助っ人ドミニカ人の万能感
「深夜のテンションだった……」
疲れ気味の表情を浮かべて大晴君が呟く。
講堂内の待合室。待機中の大晴君と阿智さんに、僕と明も付き添っていた。
大晴君達の初陣まであと三十分。
「深夜ってか朝だけどね……あんた酷かったわよ。二段階飛ばし会話ってなに……? ただのエスパーだよね……てか、うっ……」
阿智さんが口を押さえる――よりも早く、大晴君がポケットからビニール袋を取り出し、彼女の口に押し当てる。
「こいつ緊張で吐きそうだからトイレ行ってくるわ」
「うぅ……だって……今日もめっちゃ人入ってるぽいじゃん……千五百人て……うちの村の人口より多いよ……うっ……! めーちゃんの言う通りやっぱあれ持ってくればよかったかも……落ち着かない……うっ」
「しゃべんなバカ。行くぞ」
「うう……」
肩を担いで阿智さんを引っ張って行く大晴君。阿智さんも身体を全て幼馴染みに預けている。
大晴君常にレジ袋常備してるのかな……二段階飛ばし会話なんかよりそのスムーズ過ぎる介抱の方がエスパーっぽい。
ちなみにいつものぬいぐるみは阿智さんの手元にない。明は持ってくるように薦めたのだが、『え、やだよ? あんなとこでぬいぐるみなんて持ち歩いてたらただの痛い子じゃん』と断られていた。
学校では肌身離さずって感じですけどね……。あと阿智さんの場合はあれを持ち歩いていても全然痛々しい子にはならない。ぬいぐるみっていうか、枕だったりタオルだったり膝掛けだったり座布団だったりストールだったりと、万能便利道具扱いしているし。
それにしても大丈夫かな……。今朝もトレーニング前に時間が許す限り、大晴君達の馴染み歴を振り返り、試合中の注意事項なども確認したのだが、ちゃんと彼らの頭に入ったのかは不安なところだ。それにキャッチフレーズも決めておくように言ったのだが、完全に忘れられているような気もする。
「ナチュラル幼馴染み」というフレーズは結局提案していない。
明が「今」に拘っている以上、僕が「今」を否定するようなことをすれば面倒なことになる。
「明! 光! 初出場初勝利おめでとう! なかなかだったよ!」
「お父さん!? え、ここって家族とか入って良かったのかしら?」
待合室に明の両親と僕の両親が入って来た。当然初日から応援に来ていたわけだが、直接会いに来るとは思わなかった。「初めての二人きりの外泊……親がしゃしゃり出るのは勿体ない」というスタンスなのだ。
「大丈夫大丈夫。史郎が許可採ってきたからね。そんなことより昨晩どうだった!?」
興奮気味の英忠さん。母さんと紗奈さんもニヤニヤしている。父さんも表情を崩すまいと努力しているのは窺えるが、口元が緩み始めている。
対照的に明は気まずそうに目を伏してしまう。
「お、どうした? な、何かあったのか!? 初めてのお泊りで幼馴染みの間に何か変化が起こってしまったのか!?」
さらに鼻息を荒くしながら、英忠さんが僕達に問い詰めてくる。
何かあったのかって、そりゃあ……。
「い、いえ、何もありませんでしたよ! でも普段通りにはいられませんでした……そ、その、とても照れくさくて……馴染んでいなければいけないのに、妙に緊張してしまって……変な雰囲気になるし、昨日は寝付けませんでした……幼馴染みなのに、明と一緒なのに、こんなのっておかしいですよね」
「お、おおー! いいね! そういうのいいね! 高校生らしい馴染み方だね!」
良かった。「完全無欠幼馴染み」らしい、正しい返答が出来たみたいだ。
父さんも安堵の表情を浮かべ、
「まぁ大会中だ。普段の馴染みから逸脱し過ぎない方が良いだろう。他に何か変わったことはないか?」
「特にありませんが……ああ、そういえば。エントリーしてもらったもう一組の長野代表と行動を共にしているのですが、彼らが変わっているというか、少し新しいかもしれませんね。幼馴染みとしても気が置けな過ぎるというか、上手く表現しようがないんですけど……色々な馴染み方があるんですね」
「まぁ、他のナジミストのことなんて気にする必用はない。自分達の馴染み方を信じて馴染め」
「はい。それは分かっているのですが……少しだけ彼らのことが気になってしまって」
