二通の手紙
『あなたにどうしても伝えたいことがあります。
今日の放課後、体育倉庫裏に来てください。
待っています。
広瀬叶』
「…………これ、は」
俺は硬直していた。
今朝、学校に登校してきて下駄箱を開けた瞬間。上履きよりも先に視覚情報として飛び込んできたのは、ピンク色をした一枚の封筒だった。
それがいったい何なのか、見ただけで大体は察することはできたが、決めつけるにはまだ早い。すぐさま封筒から中身を取り出す。
出てきたのは丁寧に折りたたまれた便箋。開いてみると周囲に花柄がプリントされたかわいらしい手紙となっていた。
そしてそこに書かれていた内容は、放課後の呼び出し。
俺はすぐさま確信した。
これは愛の手紙だと。
ラブレターだと。
Love Letterだと!
「おっ……しゃあぁぁぁあ!」
思わず叫んでしまい、近くにいた何人かの生徒に妙な目で見られたが知ったことじゃない。
なぜ俺がここまで喜んでいるのかというと、それは差出人が広瀬叶だから。
何を隠そう、彼女は俺の思い人なのだ。
きっかけは中学の時。走るのが好きで陸上部に所属していた俺は、百メートル走のレギュラー獲得のために毎日練習を重ねていた。部活中はもちろん、それ以外の時間でも自主練を欠かさなかった。
もともとさほど足は速くなかったが、練習の成果は如実に表れ、日に日にタイムは縮んでいく。
しかし、レギュラーの座は遠かった。
俺が百の努力をしてタイムをコンマ一秒縮めたとして、周りの奴らは十の努力でそれを成し遂げてしまうのだ。おそらく体格の差も大きいのだろう。成長途中とはいえ身長が一四〇センチと少ししかなかったため、足の長さ、つまり一歩の歩幅に大きな差が出てしまう。顧問からも、長距離の方が向いてるんじゃないかとアドバイスされてしまうぐらいである。それでも俺は、百メートルを全身全霊かけて走るのが好きだった。
だからこそ、誰よりも練習した。部活が終わってからも、家に帰ってからも、休日も、とにかく体を壊さない限界まで走りまくった。スタートダッシュを極め、フォームを何度も矯正し、肺活量を鍛え、筋トレも怠らず、やれることはすべてやった。
それでも、現実は非情だった。才能がなかったのかもしれない。身長もタイムも伸び悩み、二年生になっても、三年生になってもレギュラーには選ばれない。
もう心がくじけそうになったとき、俺を支えてくれたのが――当時、同じく陸上部に所属していた広瀬さんなのである。
『こんなに頑張っているんだもの。絶対にいつか、みんなを追い抜かせるよ』
この言葉はある日、部室の俺のロッカーに置かれていた手紙に書かれていたものだ。
この一通の手紙に、どれだけ心を救われたことか。差出人は書かれていなかったが、俺は偶然にも手紙をロッカーに入れている人物を目撃していた。それが広瀬さんだったのだ。
俺はそんな、影から応援してくれた彼女に惚れた。
結果こそ出せなかったものの、中学卒業まで退部せずに陸上部へ所属できたのは彼女の応援があったからだし、高校受験も彼女ともう少し一緒にいたいという動機から同じ学校を選択し、勉強も頑張ることができた。
高校に入ってからも俺は陸上部に入った。走ることが好きだったのもあるが、何より広瀬さんの激励が忘れられなかったからだ。
ちなみに彼女も高校では陸上部に入った。再び三年間、一緒にいられることに喜びつつも、俺は広瀬さんと交流を深めていった。
当然ながら連絡先は知っている。何気ない雑談で時間をつぶす時もあれば、なんなら二人きりで遊びに行ったことだってある。はっきり言おう、好感度は決して低くないと自負している。
ゆえに、だ。
俺は自身の目標……つまり、試合に出ることができるようになったら、その時は告白しようと決めていた。失敗する可能性もあるにはあるが、後悔することはないだろう。青春の甘酸っぱい経験となり、俺の人生の糧になるだけだ――と、思っていた。
それがこれだよ。
「ふっ、ふふふ……ラブレターをもらった以上、俺と広瀬さんは相思相愛だったということになる。そうか、そうだったのか……今から放課後が楽しみで仕方ないぜ……!」
女性から先に告白させてしまうのはいささか格好悪いかもしれないがそんなことはどうでもいい。惚れた女と付き合えるのだから些細なことは放っておけ。
ああ、放課後が楽しみだなぁ!
「あ、あれっ? どうして中島くんがここにいるの?」
……ん?
あれれ?
様子がおかしいな。
なんでだろう。
「どうしてって、下駄箱に手紙があったからさ。それで、伝えたい事ってなに?」
俺は今、全身にびっしょりと汗をかいていた。まだ部活前だってのに。
暑さによる汗でも、緊張による汗でもない。これはいわゆる、冷や汗というやつなのではないだろうか。
「あっ、あぁ! そっか、そうだよね、確か出席番号が前後だって言ってたし……まさかこんなことになるなんて」
待って。
待ってくれ。
お願い、待って!
そこから先のセリフは言っちゃ駄目だ!
「ご、ごめんなさい……。手紙を入れる下駄箱を、間違えちゃったみたい」
あ、はい。
俺は全身から力が抜け、膝から崩れ落ちる。
この日、この俺、中島海斗は……おそらく人生最悪の失恋をしたのではないだろうか。
放課後の体育倉庫裏。
そこには告白すらしていないのに失恋した男、つまり僕と、無邪気に笑う僕の思い人、広瀬叶がいました。
「あはは、でも間違えたのが中島くんでよかったよ。もし他の人だったらたぶんこんなに冷静でいられなかったし」
喜んでいいのか悪いのか、判断に困る発言ですね。
「ほ、ほほ、本当だぜ。俺じゃなかったら絶対ラブレターか何かと勘違いして、無駄に心を傷つけられるところだぞ。ちなみにさ、これってやっぱりラブレターのつもりで書いたのか?」
「えっと……う、うん」
くそう、恥ずかしがって顔を赤らめてる姿が可愛すぎる! でもなんでだろう、心の涙が止まってくれないよ!
そんな僕の心境など知る由もなく、広瀬さんは続けてこう言ったよ。
「うーん、バレちゃったなら仕方ないか。実はあんまり勝算のない告白だったし……。あ、あのさ、いい機会だし頼みたいことがあるんだけど」
「頼み事? 俺にできることなら何でも言ってくれよ」
今からでも遅くないぞ! 『実は照れ隠しでした、私と付き合ってください!』みたいな展開を僕は所望するよ!
