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1話 おしかける姫

 大陸の西部に、ヘルシオンという名の王国があった。

 王国首都のヘルシオンよりさらに西部には、くの字型の山脈と深い森林がある。

 そこはアランドという領地だった。

 そしてこのアランド領は大陸でも珍しい、獣人が納める領地である。


 そのアランド領は今、存亡の危機に瀕していた。



 アランドの街は森を切り開いた中にある。

 規模はそれほど大きくなく、村というには大きく街というには小さいという規模の領主街である。


 王都のように石造りの建造物はあまりなく、殆どが木造の建物ばかり。

 街に住む者は皆獣人であり、一般的に人間と呼ばれる種族は一切いなかった。

 数日前までは、人間の行商人や旅人の姿も散見できたのだが、今は本当に一人もいない。

 獣人だけが街にいた。


 そんな街の中央に建つ領主の館。

 その一室、領主の書斎にて一人の青年が落ち着き無くウロウロと歩き回っていた。


 青年の名はジョバンニ。

 彼ももれなく獣人である。


 獣人とは獣の特徴を持った人間的な体型の生き物だ。

 普通の人間とは違って、獣人には複数の種類が存在する。

 獣人と一言に括れないほどに、その種類は多彩である。

 虎のような者や犬のような者、リスのような者までいる。


 ジョバンニは狼の獣人だった。

 一見してシルエットは人間と同じだが、彼の纏う絹のシャツとズボンの下ではフサフサとした白銀色の体毛が全身に渡って生えている。

 手の平と足の裏には肉球があり、握手をすると不思議な感触が返ってくる。

 顔はどう見ても狼だ。犬と言うには表情が険しすぎる。


 普通の人間が見ても判別できないが、そんな彼の表情には苦悶があった。

 理由は、今アランド領が未曾有の危機に陥っているからである。


 ジョバンニは溜息を一つ吐いた。

 同時に、ノックの音が室内に響く。


「どうぞ」


 ジョバンニが促すと、メイド服を着た獣人女性が入室した。

 整った仕草で一礼する。


「ジョバンニ様、マーティ様がお戻りになりました。成功なさったそうです。もうすぐ館に着くそうです」

「わかった。ありがとう。すぐに行くよ」


 メイドはもう一度一礼し、部屋から出て行った。

 一人になったジョバンニは、顔を俯かせた。


 マーティはジョバンニの一番の友人だ。

 彼が無事に帰ってきた事は素直に嬉しかった。

 事が成功した事も喜ぶべきなんだろう。


 けれどもその嬉しさと同じくらいに、強い罪悪感を覚えてしまった。

 何故ならマーティが成功したもの。

 それは、ヘルシオン王国の姫を拉致するという計画だったのだから。




 半月ほど前、ジョバンニは王国から遣わされた監察官によって、不正を暴かれた。

 見覚えの無い、ありもしない不正である。

 必死の弁明も虚しく、連行されそうになるジョバンニ。

 しかしその時、ジョバンニの家臣達が監察官と護衛の兵士達に襲い掛かった。

 気付けば監察官と護衛の兵士達は皆、一様に事切れていた。


 その場には友人のマーティもいた。

 彼は数日前からジョバンニの家に滞在していたのだ。

 ヘルシオンでは、獣人の社会的地位が低い。


 獣人は獣人であるというだけで王国の人間から見下されていた。

 アランド領が誕生するまでは、国民としてすら認められていなかった程である。

 その当時の考え方を覚えている人間は、今でも多く存在していた。

 そういう人間は、獣人は人間ではなく獣だから、と獣人達を嘲るのだ。


 ジョバンニも王都では、よくそういった人の悪意に晒された覚えがある。

 家臣達が勅命を受けた監察官達を殺したのも、人間から受ける態度によって鬱屈と不満が溜まった結果なのだろう。


 そして、そんな事をしてしまった以上、王国との関係が致命的に悪くなる事は火を見るよりも明らかだった。


 今はまだ、監察官を殺してしまった事実が王国へ伝わっていないからいい。

