マジでこういう大会できねぇかな……
僕を見ているようだった。
「だから俺達に呼び方も何もない」
『そ、そこまでです』
会場は静まり返っていた。
幼馴染みと名前を呼び合えなくなった顛末を、清内路大晴は淡々と語り終えた。プレゼンとしてではなく、それは彼自身に、彼女に、そして僕達に向けられたものだったように思う。その間、阿智さんはずっと黙ったまま、それでもずっと何かを訴えるように彼を見つめ続けていた。
――君は本当にそう思うのか?
どんなことでも負い目にさせない君達にとっては確かに些細なことなのかもしれない。
でも、九年間も互いに名前を呼び合えないまま、それで本当に良かったのか?
じゃあ何でそんなに苦しそうな顔をしているんだ。
やっぱり君は、君も――。
『それでは清内路・阿智ペアのプレゼンに対しまして、大町・美麻ペアより質疑を始めてください。制限時間は三分です。質問のある方挙手をどうぞ。……大町君』
「……あなたは本当に幼馴染みの名前を呼べない、そして呼び合えない環境を作ってしまったということに罪悪感を覚えてはいないのですか?」
大晴君は手も挙げず、僕の質問に即答する。
「そんなもんねぇ。そんなもの俺達は背負ったことがねぇ。こいつといるのはいつだって生ぬるくて、名前を呼ばなくたってそれは変わらない。呼び名とかそんなものはどうだっていいんだ。別に呼べないなら呼べないでいい。呼び名なんてどうでもいい」
ああ、やっぱり。同じだ。君達も僕達と同じだ。
僕達はずっと同じことをしていた。
「その割にあなた達はずっと呼び名のことについて避けていたような気がします」
ポイントなんて使うようになったのも、もう万が一にも同じようなことが起きないよう、何かがあったらその度にきっちり清算するためだったのではないか。
「そんなことねー。本当にどうでもいいことだ。こんなのは蒸し返す価値もねー話で、必要性がなけりゃ話さねーし、あれば話す。だから今話しただろ。本当にただそれだけの、俺達にとってはどうでもいいことなんだよ」
僕も彼も、試合のことなんて忘れたように、いつのまにか挙手もせず、頭の中に渦巻く様々な疑問を、想いを、ぶつけ合っていた。
「名前を呼んでしまえば、『名前を呼べなかった』いう傷がずっと胸に刻まれていたことを嫌でも認識してしまうからなんじゃないですか? もし名前を呼んでしまったら、これまでずっと名前を呼ばなかった期間が、間違っていたことに気付いてしまう。後悔してしまう。自分が誇る生ぬるさを、自ら否定してしまう。自分で壊すくらいなら名前なんて呼べないままでいいと無理矢理納得させているだけではないですか?」
僕の指摘に大晴君は眼を見開き、阿智さんは俯く。
「……何だよ、何だよそれ。そんなんじゃねーよ……それは、お前だろーが」
そうだよ。僕もそうだ。じゃあ何のために? 僕と君は何のためにこんなことをしている?
「……じゃあ、阿智さんはどうですか?」
「え?」
「阿智さんは大晴君の名前を呼んだり、大晴君に名前を呼ばれたりしたくはないのですか?」
「わ、わたしは……あれがあれば……」
言葉を尻すぼみにし、黙ってしまう。
「……ほら、こいつだって、どうでもいいと思ってるじゃねぇか」
「本当ですか? 阿智さんの本心なんて僕には分からない。でも、君には分かるんじゃないですか?」
「だから、こいつだってどうでもいいって思ってんだよ!」
「じゃあ阿智さん。大晴君はどうですか? 僕には判断出来ません。彼は本気であなたとの呼び名をどうでもいいと思っているのですか?」
冷静でいようとしているのに、語気が強くなってきてしまう。何故か目頭が熱くなってきてしまう。
「そう言ってんだろーが! 何なんだよおめぇは!」
「もういいから! わたしは別にどうでもいいから! 二人とも落ち着いて!」
「本気でどうでもいいと思っているのならそれでいいのでしょう。本当は呼びたい、呼ばれたいと思っていたとしても、どうするかはあなた達の勝手で僕がどうこう言えることではありません。いや違う。どうするべきか、僕だって分からない。知りたい。だから、君ならどうするのか、僕は教えて欲しい。君は、僕はどうするべきなのか、見せて欲しい」