「中島くんって、藤堂くんと中学からずっと同じクラスなんだよね? 私が好きな人って実はその藤堂くんのことなんだけど、もしよかったら仲を取り持ってくれないかな?」
その時、僕の中で育まれてきた大切な何かが粉々に砕け散った音が聞こえましたね。ガッシャーンて。あーあ。
ソッカー。広瀬サンハ大輔ノコトガ好キナノカー。
あぁ、ちなみに藤堂大輔は僕の親友です。中学生の頃からの腐れ縁で、部活は違うけどクラスではしょっちゅうつるんでます。休日とかよく一緒に遊んでる。
あいつかー。あいつのことが好きなのかー。
「あ、あああ。い、いいぜぜ、べ別にに」
「すっごい震えてるよ? 大丈夫?」
「問題ない。承った。広瀬さんの頼みだ、無下にはできないからな」
「本当に? ありがとう!」
そこには俺が惚れた女の子の、かわいらしい笑顔があった。
あぁ……この笑顔、俺の物にしたかったなぁ……。
甘酸っぱいというかむしろ苦くて吐きそうな経験をした俺だが、これで大人に一歩近づいたと前向きに考えることにした。
初恋なんて実らない。それがこの世の理なのだ、きっと。というかそうであれ。初恋が実ったやつ全員死ね。つーか殺す。呪い殺す。
と、朝のHR前に呪詛を周囲に振りまいていたら、隣の席の親友が声をかけてきた。
「お前、全体的に禍々しいオーラが出まくってるぞ」
「昨日の放課後、世の中の不条理に直面したのさ」
「そりゃよかったな」
「慰めてくれてもいいのでは?」
「ドンマイ」
「殺意湧いてきたわ」
「俺にどうしろと?」
こいつは俺の事情を知らないから仕方のない反応ではあるのだが、理性ではどうしようもないほど腹が立つ。クソ、なぜだ。なぜ広瀬さんは大輔が好きなんだ。どうせなら理由とかも聞いとけばよかった。
チクショウ、俺は恋愛抜きでも青春を謳歌してみせるぞ。
「ところで大輔、今日の一時限目なんだっけ」
「数学Ⅱだな。宿題のおまけつき」
「んなもん知っとるわボケェ!」
「じゃあなんで訊いたんだよ!?」
駄目だ、失恋は相当俺の精神にダメージを与えているらしい。親友との会話さえうまく成り立たせることができないとは、重症だな。
「どしたの、中島。元気ないように見えるけど」
すると、俺と大輔の会話を聞いていたのか、クラスメイトの布村さんが歩み寄ってきた。くせっ毛の黒髪ショートカットが特徴的な女子である。甘いものが大好物で、いつもお菓子を持ち歩いている。今日はポッキーを片手に所持していた。
「いんや、元気はあるんだよ。ただ心が荒んでるってだけ」
「何かあったのかね?」
「ありましたとも。今までの人生で最悪級の出来事が」
「ふーん……まぁ、詳しくは訊かないでおくけど。辛いなら慰めてあげようか?」
「ほう。して、どのように?」
「はい」
ズボ、と口にポッキーの先端を突っ込まれた。おいしい。
「甘いものには人を幸せにする力があるのだよー。一本じゃ足らんだろうけど、無いよりマシでしょ」
「ありがたくもらっとく」
ポリポリとかじっていき、チョコをまぶした棒状クッキーは一瞬で胃袋の中に消えた。
その光景を見ていた大輔は布村さんに食いつく。
「葉月、それ俺にもくれよ」
「なんでアンタなんかにあげなきゃいけないのよ」
「昨日お前が勝手に朝早く出たもんだから、俺が遅刻しかけた慰謝料」
「嫌よ、完全に自業自得。日直の仕事があるって言ってたはずだし。それに私にとって甘いものは命の次に大事なものなんだから、ポッキー一本たりとも渡す気はナッシング」
「太るぞ」
「テニスするにはカロリーが必要なんですー」
ちなみに布村さんは二年生にして女子テニス部のレギュラーである。同学年の中では一番うまく、未来のエースとのことだ。同じ運動部として、とても尊敬している。あとどうでもいいが大輔と布村さんは小学生の頃からの幼馴染だそうな。
「お前ら付き合ってんの?」
「「違う」」
見事にユニゾンしており、息ピッタリだった。なんだこいつら。
布村さんは次のポッキーを袋から取り出して左右にゆらゆら振りながら言った。
「とにかく。何があったか知らないけど、落ち込むことなかれ。悪いことの次はいいことが待ってるもんだからさ」
「いいこと、ねぇ」
口に出しながら、ちらりと横目で大輔を見る。
残念ながら今のところ、いいことが待っている予定はない。なんせ、広瀬さんには大輔との仲を取り持つように頼まれているからだ。そんな頼み断ればよかったのではと言われればそれまでだが、惚れた弱みというかなんというか。彼女のお願いを無下にすることは俺にはできない。
好きな人の恋を応援せねばならず、その相手が親友とは。俺は心の中で大きくため息をついた。
購買で適当にパンでも買って昼食を済ませようと考えていた俺は、行列に並びながら現状の整理を試みた。
まず、俺の恋について。
状況だけ見ればもう失恋しているのだが、よく考えてみれば告白すらしていないのに失恋というのはおかしな話だ。そもそも広瀬さんは今、誰とも付き合っていない。これは大輔に告白しようとしたことから確定している。
なのに、自分の気持ちも伝えず勝手に失恋したと思い込むのはいささか早計だ。もしかしたら今後、何かがどうにかなって大輔よりも俺のことを好きになる可能性だってゼロではない。
俺が真に失恋するのは思いを伝え、そして玉砕した時である。
つまり俺はまだ失恋していない!
つーかそう思わないとやってらんねぇ! 心の傷、修復完了(継接ぎだらけ)!
次に広瀬さんの恋について。
現在、俺は彼女に大輔との仲を取り持つように頼まれている。なぜ大輔のことを好きになったのかは知らないが、好きな女の子の頼みだ、断ることはできない。もちろん、自分の恋のために二人の仲を引き裂こうだなんてゲスな考えをするつもりもない。
当面は二人の仲を進展させることに注力するつもりだが、うまくいくかどうかは全くの未知数である。大輔は親友だが、好きな人がいるかどうかなんて知らないし、もしいたとすれば俺の力添えは無意味となる。もちろん、場合によっては大輔も広瀬さんのことを好きになって両想いに、カップル成立という流れも十分にありうる。
……嫌だなぁ。そんなことになったらいよいよ俺、立ち直れないかもしれん。
そうこうしているうちに行列が消化されていき、焼きそばパンと牛乳を買ってクラスに戻る――途中で。
「あ、中島くん」
「広瀬さん。奇遇だな」
袋で包んだお弁当箱を持った広瀬さんと出くわした。それは手作りなのでしょうか。とても気になります。
「昨日の件で、早速手伝ってもらいたいことがあるんだけどいいかな?」
「え。あ、ああ、俺にできることなら」
「私、実はまだ藤堂くんと面識がないの。できれば一緒にお昼ご飯を食べて、まずは知り合いになりたいなって考えてて」
なんと昨日の今日で彼女は早速行動を起こすつもりらしい。そういえばラブレターを下駄箱に入れて告白しようとしていたわけだし、恋愛に関して積極的な子なのだろう。いや、単純に行動力があるだけか?
