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3話 軍備増強をかねた休日

 ヘルシオン王国国王アロウン=ベリト=ヘルシオンは、側近からの報告に怒りを覚えた。

 強い感情に、老いてやせ細った手が知らず握りしめられる。


 アロウンは年老いた王だが、その目には強い野心の光が今も燦然と輝いていた。

 表情も血の気の多い若者の如く、荒々しい相を作っている。


「ケダモノめ……!」


 怒鳴りつけるでもなく、静かに怒りを込めた声が発せられる。

 側近から聞いた報告は、アランドの領主によってマール領が奪われたというものであった。

 アランドの領地を奪い取るつもりが、逆に領地を奪われてしまったという報告だ。


 マールは穀倉地帯である。

 つまり、アランドの木材と鉱石だけでなく、マールの穀物まで断たれた事になる。

 ある理由から、今のヘルシオンにとってそれは致命的な事だった。


「如何いたしましょう?」


 側近は淡々とした口調で訊ねた。


「決まっている。そのまま攻め落とさせろ。兵の補充など必要ない」

「しかし――」

「先の敗北は、地の利によるものだ。部隊の被害も三千の騎兵のみ。相手にも少なくない被害が出ているはずだ。数は今も勝っている。現行の戦力で十分に当たれるはずだ」


 王の言葉に、側近は言葉を飲み込んだ。

 正しい判断だと思ったからだ。

 憤っていても、王の考えは常に合理的なものだ。

 その冷静な判断と決断がアロウン王の最も優れた点であった。


「では、率いる者はどういたしましょう?」

「ケアンで良い。が、もう一人着ける。そうだな……。確か、ヘッズが王都に帰還していたはずだ。違うか?」


 側近は手に持った書類の束に目を通す。

 記述を見つけ、答える。


「はい。相違ありません。では、そのように手配します。……それから、レイス殿下については如何いたしましょう?」


 側近が訊ねると、アロウンはあからさまに顔を顰めた。


「時流も読めず物見遊山へと繰り出し、そのうえでさらわれるような「うつけ」は放っておけ。おもんばかる価値もない」

「は、御意にございます」


 王はいとも簡単に、実の娘を見捨てた。




 アランド領。

 領主の屋敷にて。


 ジョバンニは自室のベッドで、チュンチュン、チュンチュン、という雀の鳴き声に目を覚ました。

 ジョバンニは雀が好きだった。

 見た目がそもそも可愛らしく、その上ちっちゃくて、地面を跳ねて歩く姿は愛らしい。


 多分、窓辺にいるであろう雀を一目見ようと、ジョバンニは起き上がった。

 ベッドに手を着く。


「あん……」


 思わぬ感触と反応が返ってきた。

 触った物に目を向けると、そこにはレイスの姿があった。


「……っ!」


 ジョバンニは混乱する。

 レイスは全裸だった。

 ちなみに、ジョバンニは縞模様のパジャマ姿だ。


 あわあわと慌てるジョバンニ。


 昨日は一人で寝たはずだ。

 家臣達がマール陥落の報を聞いて祝宴を挙げていたが、ジョバンニは酒があまり好きじゃないので一人で先に寝たのだ。

 同じくレイスも酒が好きじゃないらしいので、一緒に宴を抜け出した。

 その際にも、ちゃんと部屋を分かれたはずなのだ。


 よって、ここにレイスがいるのはおかしい。


 昨日の出来事を整理している間に、レイスは目を開けた。

 ジョバンニに目を向け、微笑みかける。


「おはよう」


 言いながら、レイスも起き上がった。

 ベッドのシーツがずれて、隠れていた部分が減る。

 ジョバンニは恥ずかしくて背中を向けた。


「どうしてここにいるの? どうして裸なの?」


