第2話「白き聖女」
ソフィーティア・エス・アルカディア ── 歳は十九歳ながら、このルスラン帝国の国教であるシルフィート教の最高責任者である大司教を務めているが、民衆からは白き聖女ソフィの名で呼ばれることが多い。
この若さで大司教になれたのは、先代大司教である彼女の祖父が後継者に彼女を指名したことと、奇跡とまで言われる類稀なる治癒術の才能が、シルフィート教の信者が奉っている慈愛の女神シルの化身とされ、教会上層部にとっても信者を御するのに都合がよかったことが挙げられる。
しかし、その力は彼女自身を信仰対象にまで高めてしまう結果になった。そのため皇帝の言葉より、ソフィの言葉を信じる貴族などが現れるようになり、その予想外の人気に危機感を持った皇帝と司教たちは『聖女巡礼団』を設立し、彼女を帝都から追い出したのである。
彼女に同行を命じられたイサラ司祭とシスターマリアは、聖女を追放した教会の決定に怒りを覚えたが、当の本人はあまり細かいことを気にするタイプではなく、神殿の奥に囲われて傲慢な貴族たちを相手にするより、困っている無辜の民を助けるほうがよほど良いと考えていた。
そんな聖女が、困っている人々を助けるべく一人で走っている。
身体強化の法術を使用して常人を超える速度で走っており、受ける風でベールが吹き飛ばされそうになるのを左手で押さえていた。そして矢のように流れる風景を見ながら、祈るように呟く。
「お願い……間に合って」
そんな彼女が右手に装着しているのが、ガントレット:レリック。シルフィート教の大聖堂に眠っていた神器で、彼女からは「レリ君」と呼ばれている。そこから伸びている鎖が、彼女が進むべく方向を示していた。
その祈りに応じるように鎖が森を示すと、ソフィは頷いて進行方向を変える。
「わかった、あっちね!」
森に入ると陽もだいぶ傾いており、すでに暗闇に覆われていた。身体強化の法術を解いているため、ガントレットから放たれる光を頼りに辺りを探る。
「この森のどこかにいるみたいだけど……」
ソフィがそう呟くと、再び鎖が動き出して進むべく道を示してくれる。鎖が示した方は山に続く緩やかな上り坂だった。木々は鬱蒼と茂り風に揺れてガサガサという音が、不気味な雰囲気を漂わせている。
「聖女の力は、困っている人のために……」
ソフィはかつて祖父に言われ、彼女の行動原理になっている言葉を口ずさむと、意を決したように坂道を登りはじめた。
しばらくして、薄ぼんやりと焚き火の灯りと共に声が聞こえてくる。ソフィは立ち止まり、木に身を隠して声が聞こえてきた方を窺うことにした。
◇◇◆◇◇
焚き火を囲って六人の男たちが、酒を煽って騒いでいる。男たちは不揃いな革鎧などを着ており、側には槍や剣などが置かれている。その風貌はいかにも傭兵くずれの野盗といった様子だった。
「がっはははは、ちょろい仕事だったぜ」
「戦場で命がけで戦うより、村を襲うほうが遥かに儲かるしなぁ」
どうやら彼らが村を襲った野盗で間違いがないようだった。彼らは奪った酒や食料で宴会をしているのだ。しかしソフィから見える範囲には、攫われたと思われる人々はいなかった。
「六人……攫われた人々はどこだろう? 彼らから聞くほうが早いかな?」
ソフィがそんなことを考えていると、一際大きな男が杯を飲み干すと叫んだ。
「おい、そろそろ女連れてこいやっ!」
「へい、ガルツ隊長っ!」
ニヤついた小柄の男が返事をすると、立ち上がって松明を手に奥へ向かって歩いていった。
「よし、あの人に付いて行けば……」
木の陰に隠れていたソフィは、見つからないようにその男の後を付けていく。
しばらく後を追うと、焚き火から少し離れたところに、灯りが漏れている洞窟があり男はそこに入っていく。洞窟の入り口には十頭ばかりの馬と、荷馬車用の荷台が置かれていた。
「あの洞窟にいるみたい。野盗が何人いるかわからないから、気を付けていかないと……」
警戒しながら洞窟に入っていくと、中には戦利品と思われる物や野盗たちが使う武器などが置かれていた。どうやらここが彼らのアジトのようだ。さらに奥には一際明るいところがあり、先程入っていった男の他に、二人の男が小さなテーブルで酒を煽っていた。
「おぅ、まだ手を付けてないだろうな、テメェら?」
「当たり前だ、隊長より先に手を出したら殺されちまうぜ」
男たちの先には女性二人と子供三人が縛られている。男たちは女の腕を掴むと無理やり引き起こす。
「おらぁ来い! 隊長がお呼びだぜ」
「きゃぁぁぁぁ、やめてっ!」
パンッ!
