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瓶コーラって何であんなに

 よく眠れたと思う。四時に目が覚めて、二十分間、傍らの寝顔を眺めて、そこに涙の跡がないことに安堵し、彼女が起きてからはゆっくりゆっくり二人だけの時間を過ごせた。朝練はしなかった。それよりも久しぶりに戻せたこの状態に少しでも慣らしておくことに時間を使いたかった。

 コンディションは万全だと思う。負ける気など全くしないし、仮に敗れるとしても、全国出場権を逃すような試合をしてしまうことだけは万が一にもないだろう。

 十二時半。

 三十分後の決勝戦に控えて、僕と明は会場入りしていた。

 待合室に二人きり。ここに来るまでにも対戦相手の二人には出くわしていない。

 そのことにホッとしてしまいそうになった自分を僕は強く律した。

「明。僕飲み物買ってくるけど、紅茶でいいよね? ホットとアイスどっちにする?」

「あ、じゃあ私も」

「いや待っててくれ」不安げな表情を浮かべる明の言葉を遮る。「彼女が食い下がって来ても、明は一人で軽くあしらうことが出来るはずだよ。君には僕だけだって、もう分かってくれただろう?」

「……ええ。当たり前じゃない。私達、あんなに密着して二人だけで夜を明かしたのよ? なんて、ふふ。表現が艶かしかったかしら。お父さん達が聞いたら鼻血が大変なことになりそうね」

「ていうか英忠さんは興奮で倒れるだろうね」

 大丈夫そうだな。それだけ余裕さを装えるなら、あとは慣れるだけだ。本当はもう完全に彼女達のことは忘れていてほしかったのだが、仕方ない。それは僕の責任だ。僕が愚かな勘違いで友達なんかを作らせようとしたせいだ。だから僕が忘れさせてやるし、君が完全無欠になれるまでは、僕がカバーして、僕が引っ張って行ってやる。

「光。あの……」

 部屋を出ようとするのを明に引き止められ、振り返る。

「……いや、ホットでお願い」


「おう」

「……おはようございます」

 自販機の脇で僕と目が合うなり、大晴君はぶっきらぼうな挨拶をしてきた。壁に背をもたせかけてブラックの缶コーヒーを啜る姿が、その大人びた見た目と相まって妙に似合っている。

 素っ気なく、そして自然に挨拶を返し、緑茶と紅茶を買ってさっさと明の元へ戻ろうとすると、

「なぁ。俺らは別にどうでもいいけど、あいつらのことまで干渉することねーんじゃねーか」

「干渉も何も、元々全て僕の意志であり明の意志です」

「……まぁ確かにこれは俺の一方的なエゴかもしんねーけどよ。あいつ昨日ずっと布団に潜ってたんだ。やっぱり美麻がいてくれた方がいいと思う」

 そういえば大晴君がここにいるということは、阿智さんはもう待合室にいる可能性が高いわけか。いやそうなのだろう。きっとあの二人の仲を戻そうとして大晴君は敢えて彼女らを二人きりにしている。なら僕はそれに乗っかろう。これは、明が明の手で、完全に彼女への未練を断ち切るための良い機会になるはずだ。試合で敵対するまでにそうなるのがベストなのだし。

 それにそもそも、大晴君や阿智さんにとっても僕達との繋がりを保つメリットなど何もないはずなのだ。

「明がいなくてもあなたが阿智さんの傍にいればいいでしょう。かつて彼女があなたにしてくれたように。あなた達は立派な幼馴染みです。僕達のように、あなたにとって彼女が彼女にとってあなたが唯一人の存在になれるはずです」

