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4話 攻城が得意なら、籠城しなければいいじゃない

 その日、アランドに占領されたマールの領主街に、ヘルシオンの軍が到着しようとしていた。


 一万二千になる一団を率いるのは、ケアン大尉とヘッズ少尉である。

 ヘッズはケアンを総大将に据え、副大将となる形で部隊へ参入する事になった。


 ヘッズはケアンより少しばかり小柄な男だ。

 歳は三十一で、実年齢よりも若々しい容貌をしていた。

 髪は灰色で短く整えられている。

 無精ひげを生やしているが、色男と言ってもいい顔つきにはむしろチャームポイントとして映えるだろう。


 彼は一万二千の兵に加え、自分の私兵を百名ほど持参していた。

 そんな彼は王国随一と名高い弓の名手である。

 家で組織する私兵にもその特徴は表れ、一人一人が確かな弓の腕を持っている。

 その私兵を用いて、彼は多くの城や砦を攻略してきたのである。


 彼は独特の方法での攻城を得意としていた。

 城壁の上にいる兵士を私兵と共に的確な弓射で射貫き、その間隙を狙って他の兵士に攻城させる。

 城壁その物ではなく人を攻めての攻城は、他に類を見ない戦術だ。

 真似をしようとしても、圧倒的な弓術の弓が必要なので、おいそれと真似はできない。

 しかし腕さえあれば、シンプルでわかりやすく、そして効果のある戦法だった。


 行動的な男でもあり、一角が崩れたと見るや己の身軽さを武器に城壁へ登り、占領してしまった事もある。

 その時は外敵から内側を護るための城壁がヘッズのための矢倉と化し、城内は弓の雨にさらされた。

 事、攻城戦において右に出る者のいない男だった。


 そして、これから向かう戦地は敵の籠城する街である。

 彼にとってうってつけの戦場だった。


「大尉、アランドの領主とは如何な男でございましょう?」


 マールへの道中、ヘッズは馬上にてケアンに訊ねた。

 丁寧な口調ながら、不思議と生真面目さのうかがえない声色だった。

 どこか軽薄だ。


「会った事はない。会う価値もない」


 同じく馬上に揺られ、ケアンは答えた。


「それは、獣人だからでしょうか?」


 ヘッズの不躾な問いに、ケアンは一度怪訝な顔をヘッズに向けてから答える。


「そうだ。獣人を嫌う事、お前は愚かしいと思うのか? 獣人は下賎な連中なのだぞ」


 珍しい事ではあるが、少数ながら王都には獣人との融和を図る考えの人間はいた。

 嘆かわしい事ながら、人間としての高等さを貶める考えだ、とケアンは思っている。

 ヘッズもまた、そんな人間なのかと訝ったのだ。


「まさか」


 手振りを交えて否定するヘッズ。


「ただ、どちらが上下にあるか、なんて考えがないだけですよ」

「どういう意味だ?」


 ケアンは険しい表情で訊ねた。

 ヘッズは背中に掛けていた弓を手に取り、矢のない状態で弦を引いた。

 小柄な体に似合わない大きな弓だ。

 しなりが強く、ただ引く事にも多大な力を要求する代物だろう。

 そんな弓をヘッズは軽々と引いて見せた。


 前方の何もない空間を見据える。


「弓を番えて見る相手は、豆粒みたいなものでして。それが人間か獣人なのかは判別できないものでしょう。撃って殺せる所しか判別がつかないんですから、私にとっては同じようなものですよ」