「……どうなんだよ……」
「……わたしは、まだ、別にいいから……」
大晴君から目を逸らして、阿智さんは声を震わす。
「まだって何だよ!」
「だって! それであんたが! わたし達のことが全部いやになっちゃうって思うんならしょうがないじゃん! そんなことになるくらいだったらわたしだって、待つしかないじゃん! そんなときもうこないかもしんないけど、しょうがないじゃん!」
その目には涙が浮かび始めている。
僕も君も、大切な人との関係を守るためと自らに言い聞かせ、大切な人を泣かせている。ただただそれは、自分自身のために。
知りたい。
「……僕は、この数日間あなた達を見て、あなた達の関係こそが幼馴染みであると思っていました。でもあなた達は些細なことで自分達の関係に大きな傷を付けていたのかもしれない……あなたはどう思いますか、自分達は幼馴染みだと思いますか?」
僕達が本当にすべきことは何なのか、教えて欲しい。
「……知らねーよ、何だよその質問。……何だよ、幼馴染みって。知らねーよ。考えたけど、わかんねーよ。でも、俺がこいつを傷つけていたとして、俺がこいつに傷つけられていたとして、でも……俺達は関係まで傷つけてたんかな」
「もういいって!」
「もし、もしそうだったとしたらっ、君は、大晴君だったら何をする?」
君はきっと――。
「認めちまったら、壊れちまったりしねーのかよ……」
「分からない……分からない、分からない分からない。だから僕は……っ、僕は、ずるくて……っ、君に、答えを託してしまっている……っ」
情けない。情けない。
「光、もうやめて」
ずっと呆然と僕達を見つめていた明が、何かを察したように立ち上がって、僕の肩を優しく包む。
こんな姿を晒して、明にまで心配を掛けて。
「んだよそれ、ホント、ずりーよ」
それでも、どんなにみっともなくても。自分が弱くて出来ないなら、誰かに背中を押してもらってでも。今度こそ大切な人のための選択をしたい。
「しょうがないだろ……っ……ただ僕は、清内路大晴と阿智朝日はこれ以上ない程に、幼馴染みだと思っていて……だから……っ」
「――っ」
君はきっと――阿智さんのために行動するのだろう。
「はぁ……こんな大会に出ていなければこんなこと……クソ……」
そして大晴君は阿智さんに真っ直ぐ向き直る。
「な、なに……?」
「例えば……俺かお前が死ぬ直前にどちらかが立ち会えたとして、周りの奴らがそいつの名前を叫んでいる中、残されたそいつはどうすればいいんだ? ……別にどうもしなくたっていいか……でも、もしそこに立ち会えたのがそいつ一人だけだったとしたら、どうする? 死んでいくそいつは最期に誰にも名前を呼ばれぬまま、死んでいくのか?」
言い訳がましく、誰に対する言い訳なのか、それは彼にも分かっていないのだろうが、とにかく何でもいいからきっかけが欲しいのだ。無理矢理すぎる程無理矢理で、それでも彼は自分できっかけを作り上げ、行動を起こそうとしている。
「な、なに急にわけわかんないこと言い出してんの! いいってば! もうやめよ!?」
「いいから黙って聞け!」
「ぅ……」
「この数日間、幼馴染みと家族の違いって何かってすげー考えた。普通こんなこと考えることなんて人生で一度もねーよ。必要がないからな。でも考えた。わからなかった。ただ俺は、おっかぁが死んだとき思ったけど、俺が死んだときはおっとぉや陽夏や、もし子供がいたなら子供達が俺のことなんて引きずらないでほしいと思った。今もそう思う。『清内路大晴は死んだけど幸せな人生を送れたしこの世に悔いはないだろう、ハハ』って、あっさり忘れて、自分達の人生を一日も無駄にすることなく生きてほしいと思う。だって家族は大切だから。逆に家族以外の奴らに対しては自分の死に際してまで思うことなんてないから、別に忘れられようが何だろうがどうでもいい。でもお前だけは違う。家族でも友達でもない。お前だけは俺にとって他とは違う。生ぬるくて、飾らなくて気取らなくて、どんなことがあっても流せて、そんな関係が好きで、でも――お前は俺が死んだことを引きずれ。俺はお前のことを本気では思ってねーから、苦しめ。俺がいなくなったことの喪失感を虚無感を死ぬまで抱え続けろ。俺を重荷にしろ。背負え。だから俺の名前を忘れてもらっては困るし、名前を呼べなかったことは、」