「気になるって? その子ら同級生なんだよね? まさかとは思うけど、光。いかがわしい感情を抱いてはいないよね?」
英忠さんの咎めるような目が僕の心の奥底まで覗き込もうとしてくる。
「え? いかがわしいって……そんなことあるわけないじゃないですか!?」
「分かってるよね、光。生まれて初めて呼んだ名前も、ファーストキスも、明の初めて全てを君に譲ったんだからね? 愛する一人娘の何もかもを、幼馴染みである君に」
ファーストキス。ナジミストには絶対に必要なものだ。僕達は三歳の頃に体験した。ちなみに阿智さん達は「え。二歳のときのやつ? あれってカウントされるの?」とかほざいていた。逆に何故カウントされないと思っていたのか問い質したい。
「当然です! 僕達は幼馴染み甲子園を制覇するんですよ?」
「ハハ、冗談だよ、冗談。光のこと疑うわけないだろ?」
「やめてくださいよ、もう」
「ハハ。あ、そろそろ会場入らないと良い席無くなっちゃうな。じゃ、俺達もう行くね。何かあったらちゃんと写真撮っておいてね!」
「何もないですって! 僕達高校生ですよ!」
「光、明……期待しているぞ。お前達は、私達の全てなんだ」言葉を切って、父さんが僅かに表情を崩す。「頼んだぞ」
優しさと厳しさと必死さが入り混じった眼差しに射抜かれて、僕と明は息を呑む。
期待、夢。それだけじゃない。本当に色々なものを託されているんだ。
よそ見をしている場合じゃない。雑念を振り払え。僕と明の馴染んできた道のりは完璧だった。他人の馴染み方を気にする必要がどこにある?
僕と明の馴染み方だけを信じて、幼馴染み甲子園制覇の道を突き進むんだ!
父さん達が部屋を出て行った直後、大晴君達が戻って来た。
大晴君は阿智さんの背中を摩ってあげながら、
「だからあんま食うなって言ったじゃねぇか。どうせ緊張して吐いちまうんだからよお前は」
「あんただってすぐ鼻血ぶーしちゃう癖に。えろ」
「鼻血はお前から顔面デッドボール喰らいまくった後遺症だろうが! ……はぁ、そんなことよりな、今日は全く緊張なんてする必要ないぞ。俺達はプレゼンせずに済みそうだ」
大晴君の面構えが真剣なものへと変化する。
「どゆこと?」
「実はさっき女子トイレの前でお前を待ってたときに、砺波さんと庄川さんを見かけたんだ。そんでな……いや、いいや。お前は俺に任せとけばいいだけだ。別に説明する必要はねぇ。試合が始まればわかる。いやちげーな。試合は始まらない。この勝負、貰った。俺達の――不戦勝だ」
その双眸には、引き止める家族を振り切って戦地に赴く兵士のような、強い決意の炎が宿っていた。
*
大会二日目第一試合開始直前。僕と明は最前列中央、審査員席のすぐ後ろに隣り合って座っていた。
ギリギリの入場になってしまい立ち見も覚悟していたのだが、前日の試合を観戦して僕達のファンになったという若いご夫妻が譲ってくれたのだ。遠慮もしたのだが、僕達のサインと写真が貰えれば今日はもう満足だとおっしゃるので、サインと写真を差し上げた後、ありがたく譲って頂いた。選手の表情まで確認可能な最高の席である。
壇上にはもう、両ペアが席に着いてスタンバイしている。
大晴君はさっきまでの真剣な表情を崩さぬまま。阿智さんはそんな大晴君に目を遣り、どこか不安げな面持ちを浮かべる。
一方、対戦相手の二人は朗らかに微笑んでいた。
初出場、富山第一代表、砺波・庄川ペア。
阿智さん程ではないが小柄で可愛らしい、ポニーテールの女の子、庄川こなみさん。僕達と同じ一年生らしい。
そして砺波天志さん。サラサラで長めの綺麗な黒髪。きめ細かい白い肌。整っていて、薄く、優しげな面立ち。小柄で優形なことも相まって、制服でなければ美少女と見紛ってしまいそうだ。砺波さんは庄川さんより一つ年上の二年生のようである。
二人共常にニコニコ。この戦場にあって、ほんわかとした雰囲気を纏い続ける癒し系幼馴染みと言える。
そしてこの二人、既に結構な話題になっているようだ。パッと見で、同性幼馴染みだと思ってしまったのは僕だけではなかったわけである。
