて、未来永劫変わらないものだと信じていたのです。恋という言葉さえ知らなかった、あの頃からの憧れが終わりを迎えました。ああ、まっさらでいとけないあの時代に、いっそ今すぐに戻れたらよいのに。


 右のてのひらで彼の頬に触れれば、彼はゆっくりと目をつぶりました。まるで、甘んじて打たれるために頬を差し出そうとでもいうかのよう。それが少しだけ悲しくて、静かに唇を押し当てます。あまりにも一方的で、にもかかわらず甘美な別れの口づけ。永遠にも思える時間に終止符を打ったのは、彼女が私を見つめていることに気がついたから。


 ――どうぞ彼を支え、この国を守ることをお許しください――


 小さく震える彼女のつぶやき。私と彼との逢瀬を邪魔したくはないのだと示すようにあくまで遠くから私を見つめる彼女は、やはり私が見込んだ通り素晴らしい女性でした。家柄こそ私には及ばなかったものの、彼の手配で後ろ楯を持つことになった彼女には、既に何の瑕疵(かし)もありません。


 そして彼女は近年でもまれに見る能力を持った聖女です。彼女の言葉ひとつで、私はこの場からあっさり追い出されるでしょう。力ずくで私を消し去ることさえ簡単にできたのに、彼女は決してそれを望まなかったのです。


 彼女は公平なひとでした。

 彼女は高潔なひとでした。

 彼女は清廉なひとでした。


 慈悲深く穏やかなあのひとに何より似合う女性だということは、初めてお会いした時からわかっていたのです。あの日彼女は、今日の彼と同じようにわたしの前にひざまずき、長々と頭を下げたのですから。私のことなど無視して、彼の隣を独り占めすることさえできたのに。


 彼が過去に囚われず、新しい未来を目指し歩み始めるのも、当然のことなのでしょう。そんな彼女を、愛妾という日陰者の地位に留めていてはいけません。


 私に遠慮して、彼の色をおおっぴらに身につけることさえしない彼女だからこそ。彼を守るためにも、この国を盛り立てていくためにも、彼女は彼の隣に胸を張って立たなければならないのです。そう、私のような過去の幻影はすでに用無しなのでした。


 彼が私に捧げてくれた豪奢(ごうしゃ)な花束から、夜風に混じって芳しい香りが立ちのぼってきます。色とりどりの薔薇の花は、彼が手ずから育てたものだったはず。これから彼は、彼女のために薔薇を捧げるのでしょうか。私に囁いてくれた愛を、花言葉を、同じように彼女に与えるのでしょうか。


 苦しい。そう思いました。

 憎たらしい。そう感じました。

 それでもそのもどかしさ以上に、彼には幸せになって欲しかったのです。闇深い道を歩く彼を、月明かりのようにそっと照らしてあげてほしかったのです。


 ――後悔していらっしゃいますか?――

 ――わたしをお恨みになりますか?――


 気遣わしげにこちらを見た彼女にそう問われたような気がして、私は小さく首を振りました。何度時を巻き戻しても、きっと私は彼を庇うでしょう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それ以外の選択肢はありえないのです。


 彼が私の目の前で死んでしまったら、きっと私は耐えられません。それならば、彼の中の良き思い出になる方がきっと幸福に違いないのです。優しい彼は、私のことを忘れはしないでしょう。そして私の存在は、長い時間とともにより美しい思い出として生まれ変わっていくのでしょうから。


 ――どうぞ、彼の隣にいてあげてください――


 私の声を耳にして、彼女が深々と(こうべ)を垂れました。


 私が産むことのできなかった彼の子どもたちを、彼女は幾人も産むのでしょう。月が満ちるようにその腹をゆっくりと丸くしていきながら。

 私が見ることのできなかった老いた彼を、彼女は慈しむのでしょう。手足の衰えも、皺の浮かんだ肌でさえ、すべて愛おしむに違いありません。

 私が過ごすことのできなかった彼との未来を、彼女は手を取り合って生きていくのでしょう。苦しみも喜びもわかち合うその道のりは、何よりも尊いものになるのです。


 胸を焦がすほどの羨望と、彼に保障された柔らかな未来への安堵。凍えそうな指先と、燃え上がりそうな胸の内。永遠に足を止めておいてほしい。早く前に進んでほしい。相反する感情は、ゆっくりと、けれど確実に穏やかなものに変わっていきました。それもまた、彼女の力だったのかもしれません。彼が選んだ女性が彼女であって、私は本当に幸福なのです。ええ、そうでなくてはならないのです。


 気の遠くなるような、あるいは(またた)きするほんのわずかな間ののち。ゆっくりと彼が立ち上がり、そのまま彼女に向かって歩き始めました。彼女がいたことに驚いた様子はありません。おそらく、事前に伝えていたのでしょう。ふたりの仲を認めてもらえるように、頭を下げてくるのだと。そして、私に別れを告げてくるのだと。こんな女のことなど、とっくの昔に捨て置いてしまっても良かったでしょうに。あのひとは、変なところで義理堅いのです。そんな不器用なところがあまりにも愛おしくて、また私は胸が痛くなりました。


 彼に抱きしめられていた私の墓石は、ほんのりと温かいような気がします。あの日からもうずいぶんと時間が経ってしまったというのに、苔むすことなく、花が絶えることのないこの場所は、確かに彼が私を大切にしてくれていた証なのです。


 彼のために生き、彼のために死ぬ。

 それは、はたから見れば主体性に欠けた惨めな女の人生だったのかもしれません。それでも、私はこう思うのです。あなたの幸せが、私の喜びだと。愛するひとを守ることができた私は、何よりも誰よりも幸福だったのだと。小さくまつげを震わせれば、両の瞳から落ちるはずのない温かな雫が溢れたような気がします。


 満天の星空から、いくつもの星が流れました。

 彼と彼女の門出を祝福するかのように。あるいは、寂しがりやの私を慰めるように。


 幼子のように、何度も彼らの幸福を祈りました。本当はこのまま永遠に見守りたかったけれど、それは自然の摂理に反する行いだから。もうこの辺りが潮時なのでしょう。


 ひとつ星が流れるたびに、私の身体から何かがあふれ出しました。はらはらと、砂がこぼれ落ちるように私の身体は薄くなります。消え去ることへの恐ろしさよりも、私が私であるがまま失われることへの安心感の方が大きいのは不思議なものですね。今この瞬間にいなくなることができたなら、私は決してひとりぼっちではなかったのだと、そう、思えるのです。


 ああ、誰よりもあなたのことを愛しています。

 どうぞお幸せに。

 願わくば夜空に月が輝き続ける限り、あなたの未来が明るいものでありますように。

挿絵(By みてみん)


管澤捻さま(http://mypage.syosetu.com/941595/)に描いていただきました。ありがとうございました。

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