第九話「優斗とミクミクと馬の骨とバカ女」
人を嵌めるのがここまで気持ちの良かったことはない。
「いったいこれは何の拷問なのかなぁ……優斗クン」
目の前にいる健太郎が我に返って最初に口にした言葉がそれだった。
憎悪がたっぷりこもった視線すら、今の俺には心地がいい。
そんな心地よさと優越感が体全体で感じられる頃には、俺の頭は周りの状況に対してかなり鈍くなっていた。そんな状態の俺は健太郎の言葉に毛ほどの興味も抱いていなかっただろう。
「なんで、この女が…」
健太郎がトーンをとても低くした声で何やら喋っている。その低い声はドスが利いていて、なかなかの迫力だ。
健太郎がここまでキレている理由。その理由なんぞ、今の俺には道行く蟻の行方を見守るくらいにどうでも良い事だ。
現在、俺の自室には四人の普通な人間が集まっている。まず、健太郎の視線を華麗に受け流している俺様こと御厨優斗。生意気の縮図であり俺の妹でもある美紅。般若のごとき険しい表情で俺を睨み続けるバカヤロウ日本代表の佐竹健太郎。そして、美紅が淹れてきた茶を行儀よく正座しながら飲んでいる健太郎の天敵、滝本まおな。以上の面子が俺の部屋に集まっている。
「落ち着きなさいよ、佐竹。少しは私の落ち着きぶりを見習いなさい」
落ち着いた調子で滝本が言った。
「ちっ……生意気な……」
健太郎は言って、唾を吐くような動作を行った。
「そんなことより健太郎。あなた少し太ったんじゃない? 少し見ない間にこんなだらしないお腹になっちゃって……」
呆れ口調になった滝本は健太郎の体を、主に腹のあたりをじっとりとした目つきで睨んだ。随分と忌わしそうな目で健太郎の腹を見ている。
「もちもちぽんぽん……」
美紅が奇妙な単語を小声で発した。
「そうだぞ健太郎。お前少し前まではこんなデブじゃなかったはずだが」
「うるせぇ! そんなことより何でここに滝本がいるんだよ!」
健太郎がビッと指さした先には滝本だ。当の滝本は鬱陶しそうに健太郎の指先を睨んでいる。
「この俺様を見事策に嵌めやがって……軍師気取りかコノヤロー!」
健太郎のやかましさに俺の頭もどんどんと覚醒してきてしまったようだ。あまりのやかましさに俺も滝本同様、健太郎を見る顔が鬱陶しいそれに変わっていく。
「テメェは片倉景綱か? 山本勘助か? それとも諸葛亮かコノヤロー!」
そんな歴史上の有名軍師たちの名を連呼されても俺は何のご褒美もあげねぇぞ健太郎。
健太郎があまりにもうるさく吠えやがるので、俺は健太郎に、滝本がこの御厨家にたどり着いた経緯を順を追って説明してやった。
「ちっ! 岩吉の野郎……余計なことを……」
流石に知らない奴からメールが来たときはちょっとビックリした。
先ほどパソコンに送られてきたメールの送り主は、やはり滝本からだった。何故この女が俺んちのパソコンのメールアドレスを知っていたのか甚だ疑問だったのを先程彼女に問うてみたところ、岩吉から聞いた、との事らしい。
その事について更に彼女に聞いてみると、どうやら彼女は卒業記念の打ち上げなる企画の主催者であること。クラスメートである俺を誘おうとするも、俺のメールアドレスが分からなかったこと。そこで、俺とそれなりに懇意に接していた岩吉の存在を思い出し、彼の家に今朝わざわざ電話をかけ、岩吉本人から俺のメールアドレスを聞きだしたことなどを聞いた。そして聞きだしたメールアドレスでこちらのパソコンに、卒業記念打ち上げパーティーの旨を記したメールを送り……後は俺が健太郎を嵌めてやっただけのことだ。
「岩吉……覚えてろよ」
それら一連の事柄を健太郎に説明してやった時の彼の反応がこれだ。数日後には岩吉は冷たくなった体で発見されるのではなかろうか。
「まあ、そういう事よ佐竹。あんたの日頃の行いのせいだと思っておきなさい」
「ッ……クッソオオオオオオォォォォ!」
「健太郎うるさい」
美紅が手で耳に栓をしながら、鬱陶しそうに言う。
「うるさいわね佐竹。少しは近所迷惑を考えなさい」
「まるでさっきの近所迷惑野郎みたい」
美紅の言った「近所迷惑野郎」とは、一瞬俺のことを言っているのかと思ったが、そういえばさっきも遠くからデカイ声が聞こえてきたことを思い出した。
「あん? 近所迷惑野郎?」
「そう。今の佐竹みたいなデカイ声を出した奴がいてね……」
あの声はさぞかしいい近所迷惑になったことだろう。この家から割と距離が開いていただろう場所だというのに、叫んだセリフも聞く気になれば聞き取れたほどの大声だ。
「……そいつ、なんて叫んでた?」
「高笑いの後にザマーミローって聞こえたけど」
健太郎の質問に美紅が答えた。どこの馬の骨とも知れんやつの叫び声をよく聞いていたものだな、美紅よ。
「……………」