 これは別に彼に対するアドバイスではなく、客観的な事実を述べているだけのことである。

「いや……そーかもしんねーけど……俺には……」

「大町君に清内路君だね。どう? 馴染んでるかい?」

 思い詰めた顔でスチール缶を握り締める大晴君の言葉の続きを待たずして、不意に僕の後ろから落ち着き払った声が掛かる。

「大澤先生!? あ、お、おはようございます、ど、どうされたんですか、こんな所で……」

 振り返ると、穏やかな微笑を湛えて大澤先生が立っていた。

 突然のことに僕は自己紹介も忘れて、質問に質問を返してしまう。僕達のことは覚えてくださっているようだけど……。

「どうしたって、今日も審査あるからね、私。そりゃあ来るよ」ハハハ、と笑いながら先生は瓶コーラを買い、一気に呷る。「ぷはぁ、くぅうぅ! いいよねこれ。ノスタルジィィ! 私が頼んで置いてもらってるんだよね、これ」

 な、何か……。こんなフランクな感じの人だったのか……全然イメージと違う……。

 大晴君も呆気に取られたように先生を眺めている。

「はぁ、いい感じに哀愁漂ってきた……早く夕日出ねーかな……あ、ところで決勝なんだけど、一本目のお題は『お互いの呼び方』についてだから」

「「え?」」

「で、二本目が、」

「いや、ちょっと! 待ってください、冗談ですよね?」

 耳を疑いたくなるような言葉。

 何だって? 決勝のお題? そんなの選手の僕達にバラしちゃっていいの? いやいいわけないでしょ!

 慌てて先生に問い詰めてしまう僕。驚愕したように目を剥く大晴君。

「冗談じゃないよ? 私が決めたんだし。都道府県予選から本選まで、大事なお題、ってか私が大事だと思う所のお題は結構意見通してもらってるんだよね。この大会は多かったなぁ、私が決めたやつ。特に君達の試合なんかはね」

「そ、そうなんですか」

「そうそう。あ、で、二本目が、」

「いやいや! だからってそれを僕達に教えちゃ駄目じゃないですか!」

「そう? まぁ二本目・三本目は私が考えたやつじゃないけど……ま、どうせ消化試合になっちゃうんじゃないかな。この感じだと」僕と大晴くんを品定めするように眺めるその顔が心底愉快そうににやける。「ま、気楽にやんなさい。あ、セミが鳴いてる……」

 そう言い残して先生は立ち去ってしまう。

「な、何だったんですかね一体……どうします、大晴君?」

 大晴君は言葉を失ったように瞠目したまま立ち尽くしていた。

「大晴君? どうしました? 大丈夫ですか?」

「あ、ああ。すまん……何でもねぇ」

 僕の言葉で我に返る大晴君。

 良かった……何か大晴君ってたまにこういうことあるよな。阿智さんがいない時は僕がついててあげた方がいいかも――

 ――何を考えているんだ、僕は。何を考えているんだ!

 ついさっき明に阿智さんとの決別を促しておいて、何自分は腑抜けているんだ!

 駄目だ駄目だ駄目だ

 明明明明明明明明明明明明明明――明。僕には明だけ。

 気を引き締め直せ。

 早く、明に会おう。

 

「めーちゃん! なんで無視するの!? いや、それそれ! 絶対聞こえてんじゃん! 無視するの慣れてなさすぎでしょ!」

 待合室に戻ると、俯く明の両肩を揺さぶりながら、阿智さんが必死の形相で喚いていた。

「ちょ、光君! おはよう! これ! なんとかして! めーちゃん、わたしに会うなり酷いこと言ってきてそのまま事切れちゃったんだけど! なんか一点見つめて瞬きもしないしこわい! 人形みたい!」

「光……」

「あ! やっと動いたし怖っ! よく五分間もその感じ貫けたね!」

 目が合った僕が微笑み掛けると、明は阿智さんを振り切って、僕に駆け寄ってくる。

「明。一人で出来たみたいだね」

「当然じゃない。私にはあなただけなのだから」

 明も僕と同じように微笑みを作る。

「おい、光君! めーちゃんに変なことやらせないでよ!」

「光は関係ないわ。私が私の意思でしていることよ。それと、もう一切話しかけないでって言ったでしょ?」

「だからそんなの――」

 大晴君が部屋に入ってくるのを見て、阿智さんは言葉を切る。

 一方、彼は思い詰めた表情で僕達の方を一瞥だけして、少し離れた席に着き、俯いてしまう。

「てめっ……!」阿智さんは自分の援護をする気を見せない大晴君を睨みつけ、「くっそ、どいつもこいつも……!」

 頭を掻き毟り、その鋭い眼光を僕に向ける。

「なぁ、光君! てめーが全部やらせてんだろ! ホント男って頼りねーやつばっかだな!」

 少し可哀想な気はする。僕らとの繋がりが切れたところで、阿智さんのことは大晴君がどうとでもしてくれるだろうと思っていたが、その彼が昨日から心ここにあらずといった感じだ。

