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7話 壁外地獄責め

 ジョバンニが意識を取り戻した翌日の事。

 ジョバンニを療養させるために用意されたマール領主館の客室。


 ベッドに寝転ぶジョバンニのそばには、椅子に座るレイスがいた。

 今日はレイスだけでなく、ダイニーとフィッツィ、マーティも付き従っている。


「端的に言おう。ヘルシオン軍、三万の兵は張りぼてだ」


 レイスはジョバンニに説明する。


「張りぼて?」

「そうだ。調べさせた結果、三万の殆どは急遽徴兵された民兵連中。クワやスキぐらいしか握った事がないような農民集団だ」

「そうだったんだ」

「ああ。その中でも正規の兵士は逃げ帰った七千五百。だから実質、戦力の補充がなされていないという事だ。そしてここで注目してほしいのは、何故戦力の補充がなされないのか、という所だ」


 ジョバンニは頷いて先を促す。


「私は黒死隊にヘルシオンの全域を調べさせた。それこそ隅々、隣国との国境付近までな。その結果、ある事がわかった」

「何がわかったの?」


 ジョバンニが訊ねると、レイスはマーティに目を向けた。

 マーティは一礼してから口を開く。


「現在、ヘルシオンは隣国と戦争している。それも一国ではなく二国から攻められ、二面作戦を強いられている状態だった。しかも戦況は芳しくないらしい」


 ジョバンニはその情報の意味を考える。

 何故、遠い戦地の事が今の状況に関係してくるのか。

 少し考えて、ジョバンニは気付く。


「二面作戦で、こちらへ兵を割く余裕がないんだ」


 だからこそ、ヘルシオンは今までアランドへの侵攻に兵の補充をしなかった。

 というよりできなかった。

 最初の戦いでも、その次の戦いでも、攻めて来たのは生き残りの兵士達だけだった。

 それは、送るための兵士がそもそもいなかったからなのだ。


「その通り、そしてそれだけじゃない。

 無理にアランドを攻めようとするのも、その戦争が原因だ。

 そもそも、最初に謀略を用いてまでアランドを欲したのは、今回の戦争を有利に進めるためだったに違いない。

 木材、鉄、食料、どれも戦に必要な物資がアランド領からは豊富に取れる」


 レイスがアランドへ来る前、ヘルシオンは隣国との戦争を始めていなかった。

 始めていれば、レイスもその情報を察知できていたはずだ。

 その頃にはまだ、王も相手の動きをなんとなく察知していた程度なのだろう。

 だから、戦争が始まる前にアランド領を手に入れておこうと考えた。


「だが、結果として逆にマール領を奪われてしまった。マールは穀倉地帯。そこを奪われた事で、糧食が足りなくなってしまう恐れが出た。というか、ヘルシオンの西部、アランドからヘルシオンまでの間は殆どが穀倉地帯だ。このまま進攻される事を怖れたのかもしれない」