 率直に訊ねる。

 なんだ、そんな事かというふうにレイスは答えた。


「寒かったからな。知っているか? 全裸に毛皮が一番暖を取れるんだぞ」

「知らないよ!」

「む、何だと? いいか? 服を着ると血行が悪くなる。すると結局の所、体が冷えてしまいやすくなるのだ」


 レイスの態度に羞恥心は見えず、さも教え諭すように平然とジョバンニへ説明を始める。


「わかったよ! わかったから服着なよ!」


 むしろジョバンニが羞恥心に苛まれ、自分の着ていたパジャマの上着をレイスに渡した。

 そちらを見ないように、注意を払いながら。


 それでも、焼きついた記憶が脳裏から離れない。


 レイスの肢体には意外性の欠片も無い。

 多分、服を脱いだらそんな感じだろうな、という予想からはずれない薄い身体だ。

 それでもドキドキする。


 相手がレイスだからだろう。

 でなければ、人間の裸を見ても獣人のジョバンニがドギマギするはずはない。


 レイスの身体は白く、染み一つなかった。

 まるで陶器のように滑らかで、撫でればとても心地がいいだろう。

 でも陶器のように固くは無く、むしろ柔らかい。

 さっきの感触が思い出された。


「あぁーー……」


 ジョバンニは頭を抱えた。

 そんな事を考えると、余計に慌しい気分になった。

 心臓が暴れまわっている。

 不意に、レイスの顔がジョバンニの肩に乗せられた。


「何してるの?」


 その行為の意図をジョバンニは問う。


「ある部分を見ている。でかくなったな、ジョバンニ。興味深い」

「イヤァオ!」


 ジョバンニは叫びを上げると、レイスにぶつからないようするりと体を離す。

 ベッドから下り立って振り返り見ると、レイスはジョバンニの上着を着ていた。

 けれど、上着だけ着て下は裸なので、何だか余計にいやらしく見えた。


「お前は見かけによらず草食なんだな」


 くっくっ、とレイスは笑う。


「え? 肉食だよ」


 とその言葉をジョバンニは律義に訂正する。

 種族的に食事は肉が主体なのだ。


「じゃあ、僕は行くから。ちゃんと服着なよ。裸で出てきちゃ駄目だからね」


 言い置いて、ジョバンニは部屋から逃げるように出て行った。


「今のお前も上半身裸だぞ」


 レイスはもうすでにいなくなったジョバンニに、笑いながらそんな言葉を投げた。


「姫殿下」


 不意に、声がかかる。

 ジョバンニは気付いていなかったが、部屋には二人の黒死隊員がいた。

 レイスの護衛を担当する女性隊員。ダイニーとフィッツィだ。

 声をかけたのはフィッツィである。


「何だ?」


 レイスは訊ね返す。


「アプローチ、下手ですよね」

「放っておけ。自覚している」


 胡坐をかいて座るレイスは、その太腿ふとももに頬杖をついた。

 小さく呟く。


「それに、気付かれても恥ずかしいじゃないか」

「裸でダイレクトアタックは恥ずかしくないんですか?」




 朝食でレイスと顔を合わせ、ジョバンニは少し落ち着かない様子で食事を取った。

 それが済むと、二人はアランドの各所を回るために街へ出た。


 レイスは戦の時と同じく、仮面を着けている。

 獣人ばかりの街に、人間の間諜など入り込めないとは思うが、身元が割れないよう念のために館から出る時は仮面だけでも着ける事にしたようだ。


 服は絹のズボンとシャツ。

 かつて王都のパーティで着ていたようなラフな服装だ。

 それだけでは寒いので、とても分厚いコートを一枚羽織っていた。

 毛皮も余分な脂肪もないのだから仕方が無い。


 最初に向かったのは、練兵場だ。

 練兵場では、前に見た時と同じように兵士達が訓練をしていた。

