5話 平和と優しさと予定外
アランド領主街は、降り続く雪に白く染まっていた。
その居住区、雪の積もる空き地を厚着の子供達が駆け回っている。
「きゃーっ!」
「きゃーっ!」
猫の獣人と兎の獣人が、楽しそうな悲鳴を上げる。
その頭に雪玉が当たり、兎の子供が前に転がり倒れた。
厚く積もった雪がクッションになって、怪我はなさそうだ。
「ははは、逃げられると思っているのか」
そんな子供に、厚着をして仮面を被ったレイスが追いついた。
「その耳と鼻の穴を見せたまえ!」
「やだーっ!」
兎の子供に襲い掛かるレイスの顔を雪玉が直撃する。
他の子供達の援護攻撃だ。
レイスは仰向けに倒れ、その隙に兎の子供は魔の手から逃れる事に成功した。
「むはっ! 猪口才な、私を梃子摺らせるなどあってはならん事だ!」
再び、雪玉を武器にした追いかけっこが始まる。
ジョバンニはその一部始終を眺めつつ、顎に手を当てた。
何やってるんだよ、レイス。
とジョバンニは内心で溜息を吐く。
レイスはいつの間にか、子供達とずいぶん仲良くなれたらしい。
どうやら追い掛け回される事に慣れて、恐ろしさが解れたらしい。
今の子供達に、最初の頃の恐怖は見られない。みんな追いかけられる事を楽しんですらいるようだ。
もしかして、身長が近いから子供と仲良くなりやすいのかな?
思案するジョバンニ。
その途端、レイスが首を巡らせジョバンニを睨み付けた。
レイスが追いかけるのを中断して近付いてくる。
「何か不埒な事を考えたな? どこかのサイズが小さいとか考えただろう?」
体のサイズその物が小さいとか考えたけど、何で考えた事がわかるんだろう?
「んー……そんな事無いよ。子供と仲がいいなと思っただけ」
「本当か?」
懐疑的な目でレイスはジョバンニを見る。
そんな二人の所に、子供達が集まった。
「「領主様こんにちは!」」
「さまー、ちわー」
子供達が元気よく挨拶する。
「うん。こんにちはー」
ジョバンニは挨拶を返しつつ、一番小さい子供の頭を撫でた。
「で、何か用か?」
どこか素っ気無い口調でレイスは訊ねる。
「ああ、うん。お昼でもどうかな? って」
「うむ。いいだろう」
「えーっ、行っちゃうのー?」
子供が残念そうに言う。
「もっと遊んで欲しいのに」
「遊びじゃない。何度も言っているだろう。お前達は私の知的好奇心を満たすための観察対象に過ぎない」
「わかった。じゃあ、またカンサツタイショーして遊ぼうね」
「違うと言うとろうに!」
レイスが叫ぶと子供達は楽しそうな悲鳴を上げてどこかへ駆けていった。
「まったく……。さて、エスコートされようじゃないか。だが、その前に職人街へ向かってほしい」
振り向き、ジョバンニに言う。
手を差し出した。
「わかった」
返事をして、ジョバンニは彼女の手を取る。
二人は手を繋いで、居住区を離れた。
その寸前、ひょっこりとダイニーとフィッツィの二人が現れる。
どうやら、隠れて影から護衛していたらしい。
ダイニーとフィッツィは二人の邪魔にならないよう、さりげなく後に続いた。
「この平和は束の間のものなんだよね?」
職人街へ行く途中、ジョバンニはレイスに訊ねた。
「ああ。そうだな」
「戦争が始まったら、あの子達の親の誰かが死ぬかもしれない。それどころか、負けてしまえばあの子達すら死んでしまうかもしれないんだね」
それが今のジョバンニの心配事だった。
今が平和だからこそ、後で訪れる不安が強く心を苛んでいた。
「束の間の平和は、準備する猶予だと思えばいい」
そんな彼の不安を慰めるように、レイスは答えた。
「猶予があれば、色々な事ができるじゃないか。軍備を整える事ができる。今までできなかった大規模な作戦の準備も、合成弓を生産する事もできる。獣人用の新しい武器だって開発できるかもしれない。不安が強いなら、不安を消すための対策を用意したまえ」
「……そうだね。猶予があれば、相手と交渉する事だってできるからね」