「今のヘルシオンには物資が足りない。特に食料の余裕がない。だから、無理にでもアランドを下さなければならないってわけか」

「今回の事はそのための奇策だ。実際はあまり役に立たない兵士で脅しをかけて、ジョバンニからアランド領を奪うつもりだったはず」

「あれ? でも、それじゃあなんでだまし討ちなんてしたの? あれがなければ、僕は身柄を拘束されて戦う必要もなかったのに」

「それは人選ミスとしか言い様がない。恐らく、現場指揮官の独断だ」

「じゃあ、あのフィアンって人が勝手にやったって事? どうして?」

「簡単な話だ。フィアンは獣人をひどく嫌っている」


 ジョバンニは納得した。

 それほどに、王国民の獣人蔑視は強いのだ。


「でも、それで王様の勅命をたがえたの?」


 流石に、そこまでして獣人嫌いを貫くのも異常だ。

 だが、レイスはその異常性を肯定した。


「恐らくな。でなければ、整合性が取れない。まったく意味の無い作戦だ」

「んー……」


 ジョバンニは腕を組んで唸る。


「どうした?」

「それでも、三万だよ? それが殆ど戦力にならなくても、槍を振る事はできる。槍を振れるなら、攻撃くらいできるじゃないか」

「確かにそうだな。しかし、兵士というものは攻撃の技術だけでなく、心も鍛えるものなのだ」


 レイスは不敵な笑みをジョバンニへ向けた。


「だから今回は、訓練を受けていない兵士を戦術に組み込もうとする指揮官の無能さを証明してやろう」


 そう言って、レイスは作戦を説明し始めた。




「お前ら、少し席を外せ。ジョバンニに話がある」


 作戦の概要を説明し終ると、レイスは護衛の二人とマーティに向けて告げた。


「よろしいので? また弓矢が飛んでくるかもしれませんよ?」


 フィッツィが至極真面目な表情で訊ねる。


「この個室のどこから飛んで来るんだよ」

「ですよねー」


 フィッツィはあっけらかんとした調子で返し、簡単に自分の言をひるがえした。

 からかっただけなのだろう。

 何故か二人きりでいる時に限って、ジョバンニは弓に射られるのだ。


 護衛の二人とマーティが部屋から出て行く。


「さて、ジョバンニ」

「うん。何か話?」

「ああ。私はお前に謝っておかなければならない」

「何を?」


 レイスの声は固かった。

 緊張に強張っているのかもしれない。


「セルヴォの事だ」


 ジョバンニの心臓が一度大きく跳ねた。


「うん……」


 一つ頷いて先を促す。


「私はセルヴォを守ってやれなかった」

「え?」

「私はセルヴォが狙われていた事を察知していた。だが、暗殺を防ぐ事ができなかった。間に合わなかったんだ」

「……やっぱり、父さんは殺されたんだね」

「気付いていたか」


 ジョバンニは頷く。


 多分、そうなんだろうな。

 と、噂話を聞いて思っていた。


 それが確かな形になっただけだ。

 ショックは無い。

 それよりもレイスが父を殺したわけじゃないとわかって、安心したくらいだった。


「慰めにならないかもしれないが、セルヴォの暗殺に関わった人間はその殆どを始末している。黒死隊を総動員して殺し回った。下手人も、仲介した者も、金を出した者も、計画した者も、殺せる者は全員殺した」