俺も友達として仲を深めるより、こんな感じでぐいぐい行ったほうが良かったのかもしれない、と今更ながら後悔した。そりゃそうだよな、好きってアピールしないと好きってわかってもらえないよな……。
「オッケー、任せといてくれ。いつも一緒に食ってるから、まだ弁当食べずに待ってくれてると思うし」
「ありがとう! 自然な流れでお願いね」
あぁ、なんてかわいらしい笑顔なんだ。こんな子に好かれている大輔がただただ妬ましい。
……別に何もする気はないけどな?
「控えおろう! この方をどなたと心得る! 陸上部に咲く一輪の花、広瀬叶様であるぞー!」
「いきなりどうしたんだよ海斗、気でも狂ったのか。いや、朝から結構狂ってたけど」
「男二人で飯食ってもつまんねーから女の子連れてきたんだよ。ありがたく思いやがれ。というわけで俺と同じく陸上部の広瀬叶さんです」
「初めまして、広瀬叶です」
「お、おう。初めまして、藤堂大輔です」
うむ。実に自然な流れで共に昼食をとることができるようになったな。……あれ? 広瀬さんの目が死んでる? なんかすごい笑顔が怖い。俺は何か間違ったことをしたのだろうか。痛ッ! 大輔に見えないようにかかとでつま先を踏まれた! ありがとうございます! ありがとうございます!
「(もう少しマシな方法はなかったのかな~って)」
「(でもこれ以外に初見の人を自然と組み込む方法なんてとっさに思いつかなかったし。ていうか結果的にうまくいったしよくね?)」
「(うまくいってるの? これ)」
大輔に聞こえないギリギリの音量で言葉を交わす。大輔は苦笑しつつも話を進めた。
「そんじゃさっさと飯食おうぜ。腹減ったし」
というわけで、昼食タイム突入。俺と大輔は席が隣同士なのでそのまま横に机を寄せて合体。広瀬さんは大輔の前の席に座る人物が食堂に行ったのか不在のため、机と椅子を拝借して前後をひっくり返した。大輔の前を陣取るあたり、積極性をヒシヒシと感じるね。
さて。言わずもがな、二人の仲を取り持つ約束をしている俺は、ここで広瀬さんと大輔をいい感じにしなければならない。の、だが。
具体的に、何すればいいんだろうね?
雑談ぐらいならいくらでも話題は出せる。しかし広瀬さんの味方に付いて大輔からの好感度を上げるという条件がつくと非常に困る。
と、色々考えていたのだが、その心配は杞憂らしかった。
「藤堂くんって何部に入ってるの?」
好きな相手のことだ、広瀬さんはすでに大輔がテニス部だと知っているはずだが、初めて話す相手とのトークとしては悪くない切り出しだろう。
「テニス部。まぁ下手だし、大会に出るような実力は無い。広瀬さんは陸上競技、何やってんの?」
「私は百メートルのハードル。一応試合に出たことはあるけど、やっぱり周りのレベルが高くて。表彰とかされたことはないかな」
「試合に出られるだけでも十分すげーと思うよ。俺なんか必死に練習しても補欠にすら入れないんだから」
「ふふ、努力してる人は私好きだよ?」
広瀬さんのコミュニケーション能力が高いのか、はたまた大輔に気に入られようとアピールに必死なのかはわからないが、会話は普通にうまくいっていた。というか努力してる人は好きって、それ俺にもチャンスあるってことじゃね!? ちょっとテンション上がってきた!
その後もザ・雑談といった感じで、広瀬さんは手作りらしい弁当、大輔は母親に作ってもらった弁当、俺は焼きそばパンを食べながら、最近のスマホゲームはどうとか、どんな音楽を聴いたとか、勉強のここが難しいとか、あちこちに話題が飛びまくりながらも話に花が咲く。
しかし……俺、いらないな。
二人が出会うきっかけを作ったのは俺かもしれないが、わざわざ恋のキューピット役になる必要はなさそうに思える。現に今も自然な流れで連絡先交換してるし。俺が広瀬さんの連絡先を知るのに何か月かかったと思ってやがる……!
とにかく、俺が下手に横やりを入れるより、広瀬さんが自分の力で大輔のハートを射抜く方が効率的なのではないだろうか。少なくとも今のところ、俺に出番らしい出番はない。
なので、全員が昼食を食べ終えたところで。
「すまん、ちょっとトイレ」
「おー、いってら」
中島海斗はクールに去るぜ。二人っきりで仲良く楽しくおしゃべりするといいさ。
「ちょっと待ってよ! なんで私を一人にするの!? 信じられない!」
「あんれー?」
せっかく二人きりにしたのにわずか数秒後、広瀬さんが教室から飛び出してきて俺の肩をかなりの握力で掴んできた。なぜに?
「いや、一人にするも何も、トイレに行きたかっただけなんだが」
一応ここは白を切る。気づかいがバレるのは少々恥ずかしいし、半分は本当のことだったからだ。嘘
がバレないようにするには嘘の中に本当のことも混ぜるといい……と、どこかで聞いたような気がする。
「嘘つかないで、気を利かせて二人っきりにしようとしたのはわかってるんだから」
なぜバレた!? まさかこれが女の勘というやつか!
「じゃあなんで来たんだよ、さっきまで楽しく会話できてたじゃんか。そのままいい感じにやればいいだろ」
「ムリムリムリムリ! そんな、まだ藤堂くんと二人っきりで会話なんてできない! しかも私、クラス違うし! 他に知り合いいないし! アウェー感半端ないし! せめて中島くんが一緒にいないとあの空気には耐えられないよ!」
メンドクセー。おっと本音が出てしまった。
でも好きな人に頼られるというのはとてもいい。なんかすごくうれしいというか優越感があるというか、気分がいいね。
「つーか昨日もそんな調子で大輔に告白するつもりだったわけ? テンパって失敗する未来しか見えないんだが」
「だ、だからあの時、勝算が薄いって言ったでしょ……。面識もないから博打でしかなかったし。そ、それに昨日のは一応、ちゃんと覚悟を決めて勇気も出してやったことだもの。さっきのは急すぎ、対応できないよ」
はー。女心はよくわかんねぇ。
「わかったよ、とにかく戻ろう。それでいいんだろ?」
「わかればよろしい」
結局、俺の気づかいは無駄に終わった。
仕方なく教室に逆戻りすると。
「ん、お帰り中島―。あれ? その子は……」
「あー……陸上部仲間の広瀬さん。かくかくしかじかで大輔と一緒に飯食うことになってさ」
「ほうほう、かくかくしかじかで。なるほどねぇ。布村葉月です。以後お見知りおきを」
「広瀬叶です。よろしくね」
布村さんが食堂から帰還していた。彼女はご飯は暖かいものを食べたいとのことで、いつも昼食を食堂で済ませているのだ。ついでに購買でおやつを買って来たらしく、左手にはコアラのマーチが握られていた。どうでもいいが、かくかくしかじかでよく理解できたな。
「食後のおやつにコアラのマーチはいかが?」
「くれんの? もらうもらう」
広瀬さんには一切興味がないのか、布村さんは俺にコアラを一匹手渡すと、さっさと元の会話に戻ってしまう。
「そんで大輔、日曜の映画の件なんだけどー」
「あー、あれな。葉月に任せる。俺が予定立てるの苦手って知ってるだろ」
「全部私に任せたらえらいことになるけど大丈夫?」
「……ま、まぁ。貯金はそれなりにあるから大丈夫だろ」
「言質いただきました! さてさて、どうしよっかねー」
どうやら大輔と布村さんは日曜日に映画を見に行くらしい。仲睦まじい幼馴染だこと――痛ッ! 今度は広瀬さんにつま先で脛を蹴られた! もっとこい、バッチこい!
