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阪神の助っ人

 大晴君と隣り合って座ったまま、枕投げを正しく始める方法について二十分ほど思索していると、頬をほんのり紅潮させた女性陣が戻って来た。

「はぁーいい湯だったねぇ」

 熊犬の頭部をうちわ代わりに扇ぎながら阿智さんが言う。

 白いTシャツ。胸には『浪里中学校』という青字のプリント。その下に『一年 清内路大晴』と黒いペンで書かれている。どう見ても中学校の体操着である。そしておさがりである。

 下は、履いてな――え? い、いや、は、履いてるよね? うん、履いてる。

 グレーのショートパンツの裾がかろうじて確認出来る。Tシャツのサイズが大きいため余った丈が、短いショートパンツを九割方覆っているのだ。

 サイズが合っていないということは当然、肩や胸元もあらわになる。日に焼けた褐色部分と日に当たっていない美白部分の境目が丸見えだ。にもかかわらず「あちーあちー」言いながら布と肌の間に風を通そうと襟をパタパタするので余計に美白面積が――ていうか、え?

 この子、下着付けてる……? なんか胸……

 ――何をじろじろ見ているの?

 ブラウスの第一ボタンまできっちり留めた制服姿の明が、険しい双眸を光らせ、僕の両眼をロックオンする。やべぇ……。

 ――脱衣所で朝日さんの裸、見たのね?

 ――僕は見ていないよ!

 ――本当に?

 ――本当だよ! ほら、目も逸らさないし、貧乏ゆすりもしていないし、鼻の頭も掻いていないだろう!?

 ――元々、目で会話している時にそういう癖は出ないわ。

 ――それはそうだけどさ!

 ――まぁ……目の時の癖が出ていないし、信じるわ。

 ――良かった……え? なにそれどんな癖おしえて。

 ――教えるわけないでしょう。あと、これ。

 明がマンション備え付けのフェイスタオルを投げつけてくる。

 ――うん、分かってるさ。

 僕はそれをキャッチし、左右の眼を隠すため頭に巻く。

「ん? 光君なにしてんの?」

「君が大晴君以外の前でそんなはしたない格好するからですよ、アッチソン!」

「え、意味わかんないよ? あとそのアッチソンってのやめてね」

「アッチソン……」

「いやホントマジだから」

 噛んだ勢いで距離を縮めようとしたが当然のごとく失敗した。

 明が僕の前に座り、

「ところで他に言うことはないかしら?」

 肩に掛かる綺麗な黒髪をサラッと払った。

 青りんごのような爽やかさ。同居する控えめな甘さ。

 馴染みの匂いを鼻で感じながら、

「ああ、今は大晴君達がいるからお風呂上がりでも髪を縛ってはいるけど、普段よりは緩めに結んでいるんだね。うん、いつもの君が一番可愛いけど、それも新鮮味があってなかなか良いと思うよ!」

「見えてるじゃないのよ!」

「痛い痛い痛い! ちょっと指入ってるって! そっちじゃない! 右目! 親指!」

 タオルの上から両目を強く押さえつけられる。

「こんな眼球は潰れてしまえばいいのよ!」

「いや違うんだって! タオル巻く前に見たじゃないか! 今はこの至近距離ならうっすら見えるけど、阿智さんの姿までは視認出来ないよ!」

「えーなに、もしかしてわたしのこのかっこを光君に見せたくないってことなの? そういうことなら上に羽織ってもいいけど。こいつのワイシャツなら膝まですっぽり隠れるしね。でもさぁ、こいつなんて毎日こんなの見てんだよ? さっきなんて、わたしの裸上から下まで舐め回すように観察して脳内保存してたんだから」

「あまりにキモくて容易には忘れらんねーだろうな」

「はぁ……また悩める思春期にオカズを提供してしまった……こいつ高校では硬派気取っててオカズの貸し借りできないから、一年くらい同じエロ本ばかり使い続けてるんだよ? ゴミ箱のティッシュは常に山盛りだけど、スマホからも部屋からも最近は新しいオカズが発見できないの。オカズとゴミ箱のチェックして天国のおっかぁに報告するのは幼馴染みの義務なのに」

 勝手に過酷な義務を背負わせないで欲しい。明の手がピクピクし始めちゃったじゃないか。僕の目が危ない。

 そういや阿智さんも普通に「幼馴染み」って言えるようになったね。

「可哀想だからこの前、押入れの一段目と二段目の仕切りに施された自作からくり扉の奥に隠してあるその唯一のエロ本の一番くっきり開き癖がついてる『もぅすとふぇーばりっとページ』にわたしの自撮り水着写真を貼り付けといたげたの」

「お前アレ最低最悪の嫌がらせだからな!」

 大晴君の嘆きが、先程までより高い位置から降ってくる。腰を上げたのだろう。思春期男子の権利を侵害する阿智さんに、真っ向から立ち向かおうという意志が感じ取れる。

 ていうか下ネタやめて! 明の手に力入っちゃうんだってば!