 その訓練の指揮を執っているのはレイスの部下であるドゥーガンだった。


 彼はジョバンニとレイスを見つけると、敬礼する。

 ドゥーガンには軍務経験、それも指揮官としての経験があるらしく、彼に兵士の面倒を見させるようレイスが提案したのだ。

 ドゥーガンは人間なので獣人の兵士から反発されるのではないか、とジョバンニは心配した。

 しかし、今見る限りそうはなっていない。

 上手く関係を構築しているようだった。


「相変わらず錬度が低いな。士気は充実しているようだが」


 レイスは訓練の様子を眺めて言う。

 アランドの兵士は五千にまで数を減らしていたが、それでもヘルシオンの騎兵三千を潰せた事を考えれば大戦果と言えた。

 勝利し、生き残った彼らの士気は高かった。


「やっぱりな」


 レイスが呟く。


「何が?」

「兵士が結構な頻度で槍を落とす」

「あ、うーん、ごめんね。まだ、なりたての兵士が多いから」

「それもあるだろうが、問題は爪だろうな」


 思いがけない答えに、ジョバンニは首を傾げた。


「獣人は爪が長い。しかもそれ自体が武器になる程の鋭い爪だ。あの爪があるから、握らなければならない武器の扱いが苦手なんだ」

「あー、それはあるかも」


 ジョバンニは納得する。


「弓矢が苦手な理由もわかった。爪で弦を切りやすいからだろう?」

「うん。そうなんだ。ひっかかって切れちゃうんだよ」

「本格的に弓部隊を作るには、弦を切れにくい素材で作らなければならないか……。いや、爪切りを量産して、各々に手入れさせた方が安上がりか?」

「爪切りは駄目だよ。獣人の爪は中まで神経が通ってる。だから、あまり深く切れないんだ」

「そうなのか? 興味深いな」


 レイスは目を輝かせ、ジョバンニの手を取った。

 爪をじっくりと眺める。


「本当だ。薄っすらと血管が見える。切り過ぎると出血するな」


 爪の感想を言いながら、ジョバンニの爪を眺め続けるレイス。


「あの、くすぐったいんだけど」


 ジョバンニが言う。

 レイスは爪を見るついでに、ジョバンニの肉球をぷにぷにしていた。


「ああ、すまない。知的好奇心を抑えられなかった。許せ」


 レイスは笑って手を放した。




 次に向かったのは、金属の加工などを主に担当している職人街だ。

 アランド領は鉱山資源が豊富にあるため、鍛冶職が発展しているのだ。

 アランド家の抱える鍛冶屋がその職人街にあった。


 領主お抱えの鍛冶屋とあってその鍛冶屋は他の鍛冶屋と比べて何倍もの規模があった。

 軍の装備はここで一手に作っているため、必然的に他の鍛冶屋よりも大きいのだ。


 建物の中は広大な空間になっており、そこに幾つもの釜と作業台があって多くの職人達が働いていた。

 働くのは、主に犬型の獣人達だ。

 何故か、犬型の獣人はこういった作業が得意なのである。


 中に入ると、今まさにフル稼働して何かを作っているようだった。

 その中で、自らも鉄を打ちながら職人に指示を与えている男がいた。

 彼は今服を肌蹴ているが、その服は黒死隊の物だ。

 彼もまた、レイスの部下だった。


 色んな人材がいるんだな、とジョバンニは改めて感心する。

 レイスに気付いたその隊員は、敬礼を返さずに頭を下げるだけだった。

 鉄を打つ作業を続けているのだから、それは仕方が無い。

 気にしない、という風にレイスも手を振る。


 すると、鍛冶屋にいた別の黒死隊が弓を持ってレイスに近付いてきた。

 敬礼する。


「試作品になります」


 と渡される弓をレイスが受け取る。

 それは小ぶりな弓で、普通の弓とは違って色々な部品が組み合わさって作られた代物だった。


「それが合成弓コンポジット・ボウ?」