「(あの二人、名前で呼び合って随分仲がよさそうに見えるんだけど、どういう関係?)」
「(幼馴染ってあんなもんじゃないの? 俺にはいないからわからんけど。付き合ってるとかではないらしいから、そこは安心していいぞ)」
「(ふーん……)」
広瀬さんの鋭い眼光が布村さんをロックオンする。怖い。女の子、怖い。
と、そこで昼休み終了十分前のチャイムが鳴った。
「あっ、次体育だった! 急いで戻らないと……」
「え。でも今の時間だと男共が教室で着替えてるんじゃ」
「とりあえず中島くん、今日はありがと。それじゃ!」
俺の忠告は聞こえておらず、弁当袋を持ってダッシュで自分のクラスに戻っていく広瀬さん。しばらくするとかわいらしい悲鳴が廊下を突き抜けていった。合掌。
さて、なぜか。俺は日曜日、広瀬さんとお出かけすることになってしまった。
今日の部活終了後のことである。汗をかいてなんかとてつもなく良い匂いがする(俺は変態じゃないぞ)広瀬さんと帰宅することになったわけだが、
「気になる」
「何が?」
「藤堂くんと、布村とかいう女の関係が」
「そう……」
「日曜日、二人の行動を尾行しようか」
「ちょっと待っておかしいよーなにこの展開」
「あの二人が本当に付き合ってないのか確認したいの。協力してくれるよね?」
「う、うーん。プライベートに踏み込むのは気が引けるんだが。というかあの二人が付き合ってないのは本当だぞ。偶然今朝聞いたんだよ、『お前ら付き合ってんの?』って。見事に同じタイミングで『違う』って言ってたし」
「協力しなさい」
「はい」
有無を言わさぬ迫力に押され、俺はほぼ無意識のうちに首を縦に振っていた。
とまぁそんなわけで、ストーキングに先駆けて俺に言い渡された命令はこうだ。
『日曜日、大輔と布村さんがどこで待ち合わせてなんの映画を見に行くのかを探れ』
そこからは尾行すれば大体何をしているかわかるので、ひとまず必要な情報はこれだけである。
前者の情報は簡単に手に入るだろう。単純に、「週末映画見に行くって言ってたけど、何見るんだ?」とでも聞けばいい。別に隠すようなことでもないし、雑談の中に紛れて質問すれば違和感もない。
だが問題は後者だ。どこで待ち合わせをするかなど、聞いたら怪しまれるだけである。少なくとも絶対に「なんでそんなこと聞くんだよ?」と返されるに決まっている。まさかストーキングするためだとは言えないわけで。
どれだけ考えてもいい案は浮かばなかったため、仕方なく俺は正直に広瀬さんに話すことにした。帰宅後、広瀬さんの携帯に電話をかけて相談する。
「さすがに待ち合わせ場所を知るのは無理だと思う」
『そこをなんとかしてもらうために中島くんに協力してもらってるのに』
「せめて知恵を貸していただけると助かるのですが」
『だったらもう単刀直入に訊いてみたら? 逆に怪しまれないかも』
えぇー。広瀬さんも案無しですか。
「わかったよ、じゃあそうする」
俺はどうなっても知らないからな?
「なぁなぁ大輔、日曜日のデートプランってどうなってるわけ?」
「なんだよ、藪から棒に。あとデートじゃねぇし」
さっそく次の日の朝のHR前、大輔に探りを入れる。白昼堂々真正面からだ。余計な策は巡らせていない。
「俺って彼女いたことないし、実際のデートプランってどんなものなのか気になるんだよな。つーかなんの映画みるわけ? 新しいやつ?」
広瀬さんと二人で遊んだことはあるがそれはさておき。それらしい理由を取ってつけて攻めてみる。
大輔はため息をつきながら答えてくれた。
「だからデートじゃないっての。映画は最近話題の泣けるラブストーリーだったな。タイトルは『実は君が好き』だっけか。略して『はがき』とか言って爆笑してた覚えがある。つーかさ、隣町のショッピングモールまで行かないと映画が見れないってのは不便だよな」
「それは激しく同意する。映画見た後はどうするんだ?」
「詳しいプランは俺もまだ知らん。葉月が絶賛制作中なんじゃないか? 大抵は前日の夜ギリギリぐらいに連絡が来るから、直前までどうなるかわからないっていう恐ろしさがあるんだよ」
ということは、前日の夜までデートプランはわからないのか。いや、布村さんが作っているなら布村さんに訊けばいい。
というわけで早速、すぐそばでハイチュウのグレープ味を頬張っていた布村さんに目を向ける。
「現状のデートプランってどんな感じになってんの?」
「ほえ? いやデートじゃないけど。ハイチュウいる?」
「くれるならもらう。で、気になるプランは?」
「とりあえず見たい映画見てからウインドウショッピングしてー、適当にどっかでお昼食べて、行ってみたかったカフェの甘くておいしいスイーツ食べて、ケーキバイキング行って――」
布村さんの予定を聞き、大輔は苦言を呈した。
「うへぇ、まーた甘い物づくしか。ちょっと食べるぐらいならともかく、俺はあんまりたくさん食べられないんだよな」
「だったら食べなきゃいいじゃん。アンタの分まで私が食べるだけだし」
「それはなんか嫌」
俺が知りたい情報はなかなか出てこない。仕方なく多少強引に、しかしあくまでも自然を装ってさらに問いかける。
「ふーん。そういえば待ち合わせとかどうすんの? 幼馴染ってことは家も近いんだろ?」
「え? その時の気分かなぁ。家まで押しかけることもあるけど、基本的にどこで待ち合わせようがさほどプラン変わらないし」
ぐぬぬ、まずい。この調子だと待ち合わせ場所はわかりそうにない。というか、根本的にいつも決めてないって感じだ。これじゃどうしようもない。
布村さんから受け取ったハイチュウを口に放り込んで咀嚼しながらどうするか考えていると、チャイムが鳴って担任の先生が教室に入ってきてしまい、雑談はお開きとなってしまった。
うーむ、質問自体はうまく自然にできたけと思うが。日曜日のストーキング、これだけの情報でうまくいくのか?
