だけど怖いのだ -リリ-
ごく自然に立ち去ったかのように見せかけて、先程居た場所とは別の路地に陣取り一息つく。
そんな時でも立ち尽くす妹の様子を伺うことは忘れない。冷たくしてしまって心が痛いから余計。血吐きそう。
雲間漂う気持ちを心の隅に押し込み、目の前の対処に注力する。
(さて、と。まず優先するのは怪我の治療だな。早く家を出たとはいえ進学式までの猶予はそこまで無い。汚れてしまった服の替えも用意してあげなくては。ついでに原因調査と馬車の片付けも頼んでおくか……)
人生に一度の晴れ舞台なのだ。今日はファナと共に早くから念入りに準備をしていたことも知っている。
そんな希望に満ちたその気持ちを、こんなことで不意にする訳にはいかない!
方針を決めたならば、とにかく速やかに行動に移す。
なのでまずは誰も居ない空間に向かって声を掛ける。決して目には見えない何かが見えている訳では無い。
「キニャ」
「は~~~~~~い」
その声に果たして、返事はあった。それと同時に何かが上空から降ってくる。
視界に入り込んできたのは、やや小さな人影。
丈長の無地黒ワンピース。その上からフリルで軽く飾り付けられた白いエプロンを身に付け、頭上にヒラヒラな純白のカチューシャを乗せた、小柄な少女。
そして、ピンと伸びた背筋を直角に折り畳み、丁重に一礼。
「お呼びでしょうか、リーネリーシェお嬢様」
驚きは無かった。まぁ自分で呼んだのだから。
それよりも何よりも最初に抱いたのは、呆れと少しの苛つき。
口元にほんのり浮かべた微笑が、いかにも釈に触る。あれはふふふ決まった格好良いでしょ〜私!とか考えてる表情だ。
そんなキャラじゃない癖に、ついうっかりあの馬車のように蹴っ飛ばしてやりたくなるのをぐっと抑える。
握り拳で軽く頬を撫でる位なら問題無いか?と考え始めた所で、それどころでは無いことを思い出す。
(こいつのおふざけに構っている場合では無かったな)
危うくこいつのペースに嵌りそうだった所を、気を取り直して本来の要件を伝える。
「リディを医者の所へ。それから着替えの用意をして至急合流するようファナに伝えろ。ついでに、衛兵共にゴミ山の掃除と馬車の持ち主を締め上げておくよう伝えておけ」
「かしこまりました~」
先程の登場なんて何も無かったかのように、普段通りの態度だった。泰然としたその様子に、苛つきが再び湧いてきた。
いや、普段通りとは少し違うか。常日頃から四六時中あのニヤケ面を携えているキニャだったが、今日は一味違う。
普段のそれに比して、からかいの成分が三割増しだ。
「いや〜、破竹の勢いで飛び出していったかと思ったら、お馬さんを両手に抱えながら、荷台をズッドーンですからね。わぁ〜って驚いちゃいましたよ私〜」
「今更何を言ってる。あの位、お前にだって出来ただろう」
「や〜、私にはああいうのはちょっと……。箸より重い物は持てないか弱い女の子ですから!」
「何が女の子だ。百歩譲っても箸なんぞ持つより軽く人を吊し上げられるような奴がか弱いなどと良く言えたな」
「いや〜〜こわい〜〜。そんな恐ろしい人がいるんじゃ迂闊に外も歩けませんね〜」
「どの口が言うんだか。そんなことよりさっさと動け」
「は〜い。にしても~、リリお嬢様は相変わらず素直じゃないですね~。リディお嬢様が心配で仕方が無いのに素っ気ない振りしちゃって~」
「やかましい」
こいつも一応は侍女だというのに相変わらず口が減らない。が、それを気にする程こちらは繊細な乙女でも横柄な貴族様でもなかった。
それに表面こそこんなだが仕事は出来るし、何だかんだON/OFFの切り替えはしっかりとしていて気遣いも出来る。
私が無愛想ではあるものの、別段人付き合いが嫌いということも気付いていてやっている。
雇用上の上下関係こそあるが、実際は気兼ねの無い友と言った方が近いだろう。普段心の内に隠してばかりいるものを発散させてくれるキニャのことは信頼していた。
……そんなことを言ったら調子に乗って小一時間は口火が治まらないだろうことは火を見るより明らかなので、本人には決して言わないが。
調子に乗られるのもむかつくので、一層険しい表情でもって言葉を返す。
「振りをしているわけではない。出来ないだけだ」
知っているだろうに、と非難の意思を込めて睨みつけてやる。このやり取りは一体何度目だと。
一方、睨みつけられた方は全く意に介していないようだ。
「そんなこと言って~~。とっくに出来るんですから、素直に可愛い好きだ愛してる~!って言って抱きしめて仲直りしちゃえばいいんですよ~」
「今更出来るわけないだろう」
「え〜〜〜、今までゴメンね本当はずっとこうしたかったんだギュッ!って感じですよ簡単じゃぁないですか〜。リディ様なんて、感激して思わず気を失っちゃう位喜ぶに決まってますよ〜!」
「気を失ったら駄目だろうが……」
その惚けた面をぶん殴ったら目覚ましい爽快感を味わえるだろうなという考えが三度頭をよぎり、思わず拳を強く握り込んでしまう。
(いかん、またもこいつのペースに乗るとこだった)
いや、別に一発ぶち込みたくなるのはいつものことだし決してやぶさかでは無かったが、余り意味が無いというのが正直な所だ。
のらりくらりと、あらゆる意味で躱されるのがオチだから。
「それよりさっさと行ってこい」
「はいは~い、かしこまりましたリーネリーシェお嬢様〜。仰せのままに~」
それが素直じゃないってことですよ~、と言いながらリディの元へ向かうキニャ。
瞬く間にリディの前へその身を移し、いつもの調子で軽口を叩き始めたのが見なくても分かる。そこまで確認して肩を下ろし、深く溜息を吐く。
キニャの方が正しい。それは私にだって分かっている。私が既に意味の無い誓いに縛られていることも。
ただ、それでも出来ないものは出来ないのだ。あの頃とは違う。それは分かっている。
だけど怖いのだ。
妹を、自分のこの手が傷付けてしまうと思うと。
それに……。
(妹が可愛すぎて……面と向かってお姉様嫌い!とか言われたら余りのショックに心臓止まって死んでしまう!)
キニャにお姫様抱っこされてその場を離れていくリディを脊髄反射でカメラに収めながら、今まで何百と繰り返してきたように深く、深く溜息を吐くリリであった。
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