Facebookなんてなくなっちゃえばいいんだ
僕達長野代表二組はそれ以降も快進撃を続けた。
翌日の二回戦。
僕達の相手は新潟第四代表、再会型幼馴染みの五泉・村松ペアだった。
十二年前に参加が認められるようになった再会型ナジミストは、SNSの普及によって近年その数を増やし、飛躍を期待されてきたわけだが、逆に以前よりも勝率を大きく落としている。原因は勿論、SNSで再会とか何か燃えないからである。
そんな中、SNS無しで再会を果たした上に、再会型としては珍しく親公認幼馴染みだという五泉さん達はやはり強敵だったが、「一時期離れたことで『照れ』がなくなり、イチャラブタイプとしてより濃密に馴染んでこられた」という彼らの主張を、「照れが完全に消えてしまっては幼馴染みとしての価値が薄れるのでは?」という意見で潰し、なんとか破ることに成功した。
大晴君達は姉弟型馴染みの福井第三代表大野・和泉ペアを「幼馴染みのこと姉ちゃんって呼ぶのか……」とか呟きながらも、その馴染み感で退けた。
次の日の準決勝。
僕達とぶつかった富山第二代表黒部・宇奈月ペアは、本格的に交流を持つようになったのは小学校に入ってからだが、生まれた時からの許嫁であった。初めてお目にかかるガチ許嫁幼馴染みを前にして涎と鼻血を抑えるのに必死だった僕と明だが、やはり生まれた時からずっと一緒にいたわけではない幼馴染みに負ける僕達ではなかった。
大晴君達と相対した従兄妹幼馴染みの石川第二代表輪島・門前ペアは、「従兄妹は幼馴染みなのか」という散々議論され続けて全く答えが出ていない問題に対し、「そもそも幼い頃に『従兄妹』の意味などわからない。従兄妹も友人も区別できない。馴染み始める子供達に血の繋がりの有無など何も関係ない」という独自性の高い主張で会場を惹き付けた。しかし軍配が上がったのは、「従兄を翔にぃって呼ぶのか……」とかぶつぶつ言いながら、相変わらずセオリーガン無視のプレゼンを続けていた清内路・阿智ペアであった。既に観客と審査員の心を完全に掴んでいたのだ。
評価が分かれながらも、とにかく大会を盛り上げてきた二人。異色ナジミストのジャイアントキリングを期待する会場の雰囲気に審査員すら呑み込まれたのである。
一方、当然僕達も「完全無欠」さを高評価され続けてきた。特に唯馴染み主義の先生方の票はもれなく獲得。「幼馴染みルネッサンスの目撃者になれて感激」という声さえある。
順調だと言っていいだろう。
ただ――阿智さんとどんどん仲を深めていく明に、僕はまだ何も言えていなかった。そして大会に熱中していく大晴君と阿智さんに僕自身もついつい親身にアドバイスしてしまうことが多々あった。
僕の中に迷いがなかったと言えば嘘になる。だが、もう迷っている時間はない。いや、そもそも迷う必要などないのだ。このままではいけない。もう終わりにしよう。
それにそうしなければ、二人には勝てない。勢いだけじゃない。清内路大晴と阿智朝日という幼馴染みの真の力を僕は知っている。
難敵を倒し、幼馴染み甲子園を制覇するために、捨てなければならない。僕は明以外のものを、明は僕以外のものを。
大したことじゃない。どうせ枕も投げ返してもらえないような仲なんだ。
*
「言いたいことがあるなら早く言いなさいよ」
大会四日目の準決勝終了後、十七時。自室に入って二人きりになった途端、不安げな表情で明が口を開いた。
「光が私に何かを提案しようか迷っているのは伝わっているわ。今までにない程深刻に悩んでいる。だからあなたの中で整理が付くまでは黙っていようと思ったのだけど……悔しいけれど、光が何に頭を悩ませているのか、何を私に言いたいのか、全く見当が付かなくて……もうこれ以上隠されているのにも、あなたが苦しんでいるのを見るのにも耐えられないわ」