んで、土曜日。つまり大輔と布村さんのデート前日の、夕方。
「お邪魔します」
「いらっしゃい。入って入って」
俺の家に広瀬さんがやってきました。
どうしてこうなった? 自分でもいまいちよく覚えていない。
確か部活の時、情報を伝えたら――
「それじゃあ仕方ない。家の前を張り込もう」
「えぇー。マジでストーカーだぞそれ」
「大丈夫大丈夫、ポケモンGOでもしながらうろちょろしてたら怪しまれるかもしれないけどさほど気にはされないだろうから」
「なんだろう、スマートフォンゲームの悪質な使い方を目の当たりにしたような」
「もちろん藤堂くんの家は知ってるよね?」
「何度か行ったことあるし、場所も覚えてるな」
「なら土曜日に中島くんの家に泊まって、朝早くに出発。それで藤堂くんが家を出るのを待ち伏せしましょう」
となったのだ。
いやー、好きな子が家に泊まるなんてイベント、めったにないぞ! どうしてこうなったかなんて気にしない気にしない!
なにやら「海斗が女の子を連れてきた!」と無駄にテンションが上がりまくった母さんの無駄に豪華な夕食を終え、ひとまず俺の部屋に広瀬さんを案内する。
「そういえば男の子の部屋って初めて入るかも」
やめてー、そういうセリフ禁止。なんかベッドに飛び込んで枕に顔を埋めて叫びたくなるから。もう少し発言には気を付けてください。
「でも、いくら中学から部活が同じとはいえ男の家に泊まること、よく両親が許してくれたな」
「有無を言わさず了承させたというほうが正しいんじゃないかな」
一体ご両親に何をしたんだろう……怖いので詮索はしない方向で。
ひとまずミニテーブルを部屋の中央に置き、クッションを二つ持ってきて向かい合って座る。すると広瀬さんは鞄から手帳と小さな筆箱を取り出した。
「そんなことより、これからの作戦会議をしようよ」
「作戦会議? 別にストーキングするだけだろ? 作戦なんていらないのでは」
「あの二人の仲をズタズタに引き裂く作戦に決まってるじゃない」
笑顔でそうのたまう広瀬さん。嘘だろ、女の子ってみんなこんなこと考えているんですか。
「……今回の目的はあの二人が付き合っているかどうかを確認することじゃなかったっけ?」
「あわよくば二人の関係を破壊して藤堂くんの心を私のほうにぐっと引き寄せるのが目的だよ?」
すごぉい、お腹の中真っ黒だぁ。
広瀬さんとは五年近い付き合いだが、こんな本性だったとはまったく気が付かなかった。女の子は自分を隠すのがうまいのだろうか。それとも男が愚かなだけなのか……たぶん両方だろうなこれ。いやいや、恋は盲目というし、大輔に恋して周りが見えなくなっているだけという可能性も……。
だが、いくら好きな人の頼みだからといっても限度はあるわけで。
「ごめん、それはさすがに協力できない。大輔は親友だからな、もし布村さんのことが好きだったりした場合、その仲を引き裂くような真似はしたくない。そうでなくても幼馴染だ、二人の関係は他人が壊していい物じゃないだろ」
広瀬さんの恋路を応援することはできるが、親友である大輔の邪魔はできない。もちろんあいつが布村さんのことを好きかどうかは知らないが、少なくとも日曜日のデート(本人たちは否定しているが)はきっとお互いに楽しみにしているはずのものだ。それに介入して。さらに関係までぶち壊すのは絶対に駄目だ。
すると広瀬さんはキョトンとした顔をして、
「あはは、冗談だよ。さすがの私もそこまでやろうとは思ってないし。作戦会議っていうのはさっきも言ったけど、これからの事。日曜日以降、どうやって藤堂くんとお近づきになるかって話ね。長くなりそうだし、一度しっかり話し合っておきたかったから家に来たんだよ?」
「へ、へー……」
本当かよ。割と本気な雰囲気があったんだが……ここは深く考えないのが吉か。
なんにせよ、大輔との仲を取り持つだけならいくらでも手伝える。俺は広瀬さんと今後のことを話し合い、次の作戦を練っていった。
……とまぁ、そこまではよかった。
壁にかけてある時計の短針が十二を通り過ぎて、ようやく作戦会議は終了。風呂に入って寝ようと思ったのだが。
「んん……」
「か、勘弁してくれ……!」
広瀬さんはあまり夜更かしをしないタイプらしい。いつも十時にはベッドに潜っており、その代わり朝早く起きるスタイルなのだそうな。
しかし今回、作戦会議が無駄に白熱してしまい、彼女の生活スタイルを二時間もずらしてしまった。急に押し寄せた睡魔に襲われ、広瀬さんは風呂に入る前に就寝してしまったというわけである。
俺の肩に寄りかかってな!
どういうことだよ! すげーいい匂いするよ!
落ち着け。落ち着くんだ俺。
ここで広瀬さんを襲うのはとても、とても簡単だ。しかしそれは強姦罪だ、警察のお世話になるのは絶対に嫌だ。
まぁ俺の部屋で寝落ちという状況は裁判になったとき、合意があったとみなされて意外と助かる可能性もあるのだが……ってそういう話でなく。
とにかく、人生最大級の理性をここにかき集めろ。広瀬さんは俺の好きな人だ。絶対に傷つけてはいけない。だから落ち着いて、ゆっくりと俺の体から引きはがし、ベッドに寝かせるのだ。
あっ、すごい。体めっちゃ柔らか……重っ! 寝てる人間、超重い! 筋トレしてなかったら危なかった!