幼馴染み甲子園は現在、同性ペアでの参戦が認められていない。大会創設時は異性部門と女性部門・男性部門で分かれていたのだが、同性二部門は参加者が集まらなかったため廃止されてしまったのである。近年は、「部門分けもすることなく異性ナジミスト・同性ナジミスト混合ルールにすべき」といった声が高まっている。このルール変更が実現される日も近いだろう。日本の幼馴染みレベル向上のためにも早急な対応をして欲しい。
とは言え砺波さんは紛れもない男子のようなので、現行のルールで何も問題ない。ただこの二人、見た目は美少女同士の幼馴染みなのに実際は兄妹のような関係らしく、その目新さで噂になっているようなのだ。
地方予選デビュー前からこの注目度。さすが激戦地区富山を勝ち上がってきただけのことはある。
が、大晴君が見せてくれたあの自信。何かとんでもない秘策があるようだし、きっとやってくれるだろう。
『それでは一回戦、長野代表清内路・阿智ペア対、富山代表砺波・庄川ペアの対戦を、』
「待ってください!」
試合開始のコールを遮って、大晴君が立ち上がる。
その眼差しに秘められた決意は揺らいでいない。
「試合が始まる前に指摘しなければいけないことがあります。砺波さん、庄川さん。あなた達は――嘘をついていますよね? お二人には大会に出場する資格はないはずです」
「「え?」」
砺波さんと庄川さんが困惑したように目を丸くする。
砺波さん達に出場資格がないだって? そういえば大晴君はさっき、女子トイレの前で二人の何かを目撃したと言っていたっけ。
そうか――やっぱり砺波さんは、女性だったのか――
「庄川さんは砺波さんを『お兄ちゃん』と呼んでいました。お二人は幼馴染みではありません! そう! あなた達は――兄妹です!」
大晴君の声が響く。
静まり返る会場。
僕が、明が、砺波さんが、庄川さんが、審査員が、観衆が、会場中が、息を呑む。
え…………何言ってんのこの人…………。
「えっと…………あの、兄妹じゃないです……あたしはお兄ちゃんのことお兄ちゃんって呼んでますけどお兄ちゃんはあたしのお兄ちゃんではないです……」
「え? 何言ってんですか?」
「いやだから、え? 説明いるのかなこれ……その……呼び名はお兄ちゃんですけど、血が繋がったお兄ちゃんではないんです……え……?」
「ああ、ご両親の再婚などの事情があって兄妹になったので血は繋がっていないというわけですね。だから苗字も違うわけか。ん? いやそれおかしいな……あれ? まぁいいや、とにかく! 兄妹であることに変わりはない! 兄妹に幼馴染み甲子園挑戦の資格はありません! そうですよね!」
「いや、いやいや……それはマジで言っているのですか……? 血が繋がっていない義理の兄妹ってわけではなく、え? なんて言えばいいの……? ……戸籍上でも兄妹ではないです……あたしとお兄ちゃんは兄妹じゃありません……」
「……? 兄妹じゃなかったら何なんですか?」
「……? 幼馴染みですけど……?」
な、何だこのやり取りは……。
明も頭を抱えている。
「その……清内路さんが勘違いされてしまったように、確かにぼく達は兄妹みたいな関係で、昔からこなみはぼくを『お兄ちゃん』と呼んでいるんです。でも、勿論実際は兄妹でも何でもありません。ぼく達は幼馴染みです」
やっと話に割って入ってくれる人が現れた。砺波さんだ。こんな状況でもニコニコだ。
年上の幼馴染みを「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」「お兄」「お姉」などと呼ぶ……よくあるというか、常識というか……教えていなかった僕の責任とは言え、まさか大晴君にそんな知識もなかったとは……。
「きょ、兄妹でもないのに『お兄ちゃん』……? いや、逆ならわかる……兄を名前やあだ名で呼ぶってことはよくあるだろうけど……兄でもない他人を『お兄ちゃん』と呼ぶだって……?」
犯した失態にやっと気付いた大晴君は顔を耳まで紅潮させている。
「ふふ、すみません。確かに紛らわしいかもしれないですね。自分達の常識が他の幼馴染みには当てはまらないことなんて良くありますもんね」
人当たりの良い柔らかな口調で砺波さんが大晴君にフォローを入れる。スゲェいい人だ……。
「うわー……恥ずかしー………………『俺達の――不戦勝だ』」
「やめろ!」
それまで黙っていた阿智さんが口を開く。頬を染めている。
阿智さんも失敗が恥ずかしくて赤面したりするんだね。ちょっと意外。