 ばれるまでにも時間があるだろう。

 しかし、いずれはバレる。

 そうなった時、国から兵を向けられるのは間違いなかった。


 そんな時、迫り来る危機を脱するべく、マーティが提案したのはある人物の拉致だった。

 その人物を人質にして、王国に交渉を持ちかけようという提案だ。

 その人物は、丁度アランドに近い領地へ視察に出ていたという。


 その人物の名は、レイス=バアル=ヘルシオン。

 ヘルシオン王国の第三王女。

 そして、ジョバンニの婚約者だった女性の名前である。


「はぁ……」


 ジョバンニは罪悪感を溜息に含ませ、深く吐き出した。


 自分は今、婚約者を人質にしようとしている。

 なんて卑怯者なのだろう。

 と、ジョバンニは自嘲する。


 本当はそんな卑劣な事などしたくない。

 しかし、それ以外の方法ではアランド領を守れない。

 そんな卑劣な事をしなければ、領民を守る事はできないのだ。

 計画の実行を決断した今でも強い葛藤があり、彼の目尻には薄っすらと涙が浮かんでいた。


 ジョバンニは目を袖で拭うと、億劫な気持ちを引き摺りながらレイス王女を出迎えに玄関ホールへ向かう事にした。

 部屋を出る際に、群青色の上着を羽織る。

 きっと、知らぬ所へ連れられてきて、怯えている事だろう。

 だから、せめて優しく対応して少しでも怯えを和らげてあげよう。

 それが少しでも罪滅ぼしになってほしい。

 ジョバンニはそう願った。




 聞く所によれば、レイス=バアル=ヘルシオンの王都における評価はあまりよくない。

「うつけ姫」と呼ばれているらしい。

 らしいと言うのは、ジョバンニにレイスとの面識がないからだ。


 ジョバンニは子供の頃、王都の学校に在籍していた。

 国王所属のパーティにも父と共に何度か参加した事がある。

 しかし、それでも彼女と直接会う機会に恵まれなかった。

 パーティに行っても、特定の人物と話すだけだったので当たり前かも知れないが。

 ジョバンニは、パーティでは「お兄ちゃん」とずっと一緒だった。

 名前も知らないけれど、「お兄ちゃん」はパーティに行くといつも構ってくれた人だ。

 色々な事を知っていて、態度は尊大だったけれどジョバンニを馬鹿にする事はなかった。


 初対面では凄い格好をしていたけれど、次に再会した時には金髪をオールバックにして、服装もシンプルだが品のいいシャツとズボン姿になっていた。

 二回目に会った時、その姿があまりにも格好よくて子供心に憧れたのを憶えている。


 そうじゃなかった。

 レイスの事だ。と、ジョバンニは懐かしい雑念を振り払う。

 噂によるとレイス姫は、一日のほとんどを部屋に引きこもり、外へ出る事があまりないらしい。

 外へ出たとしても何やら奇行を繰り返して周りを辟易させる。

 自分の容姿に一切興味がなく、服装も着古したボロボロのドレスを着て、髪も伸び放題で前髪で顔が見えないほどらしい。

 だから、周囲からは奇異の目で見られ、王からも疎ましく思われているのだという。


 ある意味、厄介払いのつもりでジョバンニとの婚姻を成されてしまったのかもしれない。

 そう考えると、ジョバンニは妙に納得してしまった。

 普通の人間からすれば獣人は見下す対象だ。

 しかし、アランドには木材と鉱石、ついでに森で取れる珍しい野生動物の食肉などといった豊富な輸出物がある。

 東方の隣国と戦争状態にあるヘルシオンにとって、どれも重要な物資になりえる品ばかりだ。


 だから、王国としてはあまり親しくしたくないと思いつつ、それでも繋がりを持つ必要があったのだ。

 そこで、王女との婚約だ。

 嫁がせてしまえば疎ましい姫を国の最西端へ遠ざけ、ついでにアランド領との繋がりを強くできるわけである。


 実の親から疎まれて、獣人なんかと結婚させられる。しかも、その婚約相手に人質として利用されるのだ。


 なんて、かわいそうな姫だろう。

 と、ジョバンニはそのけったいな姫と婚約させられた自分の事を棚に上げ、少し同情してしまった。

 せっかく拭った目元がまた滲んでしまいそうな気持になった。