「私の中にその選択はないがな」
「そうなの?」
ジョバンニはレイスを見下ろす。
目だけを動かしてレイスも視線を上げた。
目が合う。
「交渉で停戦が適っても、それこそ長いだけの猶予期間だ。解決策にならない。和平交渉なんてしても、連中はこの土地を手に入れるまで戦いをやめない。ならいっそ、潰してしまった方がいい」
「そんな事を考えていたの?」
予想もしない大事を口にされて、ジョバンニは驚いた。
「不可能ではないはずだ。少なくとも、私にはそれに到る構想がある」
レイスは自信満々に言い放つ。
が、ジョバンニは「本当にそうなんだろうか?」と疑問を持った。
レイスは凄い。
ジョバンニが考え付かない事を思いつき、実行に移せる人だ。
昔から尊敬できる人だ。
けれど、たとえレイスが優れていたとしても、流石に王国を相手にこのアランドの兵士だけで勝てるとは思えなかった。
領民の事も、獣人の身体能力の事も、レイスよりもジョバンニの方がよく解かっている。
だから、ジョバンニにはそんな事が本当にできるとはいまいち信じられなかった。
領専属の鍛冶場に到着すると、室内は熱気に包まれていた。
冬場だというのに暑いくらいで、中にいる黒死隊の男達は汗まみれだ。
ちなみに、獣人は手のひらと足の裏からしか汗をかかない。
その話をすると、レイスは「興味深い」と楽しげに返した。
「デルテ。調子はどうだ?」
剣を打っていた黒死隊員にレイスは声をかける。
顔の右半分に火傷の走る男で、右目も潰れている。
デルテは一つ頷くと、近くに置いていた一本の槍を手に取った。
「試作品です」
槍の持ち手は通常の槍よりも少し太く、石突の近くには四本の穴が開けられていた。
「ジョバンニ。その穴に指を突っ込む形で握ってみろ」
槍を手渡され、ジョバンニは言われるまま握ってみた。
「あ、すごく握りやすい」
軽く槍を振る。
槍の柄は太くて握りにくいが、穴に指を入れる事で爪が引っ掛かって落とす事はない。
これは獣人が使う事を想定して作った槍。
その試作品である。
「いい物を作ってくれたな。引き続き、他の試作品を作ってみてくれ。後で使わせて、一番使いやすいものを採用する」
デルテは頷いた。
「それで、お前からは何かあるか?」
「窯の質が悪いです」
「なら、窯を建て替えさせよう。王都でも最新型の奴を」
レイスの言葉にジョバンニはギョッとする。
「ちょっと待ってよ。あんまり予算はないんだけど……」
「安心しろ。私のポケットマネーを使う」
工業用の窯。
それも最新型の高性能な窯など、予想外の値段が飛び出しそうだ。
少なくとも、個人で支払えるようなものではない。
「足りるの?」
「十分だろう。一度作った物だからな。技術を応用するだけで、材料は他の窯と殆ど変わらない」
「え! 最新式の窯ってレイスが作ったの?」
「そうだ。今、王都で出回っている窯は我々が売り出した物だ」
ジョバンニは度肝を抜かれた。
最新式の窯を買うどころか、レイスは窯を売る側だったらしい。
という事はつまり、レイスのポケットマネーはとてつもない額なんじゃないだろうか。
「レイスってお金持ち?」
「大金持ちだ。各地から税収を得られる王には負けるがな」
でも、それは暗に王以外には負けないと言っているのではないだろうか。
「私は、架空名義で王都に商家を持っている。思いついた発明品を売り出したら繁盛してな。だから、金には困らんさ」
はっはっは、とレイスは金持ちらしい笑い方をする。
ジョバンニの彼女に対する見る目が変わって、そう見えるだけかもしれないが。
「実の所、黒死隊もそこの従業員でしかなかったりする」
「ただの従業員に、格闘術とか人心掌握術とか教えたの?」
「私にとって商家は、あくまでも理論証明するための手段に過ぎない。が、儲けが大きいとやっかみも多くてな。よからぬ考えを持つ者も少なくなかった。結果的に、それらの対処をするには必要な技能なのだ」
「そうなんだ。……でも、そもそもどうして店なんか開こうと思ったの?」