健太郎が何故か押し黙った。
「あの声はマジでうるさかったなぁ。健太郎は聞こえなかったのか?」
「……いや、聞こえなかったも何も……その叫び声……俺だし」
「……」
「……」
「……」
こんな馬の骨をのこのこと我が家に入れてしまったのは、俺の人生最大の汚点の一つかもしれない……。
「こんな馬の骨をのこのこと我が家に入れてしまったのは、俺の人生最大の汚点の一つかもしれない……」
思っていたことをそのまま口に出してしまったらしい。
「あん? 馬? ……ヒヒィ〜〜ン」
「……」
「……」
「……」
健太郎の電話の件でも思ったことだが、今度は口に出して言わせてもらおう。
「お前の馬鹿は死んでも治らねぇよ……」
「さて、そろそろ本題に入りましょうか」
俺たち四人のグダグダな雑談会もそこそこに、滝本が口を開いた。
「明日の打ち上げの件だけど、私たちを含め、とりあえず十人程の参加が確認されてるわ」
十人といったら、俺らのクラスの大体三分の一ぐらいの人数になる。なかなか頑張ったな滝本。
「それにしても今更の打ち上げだわなぁ〜。ここまで本格的にやるつもりだったなら卒業式前にちゃんと計画して、卒業式の後にみんな誘って食いにでも遊びにでも行けば良かったのによぉ」
健太郎のその意見には同意したい部分がある。確かに卒業記念の打ち上げをやるなら少々タイミングがずれている気がしないでもない。俺たちが学校を卒業したのは既に三週間前のことだ。やはり時外れを感じずにはいられない。
「別に。ただクラスの誰も打ち上げの話を持ってこないから、私がその主催者に仕方なくなってやろうってだけの事よ」
彼女も時外れという考えは一応持っていると思っておこう。それにしても、誰も打ち上げについて話を盛り上げなかったなら、今になってわざわざやることもなかろうに。全国各地の中学を卒業した十五歳たちが、必ず卒業記念パーティーを開くものだと勘違いしてるのかね? この女は。
「……」
美紅の奴は、話の流れ的に自分とは無関係を悟ったのか、自分の部屋から取り出してきた携帯ゲーム機でゲームに興じている。
「とにかく、明日は各自必要な分のお金は持ってくること。集合場所は九時半に学校よ」
「お前もしかして、それだけを伝えるために俺の家に来ようとしたとか?」
「え――――そうよ……」
「ハァ……俺はそんなことから逃れるために、優斗に見苦しい態度をとってまでこの家に避難してきたってのか?」
あの健太郎の醜い態度は、思い出しただけで反吐がでるほど見事なヘタレ役だった。
「分かったよ滝本、明日は俺も参加するから」
「……うん……」
どうせ明日の俺は暇だ。気晴らしに打ち上げに参加してやるくらいどうってことないだろう。
「?…なんか元気ねえな滝本」
突然健太郎がそんな事を言った。健太郎が放ったその言葉に、俺は滝本の姿を目に捉えてみるが、体調が悪いようにも見えない。
「……別に……」
「?」
返ってきた滝本の生返事が合図だったかのように、この部屋に少しの沈黙が訪れた。このいきなり現れた謎の静寂に違和感を感じはしたが、美紅のプレイしているゲームの効果音とBGMが、この沈黙の中を華麗に舞っていることに気づいた時には、そんな違和感などもうどうでもよくなっていた。
結局その後、俺たちの集会はあっけなく終わった。滝本からの打ち上げに関する連絡の諸々を聞き遂げた俺と健太郎に「それじゃ、私は帰るわね。また明日」と、滝本が言ったのが切っ掛けだった。いきなりのあっさりとしたまた明日発言に違和感を感じた俺だが、さっきの健太郎が言っていた彼女に対する元気ねえな発言が図星だったのかもと解釈し、本当に具合が悪いのかもしれない彼女を気遣って、とりあえず俺は、もう帰るのか? せっかく来たんだからゆっくりしていけばいいのに発言を慎むことにした。
「おいミクミク! そのゲーム俺にもやらせろよ」
「や〜だよ〜」
ちなみに、滝本が去ってから二十分ほどが経過した現在の時刻は、午後一時三十分前。自宅に帰るにはまだ早い時間だと思ったのであろう健太郎は、今も俺の部屋から出ていく気配はない。
「おお、すげぇ。頭に一発で命中……」
「こんくらい慣れれば余裕だって」
「なぁミクミク〜、俺にもやらして〜。お願い」
「やらせてほしけりゃ、今私が欲しいゲームソフトを三枚買ってきな」
「あんた鬼ですね」
美紅と遊び始めた健太郎は、美紅のプレイしている有名な某ステルスアクションゲームの虜になってしまったらしい。しつこく美紅の手からゲーム機を取り上げようとしている。
何となく蚊帳の外にいるような気がしてならなくなった俺は、暇を感じたので健太郎に声をかけることにした。
「なあ健太郎、お前明日行くのか?」
行くのかというのは勿論、卒業記念の宴の事。