 玄関に着くと、すでに報せが伝わっていたのか護衛の兵士達が集っていた。

 しばらく待っていると、玄関の扉が開く。

 入って来たのは人間の青年だった。

 金髪碧眼で線の細い印象を受ける青年だ。


 青年の顔を見て、ジョバンニは顔を綻ばせた。


「おう、ジョバンニ。今、帰ったぜ」

「うん。おかえり、マーティ」


 マーティは王都にいる時からの友人。普通の人間なのだ。

 ジョバンニにとって彼は、人間なのに自分の事を対等の友として扱ってくれる稀有な友人だった。


「怪我はない?」

「大丈夫だよ。俺はそんなにヤワじゃねぇ。それより、連れてきたぜ」


 そう言ってマーティが道を開ける。

 すると、玄関口を通って一人の女性が入って来た。

 それは桜色のドレスを着た小柄な女性だった。


 輝かしいセミロングの金髪、整った輪郭に澄み渡った蒼の瞳、流れる柳眉、小さな鼻と円らな唇。

 その顔には優しげな笑みが浮かび、四肢はほっそりとして物腰は柔らかだった。

 身長は低く、小柄なマーティの顔よりも下に頭がある。

 身長の高いジョバンニと比べれば、大人と子供くらいに差があった。


 ゆったりと優雅な歩調で、その女性はジョバンニに近付いてきた。

 しかし、護衛の兵士によって、その歩みは止められる。

 それでも女性は表情を崩さずに、ジョバンニへ微笑み続けた。

 上品に礼をする。


 その一連の動作に、ジョバンニは見惚れた。

 彼女の優しい笑みを見ていると、何だか落ち着かなくなった。


 本来なら、獣人に人間の美しさの基準などわからない。

 だが、数年間王都で暮らしていたジョバンニは、その魅力にも通じていた。


 だから解かる。


 彼女は王都においても稀に見る美人だった。

 それは容姿だけでなく、物腰なども考慮しての事だ。


 ドレスは生地からしてこだわりを感じるし、施された意匠はとても精緻で美しい。

 肩までの長さに調髪された髪は、しっかりと綺麗に梳かれている。

 その色合いも美しい金色で、光を弾いて輝いていた。


 どうして彼女が「うつけ姫」と蔑まれているのか、ジョバンニには理解できなかった。


「この方が、レイス姫殿下だ」


 マーティが女性を示して言う。どこか得意げな声音だった。

 そんな彼女は、さくらんぼのように円らで可愛らしい口を開く。


「お久し振りですね、ジョバンニ」


 彼女の口が自分の名を紡ぐと、嬉しさと困惑が心に広がった。

 嬉しいけれども、彼女の言葉には覚えが無かった。

 何せ初対面なのだから。


「あ、はい。ようこそおいでくださいました」


 つい、畏まって返事をしてしまうジョバンニ。

 そんな様を見て、レイスは鈴を転がすような声で「うふふ」と笑う。

 その仕草の端々が全て可愛らしく、まるで全て計算されているかのように効率的な魅力を振りまく。

 ジョバンニはそんな彼女に見惚れつつ、言葉を返す。


「いや、でも、初対面ですよね?」


 ジョバンニが言うと、レイスの顔が一瞬ピクリと引き攣った。


「初対面? まさか、憶えていませんか?」

「はい」


 彼女から妙な圧力を感じたが、それでもジョバンニは素直に答える。


「本当の本当に?」


 にっこりとした笑みのままレイスは食い下がる。


「いえ、初対面です。あなたのような方を見忘れるはずがありません」


 すごく綺麗な人だ。

 前に会っていれば、忘れるはずがない。


「ふーん……。そうですか。おほほ」


 乾いた笑いがしばし彼女の口から漏れ続けた。

 どこかわざとらしいその笑いが収まる。

 と、同時にその目が険しい物へ変わった。

 優しそうで儚げな印象が一瞬にして消えた。


 ふと、その表情にジョバンニは何かを思い出しそうになった。

 どこかで見た事がある気がした。

 だが、じっくりと思い出す機会を彼女は与えなかった。


「そうか。ははは、憶えてないのか。憶えてないんだな?」


 言ってから、レイスは手を上げた。

 脇を固めていた兵士が警戒してレイスの腕を掴む。