「……悪かった。考えがまとまるまでは君にも悟られないようにしていたんだけど、まぁそりゃあ明なら気付くよね。僕も君が気付いて黙っていたことに気付いていたしね。でも安心していいよ。丁度今言おうとしていたところなんだ。それに大したことじゃない」
いつ切り出すべきか、タイミングを計りかねていた僕に明がきっかけをくれた。
やっぱりさすが幼馴染みだな。
「そう……じゃあお願い。話して」
ソファに腰を下ろす明。僕が躊躇いもなくその隣に座ると、彼女は目を見開く。
「明は阿智さんと大晴君のこと、どう思っているんだい」
「え? あ、うん、そうね……まぁ馴染みリテラシーはあまりに足りていないけれど、たまに発揮される馴染み感には引き込まれるわね。賛否両論あるようだけど実際ここまで勝ち上がっているということは……っていう話ではないわよね。その……朝日さんは……難しいわね。こんなに関わり合いを持った同年代の女の子なんて初めてだし。あんなにグイグイ距離を縮められて少し戸惑いはあるけれど……光にはどう見えているの? 朝日さんといる時の私」
「とても楽しそうに見えるよ。本当の、友達みたいだ」
「そう……ならそうなのね。あなたに楽しそうに見えるのなら、私は楽しんでいるのでしょう。あなたに友達に見えるのなら、少なくとも私にとっては、朝日さんは友達なんでしょう」
僕から目を逸らし、「……初めての」と付け足す明の頬が朱に染まる。
「嬉しそうだね」
「……あなたにそう見えるのならそうなんでしょう……。でも清内路君といる時の光だって楽しんでいるの、私には分かるわよ。それに私、もっと彼に嫉妬してしまうと思っていたけど、意外と嬉しいというか、友達といるあなたを見るのも悪くないと思えるのよね」
「僕に友達なんていないよ」
「光がそう思っていても私にはそう見えるのよ? なら認めてもいいんじゃないかしら?」
俯き加減だった顔を上げて、明が僕と目を合わす。
少し挑発的な笑みも、照れ混じりの明るい声も、随分久しぶりな気がした。
それでも――
「明。僕達幼馴染み甲子園で優勝するんだよな?」
「……? 当たり前じゃない」
怪訝そうな明を見つめて小さく息を吐く。
緊張が明にも伝わり、空気が張り詰める。
もうこれ以上先延ばしには出来ない。
しかし、固めかかった僕の決意は、「ピンポーン」というインターホンの音に阻まれてしまう。
明がドアを開けると、
「いやー疲れたねぇ、今日も」
能天気な阿智さんの声に思わずホッとさせられてしまう。
そういえばこの時間はいつもどちらかの部屋に四人で集まっていたもんな……。昨日は僕と明が大晴君達の部屋に、一昨日は大晴君達がこの部屋に。特に打ち合わせずとも、なんとなく四人一緒にいた。
僕にとって、そして明にとって、その時間はどのようなものだったろうか。
いや、やめろ。もうとっくに結論を出したはずじゃなかったのか。余計な雑念は捨てろ。何を腑抜けているんだ。やることは一つだけ。大晴君達がいても関係ない。いやむしろ彼らがいる所で言わなければならないだろ。そうだ。今だ。今言わなければ――
「明。あのさ、僕達ぐぼっ!」
ぼすっという間抜けな音。突然顔面に衝撃を受け、僕はソファに倒れ込んでしまう。
え? なにこれ? 何か飛んできた? 僕しぬの? てか……。
「大晴君……なんなんですか、いきなり……」
阿智さんに続いて部屋に入ってくるなり、大晴君が何かを投げつけてきたのだ。
「いやお前がこの前『うぇーい』とか言って投げつけてきた枕だろーが……」
え?