 彼は独特の考えを持っているようだった。

 弓を基点として物事を考えている。

 城壁の上にある人間を正確に射貫ける男ならではの言い様だ。

 それは常人の域を脱したものだろう。


 ただし、そこにある考えは人間と獣人を平等に見る考えでもあった。

 ケアンはその部分を不快に思った。


「知るべきはアランドの領主ではないかもしれんぞ」


 これ以上、獣人について話をするのも不快なので、ケアンは話をそらした。

 そらした先にある話もまた不快なものであるが、獣人でないだけマシだと思えた。


「じゃあ、誰を知ればいいんです?」

「アランド領主の参謀、セルヴォだ」

「セルヴォ……ねぇ。前領主と同じ名前ですかい」


 ヘッズが返すと、ケアンは歯噛みする。

 そのセルヴォが、友であるエリオルの首をわざわざ見せに来た時の事を思い出したのだ。


 あの時は感情的になり、すぐにでも全軍で攻め立ててやりたいと思った。

 だが、戦で感情のまま行動する事はできない。

 何せ、その感情でわりを食うのは指揮される兵士達なのだから。

 勝算のないまま、感情と勢いだけで陛下より預かっている兵士を動かす事は許されなかった。


 攻め手を担う騎兵隊が全滅した事で、あの時には歩兵同士の消耗戦以外に戦法がなかった。

 それを嫌って、ケアンはあの時退いたのである。


 退いた先に食料がなく、マールまで手放さなければならなくなるとは思わなかったが……。

 それらもきっと、あのセルヴォという男の計画通りだったのだろう。


「馬鹿馬鹿しいが、前領主の生まれ変わりなどとも言われている」

「じゃあ、二歳ですか」

「言っただろう、馬鹿馬鹿しいと。正体はどうあれ、獣人に組する人間の面汚しだ。今回の戦いで確実に殺さねばならん」

「この戦いに出なかったら?」

「ならばアランド領ごと焼き尽くしてやる。マールが落ちれば、あとはそこしかないのだからな」


 息巻く彼の話を聞き、ヘッズは肩を竦めた。

 丁度その時、前方に領主街を囲む城壁が見えてきた。

 二人の将は気を引き締める。

 そんな時、前方から伝令が走って来た。

 馬を止めると、伝令はケアンの前で跪く。


「街の様子はどうだ?」

「それが、領主街の門が開かれています」


 訊ねると、伝令は答えた。


「何だと?」

「それどころか、アランド兵もいません」


 事の異常性を理解し、二人は目を見合わせる。

 そして確認のため、街へ馬を駆けさせた。


 兵士の報告通り、街にアランド兵の姿はなかった。

 二人を出迎えたのは街の代表と数名の住民達だ。

 本来なら領主が迎えるべきなのだろうが、領主はケアンが前に立ち寄った際、共に街から逃げていた。

 今はヘルシオンで待機している。


「ようこそ、おいでくさだいました。兵の方々の宿舎は用意してございます」


 街の代表である老人がケアンに頭を下げる。


「アランドの連中はどうした?」


 ケアンは詰問口調で訊ねる。


「あなた様方の軍が来ると聞き、街のあらゆる物を略奪して去っていきました」


 そう答える代表をケアンは探るような目で見る。


「手間が省けましたな。一戦も交えずに、領主街の奪還ができました」


 そんなケアンの肩に手を置き、ヘッズは愉快そうな口調で言った。


「どうしたんです? 難しい顔をして」

「そんな都合のいい話があると思うか?」

「時には都合の良い時もありますが……。罠を疑っているので?」

「ああ。そうだ」


 言うと、ケアンは代表の老人に向けて剣を突きつけた。


「誓って嘘はないだろうな?」


 剣を向けられた老人は、怖れに震えながら口を開く。


「誓って。誓ってそのような事はなく……」


 その怖れは本物のようだった。

 嘘を吐いてまで、そんな恐ろしさに耐える意味は無いだろう。

 ケアンはそう判断して剣を納めた。

 老人の言葉に嘘は無い。

 そう思えた。


 街は略奪の後と思わしき荒れ方をしている。

 その現状を見れば説得力もある。

 しかし、不安は拭い去れなかった。


「あの、それで、少しばかり糧食をわけていただきたいのでございますが……」


 街の代表はおずおずと言い難そうに切り出した。

 アランド兵は街の物を全て持ち出したという。

 とはいえ、元々領主街に食料は残っていなかった。

 自分達が持ってきた糧食を全て持ち帰っただけだろう。


「よかろう」


 長期の攻城を想定して、ケアンは多くの糧食を持参してきていた。

 マールの隣にあるケイリッツ領にて買い付けたものだ。


「だが、念のために街の中を改めさせていただく」


 この街にまだ獣人が潜んでいるのではないか、とケアンには思えた。


「家捜しするつもりですか?」


 ヘッズが訊ねる。


「必要ならば」


 ヘッズはこれ見よがしに肩を竦め、溜息を吐いた。

 兵士達に向き直る。


「第二部隊から適当な兵員を選出。街を調査しろ。ただ、住民の迷惑にならん程度でいい。略奪後だ。それなりに誠意をみせる対応を心がけろ」


 ヘッズは兵に命じた。

 兵士達は敬礼して街に散っていく。

 行ったのは三百名ほどの兵士だ。

 ケアンは何か言いたげにヘッズを睨んだが、結局は何も言わなかった。