「離せ!」


 そう言って掴まれた腕を強引に払うレイス。

 衛兵は再びその腕を掴もうとするが、それはできなかった。

 彼らの動きはいつの間にか現れた男達によって防がれてしまった。

 兵士二人の首筋には、剣の刃が突きつけられていたのだ。


 全身を黒い服で固めた者達が、いつの間にかホールに出現していた。


 見れば、玄関ホールにいる全ての兵士達が同じように、どこからか現れた黒服達に剣を突きつけられ、動きを封じられていた。

 その場で自由に動けるのは、レイスとジョバンニだけだった。


「お笑いぐさだな。まさか、憶えていないとはな。驚かせてやろうと思ってやったというのに、滑稽だな。主に私が」


 レイスは自嘲的に笑いながら、ジョバンニへ近付いていく。

 先ほどとは別人のように、その口調は尊大さと自信に満ち溢れていた。

 堂々とジョバンニの方へ向かう彼女には、威圧感を覚えるほどの気迫があった。

 ジョバンニは思わずたじろいでしまう。


「もうやめだ。馬鹿らしい。そもそも私らしくない」


 言いながら、レイスは前髪を上げてオールバックにした。

 そうして形作られた表情は獰猛にも見える自信に満ちた笑顔。

 目は野生的な光を宿し、ギラギラと輝いていた。


「ああ!」


 顔の印象が変わり、ジョバンニは納得した。

 が、それは一瞬の事で、さらさらに梳かれた髪はすぐにオールバックを崩して元の髪型へ戻る。

 レイスがジョバンニの目前まで迫る。


「お兄ちゃん!」


 一瞬ではあったが、レイスが見せた顔はかつてパーティで交流を深めていた一人の少年と同じものだった。

 なんとジョバンニの婚約者であるレイス王女は「お兄ちゃん」だったのだ。


「誰がお兄ちゃんだ!」


 レイスは手を上げ、少し跳び上がってジョバンニの襟首を掴んだ。

 自分の顔の近くまで引き寄せて怒鳴る。


「どう見ても私はお姉ちゃんだろう!」


 どうやら「お兄ちゃん」は「お姉ちゃん」だったらしい……。


「ごめんなさい!」


 怒りのこもった目を向けられ、ジョバンニは情けない声で謝った。


「ふん、お前はものを知らないからな。どうせ、男と女の違いも知らんのだろう?」

「いや、そんな事は……」

「じゃあ、何でずっと間違えられたままだったんだろうなぁ? 私の長年の謎なんだ。今こそ、答えを貰う時ではないかと思うんだ」


 ぐい、とさらに襟首を引き、レイスはジョバンニの顔をさらに近づけさせた。

 言われて思えば、確かにどうしてなんだろう?

 どう見ても女の子にしか見えないのに。

 と考えつつ、ジョバンニはレイスを眺めた。

 視線が胸の辺りに来た時、答えの片鱗を見た気がした。


 が、その気付いた事が形になる前に、レイスが言葉を紡ぐ。


「まぁいい。人間など、最初の印象が一番強いのだからな。あんな格好をしていた私にも非はあるんだろうな。それより――」


 レイスは目を細め、怒りを含んだ声音を消した。

 代わりに、囁くような声で続ける。


「ヘルシオンは、アランドに対して兵を差し向ける事を決めたぞ」

「えっ……」


 一瞬、ジョバンニの思考が停止した。

 彼女の囁いた言葉は、それほどに衝撃的な内容だった。


「そんな……でも、あれからまだ半月も経っていないのに……」


 兵を差し向けられるにしても早すぎる。

 監察官が消息を絶ったとしても、その理由を探るためにまずは使者が送られてくるはずだ。

 それをすっ飛ばして直接兵が差し向けられるのは異常な事態だ。


「当たり前だ。ヘルシオンは始めからこうなる事まで折込み済みで事態を想定していたのだからな」


 言いながら、レイスは襟首から手を離した。


「どういう事?」


 襟元を正しながら、ジョバンニは訊ね返す。


「ヘルシオンは二通りの作戦を立てていた。まず一つは、冤罪でお前に罪を負わせて領主の権限を剥奪する。それが失敗したらもう一つの作戦。王国への反逆罪でアランド領を公然と滅ぼす。監察官が戻ってこなければ、すぐにでも攻め入るつもりだったわけだ」