「そうだ」


 この合成弓は、レイスの提案で作られるようになったものだ。

 普通の弓は一塊の木材に、弦を張って作られる。

 合成弓は様々な素材を組み合わせて作る弓だ。


「様々な部分を適切な素材で作る事により、効率的に弓矢へ飛ばす力を与える事ができる。結果、これくらいの大きさでも大弓並みに遠くへ飛ばせるわけだ」


 レイスは説明してくれる。


「幸い、この土地は木材と鉱石、それに野生動物までいるから皮も手に入る。量産は容易いだろう」

「でも、扱う人が少ないんだけどね」

「そうだな」


 言いながら、レイスは弓を持ってきた隊員に向き直る。


「今から改良点を言うから覚えろ」

「はっ」


 隊員は敬礼して、レイスの言葉に返事をする。


「弓の弦に細い鉄の筒を二つ通せ。中央に矢をかける部分を残し、その上下を鉄の筒でカバーするようにな。修正はしやすいだろうから、試作ができたら確認に来い」

「はっ、了解いたしました」


 レイスから弓を受け取り、走っていく隊員を見送る。


「今のは、爪対策?」


 レイスはジョバンニに向き直った。


「そうだ。持つ場所さえ金属で覆ってしまえば、弦に鋼糸を使う必要も無くなるだろう」

「なるほど。手間と資源の節約にもなるね」


 レイスはジョバンニの言葉に満足して頷いた。


「扱える者の少なさなど、精度を求めなければ関係無い事だ。要は、撃てれば良い。前の戦いでもそれで十分だっただろう?」

「そうだったね」


 前は伏兵として弓兵を忍ばせ、高所から弓を降り注がせた。

 本当にそれだけで十分な戦果が出てしまったのだ。

 彼女の言う事は、あながち間違いでは無い。


「むしろ大事なのは、素早く高所を取れる事だ。あいつらなら伏兵として忍ばせなくても、素早く高所を取って同じ事ができそうだ」


 レイスの言うあいつら、というのは前の伏兵として選抜されたリス型と豹型の獣人達だ。

 リス型と豹型の獣人は木登りが得意なのである。


「豹の獣人には、たまに木登りより走る方が得意なのもいるけど」

「そういえば、何人かからっきしの奴がいたな。毛並みが微妙に違う気がした。実は、別の種族なのかもしれないな。興味深い」


 レイスは悪戯を思いついた子供のように、にやりと笑みを浮べた。




 視察を終えた後、二人は領主館で昼食を一緒に取った。

 二人はテーブルに向かい合う形で座っている。

 二人の前には、それぞれ別の料理が置かれていた。

 ジョバンニはステーキ。

 レイスは野菜のサラダとフルーツの盛り合わせだ。


「野菜、好きなの?」


 レイスの料理に、まったく肉類が含まれていないのでジョバンニは不思議に思って訊ねた。


「まさか。誰が好き好んでこんな味気ない物を食べるか。肉の方が好きに決まっている」

「え? じゃあ、なんでお肉を食べないの?」

「肉を食べ過ぎると体臭がきつくなるじゃないか」

「そうなんだ。でも、レイスは臭くないよ」

「言い方にデリカシーがないな。だが、そう思ってもらえるように肉を食べないんだ。少しばかり報われたか?」


 なるほど。とジョバンニは納得した。


「私のこの美貌も、体臭も、弛まぬ努力があってこそだ。健やかに美しく育てるよう、子供の頃から食べ物には気をつけてきたのだ」


 子供の頃から自主的にそれらを行ってきたと聞いて、ジョバンニは感心する。

 健やかに、か。

 そのわりに、体はあまり育ってない気が……。


 ジョバンニが思うと同時に、レイスの鋭い眼光が向けられた。


「ははは、私にも謎なんだ。五歳下の妹は胸に重ったるそうな球体を張り付けているのにな」


 レイスは顔を手で覆い、自嘲めいた笑いを上げた。

 考えが読まれた?