「まぁ、わたしはもちろん知ってたんだけどね、そういうのがあるって。びっくりしたわー。まさかあんたがそんなのも知らないなんて思わなかったわー」
「テメェ……絶対知らなかっただろ……!」
『えーでは改めまして、清内路・阿智ペア対砺波・庄川ペアの対戦を始めさせて頂きます。一本目のテーマは「二人で乗り越えたピンチ」です。まず清内路・阿智ペアご起立の上、プレゼンを始めてください。制限時間は三分です』
咳払いを一つ入れて、淡々と進行を続ける林田さん。
さすが二十年間北信越大会の司会を務められてきたベテランだ。様々な幼馴染みを見てきただけあって、この空気の中にあっても動揺の色はない。
「あ、は、はい!」
まぁ大晴君も動じない性格だ。やってしまったものは仕方がない。ここは切り替えて集中していこう!
「ピンチ……ピンチですね……あ、肥溜め……いやダメだここで話せる内容じゃねぇ……いや、十歳んときの方の肥溜めなら……ああダメだ乗り越えてねぇ、落ちただけだった……や、やべぇ……俺達ピンチだらけだったのに何一つ乗り越えてねぇ……あはは、こりゃダメだこのピンチも無理だ終わりだ」
ど、どうしちゃったんだ、大晴君……!
汗だくになっていることがここからでも分かる程の異常なテンパり具合。
冷房が効いているというのに五百ミリペットボトルを一気に一本飲み干し、もう一本に口を付け始めている。
あれだけ盛大にやらかせばテンパるのも仕方ないが、いつも冷静な彼にしてはあまりにも異様だ。自分達のキャッチフレーズを発表するのも忘れてしまっている。ていうか君達にはどれだけ肥溜め関連のピンチがあったんだ。
とにかくこれはマズそうだ……このままでは完全に事故だ。どうしよう……僕にはどうしようも出来ないが――
「オイラっちはぁ、二番ファーストに助っ人ドミニカンを置いてしまいますぞなぁ……」
「ブホッ……!」
突然変な顔と変な声で意味不明な言葉を発した阿智さん。その変な顔面目掛けて、大晴君は口に含んでいた水を盛大に吹き出し、むせ返ってしまう。
「ゴホッ…………ちょ……! 俺にしか伝わんねぇモノマネすんな! す、すみません、こいつバカで……フ、フフ……クオリティたけぇ……何仕上げてきてんだよ……フッ、お前部屋とか風呂で……クッ…一人で練習してたのかよ……ククク」
下を向き、お腹を抱えて笑いだしてしまう大晴君。
笑いが収まり、「はぁー」と息を吐きながら顔を上げ始めるのと同時。
パァン! という音が響く。
阿智さんが大晴君の背中を平手で叩いたのだ。
「わかってるだろうけどわたしはなんも考えてないからね!」
「ああ。任せとけ。今ので思い出した」
普段の落ち着いた面持ちを取り戻す大晴君。完全に立ち直ったようだ。
阿智さんも喉が渇いていたのか、水分を補給してから、
「え? もしかして、アレ? いやその話いーっしょ、アレは違うでしょ。趣旨わかってるかな?」
「お前に言われたくねーわ。つーか俺だって嫌だけど、これしかねーんだから仕方ねーだろ」
阿智さんはため息を吐きながら屈み、床に飛び散った水をハンカチで拭き始める。
残り一分切った。
「あー取り乱してしまいすみませんでした。改めて発表致します。十二歳の時おっかぁ、母が死んだのがきっかけで、恥ずかしながら俺、少しグレてしまったというか、強めの反抗期に入ってしまったんです。父も妹も母の死でかなりダメージを受けていたのに、俺は自分のことしか考えられなくて、家族もメチャメチャになりかけていたときに――こいつに殴られました。母の墓の前で。マウント取られて。十五回」
大晴君から顔全体にぶっかけられた水を腕でぬぐいながら、阿智さんが再度ため息を吐く。
「でもそれきっかけで更正できたっていうか、冷静になれて、父もまた俺を見てくれるようになったし……うちの家族は救われましたよね。……俺達別に壁を乗り越えたことなんてないですけど、くぐり抜けたりぶち壊したりしたことは何度かあって、そんな時は大体こいつが俺ごと壁をぶん殴って、穴を空けてくれていたと――」
『そこまでです』
最後まで言い切ることなく、タイミリミットが来てしまった。
――や、やべぇ――――――素晴らしい……! 素晴らしい馴染みエピソードだ!