「それって……」


 ジョバンニはその説明を聞いて、自分の顔から血の気が失せるのを感じた。


「そうだ。二つの作戦は、どちらもアランド領を潰すための物だ。目的は、アランドの領土を獣人から取り上げる事だろうな」

「そんなぁ……。どうして、今になって」


 ジョバンニは大きな体を縮こまらせるようにうずくまった。


「簡単な話だろう。お前の父親、セルヴォがもういないからだ。王国が今まで手出ししてこなかったのは、セルヴォを怖れていたからだしな。しかし――」


 レイスはジョバンニの前でしゃがみ、両手で狼の顔を挟んだ。顔を上げさせて目を合わせる。


「心配するな。大丈夫だ。お前は殺させない。この領も守ってやる。そのために、私はここへ来たんだからな」


 そう言うレイスの表情は優しげで、目は慈愛に満ちていた。

 声音は柔らかく、聞いていると不安が少し和らいだ。

 お兄ちゃんは、お姉ちゃんになっても頼りになる人らしかった。




「さて、では準備に取り掛かるぞ!」


 レイスは唐突に振り返って宣言する。


「ジョバンニ、こいつらは私の私兵。巷では黒死隊と呼ばれている。味方だから、お前の兵士に争わないよう命令を出せ」

「え、うん。わかった。みんな、警戒態勢を解いて。戦っちゃ駄目だよ」


 ジョバンニが注意を促すと、レイスは一度手を上げてから素早く下ろした。

 そのハンドサインを見て、黒服の者達が突きつけていた刃を納める。

 場にかすかな緊張を残しながら、黒死隊はレイスの元へ集った。

 並ぶその姿を見ると、その黒衣が同じ企画の制服である事がわかった。

 腰に佩いた剣もみんな同じだ。


「打ち合わせ通りだ。ダイニーとフィッツィ以外は全員、先行している連中に合流して準備を進めろ。接敵まではあまり猶予が無い。急げよ」

「「はっ」」


 私兵――黒死隊は敬礼し、一様に揃って声を上げた。

 それが済むと黒死隊は速やかに屋敷から出て行き、女性の隊員が二人だけレイスの前に残った。


 それぞれ、黒髪褐色肌の女性と白髪で不健康なまでに白い肌の女性だ。

 黒髪の女性はバンダナで完全に口元を隠していて、白髪の女性は真っ赤な目が特徴的だ。


「じゃあ、いくぞ。ジョバンニ。案内してくれ」

「どこへ?」

「兵舎だ。他にも見たい物はあるが、時間が無い。兵士の錬度だけでも確認しておく」

「それで、どうするつもりなの? もしかして、戦うの?」


 不安そうにジョバンニは訊ねる。

 戦う事になるだろうとは思っていたが、あまりにもその機会が早かったために動揺した。


「無論だ。今となっては他に道が無いのだからな。まったく、冤罪をなすり付けられたくらいなら、何とでもしてやれたんだがな。わかっているのか? お前に言っているんだぞ、マーティ」