 恐ろしい、とジョバンニは少し怯えた。

 その間も、レイスは狂ったように笑う。

 病んでいるようですらある。

 指の間から見える目には、哀愁が宿っていた。


「あ、そういえば」


 ジョバンニは誤魔化して話題を変えるために声を上げた。

 レイスも笑いを止め、ジョバンニに向く。


「黒死隊の人たちは、アランド領の人と結構打ち解けてるみたいだね」


 レイスの黒死隊を受け入れるにあたって、ジョバンニが一番心配していたのはその事だった。

 だから、時折彼らの周辺を注目するようにしていたのだが、どうやらたいした衝突もなく仲良くしているようだ。


「そうするように命令しておいたからな」


 意外な返答が返ってくる。


「命令でどうにかなる事なの?」

「人心の掌握は、黒死隊が得意とする事の一つだ。まず、優れた所を見せ、認めさせ、認めてやれば人の心は掴めるものさ。私が実践し、そして教え込んだ事だ」

「そんな事ができるんだ。すごいね」

「そうだ。私はすごいんだ」


 薄い胸を張り、レイスは得意げな顔をする。

 もっと褒めろと言わんばかりだった。

 ジョバンニが心から褒め称えると、レイスは満足そうに笑った。




 食事が終わると、ジョバンニは領の運営に関する仕事があるためにレイスと別れた。

 レイスはそういう事にも興味があるんじゃないか、と思ったが、意外にもレイスはついてこなかった。


 それからずっと、机に着いて家臣と共に書類を片付けていく。

 その仕事が片付く頃には日が傾いて、窓からは赤い西日の光が射し込んでいた。


 仕事から解放されて、レイスを探す。

 彼女は領主館の庭にいた。

 庭には彼女だけでなく、黒死隊の隊員達が二、三十人集まっていた。

 隊員達はきっちりと整列し、その視線の先には二人の隊員がいた。


 二人の隊員は向かい合い、互いに素手で構えを取っている。

 その姿をレイスと黒死隊員達は眺めている。


 訓練のための試合か何かだろう。


 二人の隊員を見ながら、ジョバンニはレイスに近付いていく。

 レイスに近付く前に試合が始まり、さほど時間をかけずに一方が組み伏せられて決着した。


「次!」


 部隊を監督しているらしき、ドゥーガンが声を張り上げた。

 その間に、ジョバンニはレイスの隣へ向かった。

 次の隊員が前へ出る。


「仕事は終ったのか?」


 レイスが戦う隊員達から目を離さずに、ジョバンニへ声をかける。


「うん。終わった」


 そのやり取りの間に、試合が終わった。


「次!」


 ドゥーガンの声で次に出てきたのは、レイスの護衛であるダイニーだった。

 黒髪、浅黒い肌、口元を隠すバンダナが特徴的な彼女だ。

 相手は屈強な身体つきの男性隊員である。


 試合が始まる。

 先に手を出したのはダイニーだ。

 右ストレートを放ち、避けられると右のミドルキックを放つ。

 その攻勢を防ぐと、相手は左右のコンビネーションパンチ。

 ダイニーはさして動かず、最小限の動作でそれをかわす。

 右拳が、ダイニーのバンダナを掠める。

 次いで、右足のハイキックがダイニーの頭を狙った。

 ダイニーは左腕で蹴りを防御。

 蹴りを受けると同時に、相手の軸足を蹴りつけて転倒させた。


 重心の安定しない相手の攻撃時に攻撃を当てる高等な戦法だ。