「商家というものは、有用性の実験と実験のための資金を得る事に都合がよかった。それだけだ」
売り出した品の評判で理論実証をして、売れた資金で理論実証の実験をするという事だ。
「それから、ついでに私達の居場所も作ってくださったわけです」
フィッツィが唐突に口を挟んだ。
「黙っていろ、フィッツィ」
レイスは嗜める。
が、ジョバンニはフィッツィの言葉に興味を示した。
「どういう事?」
ジョバンニが訊ねると、レイスを無視して語り始めるフィッツィ。
「私達黒死隊の人間は、みんな誰からも必要とされなくなった者達なんです。そんな私達を姫殿下は拾ってくださった。みんな感謝しています。姫殿下、超優しい子でしょう?」
フィッツィの言葉に、ダイニーは無言でコクコクと頷く。
デルテも同様に頷いていた。
「おい、フィッツィ。ちょっとこっちに来い」
ジョバンニを置いて、レイスはフィッツィを連れて行く。
作業場の隅で、レイスはフィッツィに向き直る。
「お前は何を考えている。余計な事を言うな」
「いいじゃないですか。これは人心掌握において「認めさせる」行為の一つなんですから」
「技術を使うのは、あくまでもどうでもいい人間に対してだけだ。どうでもよくない人間の心は、自分の本心を見せて掴む。でなければ、良い関係を築いても意味がない。違うか?」
「姫殿下。結構ロマンチストですよね。でも姫様、最初はかなり猫かぶってジョバンニ様に会いにいきましたよね」
「ぐふっ」
レイスは言葉に詰まる。
「……だが、偽りの自分を見せて関係を築いても、相手を偽り続けなければならなくなるだけだ。疲れるだけだろうが」
「わかります。好きな人には、本当の自分を見て欲しいんですよね」
「間違っていないが、癇に障る言い方だな」
「先に掴んでしまえば、こっちの物。って考える方が合理的じゃないですか。恋する乙女のタクティクスですよ」
「私はそんな不誠実な人間ではない」
「意外と青いですね、姫殿下。超ロマンチスト」
両手を合わせ、目を瞬かせながらフィッツィは言った。
「く、もういい。行くぞ」
肩を怒らせながら、レイスはジョバンニの所へ戻っていく。
「姫殿下は優しい人です。自業自得だ、と言いながら、浮浪者にパンとか配る人です。新しい酵母の実験だから、売り物にできないって聞いてないのに説明してくれます」
「へぇ、そうなんだぁ。レイスは優しいなー」
戻ると、ダイニーがたどたどしい口調で一生懸命ジョバンニにレイスの良い所を話していた。
ジョバンニも微笑ましげな笑みでそれを聞いている。
レイスはそんなダイニーを突き飛ばして黙らせる。
ただし、レイス自身は非力なのでダイニーはあまり動かなかった。
「お前は、ジョバンニにはよくしゃべるな。普段はほとんど喋らないくせに」
「すみません」
ダイニーは頭を下げて謝り、口を閉ざした。
レイスは次にジョバンニを睨みつける。
ジョバンニはその迫力に圧されてたじろいだ。
「さっさと行くぞ!」
有無を言わせぬ口調で言い放つと、レイスはジョバンニの腕を取って鍛冶屋を後にした。
「そういえば、マーティは今どうしてるの? 最近見ないから、どこかに行ってるんでしょ?」
昼食の席で、ジョバンニはレイスに訊ねる。
レイスの両隣にはダイニーとフィッツィが座っていて、同じく食事を取っていた。
「あいつは諜報などの情報戦に長けているからな。敵地に置いてこそ価値がある」
「え、じゃあ、ヘルシオン国の領域に行ってるの?」
「そうだ。王都に向かわせた」
「それって危険なんじゃ……」
ジョバンニは心配そうに返す。
「あいつなら捕まらないだろう。王都には私の商家もある。隠れようと思えば容易い。あいつには情報収集と噂の流布をさせている」
「情報収集はわかるけど、噂の流布って何?」
「私、いや、セルヴォの情報を流させている。黒い仮面の男にかかると、ヘルシオンの軍は簡単に壊滅する、とな。そうしておけば、私が出ただけで相手の士気を削げるだろう」