「あーいーやもーいから! 長い! 話が長い!」
そして、そのきっかけを作るのは結局――。
「わかったよ、あんたの思惑が! あんたが呼びたいくせに、わたしから頼んだ形にしなきゃできないんでしょ!? 結局わたし任せかよ! わかったよ! はい! DMS! 使うから! だから――――呼んで!」
「――しょ、しょーがねーな、ホントは嫌だけど、しょーがねーな!」
「だからいいってば、そうゆうの!」
大晴君は深呼吸をし、阿智さんの両肩を掴む。二人共顔が真っ赤で、もうお互い以外なんて見えていないだろう。
「い、いくぞ……いくからな……マジでいいんだな!? いくぞ!? マジでいくぞ!?」
「さっさとしろ!」
「あ……あ、ああああさ、あさ、あさ」
顔と顔の間にある四十センチを埋めていき――
「あ、あ、やっぱちょ待っ」
「――朝日」
ボン! という音がしたような気がした。
「ひゃっ……!」
頭から、身体から、蒸気を出す。目をぐるぐるさせて、ふらふらして、彼に肩を掴まれていなければとても立ってはいられない。
「あ、あさ、朝日……」
「――っ」
漏れる吐息は激しく、艶かしく。太腿をもじもじと擦り合わせ、呼ばれるがまま、されるがまま、彼女はただただその響きを脳で身体で感じる。
「あさひ……あさひ。あさひあさひあさひ……朝日。朝日」
四十センチから二十センチ。腰を屈めるだけでは足りず、彼女の肩を抱くように、強引に引き寄せる。
二十センチから五センチ。つま先が床から離れ、彼の胸に身体に全てを預けるしかない。
「も、もうだめだって……! ……おねがいっ! ……二人のときだけにして……!」
「朝日、朝日、朝日、朝日」
「ん……っ……あっ……」
止まらない。止まらない。
「朝日、朝日、朝日! 朝日! 朝日朝日朝日、朝日! 朝日! 朝日! 朝日!」
真っ赤な顔に恍惚の表情を浮かべて、抵抗とも言えない弱々しい抵抗などお構いなしに、彼女を貪るよう、自分の欲求をただただ彼女にぶつけ続ける。
「ん、あっ……っ……ちょ……! や、やめ……っ……それ以上は命に関わるから!」
その言葉でやっと自我を取り戻すと、彼女の身体を降ろし、それでも両腕で支えながら、「はぁ、はぁ……」と乱れた息をなんとか整え、
「お、おまえは……?」
「へ……? な、なんのことかな……?」
「俺もやったんだからお前も呼べよ!」
「う……わ、わかった」
「あ、やっぱでもいいやなんか俺はあれだし、」
「せ、せーくん」
上目遣いで、しっとり、か細く、それでも、はっきりと。
その声にくすぐられ、殴られ、大晴君も沸騰したように顔を上気させる。
「……ああ、やっぱ無理だ、脳から何か出るかと思った……もう無理だ……でも……」
ぐらつきながら、何とか五体をコントロールし、僕の方を振り返る。
「光。俺はやったぞ。お前は、どうする?」
阿智さんは腰を抜かしたようにぺたんとへたり込み、
「めーちゃん! ちょー恥ずかしいんだけど!」
『あ、あの……大町・美麻ペア、プレゼン時間残り一分です……』
いつの間にか質疑応答の時間も終わり、攻守が入れ替わっていたようだ。周りの音なんて聞こえなくなる程に僕は彼らに見蕩れ、そして自分がするべきことをするための決心を固めようとしていた。
静まり返る会場。不可解そうな表情の先生達。
いいのか、本当に。
「完全無欠」でずっと勝ってきたのに、皆を蹴落としてきたのに、それを自ら否定するなんて、最低の行いだ。間違いなく代表には選ばれない。やっと手に入れたはずの夢への切符を僕は破り捨てるのか。
ふと、観客席の父さん達と目が合う。不安に揺れる八つの瞳。
いいのか。父さん達の想いを切り捨てるのか。
「光……」
かすれた声。
明の、泣きそうな顔。
――いいに決まってるだろ。
僕が見るべきなのは、見ていたいのは、君だけだ。君を悲しませているのならやっぱり――
「――すまなかった明……っ」
上手く言葉が出ない。言うべきことは沢山あるはずなのに、詰ってしまう。情けない。明を不安にさせたくないのに、僕が泣きそうになってどうする?