「もしかして、黒死隊の都市伝説ってその時の事が原因なの?」

「ああ。黒装束の者達が目撃された場所では、人が死んでいるというものだからな」

「ありがとう」


 ジョバンニに礼を言われて、レイスは意外そうな目で見た。


「礼を言われる事じゃないだろう」

「父さんは死んじゃったけど、それでも守ろうとしてくれたんでしょ?」

「……そうだな」

「だから、ありがとう」


 ジョバンニはもう一度礼を言った。


「私は行くぞ。準備があるからな」


 照れくさくなったレイスはくすぐったそうに苦笑いし、部屋から出て行った。




 それから二日後、マールの領主街は三万の兵士に取り囲まれていた。

 街の城門は固く閉ざされ、内側から土嚢が積み上げられていた。

 住民は周辺の村々へ一時退避させているので、誰一人残っていない。


 レイスは城壁の上から外を見下ろし、三万の兵士を眺めていた。

 黒い仮面に男装のセルヴォスタイルだ。

 その隣には、包帯でグルグル巻きになったジョバンニがいる。


「相手は三万の兵士。対する当方は三千ほど。攻城は相手の三倍の兵力で当たるのが妥当である。十倍そろえれば圧勝だろうな」


 レイスが言うと、ジョバンニは渋い顔をする。


「そんな事を聞くと不安になる」

「心配するな。説明はしただろう」

「そうだけど、数が数だから心配なんだ」

「まぁ見ていろ。私が、空論を机上より掴み取ってやる」


 言って、レイスは口角を鋭利に上げた。




 フィアンは追い詰められていた。


 彼は王命を破った。

 それでジョバンニとレイスを亡き者にできていればよかったが、彼はその機会すらもとり逃した。

 もしも、ジョバンニとレイスが王と連絡を取るような事があれば、彼は打ち首となる事だろう。

 かくなる上はこの戦において勝利し、ジョバンニとレイスを始末しなければならない。

 彼には後がなかった。前に進むしかないのだ。


「歩兵部隊、攻撃を始めろ。一気呵成いっきかせいに攻め続けろ」


 彼に明確な戦略はなかった。

 攻城戦においては、取れる方法が限られているからである。

 フィアンはその中でも最も単純な物量による力押しを選んだ。


 食料の備蓄も少なく、短期に攻め落とす必要があった。

 三万という莫大な兵力もまた、彼にその方法を取らせた理由だった。


 兵士達はフィアンの号令に従い、城壁へ向かっていった。

 城門へ丸太を持った数名の兵士達が走って行く。

 はしごを持った兵士が城門に取り付こうとする。

 そんな彼らへ城壁の上から容赦の無い弓矢の雨が降り注いだ。

 兵士達の歩調が乱れる。


「怯むな! 進め!」


 そんな兵士達を叱咤して、フィアンは街壁を攻めさせた。




 街壁の上。


「ところでジョバンニ。攻城の手段という物はどんな物がある?」


 急に問われ、ジョバンニは首を傾げて思案する。


 籠城の真っ只中、二人の周辺は慌しく兵士が走り回り、はしごで登ってくる兵士への対応や門を破ろうとする兵士達への弓射で大忙しだった。

 そんな時の唐突な質問である。


「はしごで壁を登る。城門を破る。穴を掘る。この三つかな。意外と少ないね」

「直接的に攻めるならそれぐらいだな。あとは兵糧攻めぐらいだが、この街には前もって食料を大量に備蓄させている。ヘルシオンの食料事情から考えれば、向こうの糧食が先に尽きるんじゃないだろうか」

「じゃあ、やっぱり三つ?」

「穴を掘る事は時間がかかる。食料が少ないからその手は取れない。掘っている内に食料が尽きる。だから、二つだ」


 レイスは指を二本立ててジョバンニに向けた。


「さて、じゃあもう一つ問題だ。何故、攻城には三倍の兵力が必要なのだと思う?」


 ジョバンニはまた頭を悩ませる。


「守る方が有利だから?」


 自信無さそうにジョバンニは答えた。


「具体性はないが、間違ってはいない。何故有利なのか? それは相手の頭上を取れるからだ。生き物は、頭の上から来るものへの対応が苦手なんだ」

「なんとなくわかる気がする」

「それだけでなく、下から狙うよりも上から狙った方が弓矢は狙いやすい。それだけに限らず、籠城する側の方がそういう利点は多いんだ。はしごで登ってきた兵士を虱潰しらみつぶしにできるし、はしごその物を落として一網打尽にする事もできる。状況の利というやつだな」