「お前が枕投げしてたことに俺が気づいたのさっきだからな……。何だよ当て逃げって……お前らの小中の枕投げどんなルールだったんだよ……」
あ……。
「良かったわね。本当は私が光の初めての対戦相手になりたかったけれど……でも、良かった」
穏やかな微笑みと優しい囁き。
僕が無意識に抱きしめていた枕を明がしっとりと撫でる。
「てか枕投げにルールとかあったんだね。男子の股間狙っちゃだめってマナーは知ってたけど。にひひ」
おさがりTシャツに大晴君のワイシャツを羽織っている阿智さんはぬいぐるみに跨るように女の子座りをし、「それにしても、」と続ける。
「まさかこんなことになるとはね……明日の決勝でめーちゃん達に勝てば甲子園……負けないよ、めーちゃん、光君! いざ尋常に勝負!」
そうだ……しっかりしないと……明日は大晴君達と戦うんだ。
「いえ、もう全国は決まっているわ。私達も朝日さん達も」
「ああ、やっぱりそうなのか」
「え? なに? どゆこと?」
大晴君が心得顔を浮かべる一方、阿智さんは首を傾げる。
「幼馴染み甲子園本選の北信越代表枠は二つですから。決勝進出の僕達二組で九割方決まりです」
各地区の代表三十二組が争う幼馴染み甲子園。北信越から聖地に立つことが許されるのは成績上位二組のみだ。一見、少ないようにも思えるが、北信越の競技者数・競技レベルを考えれば妥当な数字である。
「まじ!? まじ!? やったね! これ以上ない結果だね!」
「でも九割方、だろ?」
「そうですね。優勝ペアの本選出場は確定ですが、準優勝ペアは、優勝ペアが準決勝で破った相手との比較になります。僕達も大晴君達も準決勝は接戦でしたから、僕達が下した彼らが逆転で代表に選ばれる可能性もなくはないわけです。連盟も長野から二組出すよりも様々な県からナジミストを選出して、より広い地域に幼馴染み文化を根付かせたいとお考えでしょうしね」
「えー、じゃあやっぱわたし達のどっちかが落ちちゃうかもしれないんだ……」
「安心していいわ。規定上そうなってはいるけれど、実際に準優勝が選ばれなかったことはないの。色々思惑はあれど、結局余程のことがない限り、準優勝を差し置いて三位を代表に選出するのは難しいのよ。勝つのは私達だけれど、朝日さん達も今まで通りやっていれば本選出場は間違いないわ。共に聖地に立ちましょう。長野高校幼馴染みの黄金期到来ね」
そう、地区予選の決勝は消化試合みたいなもので、余程酷い試合をしなければ、決勝進出二組が順当に全国へ駒を進められる。余程無様な試合さえしなければ。
「良かったですね。全国まで行けば間違いなく早應から声が掛かるでしょう。特待欲しかったんですよね?」
「ああ、そういやそんな話もあったな。でも改めて考えたら俺別に大学でやりてーこととかねーわ。将来も農家継ぐだろうし」
「そうだった……それわたしもじゃん……冷静に考えたら別に早應とかあんま興味ない……」
……何言ってんだ、この二人……。特待のためにここへ来たんじゃなかったのか。
「まぁ進学するにしろ、家から離れるってことはできねーよな」
「だね。てかそれ進学しないってことだね。うちから通える大学なんてないよね」
いつの間にか立派なナジミストになっているじゃないか。
ああ、やっぱりこの二人は本物だ。明日だけじゃない。全国でも矛を交えることになるだろう。来年も再来年も。
本物の幼馴染みに、欠落だらけの幼馴染みが勝てるわけがない。
清内路大晴と阿智朝日を倒すために、僕と明は完全無欠にならなければいけない。
「そんなことないでしょう。車で通学出来る範囲にもいい大学はあるわ。私達も大学に拘りはないし、皆で同じ所に進んで切磋琢磨馴染んでいくのも――」
「明――もうそういうの、やめないか」
言った。遂に言ってしまった。
「え? そういうのって――」
鼓動が早まってくる。
「大晴君や阿智さんと親しく関わるのはやめよう。そんなのは僕達じゃないだろう」