「んー? でもさぁ。次の日またチェックしたら、わたしの写真とページがくっついてたんだよねぇ。写真の表側がだよ?」

「え……?」

 挑発的な声。続いて、虚を突かれて漏れたような間の抜けた声。タオルと明の手のせいで確認出来ないが、阿智さんは絶対ニヤニヤしている。大晴君は絶対呆然としている。

「わたしが丁寧に剥がしといたげたから気づかなかったかな?」

「ちがっ……! 違うからな! マジで! あの日はお前の嫌がらせに気づいてなくて、お気に入りのページでフィニッシュするように完璧に調整してたんだ! なのに限界ギリギリでいつものページを開いたらお前の気持ち悪い写真が貼り付けてあって! そこまできたらどんだけ嫌でも男はもう止められないんだよ! いやマジだからな!」

「んー? そうなの? ふーん、でもさ、そうだったとしても、ページ。張り付いてたんだよ? いつもはそんなことないよね? 必死に拭いたんだろうけど、きっといつも以上にいーっぱい出ちゃったんだろうねぇ。そんなにわたしの写真妊娠させたかったのかな?濃厚な匂いも残ってたし、粘着力もすごくて破れないように剥がすの大変だったんだゾ? にひひ」

『いーっぱい出ちゃったんだろうねぇ』辺りで、崩れ落ちた両膝が床に打ち付けられたような音が聞こえてきた。今は「違うんだ違うんだ違うんだ」という呪詛のような呟きが届いてくる。明の手からは力が抜け、そこから動揺も困惑も読み取れなくなった。

 酷すぎる下ネタが明の性知識幅を飛び越えてくれたんだね……。

「馴染みのオカズは持って来なくてよかったのかな? あ、本物が一晩中隣で寝てるから必要ないのか。にひひ。昨日はずっとわたしに観察されてたから結局一回もできなかったでしょ? 別に気にせずしちゃっていいんだよ? わたしが何十回あんたの見たことあると思ってるのかな」

 子供をあやすような、わざとらしく優しげな声が近づいて来る。

「今日はさ、最高に気色悪いオカズも手に入ったでしょ? すっごい溜まってるだろうし、もう頭の中が出すことだけに支配されちゃってるだろうね。最高記録更新しちゃうかな? 夢の二桁だね! で、この話全部、みんなにしちゃっていいかな?」

「ふざけんな!」

 いやこれやっぱ「気色悪い」言われたの根に持ってますやん……。

「もう僕達聞いちゃったんですが……」

「光達ならまだいいけどよ、昔から知ってる奴らに知られたら死ぬる」

 そうか。阿智さんと大晴君の間で「みんな」は、親族や他の幼馴染み達のことを指すのか。

「しょうがないなぁ。じゃあ黙っといたげる代わりにDMSP一点ね」

「ああわかってるよクソが!」

 大晴君はどんな表情をしているのだろうか。阿智さんへの嫌悪感が剥き出しになっているのではないだろうか。阿智さんが怒る気持ちも分かるが、さすがにこの仕打ちは酷いだろう。

 これ、大丈夫なのか……二人のこれからの関係に響いたりしないのかな……。

「いえーい四ポイント」

「Pはポイントのことかしら」

 あっけらかんとした声色。明はゲス話を理解することを完全に放棄したようだった。

 うん、それでいい。間違っても悪い友達に染められないでね。

「うん。『どんな命令にも従います券ポイント』だね。五ポイントでDMS一枚と交換できるね」

「あと一ポイント貯まったらどんな命令をするの?」

「そーだなぁ、毎日チェックするのも大変だし、今度から、する度にわたしに報告することにさせようかな。使ったオカズも報告。出した量も調べてデータ残さなきゃだから画像で送ってもらおうかな。あ、でもそれじゃ匂いがわかんないね……やっぱ報告受けたら現場に行くことにしよう。いやどうせ行くなら事前に呼ばせれば……はっ! そうだよ、毎回する直前に報告、わたしが現場に直行。そしたらわたしは簡単かつ詳細に記録が取れて、こいつにとっても最高のオカズが目の前にデリバリーされる……これぞウィンウィンの関係……! ウィンウィン幼馴染みだね! 響きが卑猥! にっひっひ」

 阿智さんの下話を理解してしまったのか、ふと明の手が僅かに動く。タオルがずれ落ちて、右目の上半分だけが視界を取り戻す。

 阿智さんは大晴君の前で、W字に開いた両脚の間にお尻をペタンと落として女の子座り。露出した肌を隠すかのよう胸にぬいぐるみを抱くその顔は、満足げにほくほくとしている。大晴君は抱えた両膝に顔を埋めている。むくれてはいるが、後に引くような嫌悪感を出してはいない。

 幼馴染みならこの程度のことで関係が壊れたりしないと、僕に見せ付けてくるかのようだった。

 ――あれ?