「あん? 俺は行くけど」
予想通りの答え。
「優斗も行くんだろ?」
「ん……まあ、行くけど」
何となく俺が仕掛けた会話はここで途切れた。再び俺は暇になる。
こうなったらさっきの健太郎の話でもして悦に入ろうかとも思うが、そんな事をしたら健太郎の怒鳴り声がマシンガンの弾の如く飛来してウザいことこの上ないだろうからやめておこう。
「ミクミクぅ〜、いい加減俺にもやらしてくれよ〜」
「……ハァ〜。分かった分かった。貸してあげる」
健太郎の猛攻についに白旗を揚げた美紅が、ゲーム機を健太郎に手渡す。
しつこい努力の末に娯楽を手に入れた健太郎を横目に、俺は自分の勉強机の上にあるパソコンを起動させた。あまりに暇を持て余している俺は、パソコンが完全に立ち上がったのを確認すると、さっさとネットサーフィンでも楽しむことにした。
それを楽しむ前に一応メールの方を確認してみると、新着メールが一通届いている。ついさっき届いたばかりのメールのようだ。さっきの滝本のメールのように見知らぬメールアドレスではなかった。
送り主は……岩吉だった……。
【ごめん! 滝本にお前のメールアドレス教えちゃった(笑)】
メールにはそう書かれていた。こいつはもう少し謝り方を学ぶべきだと思う。何が(笑)だ。この馬鹿タレ野郎が。
『お前、明日打ち上げあるの知ってるよな? 行くの?』
そう書いて返信。
【滝本が主催のだろ? 俺はいくぜぃ!】
岩吉の返事メール受信。
『それにしてもクラスの半分ぐらいが来るって本当かよ』
【さあね。もしかして来るのは俺らだけだったりして(笑)】
『そんなことより人のメールアドレスを勝手に教えるな馬鹿が』
【ごめんね。怒らないでよ(泣)】
『まあ、今日は気分がけっこう良いし大目に見てやるから、今度は気をつけろ』
【おっけ〜。注意しま〜す】
『そうそう。お前に忠告しておきたいことが一つあるんだけどな……』
【何?】
『――――――――――――――――――――――――――――――――――――――殺されるなよ?』
【………………誰に?】
「おらおらおらおらああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
美紅にゲームを貸してもらった健太郎は、ゲームのやかましい効果音に感化されたかのように元気良く吠えていた。
部屋にある時計を確認すれば、時刻は夕方の五時前。
健太郎もさすがに遊ぶネタが尽きたのだろう。今から三十分前にはこの家を後にしていた。
そのまま部屋に残っていた俺と美紅は、暫くの間部屋で怠惰に過ごしていたが、そんな美紅もいつの間にか下の居間の方にまで姿を消していた。
やはり退屈のまま時間を無為に過ごしていた俺は、ある些細な疑問を覚えて滝本にメールを送ることにした。今日手に入れたばかりのメルアドをアドレスブックから引っ張り出して滝本にメールを送信する。
『打ち上げの件だけど、どうしてわざわざメールで伝えようとしたの? 電話でも良かったのに』
本当に些細な疑問ではあるが、今の俺はそんな些細すら暇潰しになってしまう人間であることをどうか理解していただきたい。
さて、数分経って送られてきた彼女のメールの内容はこうだった
滝本が俺を打ち上げの件に誘おうと発案したのは、今日の朝起きてすぐのことであるらしく、そう思い立つも俺へのメールアドレスを存じない滝本は朝が早いにもかかわらず、すぐさま岩吉の家へ電話する。そして岩吉本人から俺のメルアドを聞きだした。ここはさっき直接滝本から聞いた通りだな。
で、俺に電話ではなくメールで今回の件を伝えようとした理由。
【朝が早いし、まだあなたが寝てると思ったから。電話のせいで起こされるのも嫌でしょ?】
滝本の殊勝な心がけには感謝したい。結局、俺は何処ぞの馬の骨のせいで無理やり起こされる結果にはなったが。まったく……何処ぞの馬の骨も見習ってほしい殊勝な心がけだ。ついでに美紅もこの心がけを見習ってほしい。そもそも今朝の俺の不機嫌の原因は、美紅の大声のせいなんじゃないのか?
まあ、俺の疑問も晴れたことだし、そんなことはもうどうでもいいか。
俺はパソコンをシャットダウンした。
ふと明日の事を考える俺。明日の打ち上げで少しは楽しめればいいものだ。健太郎がいろいろと騒ぐのはこりゃ確定事項だな。クラスの誰が来るのだろうか。
そんな事をボ〜っと考えていると、階下から仕事から帰ってきたお袋の「ただいま〜」という声がした。
さて、お袋への労いに肩でも揉んでやるか。美紅と一緒に料理を作ってやるのもいいだろう。
思いつくぐらいのお袋への待遇を頭に浮かべながら、俺は階下に向かう。
一階に降りた俺は、案の定疲れた顔をしたお袋に、おかえりと言ってやった。