「宿舎があると言っていたな。案内してほしい」

「はい」


 ヘッズが言うと、街の代表は頭を下げた。

 残った兵士を伴って、二人は居住区画へ案内された。

 立派とは言い難いが、大きな木造の宿舎が二つ並んであった。

 元は、領主の兵が駐屯していた場所だろう。

 しかし、ヘルシオン軍の兵士達が全員収まるほどの大きさは無い。


「何分、大人数ですので、一つ所に用意できませんでした」

「なら、他にも宿舎は点在しているという事か?」


 ケアンが訊ねると、代表は頷いた。

 他の宿舎にも案内してもらう。


 とはいえ、領主街は外敵を想定して兵士を抱えているわけではない。

 治安維持が目的だろうから、一万二千の兵を寝泊りさせる施設はなかった。

 街の空いた施設や空き地で夜営しても、五千人が限度であろう。


 仕方がないので、残りの七千人は街の外で夜営させる事になった。

 ヘルシオン軍は三千ずつの部隊を四つにわけて配属している。

 その各部隊から五百名程選出し、ローテーションを組んで歩哨とする。

 それらの事をケアンはヘッズを含めた副官達と会議で話し合って決めた。




 ヘッズから街の調査を命じられた兵士達は、街の各所を見回っていた。


 強引な家捜しなどはしない。

 家の前で住民から話を聞く程度だ。

 ヘッズの言いつけもあるが、街の有様を見れば兵士達にそんな気は起きなかった。

 建物の損壊などは見られないが、街並は荒れている。

 民家の扉が壊れていたり、怪我人が道端に倒れていたりする。

 店、それも食品を扱う所は特に酷い有様だった。


「子供がいないな」


 一人の兵士が同僚に話しかける。


「こんな有様だ。外に出したくはないさ。家の中で親と一緒だろうな」


 言いながら、一軒の家を訪ねる。

 扉をノックすると、甲高い女性の声が返ってきた。

 そして開いた扉から出てきたのは、一人の少女だった。

 兵士達はその少女の格好に度肝を抜かれた。


 少女は綿の下穿きを履いていた。

 綿の下穿きだけしか履いていなかった。

 胸元は手で隠しているが、上半身は裸である。

 年齢はとても幼く見えたが、可愛らしい顔に似合わずその相に無邪気さはなかった。

 女性的な大人びた表情をしている。


「何か用?」


 怪訝な顔で少女は兵士へ訊ねた。


「あ、いえ、各家の調査を行っておりまして」


 問われた事で我に返り、兵士は答えた。


「何の調査か知らないけど、この家に入っても見れるのは私と旦那がヤってる所くらいよ?」

「え、あ、そうですか。失礼しました」

「早く可愛がってもらいたいから、もう戻っていいかしら?」

「はい。お手数取らせました」


 少女は一つ溜息を吐くと、扉を強く閉めた。

 兵士は呆然とそれを見届ける。


「あの子、いったい何歳なんだろうな?」

「わからん。それにしても、こんな時に何を考えてるんだろうな?」

「こんな状況だから興奮するんじゃねぇか? 多分、旦那は変態だろうし」

「違いない」


 そんな会話を交わしながら、別の民家へ向かった。


 兵士達は街を回り、城壁の上も探したが、結局伏兵を見つける事はできなかった。




 兵士が行ったのを確認し、部屋の中に満ちていた緊張が解ける。

 扉のそばに隠れていたダイニーとフィッツィは剣にかけていた手を離した。


「何考えてるの?」


 家の奥からジョバンニが現れ、問うてくる。

 レイスはまだ上半身裸だったので、目はそらしている。


「ああすれば、無理に入ってくる事もないと思った」


 レイスは悪びれる様子もなく答えた。


「閣下。あの兵士達が、そういうものを見たがる変態スケベ野郎だったらどうするつもりだったんですか?」


 フィッツィがどこか楽しそうな口調で訊ねた。


「その時はお前達が始末すれば良い。兵士が消えて怪しまれないよう、黒死隊の誰かを代わりに紛れ込ませてやれば誤魔化せるだろう」


 言って、レイスは薄く笑った。


 実の所、アランドの兵士の一部は撤退せず領主街に潜伏していた。

 ヘルシオン軍がマールへ向かったと報告があってから、ジョバンニとレイスも街へ訪れていた。

 兵士達は、主に民家の隠し収蔵や屋根裏に匿ってもらっている。

 他は城壁上にある詰所の屋根の上などだ。

 総数、千名程度の兵士達である。


 何故、街の住人達がアランドに協力するかと言えば、それは子供を人質に取られているからだった。

 予め、レイスは黒死隊に命じて街の子供達を百人ほど拉致させていた。

 そして、領地内にある村々に分散して捕らえてある。

 そのために住民は従っているのだ。


「この街の誰かが私達を裏切れば子供は殺す。皆殺しだ」


 仮面を着けたレイスは街の人々へ向けて言い放った。

 街の誰かが、という部分が重要だ。

 人質のない人間が裏切ったとしても、子供は殺される。

 子供の無事を祈る親は、他の住民達の裏切りを許さないだろう。

 そんな心理を利用して、民達の中にも裏切り者を見張る目を置いたのだ。


「だが、今日一日我々に協力してくれれば、子供は無事に返す事を約束しよう。これは君達にとっても悪くない事だ。もし私達が負けたとしても、自分達は人質を取られていたと後で弁明できるのだから」