「……いや、ちょっとよく分からないわ」
明がまじまじと僕の顔を覗き込んでくる。本当に僕の言葉を理解出来ていないようだ。
何でだよ、幼馴染みだろ。
「まぁ確かに明日直接戦うわけだしな。親密にしてるのを誰かに見られて変な疑いかけられる可能性もある」
「え? この大会って賭けの対象にされてるの……?」
大晴君も阿智さんも分かっていない。
駄目だ。はっきり言い切らないと。
「大晴君。阿智さん。もうやめましょう。僕達はあなた達と友達ではいられない」
呆気に取られたように固まる二人。
僅かに生まれた沈黙を明が破る。
「光、何を言ってるの?」
「すまない、明。僕が間違っていたんだ」
「何……何なのよ……あなたが言っていること、全然……」
そんなわけないだろ。
不安げに頼りなく立ち尽くす明の両肩を優しく強く掴む。
揺れる瞳を真っ直ぐ捉える。
君ならこれで分かるはずだ。
「君の言う通りだった。僕と君は今もこれからもずっと完全無欠だ。だから――」
僕と明が、同時に息を呑む。
幼馴染みだから、これで全て伝わるはずだ。
「だから、友達なんて作ってはいけないだろう?」
「っ――」
瞠目。
僅かに呼気を漏らす。
体から力が抜け、体重を全て僕に預けてくる。
「……そう……。あなたはそう考えるのね……」
僕の胸に押し付けられているので顔は確認出来ない。
それでも分かる。幼馴染みだから。
明は僕の言葉をやっと理解してくれた。
「え……? え? なにいきなり? 光君ついに壊れたの? 今までも光君達が言ってること意味不明なことばっかだったけど、今回が一番よくわかんないよ?」
普段の能天気な口調でいて、それでも大晴君を見上げるその顔はどこか助けを求めているようでもあった。
「俺にもよくわかんねぇけど……美麻もそれでいいのか?」
「はい。明にも友達はいりません。もう阿智さん達と親しくすることはないでしょう」
「おまえじゃなくて美麻に訊いてるんだが」
「明の気持ちは正しく把握しています。明。君もこれでいいんだろう?」
僕の胸の中で明が声を震わす。
「私は……光の幼馴染みだから……光の考えは正しいと思うから……」
「そういうことです」
「……そうか」
「い、いやいやいや。光君の考えとか言われても。その考え、わたし達一切説明受けてないんだけど? 二人だけのテレパシーで二人の間だけで勝手に完結されちゃっても」
「すみません。お二人には本当にご迷惑を掛けてしまったと思っています」
「いやそーゆーことじゃなくて。だって、え? わたし達、友達じゃん。ね、めーちゃん?」
「……友達じゃ、ないわ……」
「なに……? なんなの……?」
「僕達はずっと友達なんて作らずに二人だけで馴染んできたんです。あなた達と親しくすることは僕達の全てを否定することになってしまう」
「……いや、わかんないからね、それじゃ。光君達の全てってなに?」
駄目だ、明。
「完全無欠の幼馴染みであることが僕達の全てです。友達を作らなかったことが間違いだったと認めてしまえば、僕達に欠落があったことになってしまいます」
「……いーじゃん別に」
駄目だ、僕。
「いけません。そんな幼馴染みでは、あなた達に勝てない」
「そんなこと言われてもね。全然意味不明だから。てかさ、実際光君とめーちゃんってそんなに完璧じゃないでしょ。険悪なとこあるじゃん。二人きりのとこにわたしらが入ってったらホッとしたりしてたじゃん。二人だけで円満にやっていくなんて誰にだって無理なんだよ。友達作っちゃえばいいじゃん。別にそれでも絶対、光君とめーちゃんはすごい幼馴染みだもん」
駄目だ。阿智さんが食い下がってくることに、喜んでなんていけない。