 うつ伏せに倒れた相手の後頭部を軽く叩いて決着。

 どうやら、急所を取られると負けらしい。


 隊列に戻る際、ジョバンニの前を通るダイニー。

 すると、ダイニーのバンダナがスルリと解けて落ちた。

 先ほどの攻防で、解けてしまったらしい。


 そうしてあらわになった彼女の口は、耳の辺りまで裂け上がっていた。


 見る限り、古い傷だった。

 刃物で切り裂かれたものだろう。


「お目汚しを」


 ダイニーはバンダナをくくり直しながら、ジョバンニに謝罪した。


「何が?」


 心底わからないというふうに、ジョバンニは訊ね返した。


「私の口は裂けてます」


 言葉少なに答えるダイニー。


「口なら僕も裂けてるよ」


 言いながら、ジョバンニは自分の口の両端へ指を引っ掛けて広げて見せる。

 かすかに、ダイニーの目が笑んだ。


「さっさと行け、ダイニー」


 苛立たしそうにレイスが言うと、ダイニーは一度頭を下げて隊列に戻った。

 次の隊員が出て、試合を始める。


「変わった体術だね」


 試合を眺めながら、ジョバンニは感想を述べた。


「レイス流姫式格闘術です」


 手近にいた隊員が得意げな表情で、ジョバンニに答えた。


「それは本気で正式名にする気か?」


 レイスは隊員を睨みつける。


「正式名称がないのは不便かと」

「流通させるつもりはない。門外不出だ。名前など不要」


 睨まれても動じない隊員が言うと、レイスは怒鳴りつけた。

 少しだけレイスの耳が赤くなっている。

 あの名称が恥ずかしいのだろうか?


「もしかして、レイスが作ったの?」

「個人の制圧に効率の良い戦い方を考えただけだ」


 ジョバンニは納得する。

 確かに、黒死隊の戦い方は軍隊の戦い方とは違う。

 隊員達は相手を転ばせて、時に首を締め上げ、上手く相手を無力化する戦い方をしていた。

 投げ技も多い。


「そういえば、どうして黒死隊っていうの?」


 レイスは言葉を詰まらせた。

 顔を俯けて、難しい顔をする。


 言いたくない事なんだろうか?


 ジョバンニが聞くのをやめようか、と迷いだした時、レイスはジョバンニに答えた。


「王都で、連中に仕事を与えた。人を殺させる仕事だ。その時に、街の人間に目撃されていたらしい。黒い服の集団が現れた場所では、人が死んでいる。そんな噂が立ち始め、気付けば黒死隊と呼ばれるようになっていた」


 暗殺。という単語が頭に浮かび、ジョバンニは言葉を失った。

 そして気付く。


 人心掌握に長け、個人の制圧を対象とする格闘術を修めた集団。

 ヘルシオンの軍容を掴んだ事から、情報収集にも長けている。

 黒死隊は恐らく、レイス個人のための諜報組織なのだ。

 レイスにとって有益になるならば、情報も人の命も奪い取る組織だ。


「必要だったんだ。殺さなければ気が済まなかった」


 レイスは言葉を続ける。

 彼女にしては歯切れが悪く、苦々しげな声音だった。

 彼女は黒死隊という組織を使って、王都で何をしていたのだろう?


 ジョバンニは気になった。

 それと同時に、不思議に思った。

 戦の場で、あれほど無慈悲に人を効率よく殺す策を練る彼女が、どうしてこんなに痛ましい表情をしているのだろう?