その状況で、家庭内の問題に手を突っ込んでくるような関係の人間がどれだけいるだろうか。いたとして、大人の言動がどれだけ少年の荒れた心を動かせるだろうか。
幼馴染みの拳だからこそ大晴君を動かせたのだと思う。いや普通の小中学生幼馴染みだったら、共に非行に走ってしまうか、距離を置いて反面教師にするかくらいのことしか出来ないかもしれない。阿智さんと大晴君の関係だからこそ生まれた馴染みエピソードだと言って差し支えないだろう。
いやそんなことよりも。幼い頃の母の死という最大の壁を、この二人は幼馴染みの力で辛い思い出にさせなかったんだ。
僕と明にそんなことが出来ただろうか。
いや今僕達のことはいいか。
とにかくこれは素晴らしい。キャッチフレーズは掲げられなかったが、この方向性を一貫させていけば自然と大晴君達の型というものが伝えられるはずだ。
審査員の先生方から小さく感嘆の声が漏れる。
場内は一拍間を置いてから、大きな拍手に包まれた。
隣からも「な、なかなかじゃない……!」と聞こえてくる。感涙を堪えている時の声だ。
トラブルはあったが上々の出来だろう。質疑でミスを犯さなければこの勝負は取れる!
『それでは清内路・阿智ペアのプレゼンに対しまして、砺波・庄川ペアから質疑をお願い致します。制限時間は三分です。質問のある方挙手をどうぞ庄川さん』
「はい。殴ったことで清内路さんが更正できたという話でしたけれど、それは結果オーライでしかなかったのではないでしょうか。阿智さんに殴られたことでさらに非行の道に走ってしまう可能性もあったわけですし、例え清内路さんが更正できたとしても、阿智さんとの関係はそれがきっかけでギクシャクしてしまうことだってあり得たはずです。こんなこと口にするのもおぞましいのですが……『疎遠』、幼馴染みに一番あってはならない、心の疎遠に繋がり得る行為だったのではないでしょうか」
「いやぁ、わたしは別に」
「手ぇ挙げてからだバカ」
『阿智さん』
「まず前提として、わたしはこのバカのために殴ったわけじゃないですよ。わたしがムカついたから殴っただけです。『俺が死ねば良かった』とか絶対許せないし。女々しいんですよね、昔から。でもまぁ殴ったことで更にグレられるとかいう可能性は、うーん、確かに言われてみればそうですね。普通にありえましたね。全然考えてなかったです。にひひ。こいつが金髪とかにしてたら笑える。でもあれですね。引きこもるだろうなぁとは思ってました。実際引きこまれました。それと、疎遠だけはないです。どれだけ気まずいことがあっても、結局こいつはわたしから離れることだけはできないって、そのときにはもう知ってましたから」
『庄川さん』
「やはり清内路さんがお引きこもりになってしまったのではないですか。阿智さんの行いが正しかったとはとても思えません。アフターケアはされたのですか。お答えください」
引きこもるの尊敬語とか初めて聞いた。
『阿智さん』
「いやちょっと待て、お前変なこと言うなよ!」
大晴君が顔を引きつらせて焦っている。
「訊かれたことにしか答えないよ。わたしも自分が正しかったなんて思ってないですよ。アフターケア? もしてないですね。こいつが勝手に立ち直りました。以上です」
『庄川さん』
「あなたは幼馴染みを追い込んだですよ? 分かっていますか? 幼馴染みとして阿智さんが解決するべき問題ですよね? あなたが清内路さんを立ち上がらせるべきだったはずですよね?」
強い口調。議論が熱を帯びてきた。
『阿智さん』
「おしゃ、幼馴染みとしてとか言われてもなぁ……まぁもう十二歳でしたし? こいつは自分で立たせることも覚えてたからなぁ」
え、何か大丈夫? 微妙に下っぽいこと言ってない?