一苦労して広瀬さんをお姫様抱っこし、ベッドにのし上げ毛布を掛ける。部屋の電気を消してドアを閉め、廊下に出た俺は。
「……やっべ。そういえば他に寝るところがない」
ということに気が付いて絶望した。
結局風呂入った後、親と協議した結果、リビングのソファで寝ました。寝違えたせいで首が痛い。
「あー……死ねる」
わずかでも首を横にひねると筋に激痛が走るのだ。やはりソファは寝具ではない。教訓。
時刻は朝の五時過ぎ。普段の休日は九時ぐらいまで爆睡しているのだが、ソファでは睡眠の質が悪かったのか自然と目が覚めてしまったようだ。
寝違えた部分に手を当ててゆっくり首を回しながら、歯を磨くために洗面所へと向かう。
そこで、
「「え?」」
全裸の広瀬さんとご対面。
大輔と布村さんみたいに、まったく同じタイミングで同じセリフが出てきた。
そうだよね、昨日の夜、お風呂入る前に寝ちゃったもんね。女の子だもん、出かける前にせめてシャワーぐらいは浴びときたいよね。んで、朝は早いタイプだったよね。
やっちまった、と思いつつ、やはり俺も思春期の男の子。脳内にアドレナリン的な何かが分泌されているのか、凄まじい速度で思考が回り、世界がスローモーションとなる。
いつも陸上部のウエア姿を見ているのでスタイルがいいのは知っていたが、やはり何も身に着けていないと一味も二味も違う。風呂上り直後ということもあって、腰にまで届きそうな美しい長髪は水分をたっぷり含んでシミ一つない少し日焼けした肌にピッタリと張り付いており、それが体のラインをより一層際立たせる。どうしても真っ先に目が行ってしまう胸はお椀型というやつで、かなり大きかった。見るからにメチャクチャ柔らかそうで、うまいこと髪がかかって頂点部分が見えるか見えないかの瀬戸際なのが非常にもどかしく、そしてエロい。まだ拭き切れていない水滴が起伏の激しい肌の上をつーっと流れていき、それに沿って視線が下半身へと移る。やはり陸上部のハードル選手。全体的に引き締まっており、腰回りはキュッとなっていた。太っているというわけではないはずなのでお尻が大きいのは骨盤が大きいからだと推測できる。いわゆる安産型だ。日々ストレッチをしているはずなので体も柔らかいだろうし、将来は元気な赤ちゃんを産みそう。そこを過ぎて見えてくる太ももは実にハリがあってしなやか。さらに目線を下げていって膝、ふくらはぎ、足首、つま先と順番に追っていくと、モデル顔負けの美しい脚線美を味わうことができた。スラッと細長く、それでいて強いバネを感じさせる。脚フェチにはたまらないのではないだろうか。ここでもう一度上半身にまで目を戻す。次に興味を引いたのは脇からスラリと延びる腕だった。陸上競技は足の筋肉が重要だと思われがちだが、腕振りもまた重要な要素となってくる。ゆえに腕の筋肉もある程度必要なのだ。彼女もやはり鍛えているのだろう、無駄な脂肪はほとんどついていない二の腕、そして細長い前腕部、ピアニストのようにきれいな指が素晴らしい。とにかく頭のてっぺんからつま先まで、全体的にむしゃぶりつきたくなるようなナイスバディだ。また、髪を洗ったのだろう、広瀬さんからはとてもいい匂いがした。俺と同じシャンプーのはずなのだが、その芳香は俺と似ても似つかないほど甘いスメル。これが女体の神秘というやつだろうか。視覚と嗅覚。両方から強烈な刺激を受け、俺はもはやノックアウト寸前だ。
……ふぅ。
うーん。
これは。
あれだ。
「一生の思い出にします」
ドグォ、と鈍い音が炸裂。無言の腹パンが鳩尾にクリーンヒットしたのだ。なまじ筋トレしているばかりに激痛だけが走り、意識までもっていかれなかった俺はその場に崩れ落ちながらも全裸の広瀬さんを意地でも視界に入れ続ける。諦めんぞ、こんな機会、おそらく二度とな――
「ギィヤァァァァアアアア! 首が、寝違えた首があああああああああ!」
無理に変な方向へ回した首に激痛が走る!
「そこまでして見続けるの!?」
「ど、童貞の執念を舐めるな――あ」
広瀬さんは美しい線を描く足を、まるで鞭のようにしならせて振り抜く。一体どこにこんなパワーがあるというのだろう、横腹に衝撃を受け、俺の六〇キロと少しある体はサッカーボールのように転がって洗面所からはじき出された。
「すみません僕が悪かったです反省してます許してください」
「あと五十回」
「すみません僕が悪かったです反省してます許してくださいすみません僕が悪かったです反省してます許してください――」
そう、さっきの事件はすべて俺の責任で起こったのだ。だからすべて俺が悪いのだ。むしろ許してもらえるだけありがたいというべきなのだ。俺が悪いんだ、反省しなければならないのだ。俺が悪い俺が悪い俺が悪い……。
おそらく世界一美しい土下座をしながら謝罪を繰り返し、軽く洗脳されてきて鬱まで発症しかけ、ようやく許された時には六時過ぎ。
「それじゃあそろそろ朝ご飯を食べて、いろいろと準備してから張り込みに行こっか」
「はい。お供します広瀬様」
休日、俺の親は俺と同じく基本九時ぐらいまで寝ているため、朝ご飯は適当にトーストを作って済ませる。その後、各々準備を済ませてから大輔の家へと向かった。
「布村さんの家はわからないの?」
「はい。大輔と近所とは聞いていますが、遊びに行ったことはありません。だから張り込むならかなり気をつけておいたほうが――」
「あぁ!? ニドキングがいる! 捕まえなきゃ!」
「……」
もはや何も言うまい。
スマートフォン片手に、大輔宅周辺をウロウロする広瀬様とそれを眺める俺。たまにすれ違う人の「あっ……」と察している表情を見るたびに心が荒む。時間はあっという間に過ぎていき、張り込み開始から一時間後。
「(! 広瀬様、布村さんがきました!)」
「(えっ!? ちょ、今カイロス捕まえてるところなのに!)」
ポケモンGOに夢中な少女を無理やり引っ張り、ちょうど近くにあった電信柱の陰に並んで隠れる。
本格的にストーキングの始まりだ。気は乗らないけどな。
午前八時五分頃、布村さんが大輔の家のチャイムを鳴らす。すぐに大輔が出てきて、そのまま出発。後を追う。
午前八時四十分頃、電車に乗って隣町へ到着。大型ショッピングモールの最上階にある映画館へ。チケットはネットであらかじめ予約していた模様。大急ぎでこちらも購入(俺の奢り)し、二人に続く。
午前十一時頃。俺と広瀬様、号泣。大輔たちを見失う。
↑今ココ。
「まさか号泣することになるとは……」
「う、うぅ……ひっく……な、なんて切ない話なの……」
最初は大輔たちに注目していたのだが、とにかく暗くてよく見えないし、何をしているのかも全く分からなかったため、自然と映画に目を向けていたら、いつの間にか夢中になってしまったという話。
で、上映終了後、感傷に浸っていたらいつの間にか大輔たちを見失いました。『実は君が好き』、超おもしろかったです。ハイ。
こういうのをなんていうんだろう。本末転倒?
「これからどうしますか? 広瀬様」
「仕方ない、二手に分かれて探そうか」
というわけでここからは別行動をとることに。
もし今回のデートプランが、布村さんが口頭で言っていたものと同じなら……次の予定はウインドウショッピングのはずだ。おそらくこの大型ショッピングモールのどこかにいると思われる。
こちらが走って探せば、歩いているであろう大輔たちにはいずれ追いつけるという算段だったのだが。
いや、広すぎて無理だわこれ。
三十分探し続けても、見つけることはできなかった。このモールは4階建てとなっており、広さも尋常ではない。どこかの店に入ってしまったのか、昼食をとっているのか、はたまたすでにこのモール内にはいないのか、確かめるすべはなかった。
というか、二人を見失った時点で今日のストーキングは失敗に終わったと言っても過言ではない。俺はあきらめて広瀬様に電話することにした。
『――お客様がおかけになった電話番号は、電源が入っていないか、現在使われておりません』
おや? 通じない。おかしいな。
そういえば広瀬様、昨夜からスマホの充電をしていらっしゃらなかったような? そして今朝のポケモンGOがとどめになった?
待て。確か映画を見るとき、電源を切るそぶりをしていたはずだ。それに今時、持ち運びの充電池を持っていない人は少なくないし、まだバッテリーは生きているとみていい。つまり電源を入れ忘れているだけということか。
となると……俺、孤立した? 広瀬様と連絡が取れない以上、集合もできない。え? これどうすんの?