 その上で、レイスは続けた。

 暗に、今日一日だけおとなしく従っていれば住民に危険は無いという事を印象付けたのだ。

 そうして、レイスは住民達の協力を取り付けたのである。




「時間だ」


 日が落ち、本来なら街の住民も寝静まる時間帯。

 レイスは家にいるジョバンニと護衛二人を見回した。

 レイスは男装に着替え、顔には黒い仮面を着けていた。


「行くぞ」


 全員は頷き合うと、二階の窓から屋根の上に出た。


「ジョバンニ。私では隣の家の屋根まで飛べない。どうすればいいと思う?」


 レイスはジョバンニの顔を見上げて問う。


「ええ? まさかの予定外?」

「いや、そんな事は無い。お前にとって、私の体重なんて微々たるものだろ?」


 レイスは言いながら、ジョバンニにピタリと身を寄せる。

 ジョバンニは理解した。


「こういう事?」


 ジョバンニはレイスを抱き上げる。

 お姫様抱っこだ。


「そうだ。満点の答えだ」

「ならよかった」


 ダイニーが荷物から松明を取り出して火を点けた。

 屋根の上で振り回す。

 開始の合図である。


 彼女の合図に応えて、各所で松明の光が見えた。

 不審に思う敵兵がいるかもしれないが、もう遅い。

 この合図が伝われば、全てが一斉に動き出すのだから。


「さ、行くぞ」


 レイスが言うと、一行は屋根の上を伝って走り出した。




 口火を切ったのは兵士宿舎の屋根裏に潜む数人の黒死隊員だった。

 彼らは屋根の上にいた連絡係から合図を受けると、兵舎内に音もなく降り立った。

 彼らは兵士の中でも百人隊長や十人長といった指揮をする立場の隊長格を狙って、暗殺を仕掛ける予定だった。


 そして事は予定通り、速やかに進んだ。

 手際の良い暗殺によって、隊長達は声も上げられずに始末されていく。


 余裕があれば、兵士の幾人かも殺しておく算段だったが、万事がそう上手くいく事はなかった。

 途中で起きだした兵士に、隊員の一人が見つかった。


「誰だお前は!」


 大声を上げる兵士に反応して、何人かの兵士が起きる。

 そうなると、黒死隊はあっさりと逃走を図った。

 予め決めてあった逃走経路を走り、二階の窓から飛び降りる。


 兵士達はそれを追うために一階へ下りる。

 しかし、入り口は開かなくなっていた。

 扉の前には藁を満載した荷車が横付けに停められていた。

 それがつかえて扉が開かなくなっていたのだ。


 そうしたのは外で待機していた黒死隊員だ。

 略奪時の怪我人を装って街に潜んでいた者たちである。


 前もって一階の出口が封じられている事を知っていたからこそ、黒死隊は二階の窓から撤退したのだ。


 黒死隊員全員が撤退すると、外で待機していた黒死隊員達が宿舎へ火を放った。

 予め、油を撒き散らしていた宿舎は瞬く間に燃え上がる。

 先ほどの暗殺によって指揮する人間が少ない事もあり、炎に巻かれた兵士達は何も考えず秩序もなく、各々《おのおの》が我先にと逃げようとする。


 怒号が焦りを産み、死の恐怖が混乱を助長する死地の中、誰もが助かろうと他人を押し退ける。

 そうして燃え上がる宿舎から何とか逃げ出した兵士達もいた。

 だが、そんな彼らを待っていたのは黒死隊の振り下ろす剣だった。


 黒死隊員達は脱出した兵士達を無慈悲に殺していった。

 一人ずつ丁寧に、例外なく殺していった。


 それと同じ事が、街の各所で行われる。

 兵の宿舎が次々に燃え上がり、兵士達は炎の中に投じられた。



 同じ頃、城壁上の詰所にも動きがあった。

 詰所の屋根の上に隠れていたアランドの兵士達が一斉に、見張りを命じられていたヘルシオン兵を制圧しだしたのだ。


 武器を使う事を不得手とするアランド兵は、代わりに自らの爪を武器に戦う事を得手とする。

 そんな彼らにとって、長物を使いにくい室内の戦いは有利に働いた。

 物の数分で事は済み、驚くほどあっさりと城壁上は制圧された。


 それらの事が同時に行われ、ヘルシオンの軍は指揮官の預かり知らぬ所で着々と兵を減らされていくのだった。

 ケアンが騒動に気付く頃には、街の中にいた五千の兵は千を下回っていた。