「バカ、やめろって!」という大晴君の囁きをマイクが拾ってしまっている。
『砺波君』
「はい。ふふ。面白いお二人ですね。あの、何故一人で立ち直れたのか、お答えすることは出来ますでしょうか。清内路さん、お願いします」
「いや……」
「ほら、どしたの。お答えできるよね? 手あげなきゃ。負けちゃうよ?」
阿智さんの顔に悪戯っぽい笑みが広がる。
「く、くそ……」
水を一口してから、大晴君がヤケを起こしたように手を挙げる。
『清内路君』
「はい……いや、その、ですね……引きこもってたときもこいつだけは一応部屋に入れてたんです。飯とかもこいつが持ってきてくれて……いやホントこいつのおかげで立ち直れました。いじょ――」
「以上じゃないよね? あんたが自分から部屋出たよね?」
挑発的な笑み。
「ぐっ……こ、こいつも学校をサボってずっと俺の部屋に居座るようになって……、つぶさに観察、というか、これみよがしに観察日記とか付けたりして『観察してるよ?』アピールをしてくるようになって……っ、トイレから帰ってきたらベッドの下に隠しておいた、その、あれ、川原で拾った本が机の上に置いてあって……っ、こいつは何も言わずにニヤニヤしながら俺の顔をじぃっと覗き込み続けるだけで……っ、ふて寝から覚めたら目の前にこいつの満面の笑顔があって、枕の下には本があって……っ、こいつがいなくなった隙に、引き出しの一番下のデッドスペースとかアルバムのカバーの中とかに隠し直しても、毎回トイレか風呂の僅かな時間の間に机の上に移してあって……っ、振り子時計内部の僅かな隙間にねじ込んでおいたら、さすがに机の上に移されなくなったから安心して取り出してみたら、違う本に、おっとぉの本とすり替えられてて……っ、おっとぉの変な趣味を見せられて……っ、おっとぉも半日くらい引きこもったらしくて……っ、結果、完全に部屋から出られなくなった俺に向かって、『お風呂入れなくなっちゃったね。んー、ちょっと臭うかな? でも大丈夫! わたしがぜーんぶ拭いたげるから! トイレも行かなくていいからね。ペットボトルも持ってきたよ。あ、ティッシュもだね。にひひ。あのね、夜はわたしがいないからって安心しちゃだめなんだよ? カーテンに穴、空けてるからね? にっひっひ。じゃ、さっそく服脱いじゃおっか。吹いちゃうよーぜーんぶ全部ふいちゃうよー。ん? 自分で脱げないの? じゃ、わたしが脱がしたげるね、にっひっひっひ』って……っ! 自分で部屋を飛び出して、引きこもりから立ち直りました……っ!」
『そ、そこまで!』
静寂。
寒気。熱気。
――どよめき。
な、何この空気……!
これまで感じたことのない異様な雰囲気が会場を支配する。
『な、何だこいつら……!』『幼馴染み甲子園舐めてんのか』『何かすげー興奮した』『凄いの見れた! 凄いの見れた!』『今年の長野やべぇ……』『てかこいつら失格でいいだろ……』『いやでもよく分かんないけど、この子達は間違いなく――馴染んでいる』
衝撃。動揺。好奇。嫌悪。歓喜。様々な感情が入り乱れているようだ。
明は顔を真っ赤にして放心状態。砺波さんも庄川さんも呆然としている。
「ひ、ひっひ、にっひっひ」
そんな周りの反応を気に留めることもなく、阿智さんは左手でお腹を押さえ、右手で机をバンバン叩きながら、涙を浮かべて引き笑いしている。
「てめぇ……!」
大晴君は頬を染めてはいるが、先程のような取り乱した様子はまるでない。
いや絶対さっきのよりこっちの方が恥ずかしいでしょ……!
『こ、こうせ、攻守入れ替わります! 砺波・庄川ペア、お願い致します! 制限時間は三分です!』
林田さんが噛んだ……! 二十年間北信越大会の司会を務めてきても、こんな雰囲気は初めてなんだ。