 どうして、躊躇いがちな口調で自分に話しているのだろう? と。


 ちらりと、父の事が思い出された。

 王都で不審な死を遂げた父。

 もしかして父は……。


「そうなんだ」


 それ以上、何かを訊ねるのが怖いと思った。

 だから、会話を打ち切るように納得の言葉を返す。


「そうだ」


 その意図に気付いて、レイスも言葉少なに答えた。


「近い内に話してやる」


 レイスは小さな声で告げた。




 翌日、レイスはまたジョバンニのベッドの中にいた。


「あれ? おかしいな? ちゃんと鍵は閉めたのに」


 ジョバンニは例によって全裸のレイスから目を背けて呟いた。


「開錠させていただきました」


 と、恭しい声が聞こえて、そちらを向く。

 ダイニーとフィッツィがいた。

 声をかけたのはフィッツィの方だ。


 ジョバンニは驚いた。

 声をかけられるまで、その存在に気付かなかったからだ。

 ジョバンニが気付かなかっただけで、昨日も部屋にいたが。


 黒死隊は優秀だ。

 その優秀さの一端を彼女達は披露したのだろう。


「おはよう、ジョバンニ。お前からは良い匂いがするな。もっと、洗ってない狼みたいな匂いがすると思っていた」


 レイスが起き抜けに、ちょっと失礼な事を言ってくる。


「毎日、ローズマリーを浮べたお風呂には入っているからね。清潔にしてないと、王都の人達から色々と言われちゃうから」


 それはセルヴォの言いつけだ。

 何を理由に、他の貴族達から難癖をつけられるかわからないのだ。

 常日頃から、完璧な貴族である事が求められる。

 特に体臭に関しては、肉食獣の獣人であるジョバンニは過剰なまでに気をつける必要があった。


「あそこの連中は体面ばかり気にするからな」


 レイスは心底馬鹿にするように皮肉っぽく言った。

 遠く王都にいる連中についての事だろう。


「しかし、本物は違うなぁ。匂いはちょっと物足りないが、手触りが毛皮とは大違いだ」

「毛皮?」

「王城の自室には狼の毛皮がたくさん敷いてあるんだ。床にもベッドにもある」

「え、なにそれ……」


 ジョバンニはその光景を思い浮かべてちょっと怯えた。

 レイスを見る目が少しだけ変わった。


 レイスが自分を好意的に見てくれているとは思っていたけれど、それはもしかして上質の毛皮として見ているんじゃないのか? と思ってしまった。


 ジョバンニはレイスを見た。

 裸体は一切気にならなかった。

 それ以上にレイスのジョバンニを見る目が熱っぽく、そっちの方が気になった。


 何だか、いつかこの毛皮を剥れそうな気がする。

 と、ジョバンニは心配になった。


「大丈夫だ。生きたままその毛皮を剥ごうとは思わない」


 考えている事を看破された。

 でも、その言葉に少し安心する。


「剥ぐのは死んだ後だ。お前が死んだら、マントに仕立てていつも着けようと思っている」


 次いで放たれた彼女の言葉に、ジョバンニは言葉を失った。


「ずっと、一緒にいてやるからな」

「ひゃーーっ」


 レイスの熱っぽい目に耐えられなくなり、ジョバンニは逃げるように部屋から出て行った。


「むぅ、怖がらせてしまったようだ。どうしてだろう?」


 と、護衛の二人に訊ねる。


「姫殿下、アプローチ超下手ですよね」

「わりかし本気の殺し文句だったのだがな」


 お前の作るオニオンスープを毎朝飲みたい。

 的な意味でレイスは言ったつもりである。


「本気で殺されると思ったんじゃないですかね?」

「むぅ……」




 昨日と同じく朝食をレイスと一緒に取ったジョバンニ。

 その際に、レイスは何とか誤解を解いたので、ジョバンニがレイスに怯える事はなくなった。

 少しだけ、まだ疑念は残っているが……。


 それからレイスはすぐに、どこかへ行ってしまった。

 ジョバンニは少し寂しいと思いながら、政務を処理する事にした。

 その一環として、街の視察へ出た時だ。


 居住区の一角でマーティを見かけた。

 彼は私服姿ではなく、黒死隊の制服を着ていた。

 声をかける前に、マーティはジョバンニに気付く。


「よお」

「こんにちは、マーティ。こんな所でどうしたの?」