 ケアンとヘッズが街の異変に気付いたのは、宿舎の炎が夜空の雲を赤く染める頃だった。

 ケアンとヘッズ、副官等の指揮官は領主の館に滞在していた。

 屋敷の二階から、窓を通して燃える宿舎が遠目に見えた。


「あれは宿舎か? 燃えているのか?」


 困惑して、ケアンは呟く。


「火事か? どうする? まずは状況の把握が先か? なら斥候を――」

「手元にある兵を伴って、街の外へ出るべきです」


 対応に迷うケアンに対し、ヘッズは進言した。


「何故、そう思う?」

「今の状況を敵の攻撃と想定しているからです」

「敵だと? どこから来たのだ」

「街の外から忍び込んだか、もしくは大尉の懸念された通りかと」


 やはり、徹底して家捜ししておくべきだったか、とケアンは悔やむ。


「申し訳ありません。もう少し、徹底しておくべきでした」


 ヘッズの声もどこか悔しげだった。

 実際に、兵へ指示したのは彼だ。

 それを悔やんでいるのだろう。


「街の外へ出るのは、外の兵と合流するためか?」


 ケアンが訊ねると、ヘッズは頷いた。


「敵の襲撃であった場合、怖れるべきは確固撃破です。バラバラに戦っていては、数の有利を殺されてしまいます。まずはこちらの数の有利を取り戻すべきかと思います」


 もっともだ。

 ケアンは思い、ヘッズの意見を取り入れる事にした。


「それで行こう。部下を起こせ。道すがらで呼び掛けて、街に散らばった兵を可能な限り回収していく」


 言いながら、手間だなとケアンは舌打ちする。


 いや、そもそも兵士を分散したのは、用意された宿泊施設を利用したためだ。

 それはこの襲撃に備えた罠だったのだろう。

 ならば、街の住人もグルだという事だ。


 セルヴォの影がちらつくようだった。


 ケアンとヘッズは部下達を起こし、戦装束に着替えた。

 館の周囲に夜営させていた五百程度の兵士を率い、彼らは街へ出る。

 目指すのは外へ通じる城門である。

 一番近い門へ向けて、最短距離で向かう。


 途中で街に残る兵士を集めていくが、思ったよりも集まってこなかった。

 そんな彼らに、どこからか弓矢が降り注ぐ。


「敵襲です!」


 兵士が叫ぶ。


「何だと!?」


 ケアンが叫び、目を向ける。

 すると屋根の上で多くの獣人達が弓を構えている姿が見えた。

 リスや豹の獣人達ばかりで構成されたその部隊は、頭上から目下にあるヘルシオンの部隊へと次々に矢を射かけた。


 皆、狙おうとはしない。

 ただ、敵の頭上に降らせる事だけを念頭に置いて、弓を射掛けていた。

 しかし狭い街路にみっしりと詰まるように進む兵士達にとっては、それも十分に脅威である。


 ケアンはチラリと応戦を考えたが、その考えをすぐさま打ち消した。

 今の兵数では、強引に屋根の上へ登らせても返り討ちに合う。

 弓で狙おうにも、頭上への応戦は不利だ。

 相手への被害よりも、こちらの被害が多くなるだろう。


「くそ、調子に乗るな」


 そんな中、ヘッズだけはすぐに弓を構え、屋根の上へ矢を射掛けた。

 放たれた弓矢は、寸分違わず屋根の上にいたアランド兵の額を貫いた。


 間髪入れずに次々に放たれるヘッズの矢が、アランドの兵の命を奪っていく。

 無視できない被害が出て、アランドの攻勢が少しだけ緩んだ。

 それを好機と見て、ケアンは声を張り上げる。


「敵に構うな! 今は街の外へ出る事だけを考えろ!」


 駆け足を命じ、ケアンは門へ向けて行軍した。

 屋根の上の獣人達も屋根の上を走って追ってくる。

 矢の雨を受け、数を減らしながらもヘルシオン軍は門へと辿り着いた。


「どういう事だ!」


 が、ヘルシオン軍の目前にあったのは絶望的な光景だった。

 門は固く閉ざされ、その前には荷車や土嚢などが積み上げられている。

 バリケードが作られていた。

 外からの攻撃を防ぐための強固な門が、ヘルシオン軍の行く手を遮っていたのだ。


 愕然とするケアン達に、城壁の上から弓矢が降り注いだ。




 建物の屋根の上。

 遠目に門を眺められる場所。