「阿智さんは、十二歳の時からずっと大晴君の部屋を漁って、性生活を監視し続けているのですか?」

「うん。観察日記は二十六冊目に入ってるよ。見る?」

「ふざけんな!」

「二十六冊……もしかして毎日ですか?」

「あれ、言わなかったっけ? 毎日部屋上がってるって」

「いや毎朝起こしに行っているのだとばかり」

「え? なんで? 逆ならわかるけど」

 そうだったんだ。

 阿智さんも大晴君を束縛していたんだ。お互いを異性と認識した上で。

 それでもこの二人の関係が壊れることなんてなかった。

 そういうことなんだ。

 これが幼馴染みなんだ。

 ずっと一緒に馴染んでいられるのは、どんなことがあっても負い目など背負わないからなんだ。

 生きたイナゴを食べさせられようが、変な癖を付けられようが、肥溜めに落ちようが、母親を亡くそうが、裸を見られようが、束縛され続けようが、二人でなら何てことない思い出として昇華してしまう。

 二人の間に後ろ暗い所など背負わない。だからいつまでも、生まれた時から「今」まで変わらぬ間柄のまま共にいられる。それを大晴君は「生ぬるさ」と表現していて、そしてそれが、清内路大晴と阿智朝日の関係――「幼馴染み」というものなのだ。

 僕らは違う。僕らは幼馴染み甲子園という鎖があったから馴染みざるを得なかっただけだ。

 それでももう関係は壊れ始めている。

 引け目があったからだ。束縛し合って友達を作れなかった、という引け目が。

 僕達はつい最近まで、心から友達はいらないと思っていた。お互いがいればそれ以上何もいらないと信じていた。そして実際、二人きりでいることがこの上ない幸せだった。

 だから友達がいなかったことが僕達の「これまで」の欠点だとは思わなかった。二人の「これまで」は完全無欠だったと信じて疑わなかった。

 僕達の「今」が壊れたのは、「今」友達を欲しいと思ってしまったからだと、自分に言い聞かせてきた。

 だが違った。十六年間築き上げてきた完璧な関係が突然崩れるはずなどない。

「これまで」間違い続け、少しずつ腐食されてきたから、「今」ヒビが入り始めたのだ。

「これまで」友達が欲しいという気持ちを抑圧し続け、互いに友達を作らせないという罪の意識を背負い続けたから、「今」僕と明は仲が悪いのだ。

 そんな当たり前のことに気付かないふりをしてきた。自分を欺いてきた。

 ――でも本当に認めてしまっていいのか。僕と明の「これまで」には欠落があったと。

 僕と明の全てが間違っていたと。

 

 ――後ろめたさがある関係なんて――――幼馴染みとは言えないわ。

 

 ああ、そうか。明の言葉がやっと理解出来た。

 僕はあの時、「険悪な仲を隠していること」を後ろめたさと表現した。だが、明の言う「後ろめたさ」とは「これまでの負い目」のことだったんだ。

 自分達の「今」も「これまで」も、間違っていたはずはない。罪科を負った「これまで」も、それによって崩れる「今」もない。幼馴染みとはそういうものだと、明はずっと主張していたんだ。

 対して僕は「これまで」にプライドを持っていた癖に、明との「今」を否定するという矛盾した態度を取り続けてきた。現実から目を背けてきた。

 正しいのはずっと明だったんだ。

「今」も「これから」も否定していいわけないじゃないか。

 僕と明は紛れもなく幼馴染みなのだから。

 僕達に負い目なんてない。つまり、友達を作らなかったことは間違っていない。

「あ、ちょっと光! タオルずれているじゃない! 朝日さんのこと見ていないでしょうね!?」

「見ているわけないだろ。僕は君のことしか見ない。これまでも、これからも」

「え? そ、そう? あ、ありがとう……じゃないわね、それが当たり前なのよ。だって――」

 そしてこれからも、友達は必要ない。友情を求めることは僕達の「これまで」を否定することである。そして「これまで」が間違っていたとすれば、「今」も「これから」も僕達の関係は悪い方向に進んでいくことになる。

 だから最近僕と明は上手くいかなかったんだ。友達を欲しいだなんて血迷った発想で、輝かしい「これまで」を汚してしまったせいで。

 でもまだ間に合う。すぐにそんな考えを修正すれば何も問題ない。

 僕達に友達なんていらない。僕には明が、明には僕がいればいい。

「だって、私達は幼馴染み甲子園を制覇する完全無欠幼馴染みなのだから」

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