と、思っていると。
「あれ? 中島じゃん。こんなとこでなにしてんの?」
「ぬ、布村さん!?」
なぜか単独行動していた布村さんとばったり出くわしてしまった。
「なんだ。布村さん、ここで大輔とデートしてたのか」
あくまでも偶然出会ったという体で、尾行していたことがバレないようにする。内心、気が気でなかったが。
「デートじゃないし。でも映画はすごいよかったよー。中島もあれは見るべきだね。涙腺崩壊するから」
「そりゃ気になるな。今度誰か誘って行ってみるかな」
もう見ましたけどね。実際、涙腺崩壊したけどね。都合上話題を共有できないのがもどかしすぎる! せっかくだから語り合いたい! いや、今はそれよりも気になることがある。
「あれ、大輔はどうしたんだよ? 一緒じゃないのか?」
「まーさっきまでそうだったんだけど。映画終わった後しばらくして、偶然にも広瀬さんと会ってさ? そしたら用があるとかで大輔取られちゃって。これからどうしよっかなーって思ってたとこ」
ええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?
広瀬様、別行動している間になにをしていらっしゃるんですか! ストーキングするだけって言ってたじゃん! 付き合ってるかどうか確認するだけって言ってたじゃん! 行動力ありすぎだろ! ……二人っきりで会話するのとかまだ無理と言ってた気がしないでもないが、そこらへんは大丈夫なのだろうか?
内心驚愕しつつ、必死に表には出さないよう冷静に話す。
「取られたって、布村さんはなにもしなかったのか?」
「正直、大輔は財布代わりに連れてきたところあったから。広瀬さんは大輔に大切な用事があったみたいだし、別にいいかなと。アイツがいなくても、普通に自腹切って甘い物食べまくるだけだしね」
うん。とりあえず、二人が付き合ってないってことは察した。頑張れ大輔。これからも布村さんの財布として……。
「ていうか中島こそ。さっきも聞いたけど、ここでなにしてたの?」
「へ? あー、いやまぁちょっと……」
やばいやばいやばい、うまい言い訳が見当たらない。まさか馬鹿正直に本当のことをぶちまけるわけにもいかないし――
「あ。もしかして私と大輔のこと、ストーカーしてた?」
「ヒャヘッッ!?」
核心を突かれてしまい、思わず変な声が漏れた。
そしてそのせいでバレた。
「図星かー。プランとか待ち合わせ場所とか聞いてくるから、なんでかなーって思ってたんだよね」
自然な流れで聞き出せたと自信満々だったんだが、どうやら違ったみたいです。俺ってほんとバカ。
「こ、こっちにも色々と事情があったんだよ……」
「本当にやってたんだ。ふーん、事情かぁ。どんな事情かなぁ、気になるなー?」
誘導尋問!? ……じゃないな。俺が勝手に自爆しただけか。どうやらギリギリのところで確信には届いていなかったみたいです。もう手遅れだけどね。
「それは……言えない」
でも、広瀬様の名誉のためにも、せめて事情だけは全力で隠し通させてもらう。
「なら当ててみよっか。まず、隣町のモールでクラスメイトと、さらに最近名前を知ったばかりの子と偶然出会うなんてとても低い確率だと思うんだよね。しかも二人は陸上部仲間で、それなりに付き合いがある。となると、今日は一緒に行動してたんじゃないかなー?」
なっ!
「んで、広瀬さんが大輔を取っていったのはたぶん……というか確実に、アイツのことが好きだからだと思うわけよ。あの時の目、本気っぽかったし」
ぐっ!?
「私たちをストーキングしてたっていうのはさっき自白したからー。結論。私と大輔の関係を疑った広瀬さんが、大輔と仲がいい中島に協力を仰いでストーキング。あわよくば関係を壊して、大輔と仲良くなれないか機会を疑っていた……って感じかな?」
大体、というか完全に合っててぐうの音も出なかった。隠すどころか丸裸にされてしまった気分だ。
「そ、そんなの憶測に過ぎないだろ」
「私も百パーセント当たってるとは思わないけどねー。中島はストーカーみたいな真似するような奴じゃないし、少なくとも自分の意志でここに来てはいないよね?」
それはその通りだ。元々この計画には乗り気ではなかった。二人の邪魔をするようなことはしたくなかったから。
でも、広瀬さんの行動により予定を壊してしまったことに変わりはない。彼女に協力していた俺は同罪だ。
しばらく何も言えずに俯いて黙っていると、布村さんはパンッ! と、ねこだましのように俺の目の前で両手を叩いた。
「しょぼくれないの! 無言は肯定と受け取ります。別に尾行されてたって気にしないし、広瀬さんがアイツとどうにかなろうが知ったことじゃないし。それより中島は今から暇?」
「へ?」
「甘いもの、食べに行こ? 甘いものには人を幸せにする力があるのだよー」
布村さんはニカッと笑った。
それから俺と布村さんは、ショッピングモール内にあるあらゆる店で甘いものを求め、割り勘しながらとにかく食べまくった。
クレープ、パンケーキ、パフェ、ドーナツ、アイスクリーム……どれもおいしくて、それでいて布村さんの言う通り幸せになることができた。いや、どちらかというと、幸せそうに甘いものを食べる布村さんのかわいらしい表情に癒されていたと言ったほうが正解かもしれない。
お腹が満たされた後は「よし、カラオケに行こう」という布村さんの唐突な提案から、モール近辺にあったカラオケボックスに入り、歌いまくった。
気が済むまで歌ったらゲーセンに入って、コインゲームやリズムゲーム、UFOキャッチャーなどに没頭。気がつけば日は暮れ、夜になっていた。
「んんー、遊んだ! 余は満足じゃ!」
「結構お金使ったなぁ……」
「金は天下の回り物っていうじゃん。ある時はパーッと使ったほうがいいのさー。楽しかったでしょ?」
「そりゃ、まぁ」
楽しくなかったと言えば大嘘だ。広瀬さんとのストーキング作戦はいったいどこに行ってしまったのかわからなくなってくるが。
すると、今頃になって広瀬さんからラインがきた。
『今日は急にいなくなってごめんなさい。なんだかんだあって、藤堂くんと仲良くなれました! 緊張したけど、結構頑張ったよ。明日からも協力よろしくね!』
「……そりゃよかった」
俺は「よかったじゃん。任せとけ」とだけ返信し、画面を消す。広瀬さんの幸せは俺の幸せです。本当ですとも。
「ん? もしかして広瀬さんから?」
「えっ。いや、えっと」
「あー言わなくていい、言わなくていい。もう大体わかったから」
布村さんは片手をひらひらさせながら苦笑する。駄目だ。俺はどうにも隠し事が下手らしい。
「なんか色々あったみたいだけど、楽しかったならそれでいいでしょ」
「……そう、だな」
結局のところ、今回の出来事は広瀬さんにプラスに働いたのだ。大輔と布村さんの休日の予定を狂わせてしまったが、本人が気にしていないというのなら俺も気にしないでいいのだろう。
ついでに布村さんと楽しく休日を過ごせたわけだし、終わりよければすべてよし。
今日の作戦は成功したということにしておこう。俺は布村さんを家まで送り、それから帰宅した。
……大輔には後日謝っておくべきなのだろうか?