「僕達に不和などありません。もし僕達の仲が悪く見えたのなら、それは僕の中に勘違いがあったせいです。でももうそんなものはない。僕と明はこれからも二人で完璧にやっていけます。僕達には僕達以外、必要なものはありません。阿智さん達にこの四日間多大な迷惑を掛けてしまったのも全て僕の勘違いのせいです。申し訳ありませんでした」
「チッ、光君会話になんねーな……」
頭を荒々しく掻きながら、阿智さんは傍らに立つ大晴君を睨みつけるように見上げ、
「てか、ねぇ? あんたも光君達にもっとなんか言ってよ。なに納得したような顔してんの? かっこつけてんの?」
そうだ。
「……俺はなんとなく光の考えがわかる気がするけどな……まぁ少なくとも何かを真剣に考えて出した結論だってのはわかる。なら俺らがどーこー言うことじゃねーだろ」
彼のようなあっさりとした反応が普通なんだ。僕達は元々友達でも何でもないのだから。
「は? なにそれ? かっこつけてんじゃん。かっこわる、きも」
「光と美麻の間に何かあんの、お前だって感じてんだろ。二人が抱えてる問題に対して俺らがどうしろってんだよ」
「わかんないじゃん。わたし達なんの説明もないまま、友達やめようって言われてんだよ? 理由話してくれたら解決できるかもしれないじゃん」
「他人にはどうしようもねーことあるだろ。……お前にはねーのかよ、俺とのことで、誰かに話したり、解決してもらったりなんてできねーこと」
「――っ! え……? は……? なに……? なにいきなり……? なにいきなりそんなこと!?」
大晴君の言葉に驚愕したように目を剥き、徐々に声を荒げていく。
阿智さんらしくない姿を目の当たりにし、僕と明も息を呑む。
「……あんのかよ」
阿智さんに視線を向けもせず、素っ気無さを装いながら出たのだろう一言からはしかし、確かに彼の苛立ちが滲み出ていて、そして、
「は!? なにそれ!? 意味わかんない! あんたから蒸し返しといて!」
「光達のこと見てて何も考えねーのかよお前は!」
結局、爆発してしまう。
「なに……? なにキレてんの!? 考えてるよわたしだって! でもあんたが……あんたのせいじゃん! あんたが悪いじゃん! はじめから全部!」
今にも取っ組み合いの喧嘩を始めてしまいそうな程にヒートアップする二人。
いけない。何故急に火が点いてしまったのかは分からないが、とにかくこれ以上二人に迷惑を掛けるわけにはいかない。
「ちょっと! やめてくださいよ。僕達をきっかけに喧嘩なんてしないでください」
顔を突き合わせるように睨み合う二人の間に何とか入っていく。
大晴君はハッとしたように我に返り、浅く吐息を漏らすと、
「……いいや。俺が退く。一ポイントでいいよな?」
「……うん。じゃ、それでチャラで」
阿智さんもぶっきらぼうに、それでいて淡々と彼の提案を承諾する。簡素なやり取り一つで二人ともすっかり怒りを収めてしまったようだ。
大晴君は「ごめん」や「ありがとう」が言えないと話していたが、そんなものがなくてもこの二人は何も背負わずにやれているのだ。
大晴君は面倒くさそうに後頭部を掻きながら、
「お前、これで貯まっただろ五ポイント。さっさと済ましてくれ。今回は何すりゃいいんだ。足でも舐めるか?」
「は? 舐めたいの? 舐めてもいいけど、それはあんたのほうがポイントためてお願いすることだよね? てか、いいや、今は。とっとく。だって――」
阿智さんは幼馴染みに背を向け、
「だって、まだまだ無理でしょ」
抑揚を抑えつけるように続け、部屋を出て行ってしまう。
「お前……」
大晴君は呆気に取られたように数秒立ち尽くした後、唇を噛み締め、拳を握り締め、そしてまた数秒後、一気に脱力するように大きく息を吐き出した。
その間に彼が何を考えていたのかは分からない。そもそも彼らの会話も全く理解出来なかった。
だが、それでいいのだろう。清内路大晴と阿智朝日は元々周りを置き去りにしたやり取りを展開するのだ。それが二人の長所かつ短所であり、それは僕達にとって、彼らとの対戦プランを立てる際に参照すべきデータとして重要なものであり、そして、それ以外の意味合いを持たない。それ以外のことは、もう僕達には関係のないことだ。