 唐突にその名を呼ばれ、ジョバンニは自らの友人を注視した。

 マーティは苦笑して「すみません」と謝った。


「マーティ?」

「悪いな、ジョバンニ。俺は元々、姫殿下の部下だ。影ながら守れ、と仰せつかっていたんだ」

「それっていつから?」

「元々って言ったろ。学校で出会う前から、だな」


 マーティの言葉を聞いて、ジョバンニは顔を俯けた。

 彼女に言われたから僕のそばにいただけで、本当に僕の友達になってくれたわけじゃなかったんだな……。そう思って、ジョバンニはショックを受けた。

 とても寂しい気持ちになる。


「誤解するなよ? お前がどう思おうと、俺はお前の事を友人だと思っているから。それは嘘じゃないからな」


 弁明の言葉に、ジョバンニは顔を上げる。


「マーティ……っ」


 彼の言葉が嬉しくてたまらなかった。

 ジョバンニの目尻に、涙がじんわりと滲む。

 マーティが人懐っこい笑顔を向けると、ジョバンニも自然と笑顔になった。


「時間が無いと言ったぞ? 男同士の気色悪い友情を見せ付けるつもりなら、道すがらでやれ」


 苛立ち紛れの声でレイスに促され、「はい」と二人揃って返事をした。


 そこで、ふと思った。

 マーティがレイスの部下だという事は、そもそも拉致計画もレイスが立てたものだったんだろう。

 でなければ、不用意に出かけていたとしても、王族を拉致できるはずがない。

 そうまでして、レイスは自分を助けに来てくれたのだ。

 それはとても嬉しい事だ。

 ジョバンニの中で、「お兄ちゃん」はとても頼りになる人物だ。

 頭がよくて何でも知っていて、カッコイイ。

 そんな人が傍にいてくれるだけで頼もしく思えた。

 とても安心する。


「ここの地理はわからん。さっさと案内したまえよ」

「うん。案内するよ」


 レイスの声に気圧されつつ、ジョバンニは返事をした。

 その様子を見てマーティは苦笑する。

 レイスとジョバンニは互いの護衛を引き連れて街に出た。


「外は寒いなぁ、ジョバンニ」

「冬が近いからね」


 練兵場へ向かう途中、レイスは自分の両肩を抱えるようにしながら言った。

 レイスは薄いドレス姿だ。

 そんな格好をしていれば寒いのは当たり前だ。

 と、不意に、レイスはジョバンニの腕へ抱きついた。


「ひゃ、何を?」


 異性にここまで密着された事は初めてで、ジョバンニはドキドキしてしまう。


「寒いからだ、ジョバンニ。血の通った毛皮はあったかいなぁ、ジョバンニ」


 そんなジョバンニに、レイスは事も無げに答えた。


「でも、こんなにくっついたら……」

「何、照れる事は無い。私達は婚約者だからな」


 僕はからかわれているんだろうな。とジョバンニは思った。

 ジョバンニは自分の上着を脱いで、レイスの肩にそっとかけた。


「これなら、少しは暖かいでしょ?」

「むっ……」


 レイスは一つ唸ると、面白くなさそうな顔をしてジョバンニから離れた。

 手が離れる時、ジョバンニは安堵と名残惜しさを同時に覚えた。


 そうこうしている内に、練兵場に到着する。

 練兵場では、獣人の兵士達が槍や剣を持って訓練をしていた。


「ほう……これほどとは……」


 その様を見て、レイスは神妙な顔になる。


「ジョバンニ」

「何?」

「お前の所の兵は弱いな。びっくりする程に錬度が低い!」

「え、そうなの?」

「気付かないのか?」


 怪訝な表情でレイスは訊ね返した。


「槍も剣も鋭さが足りない。陣形の構築も遅い。身のこなし事態は全体的に良いみたいだがな」


 身のこなしがいいのは獣人だからだ。

 獣人の身体能力は人間よりも優れている。


「これでは真正面からの戦など不可能だな」


 獣人達の錬度が低いのは、アランド領の兵士が元々少なく、今回の事で急ぎ徴兵したためだ。

 ジョバンニの人気と人間への鬱憤があり、徴兵に応じる人数だけは多かったが、訓練自体は間に合わなかった。


「しかし、これはいい。これなら申し分ない。上手くいきそうだ」


 レイスは訓練風景を眺めながら、くっくっくっと笑いを漏らした。


「何が?」

「今回の戦における策だ。ああそうだ。ジョバンニ。兵の指揮はわたしに任せてもらうぞ。構わないな?」


 レイスは問い掛ける形で訊ねるが、そこには有無を言わさない響きがある。

 初めから、断らせるつもりはないのだろう。


「え、もしかして、戦場に行くつもりなの?」

「勿論だ。お前に指揮ができるのか?」

「できないけど……おにい……レイス殿下にはできるの?」

「殿下はよせ。呼び捨てでいい。あと、次に「お」から始まる単語で私を呼ぼうとしたら、その突き出た顎をかち上げてやる」

「ごめんなさい。気をつけます。でも、レイスは指揮ができるの?」


 言い慣れない名前に、ジョバンニは少しだけ照れた。

 そんな彼の様子に気付かず、レイスは答える。