「僕は……っ、ずっと君のことを、見ていなかった」
それはいつからだったろうか。きっと仲が悪くなるずっと前からだ。
「やめて……私はこのままでいいの、このままがいいのよ」
「よくないよ。君はやっぱり阿智さんと友達でいるべきだ」
「そんなことしたら私達は完全無欠じゃいられなくなるでしょう!? 駄目よ! 私には光だけがいればいい! あなたには私だけが――」
「僕も大晴君と友達になりたい……!」
「――」
「ずっと友達が欲しかった。作るべきだった」
「やめて!」
溜まっていた涙が流れ始める。明を悲しませないための行動で、明を泣かせてしまっている。
本当に僕は自分勝手で、不甲斐なくて、それでもやっぱり僕は――
「僕達は、間違った」
言った。言えた。言ってしまった。
「――っ、もう、やめて……そんなことしたら、あなたの夢が叶わなくなる」
あなたの夢、か。僕はずっと僕達の夢だと思っていた。でも、やっぱりそれは明に押し付けていただけだったのかもしれない。
「……別に、押し付けられていたわけじゃないの」
明は簡単に僕の心を読んで、続ける。
「ただ、私はあなたよりずっと、あなたとの関係を大切に思っている。そういうこと」
涙で詰まりながら、語る。
「光は、過去が良ければ、今仲が悪いことはどうでもいいと、思っていたでしょう? それでも目標は達成出来ると。完全無欠じゃなくても、幼馴染み甲子園は優勝出来ると。だから、私が不仲を認めないことが何故なのか、理解出来なかったでしょう」
そうだ、明のどんな考えも分かっていたはずなのに、それは何故なのか分からなかった。
そして明は意を決したように、
「考えてみると本当は私の中で、幼馴染み甲子園はどうでも良かったのかもしれないわ」
「――」
「光と完全無欠幼馴染みであることが、私の全てなの。だって、あなたとの関係が私の全てなんだから。幼馴染み甲子園はそのきっかけとしてでしか、なかったのかもしれないわ……あなたとは手段と目的が逆だったのよ」
そうか、だからずっとどこか食い違っていたんだ。
「あなたが完全無欠になろうとしてくれたこと、友達を作ることが間違いだと気付かせてくれたことが、本当に嬉しかった。だから、それを覆すことなんて出来ない。私はあなたとの関係に傷を付けるようなことは絶対に出来ない。だからあなただって夢を捨てる必要はない」
これまでのためにこれからを切り捨てて、過去のために今と未来を偽って。それで君を傷付けて。
「僕達は……完全無欠なんかじゃない……っ。お互いに友達を作らせなかった、間違った、だから幼馴染みなのに仲が悪い」
「認められるわけないでしょう!」
「完全無欠なんかじゃない、でも幼馴染みだ」
「私達は完全無欠じゃなければ幼馴染みじゃない! 後ろめたさがある関係なんて幼馴染みじゃない!」
「幼馴染みだよ。だから、分かる……っ……いろいろ分からないことはあったけど、これだけはっ、君がいくら隠したって分かる、だって本気で楽しそうだったから……! 僕にしか見せてくれなかった笑顔を阿智さんにも見せていたから……! 君が僕との関係を大切にしていることが分かれば分かるほど、阿智さんとの関係も大切だったことが伝わってくる……っ、明は阿智さんと友達でいたいんだ! いやそれ以上に――僕は、明に阿智さんと友達でいてほしいんだ……!」
「そんなこと……うっ……だってっ……!」
嗚咽混じりの明。僕もいつの間にか涙を溢れさせていた。
「認めよう。ずっと間違っていたこと。僕達の仲が悪いこと」
「私達の全てを否定するって言うの!?」
「ああ」
「じゃあ……っ……ひっ……どうするのよ……うっ……やり直すことなんてっ、できないのに……っ」
「やり直せないけど、背負える」
「背負ってしまうような関係、幼馴染みじゃない!」
「もう一度言うよ。完全無欠なんかじゃない。でも、それでも君が僕にとって唯一の幼馴染みであることは絶対に揺るがない。背負わないんじゃない。どんなに背負っても、欠陥だらけで息苦しくても、隣にいるから幼馴染みだ」
「そんなの……っ、ひっ……じゃあなんのために幼馴染みなんて……!」
「だから、たぶん、結局、幼馴染みであるために、僕達は幼馴染みなんだよ。一緒にいるために一緒にいたんだよ。仲が良かろうが悪かろうが、完全無欠でも、欠落があっても、そこは変わらないんだ」
「――」
完全無欠になろうとしたことで傍らにいられなくなるかもしれないなら。欠落だらけでもずっと傍らにいたい。たぶん、ただ、それだけだ。
「君と一緒にいたいんだ。どんなに居心地が悪くても、ずっとそばにいるよ」
「……っ……うっ……」
「だから認めよう。僕達は仲が悪くて、君は阿智さんと友達でいたい」
「……」
明は綺麗な顔を涙でぐちゃぐちゃにして、それでも僕の両目を真っ直ぐ見つめてくれた。
「……僕も怖いからさ、このあと一緒に、阿智さんと大晴君と、仲直りしに行こうな」
「……うん」
夢を捨てて、罪悪感を手に入れて、気付くと僕は、幼馴染みを抱きしめていた。