「なるほど。戦にはそういう事も必要なんだね」
思えば、レイスはマールの領主街でも敵の兵士達に姿を見せていた。
ヘルシオンへ返す際に、捕らえられた兵士達の前に姿を出して「私はセルヴォ。私にかかれば、お前達の軍が如何に脆弱であるかよくわかるだろう」とか言っていた。
盛大に煽るような事を言っていたが、それはこういう計略を仕掛けるためだったらしい。
実際に見て聞いた人間の言葉があれば、噂にも真実味が出るものだ。
その時、黒死隊員が食堂に入ってきた。
隊員はリスの獣人だった。黒死隊には少数ながら獣人もいる。
「報告よろしいでしょうか?」
「かまわん」
うかがいをたてる隊員にレイスは返す。
「ヘルシオン王都より、軍が進発しました。目標はマールの領主街だと思われます」
「何だと!?」
レイスは驚きの声を上げた。
「レイス」
心配そうにジョバンニが名を呼ぶ。
「そんな捨てられた子犬みたいな目で私を見るな」
「僕、狼だよ。それより、戦争になるの?」
「そのようだな」
レイスは言って、歯を強く食いしばる。
「指揮官と数は?」
報告を持ってきた隊員に訊ねる。
「指揮官はフィアン少尉。数は三万ほどです」
レイスは不機嫌そうに顔を顰める。
頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
「この厚く雪の積もる時期に三万の行軍だと? しかも率いるのはフィアンか。何を考えている? 脳みそがクソにでもなったのか?」
「何、その表現? よくわからないんだけど」
ジョバンニが戸惑って言葉を返す。
「ジョバンニ、すまないが席を外す」
「う、うん。わかった」
「安心しろ。私がいるんだ。領主らしくドンと構えていろ」
「わかった」
言い置いて、レイスは食堂から出て行った。
安心しろ。とレイスは言った。
けれど、あそこまで取り乱したレイスをジョバンニは初めて見た。
その姿が不安として彼の心に残った。
「どういう事だ? 三万の兵士だと? 一万二千の兵士で強行したくせに、どうして今更兵の増員をした? 侮っていたか? いや、騎兵を破った時点で侮りは消えたはずだ。父はそんな愚かな人間ではない。なら何故……」
ダイニーとフィッツィを引きつれ、レイスはぶつぶつと呟きながら廊下を歩く。
「一万二千で戦わなければならない理由があった?
しかし、それなら七千二百の兵士の強行以外に手は無いはず。
三万の兵はどこから来た?
そもそも、どうして一万二千での強行があった?
今回の強引な行軍もおかしい。
その必要があるなら、理由はなんだ?
もしかして……」
レイスはある事に思い至った。
廊下の真ん中で立ち止まる。
しかし、それはあくまでも予想でしかない。
裏付けが必要だった。
レイスは護衛の二人に向き直る。
「領内にいる黒死隊を全員集めろ。現在当たっている作業は全て中断。各地に散る隊員にも命令の伝達。全ての隊員は情報収集に従事させろ。範囲はヘルシオン国全域だ」
護衛の二人は敬礼して応える。
そして、フィッツィが口を開く。
「我々もでしょうか?」
「そうだ。迅速に多くの情報が必要だからな。護衛は中断して、お前達もいけ」
「今から情報収集ですか?」
暗に、今更間に合うのか? という意味がその言葉には含まれていた。
「三万の軍隊で雪の中を行軍するんだ。びっくりするぐらい遅いぞ。半月かかるかもしれん」
「わかりました。急いで任務に当たります」
再度敬礼をして、護衛の二人とリスの隊員は廊下を走っていった。
情報を受けて二十日後。
ヘルシオンの軍はマールと川を挟む位置にあるケイリッツの領主街へ到着した。
そしてマールの領主街に手紙が届けられた。
手紙には講和の条件が書かれていた。
条件は二つ。
レイス=バアル=ヘルシオンの開放と反逆者ジョバンニ=アランドの身柄を引き渡す事であった。
条件が満たされた場合、アランド領民への咎は無い物とする。
手紙にはそう書かれていた。