「大軍を率いた事はないが、黒死隊の指揮は取っているからな。お前よりもマシだ」


 ジョバンニは納得した。だったら、確かに自分より適任だ。


 このアランド領は西部の奥まった地域にあるため、誕生以来外敵と戦う事がなかった。

 それも大軍を率いて戦える者は、このアランド領にいない。

 なら、少しでも経験があり、頭の回る人間に頼るのが最上だろう。


「この兵士の中で、豹型とリス型の獣人は何人いる?」

「え、どうだろう? 把握してない。資料はあると思うんだけど」


 ジョバンニが答えると、レイスは落胆するでもなく別の人物へ声をかける。


「マーティ。調べているか?」

「アランド領の兵士、総勢7350の内、612名です」

「なら、配備されている弓矢はどれだけある?」

「200ですが、内26ほどは木が朽ちて使えません」


 どうやら、レイスはマーティに予め情報を探らせていたらしい。

 と、レイスの目がジョバンニに向けられた。


「何故、こんなに弓が少ない? ジョバンニ、一晩で何とかしたまえ。たとえば、民間から借り受けるなりして」

「無理だよ。獣人は弓を扱うのが苦手だから、そもそも領内にある弓の数が少ないんだ」

「なるほど。なら、槍でも投げさせるか。最悪、投石だな」


 レイスは言いながら、不機嫌そうに顔を顰める。


「姫殿下」


 後ろに控えていたマーティが、レイスに声をかける。


「敵の規模と率いる隊長の情報が入りました」


 いつの間にそんな情報を? とジョバンニは思ったが、よく見ると見覚えのない黒死隊の隊員がマーティのそばに増えていた。その隊員が伝えに来たのだろう。

「続けろ」とレイスはマーティを促す。


「数は一万五千。率いるのはエリオル大尉とケアン大尉です」


 報告を聞いて、レイスはくくっと小さく笑う。


「大盤振る舞いだな。領の一つに一万五千か。しかも、将の二人は常勝の組み合わせだ」

「そうなの?」


 ジョバンニが訊ね返す。


「ああ。エリオルは勇猛な男だ。騎兵の扱いが上手く、攻めに長けている。ケアンは逆に保守的な性格で、守りに長けている。つまり、バランスの取れた組み合わせだという事だ」

「強そうだね」


 ジョバンニは緊張した面持ちで呟いた。


「確かにな。シンプルな組み合わせだが厄介だぞ。こちらが攻めればケアンが守り、その間にエリオルが遊撃部隊で戦力を削りにくる。守りに入った場合は、エリオルが攻めてくる。その隙に、ケアンが堅固な陣形を維持したままジワジワと迫ってくるわけだ」


 レイスはマーティに顔を向ける。


「念のために聞いておくが、止まる気配はないな?」

「ありません」

「ふふふ、ここまで人質の価値がないといっそ清々しいものだな」


 人質? とジョバンニは一瞬思ったが、レイスが元々人質として連れられて来た事を思い出した。

 それを忘れるくらい、今の彼女は堂々としていて場に馴染んでいた。


「わざわざ置手紙までしてやったというのになぁ」


 王はレイスがここにいる事を知りながら、なおも兵を進めてくるという。

 彼女は親に見捨てられたのだ。

 それを励まそうとジョバンニは言葉を探した。

 しかし、それを気にする様子もなくレイスは続けた。


「これで、気兼ねなく戦えるな」


 落ち込むどころか、レイスは楽しそうに笑った。

 でも、それで今の状況が変わるわけではない。


「レイス。やっぱり帰った方がいいんじゃないかな? ここにいたら巻き込まれちゃうよ?」


 兵士の数も質も、装備品だって、すべてが劣っている。

 いくらレイスが賢くても、流石に勝てないだろう。

 そう思ってジョバンニが言うと、レイスはそちらを睨み付けた。


「負ければ、の話だろう。言っておくが、今回の戦いに負けは無いぞ。ただ、懸念があるとすれば、勝ちを収められるかは運が絡むという所だ」

「負けないけど、勝てるかわからないの?」


 よくわからない、というふうにジョバンニは訊ね返した。

 レイスは答えの代わりに、意味ありげな笑みを返した。

 隣に立つダイニーという護衛の女性に手を差し出すと、レイスの手にダイニーから一枚の仮面が渡された。

 黒く塗られた木の仮面で、額から鼻の辺りまでを覆うタイプのものだった。


「それは?」

「何事も積み重ねだ。微々たる物であろうと、少しでも勝率を上げようと思ってな。この仮面はいい目印になると思わないか?」

「どういう事?」


 ジョバンニは首を傾げた。


「まぁ、いずれわかるかもしれないな。無意味に終わる可能性の方が強いが」


 結局、要領を得ない言葉が返ってくるだけで、納得のいく説明はなかった。

 レイスはジョバンニの見る前で、その仮面を着けた。

 可愛らしい顔が隠れると、黒い仮面はどこか禍々しい雰囲気を彼女に与えた。

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