 言いながら眺める先では、はしごを上りきった所で首を落とされたヘルシオン兵が落ちていった。

 ついでにはしごが倒され、はしごに取り付いていた兵士達が纏めて落ちていく。

 そうして一段落すると、投石や弓射で対地攻撃を始める。


「高所から落とすだけで、ただの大石も立派な兵器だ。労力は少ないが、あの下では地獄が繰り広げられているわけだ」


 そうなんだろうな、とジョバンニは素直に思う。

 が、思うだけで確認したいとは思えなかった。


「たった一人の行動で、十数人が死ぬわけだ。わりに合わないだろう? だから三倍の兵力を必要としているんだ」


 その時、一人の兵士が城壁の上に転がり出た。

 対応が手薄になる隙を衝かれたのだ。

 兵士は別々の場所から一斉に登ってくるので、どうしても防備が手薄になる場所ができてしまう。


 しかし、その兵士はすぐに遊撃担当の黒死隊員によって始末された。

 後続の兵士も丁寧に処理され、はしごが落とされる。


「三万の兵士に攻められるのは怖いか?」


 レイスはジョバンニに問う。


「そりゃあ怖いよ」

「私もだ」


 言って、レイスはジョバンニの腕を抱き締めた。

 彼女もまた不安なのか。

 と、ジョバンニは思った。


「有利とはいえ、全力で攻められると不安が残る。だから、不安が残らないようにしておいた」


 しかしレイスは、怯えた様子も無く楽しげな調子で続けた。




 フィアンの見立てでは、攻城はとても順調に進行していた。


 兵士の数は秒単位で十数名が減っていく状況だが、攻城戦などこんなものだ。

 兵を消耗させながら、相手の戦力を削いでいく。

 無傷などありえない。

 攻め手を緩めなければ、いずれ疲労が蓄積して動きが鈍っていく。

 その機会を得るために、攻め続けているのだ。

 だから、順調である。

 たとえ兵士の命がゴミのように消えていこうと、攻め続けられる今は順調なのである。


 そんな時だった。

 伝令がフィアンのもとへ駆けてきた。


「何事だ?」

「我が陣の後方に、所属不明の部隊が現れました」

「何だと!?」


 伝令の報告が伝わるのと同時に、正体不明の部隊がヘルシオン軍へ攻撃を開始した。

 部隊は人間と獣人の混成部隊だった。

 主に、弓騎兵と豹型獣人の弓歩兵で構成されている。


 部隊は、フィアンのいる本陣の後ろへと弓射を加えた。

 後ろからの攻撃を想定していなかった本陣は守りが手薄であり、フィアンは間近に命の危険を覚えた。


「守りを固めろ!」


 そう叫ぶフィアンの頬を弓矢が掠めた。


「隊長!」


 副官が叫ぶ。


「大丈夫だ! それよりも兵へ迎撃の指示を出せ!」


 フィアンが叫ぶと、副官は頷いて行動を開始した。


 しかし命令が行き渡り、兵が向けられた時にはもう敵の部隊は逃げ去った後であった。

 反撃の気配を察知するやいなや、部隊は踵を返して退却を始めたのだ。

 騎兵は言わずもがな、徒歩のはずの獣人も驚くべき健脚で馬と並走していった。


「被害状況は?」

「軽微です」

「どう見る? 何のための奇襲だったと思う?」

「大将首を取るためでしょうか? 前の領主街戦で逃げ帰った兵によりますと、ヘッズ少尉とケアン大尉を討ち取った際も奇襲によるものだったそうです」

「それがあのセルヴォの手か」


 セルヴォの評判は今、王都で実しやかに囁かれている。

 アランドの頭脳であり、関わった戦では負けた事が無い。

 セルヴォが姿を現す戦場では、勝利を諦めるべきだ。と……。


 眉唾であろう、とフィアンは思っているが、他の部隊長の中にもその噂を信じる者はいる。

 農民上がりの兵士ともなれば、信じる者はさらに多いだろう。


「しかし、我々は打ち勝った」

「はい。その通りです」


 フィアンは振り返り、城壁へ目を向ける。


「……いや、まさか」


 フィアンが見ると、城壁への攻撃が目に見えて滞っていた。

 後方の防備を優先させたために、攻め入る兵士の数が減っていた。


「これが狙いなのか?」




「流石はドゥーガンだ。いい引き際だった。被害も少ないだろう」


 街壁の淵に足をかけ、遠く戦場を見下ろしながらレイスは言う。


「レイス、危ないよ。また弓矢で撃たれるよ」


 そんな彼女へ心配そうに声をかけるジョバンニ。


「私に二度同じミスは存在しない。ヘッズのような規格外はもういないだろうからな。それに、今は護衛もいる」


 レイスのそばには、ダイニーとフィッツィがいた。


「うん。でも……」


 なおも不安そうなジョバンニ。

 レイスは「ふむ」と唸り、街壁の淵から離れた。


「ドゥーガンはこのまま、相手の隙を見て定期的に襲撃してくれる手筈だ。相手としては大将首をどうしても守らなければならないが、守っていては攻められない。ジレンマだなぁ」