「ふふふ、予定通りだ。アホ共が慌てふためいている」


 黒い筒を通して前方を見つつ、レイスは楽しげに笑った。


「レイス、それ何?」


 訊ねられてジョバンニを見ると、彼は黒い筒を指差していた。


「そうだな。望遠鏡とでも名付けようか。遠くを見るための道具だな。私が作った」

「レイスは色んな物を作れるんだね」

「思いついた物は作らんと済まない性質だからな」


 昔からそうだったな。

 とジョバンニは昔を懐かしむ。


 子供の頃から彼女は、ジョバンニが今まで考えた事のないようないろいろな事を知っていた。

 説明されてもよくわからない事を話し、そのよくわからない理屈で珍妙な品を作っていた。


 初めて出会った時、彼女がボロボロの格好だったのも何かを作っている最中に失敗があったかららしい。


 レイスが作った物を見せ、説明してくれた時。

 ジョバンニは「お兄ちゃんはすごい」といつも目を輝かせながら話を聞いていた。

 その記憶が彼の心には今も強く残っている。


 その気持ちは今も変わらない。

 変わったとしたら、「お兄ちゃんはすごい」から「レイスはすごい」に変わったくらいだ。

 そして、レイスという人間の印象も昔と同じだ。

 相変わらず頼もしい。

 本当に昔から変わらない人だな。


 そう思って楽しげなレイスを見ていると、彼女は前方を指差した。


「あはは、やつら、門を諦めたみたいだな」


 ジョバンニは目を眇めて遠くにあるヘルシオン軍を見やった。

 ヘルシオン軍は街の内側へ転進していた。


「くふふふふ、アランド兵をこの場で討ち取らなければ、勝機はないと悟ったか。外の兵士が自力で門を破る事も期待しているのだろうな。無駄な事を」


 相変わらず、戦の最中は楽しそうだ。

 とレイスを見ながらジョバンニは思う。


 街の外で待機している七千の兵だが、すでにその夜営地では指揮官が暗殺され、攻城の道具などが焼き払われている。

 そうして上がった炎の対応と指揮系統の混乱で、外はてんてこ舞いだろう。

 七千の兵がいたとしても、門を破る事などできない。

 指揮官がいなくては、破ろうとすらしないだろう。


 街に点在し、彷徨う兵士も同じ事。

 今、ここで戦うつもりがあるのは、ケアンとヘッズが率いる五百以下の兵士達だけだ。

 指揮官がいない以上、数があっても組織的な敵対行動はできない。

 合流されれば厄介だが、それまでにケアンとヘッズさえ片付ければそれで終わりだ。


「さぁ、本格的な攻勢にでるぞ。ダイニー、フィッツィ、歩兵の進軍を伝えて来い。ついでに加勢もしろ」


 数の有利は覆され、戦いは街の中で行われる。

 平野と違って障害物の多いこの場では、獣人の方が有利である。

 今なら弓だけでなく、純粋な部隊のぶつかり合いでも互角以上だ。


 楽勝である。


「しかし、セルヴォ閣下の護衛はいかがいたしましょう?」


 フィッツィが訊ねる。

 ダイニーも黙ったままコクコクと頷いた。


「必要ない。敵の攻撃が届かない場所から楽しませてもらう。敵はもう、潰えるだけだからな。指示も必要ないだろう」

「わかりました」


 二人揃って敬礼を返し、屋根の上を走っていく。


「よかったの?」

「くくく、問題ない。空論の証明はすでに成されようとしている」


 自信満々に答える。

 今回の作戦を取ったのは、相手に数の有利を与えない事と攻城戦に持ち込まない事が目的だった。


 いくらヘッズ少尉が「籠城崩し」の二つ名を持っていようとも、そもそも攻城戦が起こらなければその二つ名も意味がない。


 無理に相手の得意分野で戦う必要はないのだ。

 全ては相手の利点を潰すための作戦だった。


 そしてレイスが断じたのなら、間違いなくこの作戦は成功する。

 でなければ、こんな戦場で護衛無しに二人きりなどという危険は冒さないだろう。


「ふふふ、二人きりだな。ジョバンニ」


 レイスがジョバンニの腕に抱きついて、体を寄せる。


「そ、そうだね」


 ジョバンニは少し緊張して答える。


「領では二人きりになる事がないからな」


 もしかして、二人きりになりたいからこの状況を作り出したんじゃないだろうね?

