赤い光
山は頂上に差し掛かるにつれてどんどんと曲がりくねって来た。まっすぐ前を見つめて進んでいるはずなのに、どこまで歩いても同じ道を繰り返しているような気がする。
木が同じだからだろうか? しかし、道は変わらず登り坂なのだ。周回しているだけなら、必ずどこかで下る道がなくてはいけない。きっとこれは螺旋状になっているのだ。
もしかしたらこのまま森の中に閉じ込められてしまうのかもしれないという思いは自然と湧きあがってはいた。マンションの時のように。同じことが起こらない保証なんてどこにもない。
でも、その時はまた走って抜け出せばいい。怖くなんてない。
後ろからまた何かの唸る声が聞こえてくる。
その声はいつ発せられた者なのかはわからない。もしかしたら、ずっと昔に出したはずの声が、今も消えずに残っているのかもしれない。そう思うと急に悲しくなった。僕はもうその声と向き合う資格なんてないのだ。
山の延々と続いていく山を歩くうちに、家を出てからの出来事が思い出されてくる。どれもついさっきの出来事のようだ。不思議な光に導かれて、歪んだ空間を抜け出し、遠吠えを聞き、そして、この山を上りはじめた。
実際、本当についさっきの出来事なのだろう。なんせ時間は止まっているのだから。この無限の時間のなかで僕は一歩ずつ前に進んでいる……。
ほんとうに僕は前に進んでいるのだろうか?
僕はここまで何をしてきたのだろう? 閉じ込められそうになった廊下から逃げ出し、聞こえてくる声から目を背けてきただけではないか。その中で一体僕は何を手にした?
――何もない。
ここにあるのは破れたジーンズと傷だらけの体になった僕だけだ。無力で実は臆病な僕の体だけだ。
足が再び重くなる。この山の中を抜け出してしまいたい衝動が胸の奥から湧き上がって来た。でも抜け出してどこに行くのかはわからなかった。
実際、あの時廊下を抜け出していなかったら、僕はどこにいたのだろう? 交差点で聞こえてくる鳴き声に耳を傾けていたら、僕は何と出会っていたのだろう?
この世界で僕はまだ何も残してない。ただ愉快な迷い人としてこの道をさまよっているだけなのだ。
「……やっぱり進もう」
僕は自分の頬を何度か叩いた。目の前をしっかっりと見つめる。道は変わらない。まっすぐなのに曲がりくねっている、謎を抱えた一本道だ。この道をしっかり歩かなければ、目的地にはたどり着けない。これは僕にとっての冒険なんだ。足をしっかりと振り上げて地面を踏む。もう足は重くない。僕の意志と共にしっかりと地面をけりつけ、僕を前に進ませる。
登り坂はまだまだ続く。でも、今度は登るたびに光が強くなってくるのを感じた。目的地はもうすぐなのだ。どこまでも繰り返される山の道を、今度はしっかりと見つめながら僕は歩き続けた。
そうして同じ光景を5回くらい見た後、ついに僕は頂上にたどり着いた。いつも遊び場にしていた山の広場だ。なにかがあるわけではないが、遊び場として心を踊らせるなにかがある。そんな空間だ。
広場全体が赤い光で包まれていた。僕をここまで誘った謎の光が一面に広がっている。
いったいこの光はどこからきているのだろう? 広場の中を歩き回りながら光の出所を探す。光は広場の中をまんべんなく照らしているようで、所々にムラがあった。きっとどこかに光源があるはずなのだ。
きっとその光源が僕をここに誘った。僕をこの世界に連れてきたのもきっとそいつだろう。僕はそいつと出会わなければいけないのだ。
広場全体を歩き回っても光源は姿を現さない。そんなものははじめからないとでも言ってあざ笑おうとしているのではないか。
――面白い
ここまで来たら最後まで付き合う覚悟はできている。この世界に誘われた意味、たとえそれが何者かの気まぐれだとしても、その意味を僕は見つけ出すのだ。そして、きっとこれは気まぐれなんかではない。ここまでの歩みを振り返りながら、ぼくには確かにそう言いきれた。
広場を何度か歩き回っているうちに、僕はあることに気が付いた。光のムラのある箇所がさっきとは変わっているのだ。広場の中心に立ってみる。明暗の位置がやはり変わっている。この光は動いている……しかもとても大きな流れと共に……。僕は空を見上げた。それ以外にもう考えられる選択肢はなかった。
空は赤く染まっている。いや、空が赤い訳ではない、なにかの存在を通過して月の光が赤くなって入ってきているのだ。
赤いなにかは月の光を浴びながら自らを赤く照らしていた。純色の赤に染まっているそれはきつい色でありながら、僕の存在を優しく包み込んでくれていた。
しばらくそいつのことを眺めてみる。一度見てしまうと、目が離せなくなる何かがそれにはあった。懐かしいような、親しみ深いような。僕の失っていた何かがそこにはあるような気がした。
赤いそれは僕の視線に気が付いたようだ。ゆっくりと回転していた動きを止めてしまう。きっとどこかに目があるのだろう。僕もそいつの視線を感じる。目があっているはずなので、軽くお辞儀をしてみる。特に反応はない。
やがて、赤いそれはゆっくりと広場に向かって降下し始めた。頂上を覆っていた形を変えないまま、ゆっくりと僕のもとに下りてくる。
このままだときっと飲み込まれてしまうだろう。そのような予感が僕の中にもあった。でも、僕は動こうとは思わなかった。こいつと出会うために僕はここまで来たんだ。ここで逃げていたって何も始まらない。赤いそれは僕の頭上すれすれまでやって来た。僕は間近で微笑みかける。
「ようこそ」
赤いそれに包まれていく。怖さはなかった。
この世界には僕が失ったものがある。きっとこれもその一部なのだろう。それならば何も怖いものなんてあるはずがない。視界が赤く染まっていく。それと共に視界は狭まっていく。このままどこへ向かっていくのだろう。落ち着いてそんなことを考えながら僕は深い闇の中へ包まれようとしていた。
秋の夜は長かった。でも、そんな夜ももうすぐ終わる……。