 レイスはククッと笑う。


「相手の攻撃に勢いが乗る頃に襲撃するのが一番良い。ドゥーガンは歴戦の軍人だから、絶妙のタイミングで襲撃してくれるはずだ」

「そうなの?」


 ドゥーガンの素性を聞いて、ジョバンニは興味を持った。


「元はヘルシオンの少将だ。政敵に負けて不正の罪を着せられた男だ。それを拾った。ある意味、お前と素性が似ているな」


 ジョバンニは、レイスが誰からも必要とされなくなった人間を拾っているという話を思い出した。

 その話を聞くと、自分も拾われた一人なのかもしれないと思えた。

 それも彼女は命がけで拾ってくれたのだ。

 王国を裏切ってまで。


「ありがとう。レイス」


 感謝の念は尽きない。

 自然と言葉が零れ出ていた。


「え、何の事だ? ドゥーガンの事か? 何で礼を言った? 私は不合理な事が嫌いなんだ。答えを寄越せ」


 レイスは珍しく戸惑っていた。

 彼女は不合理な事が苦手だ。

 何故感謝されたのかわからないから、その意図を計りかねているのだ。


 その様子が新鮮で、ジョバンニには楽しかった。

 周囲の生ぬるい視線に気付いて、レイスは咳払いを一つする。


「まぁ、それはいい。そんなものより今後の展望だ」

「ああ、うん。作戦だね。でも、本当に上手くいくの?」

「理屈だけは揃っている。あとは証明するだけだ。ヘルシオンの動きが変わった時、それが最後の一手を打つ時だ」




 ヘルシオン軍が攻撃を開始してから四日が経とうとしていた。


 マールの領主街は未だ陥落していない。

 休み無く街壁を攻めさせられていたヘルシオンの兵士達は、皆疲弊している。

 しかも攻める途中で、背後からの襲撃があるために集中して攻められない。

 そのためにあまり成果はあげられていなかった。


 まずは襲撃する部隊を殲滅するべきなのだろうが、ヘルシオンの戦力に騎兵はなかった。

 街を落とせる気配はなく、兵の命だけが無為に削られていく。

 四日かけて、一万は死んだはずだ。


 多くの仲間の死を以って得た成果が、襲撃のたびに無駄となるのだ。

 兵士からすれば溜まった物ではない。強い徒労感を覚えても仕方がなかった。


 徒労は心労を生み、心労は体を疲弊させる。

 訓練された兵士達ですらその疲れからは逃れられず、訓練されていない民兵達にすればさらに過酷な心境だった。


 それでも攻め続けさせられる。

 殺されるために行け、と上司からは命令されるのだ。

 食料も少なくなっていた。

 雪の悪路と民兵達の行軍速度の遅さで、予定よりも食料を消費してしまったためだ。

 今の兵達は食料節約のため、日に一度、半分もないパン切れだけを食べている。


 皆、限界だった。

 兵士達は敵だけでなく、飢えとも戦っていた。

 むしろ、率先して攻めに行って早々に殺されてしまった方が楽なのではないか、と思う者も出てきた。

 街壁を攻める兵士達に、もう初日のような苛烈さは無い。

 その様子をフィアンは忌々しげに眺める。


「もっと激しく攻めろ! 走れ! 陥落はもうすぐだ! 気合を入れろ!」


 そう号令を飛ばすフィアンに、兵士達は「お前が先に行け」と恨みがましい視線を送る。

 そんな視線を向けた兵士達は街壁へ向けて走り、帰ってこなかった。


 攻めだしてしばらくすると、背後から襲撃がある。

 弓を警戒して盾を構えさせると、敵の騎兵部隊は弓を射らずに突撃をかけてきた。

 一当てしてすぐに離脱していく。


 敵の部隊は、時折このように突撃をかけてくる。

 弓射を警戒して迎撃の意思がない時を狙ってくるのだ。

 そうして部隊が混乱すると街への攻撃が滞る。

 あえて、攻撃を中断する兵士もいた。