男は騒いで抵抗する女性の頬を叩き倒した。
「きゃぁぁ!」
「うるせぇんだよ、このアマがぁ!」
「お母さぁん~うわぁぁぁぁん」
子供が泣き叫ぶと、もう一人の男は子供にナイフを突き付けながら、下卑た笑みを浮かべる。
「おいおい、優しくしてやれよ。俺らも後で楽しませてもらうんだからよぉ」
「やめてぇ、その子に手を出さないでっ!」
「ひぃ!」
ナイフを突き付けられた子供は、恐怖のあまり引きつってしまっている。男は懇願する女性を嘗め回すように、顎でさっさといくように示した。
「わかってんなら、大人しくバダに付いていきなっ! まずは隊長に遊んで貰うんだなぁ、くっくっく……ゲフッ!」
一瞬の出来事だった。
白い輝きが横切った瞬間、笑いながら子供にナイフを突き付けていた男の体が、くの字に曲がって弾け跳び、洞窟内の壁に激突したのだ。
「な……なんだっ!? ぐえっ!」
そして、女性を引き起こそうとしていた男の首に鎖が巻きつくと、すごい力で女性から引きはがされ、椅子に座っていた男目掛けて放り投げられる。
「うわぁ!」
投げられた男はその時点で失神しており、巻き込まれた男が何とか立ち上がろうとした瞬間、何か硬いもので側頭部を強打されて昏倒した。
女性が唖然とした表情で、その事態を見つめているとソフィはゆっくりと近付いて彼女の前で膝をつく。そして女性の頬を手を当てると、優しい光が女性の顔全体を覆い、先程殴られた顔の痕が一瞬で治っていく。
「大丈夫ですか? 助けにきました」
「は……はい、ありがとうございますっ」
ソフィは落ちていたナイフを拾いあげると、女性を縛っていたロープを切って解放する。解放された女性は一目散に子供を抱きしめた。
その間にソフィは、縛られていた他の人々も次々と解放していった。
「ありがとうございます! 貴女はいったい?」
助けた女性たちにお礼を言われたソフィは、少し恥ずかしそうにしながらも、倒した男たちを縛りあげている。
「ご無事で何よりでした。私はソフィです、村で頼まれて助けにきました」
野盗を殴り飛ばすなど、聖女のイメージを崩してはいけないと思ったのか、この時のソフィは聖女だとは名乗らなかった。
「まだ安心出来ません。すぐに脱出をしましょう」
「は……はい」
殴り倒した野盗は全て縛りあげて、全員で脱出しようとしたところで、洞窟に大きな声が響き渡った。
「なっ! なんだ、お前ら!?」
ソフィが声がした方を見ると、顔に刀傷がある男がソフィを指差してワナワナと震えていた。
「お願い、レリッ君!」
咄嗟にソフィが、そう叫びながら物を投げるように右腕を振ると、ガントレットの鎖はまるで意思を持っているように男の首に巻きつく。ソフィは鎖を握ると、思いっきり男を引き倒した。
「ぐぇ……」
「ごめんなさい!」
ソフィは謝りながら、男の背中に拳を打ち下ろしてトドメを刺す。その威力は男を中心に地面をめり込ませたが、何故か男の顔は穏やかな表情だった。
「このまま逃げても追いつかれてしまう……すみません、野盗は何人いるかわかりますか?」
倒した男を縛りながら女性に尋ねてみるが、彼女は首を横に振って答える。
「ごめんなさい、十人はいないと思うのですが……」
「いえ、大丈夫です。それだけわかれば十分。」
ここで縛り上げられている男が四人、さっき焚き火のところで見た男が六人で、その中の一人は少なくともここで寝ている。先程倒した刀傷はどこから来たかわからないが、多くてもあと五人程度ということだ。
ソフィは女性たちに向かって隠れているように言うと、野盗がいる焚き火に向かって走り出すのだった。