「姫殿下への報告だ。このあたりにいるらしいんでな」


 彼はマール平原での戦の終わりから別行動を取っていたので、しばらく領内を留守にしていた。

 レイスに命じられてヘルシオン軍を追い討ちする部隊に加わり、そのままマール領に留まっていたのだ。

 彼が帰ってきたという事は、マール領で何かしらあったのだろう。


「暇ならついてこいよ。お前も聞いておいた方がいいはずだ」


 きっと、アランド領の行く末についての話だ。

 視察を中断して、ジョバンニはマーティについていく事にした。

 しばらく住宅街を探し、二人はレイスを見つける。


「待つがいい! はははははっ!」


 仮面を着けたレイスが、笑いながら獣人の子供達を追いかけ回していた。


「きゃー」


 犬型、猫型、リス型から構成される五人の集団と遊んでいる。

 レイスの標的とされ、逃げているのは猫の獣人。

 女の子だった。


 逃げる表情はわりかし本気で怯えているようにも見える。

 レイスの後ろからは、護衛の二人が追いかけていた。

 そしてついに、レイスは猫の女の子を捕まえた。


「耳の穴を見せたまえ! 興味があるんだ!」

「やだーっ」


 嫌がる女の子の頭を掴み、レイスは耳の穴を覗き込んでいた。


「何してるの?」


 呆れの混じった声でジョバンニは声をかけた。

 よほど熱中していたのか、レイスはジョバンニの声に若干驚いてから言葉を返す。


「なんだ、ジョバンニか。獣人の体の構造について探求している」


 言いながら、レイスは猫の女の子に視線を戻して、体のあちこちを見たり触ったりしていた。

 そんなレイスの手から、女の子を救い出すジョバンニ。


 行っていいよ。

 と伝えると、物陰からこちらをうかがっていた他の子供達のところへ逃げていった。


「私の探究心を邪魔するとはどういうつもりだ? また捕まえなければならないじゃないか」


 レイスは憤慨した様子でジョバンニに詰め寄る。


「子供を怖がらせちゃいけないよ」

「私は狼型以外の獣人がどんな生態を持っているのか知りたいのだ」

「狼型はいいの?」

「お前がいるからな。じっくり観察できるだろう。お前以外の体を見るつもりはない」


 僕も観察対象だったか……。


「まったく、私の探求心を満たすために君は何をしてくれると言うんだ? 部屋に観察用の獣人でも派遣してくれるのか? いや、それは娼妓を屋敷に派遣させる貴族みたいでやだな。変態みたいだ」


 さっきの君も変態みたいだったよ。

 とジョバンニは思ったが、口に出さなかった。


「姫殿下」


 マーティがレイスに声をかける。


「マーティ……。報告しろ。それから、今はセルヴォと呼べ」


 彼がいる意味に思い至り、レイスは報告を促した。


「では、セルヴォ閣下。あなたの予想通り、ケアンはケイリッツまで退きました」


 ケイリッツはマールの東隣にある領地だ。

 マールと同じく、広い穀倉地帯を有している。


 ヘルシオンは大陸の西端にあり、敵は東にしかいない。

 そのため、敵方から見てヘルシオンの後方である西方に食料の産出を担う領地がまとまって存在しているのだ。


「マールは落とせたんだな?」

「はい。手筈どおり、糧食を運ばせてあります。民達はアランドの兵を受け入れてくれました」


 レイスは満足そうに頷いた。


「ですが、もう一つ報告があります」

「だいたいの想像は着くな。誰が来たのやら」


 今から報告する内容を先読みされて、マーティは苦笑する。


「マールに向かい、軍が差し向けられました。ケアン隊の生き残りに加え、ヘッズ少尉が指揮官の一人として参入されたようです」

「え!」


 ジョバンニは敵が攻めてくる事に驚き、レイスは上がった名前に反応する。


「ほう。「剛弓」のヘッズか。いや、期待されてるのは別の二つ名だな」

「別の二つ名? 何なの?」


 ジョバンニがレイスに訊ねる。


「「剛弓」のヘッズ。またの名を「籠城崩し」のヘッズと呼ばれている」

「「籠城崩し」のヘッズ……」

「どうやら、ヘルシオンは本気でマールの奪還を考えているらしい」

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