 迎撃に参加している間、無謀な攻城をしなくて済むのである。

 そちらを優先するのは当然だった。


 その間にアランド勢は持ち直してしまう。

 そんな事が、この四日間で何度もあった。

 しかし、その時は違った。


「ヘルシオン兵士諸君!」


 街壁の上に立つ人物が、叫びを上げていた。

 再び街壁へ向かおうとした兵士達が足を止め、外壁の上を見上げた。

 そこにいる人物を目の当たりにして、ざわめきが起こる。

 その人物は顔に黒い仮面をつけ、口元に円錐形の筒をあてがっていた。声を拡散させるための道具だ。


「私はアランド参謀のセルヴォである!」


 ざわめきが強くなる。

 その名は王都で囁かれる名前である。

 ヘルシオンを相手に、アランドの弱兵を勝利に導いた不敗の男だ。


 彼の名は、ヘルシオン側にいる兵士にとって死神の名に等しいものだった。

 そんな男が口を開けば、否応無しに注目せざるを得ない。


「君達はいつまで、命を無駄に散らすつもりかね。今日までに何人死んだ? 当方の死傷者は二十前後だ。私の見た所、一万は下らないと思うのだがね!」


 ヘルシオンの兵士に語りかける男の声は女のように甲高かった。

 そして、その声にはどこか楽しげな響きが含まれている。


「聞くんじゃない! 敵の言葉だぞ!」


 フィアンは大声で兵士達に呼び掛ける。

 が、それはできなかった。


 セルヴォの声は上司の怒鳴り声よりも耳に残り、兵士達の心を掴んでいた。

 それは良い意味での事ではない。

 彼らはセルヴォの言葉によって絶望へと引きずり込まれていた。


 今までの戦いで、たったの二十前後しか敵を減らせていない。

 あれだけの被害を出したというのに、たったの二十だけ……。


 なら、あの街壁を落とす頃に、仲間の数はどれだけのものとなっているだろう?

 これから失われる命の中に、自分の命も含まれているのでは無いか?


 考えるとわずかに残っていた戦意も潰えそうだった。

 そんな兵士達に、セルヴォはなおも続ける。


「無駄だろう? 馬鹿げているだろう? それなのに何故戦っているんだ? 勝ち目のない相手にどうして挑もうとする? 死ぬだけじゃないか」


 セルヴォの言葉は兵士の心情を代弁しているかのようだった。

 本当に何もかもが無駄な気になり、武器を手放してうずくまる者まで現れた。


「だから君達に提案するのだ! 兵士諸君!」


 一際強い口調が兵士達の耳を打つ。


「君達はとても弱いが、数がある。篭城でなく、同じ平野にあれば我々も敗北した事だろう。始めから、相手を選んで戦えばこうならなかったわけだよ」


 セルヴォの言う事はもっともだった。

 しかし、どういう意図で今そんな事を言うのかがわからなかった。


 ふふふ、とセルヴォは含み笑う。


「何が言いたいか? 後ろを見ろと言いたいのだ」


 兵士達が後ろを振り返る。

 フィアンは嫌な予感を覚えた。


「勝ち目のある相手が見えないか?」


 兵士達の半数近くが、その意図を察した。

 セルヴォの言わんとする事を理解した。


 兵士達の目には、フィアンを含む本陣の兵士達が見えた。

 徴兵された民兵とは違う、正規の訓練を受けた職業軍人達だ。


 彼らは貴重な戦力として、攻城に参加していなかった。

 フィアンの守りにあたり、比較的安全な後方で民兵が無残に散る所を眺めていたのだ。


「これが提案だ! 敵将、フィアンの首を取った者に褒美を出す。我が軍が勝利した暁には、全兵士の命の安全を保障しよう。もちろん、こちらに降伏するならば本陣にいる人間であろうとも同様の待遇で受け入れる。以上だ! あとは、君達の選択に期待しよう」