大晴君は僕達の方を振り返りもせず、
「……俺達も悪かったな。じゃ」
静かにそう言い残し、部屋を後にした。
そしてこれで完全に、僕達と清内路大晴及び阿智朝日の間にあった繋がりは断ち切れたことになるだろう。
大晴君が部屋を出た数秒後。
緊張感から解放された明がふらふらとよろめきながらベッドに倒れ込む。僕も明に続いてしまいそうになるのを、身体に力を入れてグッと押しとどめた。
明と部屋で二人きり。
それでも、気まずさはない。
背負う必要のない罪をやっと捨てることが出来た。
罪悪感がなくなった今、僕と明の間にあるべき居心地の良い場所が帰ってきた。
僕達はまた完全無欠になれたのだ。
「明。本当に今まですまなかった。僕達の間に後ろめたいところなんてないよな」
ベッドの上、明の傍らに腰掛け、しっかりと目を見て問い掛ける。
「……うん。嬉しいわ。こうやって完全無欠であることを確かめ合うのって必要なことだもの」
僕に髪を手櫛されながら、幸せそうな声でそう話す明に、それでも僕は言わざるを得ない。
「……じゃあ、そんな寂しそうな顔するなよ」
「違うの。少し疲れただけ」
その儚げな微笑みに、似つかわしくない陰りが差したような気がして。
「光こそ、疲れた顔しているわよ。ふふ、でもそんなのきっとすぐに癒されるわよね。二人でこうしていれば」
明の手が僕の手に重ねられ、その温もりに、野暮な指摘を思いとどまらされる。
身を寄せ、指を絡めてくる明に、僕も応える。
お互いの体温を感じることだけに時間を浪費する。久しぶりの贅沢。
二人のあるべき姿をやっと取り戻せたのだと、改めて実感する。
でも本当にこれで良かったのか。
「明。君がこんなに甘えてくるなんて珍しいね。今までにもあまりなかったんじゃないかな」
「そう……かしら」
自信なさげにそう言いながら逸らしてしまった目を、また僕に向け、明は甘い声で続ける。
「……そうね。でも、幸せなんだもの。いろいろあったけれど結果的には二人の馴染みをより深められたと思うし、それでこうやってあなたと繋がっていられるのだもの。ふふ。少しくらい甘えさせてくれたっていいでしょう?」
承諾の意を示すために、目を細め、口角を上げることを意識しながら明の頭を優しく撫でる。
でも、君はそうやって寂しさをごまかしているだけだろう。
いや、いいんだ。阿智さん達との別れに寂しさを感じてしまっているのなら、そんなものは僕が忘れさせてやればいい。簡単なことだ。元々君には僕しか必要ないのだから。
「明。今日は一緒に寝ようよ」
「え、えと……ここに来てからはずっと一緒に寝ているわけだけれど……というと、それはつまり同じベッドでという、そういう」
「そういうことだね」
狼狽える明の言葉にかぶせるように言うと、見る見るうちにその顔が赤くなっていく。
「いや、でもまだちょっと早いし、大会中にあまり関係を発展させると戸惑ってしまうというかしばらくもう正常でいられなくなってしまうと」
「はは。同じ布団で寝るのなんて子供の頃はよくしていたじゃないか。発展も何もないだろう? 何を想像していたんだい?」
「もう……」
明が膨らませた真っ赤な頬をつついてやる。口から空気が抜けるのを合図に、二人同時、顔に微笑みを貼り付ける。
幸せだ。どこからどう見ても僕達は幸せで、誰も文句の付けようがない関係を作れている。
他のものが入る隙間がまるで無い、完璧な繋がり。お互いにとってお互いが唯一無二の存在。
僕は僕達のために正しい選択をした。
幼馴染み甲子園優勝のため、何も間違ったことはしていない。
いつの間にか二人とも、そのまま眠りについていた。
つまりその日僕達は、その言葉を覚えて初めて、「おやすみ」と交わさなかったことになる。