 とジョバンニは少し不安に思った。


 不安だし、照れるし、と居たたまれない。

 視線もあえてレイスから離し、街を移動するヘルシオン軍へ向ける。


 その時だった。

 きらりと夜闇に光る物があった。

 ジョバンニはそれが何かわかると、レイスを庇うように抱き締めた。


「ジョバンニ?」

「ぐあっ……!」


 右の肩に鋭い痛みが走り、ジョバンニは悲鳴を上げた。

 ジョバンニは体勢を崩し、屋根に手を付いた。

 彼の肩には弓矢が刺さっていた。




「ち、しくじった。あれじゃあ、庇った奴も死んでねぇな」


 馬上で弓を構えたヘッズは本来の口調で悪態を吐いた。

 ケアンは近くにいてそれを耳にしたが、気にも留めなかった。


 ヘッズは行軍の途中、遠くの屋根の上に立つ人影を見た。

 豆粒みたいに小さく、どんな奴かはわからなかった。

 しかし、こんな時分にあんな場所にいる奴がこの戦に関わっていないはずは無い。

 そう直感して、矢を射たのだ。


 狙撃は失敗したが、彼はそれ以上そちらに矢を射るつもりはなかった。

 確実に殺すなら何度か射るべきだが、状況がそれを許さない。

 場所は街の中央付近の街路。


 兵士達は周囲の小道から攻めてくる獣人達と戦っている。


 幸いというべきなのか、敵歩兵部隊の攻めは消極的だった。

 あまり大通りに出てこず路地の付近から攻撃を仕掛けてくる。


 しかし味方の兵士も攻めきれず、押し込める事もできていない。

 そのため、焦れて兵士達が突出気味だ。

 ケアンとヘッズの周りが少し手薄になっている。


 弓で狙っても、屋根の上にいる時と違って獣人達はうまく路地に隠れてしまう。

 その都度、ヘッズは舌打ちした。


 屋根の上の獣人達も姿を現さず、屋根の影から山なりに矢を降らせてくるようになった。

 その矢で命を落とす者も少なくない。

 場所の有利の差が明確な被害の差に結びついていた。


 流石に守勢を得意とするケアンであっても、ここまで縦横無尽に攻められては成す術もない。

 全滅は時間の問題だった。


 こうなったら、降伏以外に命を長らえる方法はない。

 しかし、ケアンは降伏しないだろう。

 彼のプライドが獣人に屈する事を許さない。

 ヘッズにはそんな彼を説得する自信がなかった。


 それでも一言申し上げるべきか、と迷っていた時、唐突に事は動いた。

 ヘルシオン軍の背後に、新たな部隊が姿を現したのだ。


 一様に黒い服装の部隊は、その殆どの構成員が人間だった。


「あの部隊は!」


 ケアンがその姿に目を剥く。

 その部隊は先の敗戦による撤退時、執拗に輜重隊を狙ってきた部隊だった。


 黒死隊である。

 黒死隊の前面には一人の男、ドゥーガンが立っていた。

 ドゥーガンは腰から曲剣を抜き放つ。


「全員抜剣。行くぞ」


 男は静かに言い放つと、ヘルシオン軍に突撃を仕掛けた。

 背後の隊員達が、迎撃に出たヘルシオン兵とぶつかる。


 すると、黒死隊は体術と剣術によって効率よく兵士達を無力化していった。

 恐るべき制圧力である。


 そのまま道を開くように兵士達を倒していき、出来た道をドゥーガンの率いる者達が通っていく。

 黒死隊がケアンとヘッズに迫る。


「あなたはまさか! ドゥーガン少将!」


 間近に迫るドゥーガンの顔を見て、ケアンは驚きの声を上げた。

 そんな彼の胸に、ドゥーガンの曲剣が突き刺さる。

 ケアンは口から血を吐き、絶命して落馬した。


「今はただのドゥーガンだ」


 事切れたケアンに、ドゥーガンは呟いた。

 ヘッズの方にも一人の隊員が迫る。

 マーティである。


 ヘッズは矢をつがえて、マーティを狙い撃つ。

 放たれた矢が剣にそらされ、逆にヘッズの首へ刃が迫る。

 弓を叩きつけて迎撃、態勢を崩したマーティに再び矢で狙いをつける。

 だが、その矢は放たれなかった。

 家屋の屋根の上からダイニーが躍り出て、ヘッズの背中へ剣を突き立てていた。

 痛みに硬直するヘッズ。