 そこまで言うと、セルヴォは背を向けた。

 街壁の奥へ姿を消す。


 残されるヘルシオンの兵士達。

 彼らはもう、街壁を向いていなかった。

 皆、フィアンのいる本陣に向いている。

 フィアンは本陣の中で、兵士達がこちらと対峙する光景を目の当たりにした。

 周辺にいる精兵達がざわついているのもわかる。


 これは、本陣から寝返る者も多そうだ。

 フィアンは諦観の気持ちで思った。


「フィアン様。お供いたします」


 副官が頭を下げて言う。


「かまわんさ。どちらでもかまわん」


 フィアンが言い、程なくして民兵達は本陣へと突撃した。




「お疲れ様」


 水の入った陶器のコップを手に、ジョバンニはレイスを労う。

 喉が渇いたでしょう?

 と、コップを渡してくる。

 レイスは軽く礼を言ってコップを受け取った。

 一気に水をあおる。

 大きな声を出したせいで、喉が渇いていた。


「ふふふ、どうだジョバンニ。兵士を煽動する私は格好良かっただろう?」

「うん。すごく格好良かったよ」


 ジョバンニに褒められて、レイスはぬふふと笑う。


「結果も計画通りだ。最高のタイミングだった」


 言いながら、レイスはヘルシオンの軍勢を見下ろした。

 ヘルシオンの兵士。

 それも農民兵達は、今まさに本陣へ攻め入る所だった。


 その様子に、ジョバンニは安堵した。


 実の所、アランドの兵も限界だった。

 被害が二十名など大嘘も良い所だ。

 被害も少なくなく、もう一押しされれば陥落する所だ。

 計画がならなければ、負けてしまっただろう。

 その絶妙のタイミングをギリギリ待ち、レイスは先ほどの提案をしたのだ。


「どっちが勝つと思う?」

「農民兵の方じゃない? 数が多いし」

「微妙な所だ。所詮は素人だからな」

「本陣が勝ったらどうするの?」

「どうせ終わる頃には数も知れている。ドゥーガンに突撃させてもいいが、放っておいても帰っていくだろうさ。いや、帰る為の糧食がないから降伏するかもな」

「全滅させた方がいいのかもしれない。彼らを生かしておいたら、またアランドの住民達は危険な目に合うかもしれないから」


 ジョバンニの言葉に、レイスは意外そうな顔をした。


「優しいお前の口から、そんな言葉が出てくるとはな」


 ジョバンニは苦笑して答える。


「僕の一族は肉食なんだ。何かの命を奪わないと生きていけない。だから、何かの命を奪う事はそれほど辛いと思わないんだ。僕を優しいと思ってくれたなら、それは僕が僕に関わった人を大切にしたいと思っているからだよ」

「ふぅん」

「優しい人って、きっとどんな人も大切にできる人なんだ。僕はアランドの領民以外は大切じゃないし、どうでもいいんだ。だから、僕は優しくないんだよ」

「それはどうだろうな?」


 レイスはジョバンニの言葉を否定する。


「お前は私を拉致しようとした時、気に病んでいたらしいな。その時は私の正体も知らなかったのに、だ」

「それは……そうだけど」

「会った事もない人間の痛みを慮る事は、優しさじゃないのか?」


 レイスは微笑みながら問い返す。


「ありがとう、レイス」

「思ったままを口にしたまでだ」


 レイスは照れたように笑った。




 結果として、戦いはアランドの勝利に終わった。

 徴兵された兵と本陣の兵士達が戦い、本陣からも寝返る者達が現れ、一刻と経たずにフィアンの首は挙げられた。

 残ったのは一万に満たないヘルシオンの兵士達。

 彼らはアランドの捕虜として迎えられ、マールの領主街で囚われる事となった。


 こうしてヘルシオンは、アランドを攻める戦力を失った。

 同時に、アランドに対する対抗手段も失ったのである。

 アランドの軍はすぐさま東へ進軍し、ケイリッツを占領した。

 そしてそのまま止まらず、防備のなされていないヘルシオン西部の領を次々と手中に収めていった。


 気付けば彼らは、ヘルシオン王都の隣にある領まで迫っていた。

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