第五話「ちょっとした回想録」
健太郎とゲームをし、昼前まで彼の家にお邪魔をして、昼飯を食いに一度家に戻り、午後には健太郎と適当に店巡りをして、その日の暇を潰した。先日の春休みよりかは随分と充実していたほうだろう。
ここ最近の俺は、滅多に家から出ずに春休みを満喫していたので、今日の外出で俺は久々に娑婆の空気を味わったことになる。特に美味い空気というわけでもなかったが、久方ぶりの外の空気は決して悪くはなかった。馬鹿な健太郎もいたからな。
今日の健太郎は中々にはしゃいでくれた。
健太郎と格闘ゲームをプレイ中に奴が不利になると、いきなり奇声を発して俺を驚かせて油断させたり。午後の店巡りでは本屋に向かい、ライトノベルを約五千円分も買い占めたり。結局、手持ちの金では一冊分買えなくなり、俺に金を貸してくれるよう頼んだりと、健太郎らしさが滲み出ていた一日だった。
健太郎の馬鹿さ加減には本当に辟易する。が、その馬鹿さ加減が健太郎が健太郎たる所以であるといえる。
とにかく、今日一日は疲れる日だったというわけだ。
今日は健太郎の馬鹿に付き合った所為か、妙に体がだるい。こんな気持ちの悪い時は、さっさと風呂にでも入って布団にダイブするに限るね。
特に珍しいことが起きたわけでもない普通な今日の春休みは、残り数時間で終わろうとしている。相変わらず平平凡凡な一日だったが、今日は健太郎と暇を潰せたので幾分かマシな気持ちだ。このマシな気持ちが残りの春休みでも味わえればいいのだが。
繰り返すが、今日一日も数時間で終わりを迎えようとしている。結構楽しかった今日一日が終ってしまうことに、若干の名残惜しさを感じるが、まあ、仕方のないことだろう。
今日はさっさと風呂に入って飯食って、とっとと布団に潜っちまおう。今日という日の余韻を感じながら眠りに就けば、明日の寝起きは少しは爽やかな気分で目覚められるだろうから。
けれど、その爽やかな気分すらも忘れてしまう日が、すぐ目の前にあるであろうことを考えると、楽しいと感じたこの日も台無しになっちまうのだろうな・・。
とか何とか考えてたのは、かれこれ四時間ほど前の午後六時頃のことだ。
その時間帯はちょうど夕飯を食っていた時間で、俺は黙々と飯を咀嚼しながらそんなことを考えていたのである。その時は普通に、あっけなく一日が終わるのだろうと俺は信じて疑わなかった。いや、結果的にはこの一日は特に何も無く終わったことには違いない。正確には、何かあったのはこの日の数日後のことになる。
その何かというのは、別に天変地異のような出来事が起きたとかそういう事ではなく、ある意味では些細な出来事といってもいい。けれど、その些細な出来事で俺が心の底から楽しい気持ちになる事になるとは、正直予想外だった。
今思えばあの出来事が、俺の心持が少しは変わることができた原因なのかもしれないな。
もう一度言うが、その出来事はきっと些細なことだ。その出来事とやらで俺の身内から、あるいは俺が国民的な有名人になったわけでもない。だが、その出来事のお蔭で楽しめたことと、俺の心が少しは温かなものになれた気がするのは、たぶん気のせいではない。
その時を振り返ると、俺はけっこう感謝しているのだと思う。その出来事に、その出来事に関わった人たちに。
人の心持が良い方に変わるのは、きっと、心のこもった少しの喜びでいいのかもしれない。それだけで少しは良いほうに変われる。俺はその出来事を境にそう思うようになった。そして、そんな気持ちを与えてくれたのが『あいつら』なのだ。
その出来事に誘ってくれた健太郎には、不覚ではあるが感謝している。俺の記憶に、良き思い出として認知されているその日に導いてくれたのが、他ならぬ健太郎なわけだからな。
いや。導いた、というのは少し大げさかもしれない。何せあいつはきっかけを俺に与えてくれただけだからな。
そのきっかけというのは、健太郎からの一通の電子メールだった。
そうそう、その日に中々綺麗な景色を見ることができたということも言っておこうか。