 だが、仕方ない。これも明のため、幼馴染み甲子園を制覇するためだ。むしろ彼女達に動揺があるのなら、対戦相手としてこれ程幸運なこともないだろう。

 何の罪もない彼女には申し訳ないが、せっかく明が気持ちを固めかけている。ここでもう完全に終わらせてもらおう。

「おい! 黙ってんじゃねー! めーちゃんを返せ! クズ男! 幼馴染みバカ! もらはら男! めーちゃん独占禁――」

 阿智さんの言葉が飛ぶ。

 パァン! という破裂したような音だけが強烈に残る。

 時が止まる。

 顔を上げて目を剥く大晴君。

 息を呑むことしか出来ない僕。

 左頬を押さえて瞠目する阿智さん。

 振り切った腕を、阿智さんの頬を打った掌を背中で組み直し、ただただ冷たいだけの目で明は彼女を見下ろす。

「私のたった一人の大切な人に汚い言葉を浴びせないで」

 張り詰めた空気を破った明は、そしてそこに肌を刺すような空気を上書きしていく。

「分からないようだから、もう一度言ってあげるわ。今後一切私達に関わらないで。……何その目は? ごめんなさい、赤の他人とは目だけで意思疎通なんて出来ないのよ」

「――っ」

 阿智さんが微かに息を漏らす。息を漏らす、だけ。それ以外のことは、出来ない。

「はぁ……まだ分からない? どうすればいいのかしら? じゃあ、そうね。そもそも友人なんてできるわけがないのだから、私の口からこんな言葉が出る日が来るなんて思わなかったけれど――阿智朝日さん、あなたとは――」

 そして決定的な言葉が氷の部屋に吐き出される。

「絶交よ」

 どこまでも冷たい、感情を殺した視線。

 阿智さんは完全に俯いて黙り込んでしまった。

「さぁ、光。そろそろ試合が始まるわ。行きましょう」

 朗らかな声。軽い足取り。細められた両目。吊り上がった口角、白い歯、緩む頬、えくぼ。

 この空間において異様で異質なものの集合体が僕だけに向けられる。

「……ああ。行こう」

 そして僕は明と一緒に待合室をあとにする。

 明の右手を――唯一、その空間に似つかわしく震える手を、握りしめて。

「これで私達、本当の本当に完全無欠ね。ふふふ。幸せ」

 二人きりになった途端、異様な部品が一つずつ崩れ始める。右目。左目。

「私だけの光。光だけの私。私だけの光。光だけの私」

 剥かれた両目。不自然な程に吊り上げられた口端は左右非対称で。

「光。光。光。ずっとそばにいてね」

 声に混じる必死さが徐々に徐々にその濃度を増していく。

「光。ずっとずっと私だけの完璧な幼馴染みでいてね。光。光。光。光、光、光、光光光光光光光光光」

 充血する明の目を見据える。

「光光光光光光光光光光光光光光光」

 お互いに、その気持ちに偽りがないことを、確かめようとせずとも確かめ合って。

「光光光光光光光光光光光光光光光」

 その身体を引き寄せ。

「光光光光光光光光光光光光光光こ――」

 包み込む。

「当然じゃないか。何も心配するな。僕だけは、僕だけが、絶対に君から離れない」

 僕の胸に顔を身体を押し付ける明。

 抱きしめて、抱きしめる。

 何度も決したはずの意志を、それでもまた砕けてしまいそうになる決意を、明が流した血で固める。

 明のため。僕達のため。幼馴染み甲子園を制覇するため。

「僕と君は完全無欠幼馴染みなのだから」

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