 その隙を突き、トドメとばかりにマーティはヘッズの首を剣で貫いた。


 二人が剣をヘッズの体から抜くと、彼は落馬して天を仰ぎ、そのまま果てた。


「敵将、黒死隊ダイニーとマーティが討ち取った!」


 ダイニーではなく、屋根の上からフィッツィが叫ぶ。

 それに応え、ダイニーとマーティが剣を天に突き上げた。


「敵総大将ケアン、討ち取った!」


 ドゥーガンも声を張り上げる。

 兵士全体に声が行渡り、ヘルシオン兵達はその場に武器を落とした。

 ヘルシオンの兵士達から戦う意思が今、消え去ったのだ。




「ジョバンニ! 起きたまえ、ジョバンニ!」


 耳のそばでレイスの声がする。

 必死な声で自分の名前を呼んでいる。彼女がこんなに焦っているのは珍しい。

 ジョバンニは暢気にそんな事を考えながら身を起こした。


「何?」

「ジョバンニ! 大丈夫なのか?」


 レイスの表情は声に負けず必死で、先ほどまでの上機嫌さが欠片も見られなかった。

 顔は青ざめ、心配そうにジョバンニを見ていた。


「ちょっと痛いけど、骨で止まったんだと思う」


 言いながら、ジョバンニは肩に刺さった矢を何気なく抜く。

 ちょっとだけ痛かったが、すんなりと矢じりは抜けた。

 矢じりの返しがひっかからないくらいに刺さり方が浅かったのだ。

 血がプッと噴き出し、すぐに止まる。


「ほらね」

「呆れた頑丈さだな、ジョバンニ。だが、安心した。ちゃんと手当ては受けるんだぞ」

「うん。わかった」


 素直な答えが返ってくると、レイスは溜息を吐く。

 忌々しげに、ヘルシオン軍の方を睨む。


「まさかここまで弓が届くとはな。もう終わりだろうに、往生際の悪い。さっさと死ね、カス共め!」


 レイスの可愛らしい口から汚い悪態が漏れる。

 すると、ヘルシオン軍に背後から黒い一団が突撃した。

 黒死隊である。

 少しの攻防があり、程なくしてワッと勝鬨かちどきの声が上がる。


「どうやら終わったらしいな。ざまぁみろだ。クソ共め。くははははっ!」


 何だか、いつもより口汚い。

 ひとしきり罵り、楽しげに笑うとレイスはジョバンニに向き直った。


「ふふふ、今回も私の理論は証明できた。勝ちだな。ジョバンニ」

「うん。そうだね。……でも、いつまで続くんだろうね?」


 ジョバンニの口調には疲労の色があった。

 彼はこの状況に辟易しているのだろう。


 元々、彼は争いごとを好まない。

 それでも戦わなければ、領民を守れない。

 だから、彼は本来なら避けたい争いを積極的に起こしている。

 心労があって当然だった。


「一応、これで一段落だろう。少なくともしばらくは攻めて来ない」


 そんな彼に、レイスは答えた。

 ジョバンニは彼女の言葉に顔を明るくさせた。


 説明を促すように、彼女の顔を見る。

 と同時に、ちらちらと落ちてくる白い物が視界に入った。


 今年一番の雪だった。

 二人揃って空を見上げる。

 曇った空から、雪が降り続いていた。


「もう冬だ。雪は厚く積もり、軍の行軍は難しくなる。速度は落ち、暖を取るための薪で物資の値がかさむ。マールとケイリッツの間には大きな川もある。橋を落とせば渡河も大変だ。まともな考えを持っているなら、こんな時期に攻めて来ないさ。攻めてくるとすれば、春になってからだ」

「……そうか。これで一応、終わりなんだ」


 実際は、猶予ができた、というだけなんだろう。

 きっと、レイスの頭の中には冬が終わった後の戦いが想定されている。

 それが束の間だったとしても、ジョバンニは嬉しかった。


「ああ。だから、冬を喜び、楽しもうじゃないか」


 レイスは笑う。

 戦の時とは違う、歳相応の可愛らしい笑顔だ。

 その笑みを見て「そういえば、お姫様だった」とジョバンニは思い出した。


 指揮官を欠いて捕虜となった兵士を送り返し、この戦いは幕を閉じた。

 戦いが終わった時、ヘルシオン軍の数は七千二百にまで減っていた。

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