消えた王子
その頃、タウンゼント城内一室には、ただならぬ空気が漂っていた。
「ジャックが、消えた?」
数名の兵士と向かい合わせに立つサイラス国王は、神妙な面持ちでそう言葉を放った。
唇を噛み締めて深く頷く兵士の額からは冷や汗が流れ落ち、場内が緊張と焦燥に包まれているのが分かる。
昨晩、魔女狩りに行くと言って城を後にしたジャックに、サイラスはいつものように数名の護衛を送り付けた。
ジャックが勝手に魔女を探しに城を出るのは、城内の者なら誰もが知っている日常的な行動だった為、特に誰も気に留める事はなかった。
ジャックは魔女を捕まえて誇らしげに帰ってくる日もあれば、魔女を見つけられず不機嫌そうに帰ってくる日もある。
サイラスはそんなジャックを、昨晩も静かにワインを飲みながら待っていた。
しかしどういう訳か、ジャックは世が明けても帰ってこなかったのだ。城に帰ってきたのは護衛に送った数名の兵士だけだった。
その瞬間から場内には今に至る緊張感が張り詰めた。
兵士達は今、昨晩の出来事をサイラスに説明しているところである。
「魔女を見つけたと言って森の中へ走っていかれたので、我々もすぐに追い掛けたのです」
「しかし突然、目の前でジャック様は姿を消してしまいました」
「これは恐らく魔女の仕業かと・・・」
サイラスの脳裏に浮かんだ言葉は、魔女による逆襲。
ついに恐れていた事が起きてしまったのだ。
次第に顔色を悪くしたサイラスは、頭を抱えるとその場に崩れるように座り込んだ。兵士達はすぐさまサイラスに駆け寄り、心配と謝罪の言葉を投げ掛ける。
「陛下!」
「申し訳ございません!」
「我々の過ちです!」
サイラスは下を向いたまま首を横に振り、事の発端は自分にあると、兵士達に向けてそう言った。
王子であるジャックの行動に今まで深く注意を払ってこなかったのには、ある理由があった。
何故ならジャックの身体には、生まれつき魔力を無効化にする特別な力が宿っていたからだ。それはジャックのみに与えられたある種の魔法。
サイラスはそれを"アルカナ(秘)の力"と呼んでいた。
ジャックが今まで一度も魔女に心を操られなかったのも、この力のお陰である。
その為サイラスは今日この時まで、完全に安心しきっていたのだ。
そして今、予期せぬ悲劇を耳に受けたサイラスの頭の中は大混乱に陥っていた。
まずジャックは無事でいるのか。そしてこの事実を国民にどう説明すればよいのか。
サイラスはしばらく頭を悩ますも、良い答えを見つけられずにいた。
「このままでは、世界中が大騒ぎになってしまう」
「陛下・・・」
事の重大さを見に染みて感じる兵士達の目には、焦りの色が浮かんでいた。彼らもまたジャックの身は安全であると、事件が起きるまでは安心しきっていたのだ。
「やむを得ん。オリヴィアに連絡を取ろう」
ふと冷静を取り戻したサイラスはそう呟いた。ゆっくりと身を起こすと扉に向かって歩き出す。
「王妃様に、ですか」
兵士の一人は少し困惑した表情で、サイラスの背中を見つめながらそう尋ねた。
"オリヴィア" それはサイラスの妻、この国の王妃の名前であった。何よりも自由を愛するオリヴィア妃は、一つの空間に留まって生活する事が出来ず、現在クランバース王国とは離れた場所で暮らしていた。それは個人の事情によるものだと、王国民には伝えられていた。
「ああ、しかしこの事はまだ誰にも話さないでくれ。オリヴィアと連絡が取れたら、君達にも報告する」
サイラスは一度振り返ってそう告げると、再び前を向いて歩き出す。
「承知致しました!」
兵士達の引き締まった声が室内に響き渡った。