ふと思ったのだが、俺と広瀬さんの協力関係はいつまで続くのだろう。今のところは大輔との仲を順調に深めているようだが、それだけで終わるはずがない。どこかのタイミングで告白して、成功、もしくは失敗する。
成功した時は当然、おめでとうだ。晴れて俺は完全に失恋するわけだが、それも青春。受け入れよう。
でも失敗した場合は? 彼女は傷つくだろう。となると一番傍にいる(と自負している)俺が慰めるしかない。仲を取り持つ役目をしていた俺にも多少の責任はあるだろうし。
すると、俺は失恋せずに済む。広瀬さんの恋は敗れ、代わりに俺にチャンスが回ってくる。傷心した彼女を慰めれば好感度も上がるだろうし、試合に出られるようになったときにする予定の告白も、成功確率はぐんと上がる。
などと考えていると、どうしても思うことがあった。
『恋』とはなんだ?
こういう、策略的なことを考えるのは本当に恋なのか?
「わからん」
「何が?」
「恋が」
「ふーん」
大輔は心底興味なさそう。
俺は思い切って、訊いてみることにしてみた。
「お前、好きな人とかいる?」
「別にいねぇな」
おっとー。広瀬さん、これはまずいですねぇ。
いかんせん、日曜日のストーキングから一週間以上が経過していた。土曜日に泊りがけで考えた作戦は色々と実行したし、手ごたえはあって、大輔との仲は深まったはずなのだが……どうやら「好き」までは到達していないらしい。
そもそも人がどのようにして他者を好きになるのか、不確定要素が多すぎる。俺の場合は中学の時受け取った手紙だが、人によって人を好きになる理由なんて色々と違う。
イケメンだからとか、身長が高いからとか、歌がうまいからとか。弱ってるときに優しくされたとか、命を助けられたとか。とにかく何かしらの条件をクリアしなければ、好きという感情は持ってもらえない。
恋って難しいんだなぁ。最初から相思相愛が一番手っ取り早くてわかりやすい。片思いって面倒くさいな。
ウンウン唸っていると、布村さんがアポロチョコレート片手に近寄ってくる。
「どったの深刻な顔して。チョコでも食べるかい?」
「いただく。いやー、恋って難しいなと思いまして」
「恋なんてうだうだと考えるだけ無駄だと思うけどね。うまくいく時はうまくいくし、うまくいかない時はうまくいかないのさ」
「そんなもんなの?」
「そんなもんです」
すると大輔が横から会話に入ってきた。
「というかぶっちゃけ、高校生で付き合うカップルの何パーセントが結婚までいくのかって考えると、結局のところ恋って一時的なものでしかないんだと思うぞ。もし失恋したって辛いのはその時だけで、いずれどうでもよくなるだろうぜ」
元も子もない意見だな。ほぼほぼ恋愛を全否定するような考え方だ。
布村さんはアポロチョコレートを口に含みながら、
「んむんむ。よく言うよね、恋愛なんて病気みたいなものだって。場合によっては不治の病だけど、大抵はどこかのタイミングで治るってことでしょ」
じゃあ俺が中三の春頃から2年近く片思いを続けてきたこの感情はどう説明すればいいんだ? いや、病気の例えで言うなら俺はまだ薬を飲んでいないのか。この場合、薬とはおそらく告白のこと。失敗すれば薬が効き始め、徐々に熱は冷める。成功してもそれは遅効性なだけで、ほとんどの場合はいずれ薬が効いてきて熱は冷めてしまう。
そんなもんなのか? 恋って。
「でも、青春を謳歌したいなら恋はいいものだよね。少なくとも思い出にはなるだろうから」
「ドラマとかでよく見る大人の恋愛と、高校生の恋愛はまったく別物だろうしな。いずれ冷めるにしても、どんな形であれ体験できるうちにしておいて損はないかもしれん」
「なるほどねぇ」
『恋』に対する考え方もまた、人それぞれなのだろうか。
だったら、俺は――。
「位置について。用意」
パンッ! と、火薬の炸裂音がグラウンドに響く。
スタートダッシュ。右足のつま先で思いっ切り地面を蹴り飛ばす。タイミング、重心移動は完璧。いい滑り出し。
序盤の超短距離。唯一、俺が得意な場所。持ち前の瞬発力を惜しみなく発揮し、一気にスピードに乗る。
中盤の加速地帯。全力で腕を振り、足を上げ、最高速に到達していく。
終盤の勝負所。できるだけ最高速を維持、フォームが崩れないように気を配る。
この時、俺の耳には「頑張れ!」という声援がとにかくあちこちから聞こえていた。俺が毎日のように努力をしていることは陸上部内では結構有名なのである。広瀬さんも応援してくれているのだろうか。もしそうだったらちょっとうれしい。
とにかく速度を落とさないように、声援に背中を押されるようにして、全力でゴールまで走り抜ける。
そして監督がストップウォッチを押し、タイムを確定させた。
「ハァ、ハァ、ハァ……どう、ですか、ね……」
極限の無酸素運動の影響で、肺が激しく空気を求める。
おそらく、今の俺が出せる最高のタイムが出たはずだ。そしてこれが、試合に出してもらえるかの基準にもなる。
「いい走りだった。本番ではこれと同じか、それ以上のタイムが出ることを期待している」
「……っ! よし!!」
今のは要するに「試合に出ろ」という意味だ。五年かけてようやく、俺は目標を達成したことになる。
「おめでとう中島くん。試合に出るの、初めてだよね」
「おう。ありがと」
グラウンドの端に移動し、広瀬さんが持ってきてくれたスポーツドリンクを胃に流し込みんで一息つく。
意外と達成感は無かった。むしろ、初めて試合に出るということへの不安の方が大きい。大会の場で実力を全部出し切ることができるか、確信が持てなかった。
今日はトレーニングメニューをすべて終えているので、もうやることはない。たっぷりと時間はあるので俺は広瀬さんに質問した。
「広瀬さんって、試合の時はどんな気分で走ってるんだ?」
「とにかくハードルに引っかかってこけないことだけを祈って走ってたかな」
「なるほど」
全く参考にならなかった。そもそもハードル走と百メートル走では気を付ける点が違いすぎるか。
陸上競技の話は終わらせて、俺は本題に入ることにした。ずっと訊きたかったことだ。
「気になってたんだけどさ。なんで大輔のことを好きになったんだ?」
「えぇ、今訊くの? それ」
「別に答えたくないならいいんだ」
「んー。中学二年生ぐらいの時だったかな。偶然、雨の日の休日に空き地でテニスの練習してるところを見かけて。壁打ちって言うのかな? びしょ濡れになりながら必死にボールを追いかけてて。頑張ってるなぁ、格好いいなぁと思って。たぶん、きっかけはそれ」
大輔は努力家だ。才能がないと本人は言うが、それでも決して努力は怠らない。その辺の気が合ったから、俺はあいつと親友をやっているのだろう。
そこに惚れる広瀬さんの気持ちは、わからないでもない。あわよくば割とすぐ近くでたくさん努力してきた俺に、この俺に! 惚れておいて欲しかったところだが、選ばれなかった以上は仕方がない。運が悪かったということにしておこう。
そう。俺は決断したのだ。恋をあきらめると。
広瀬さんのことを二年近く思い続けてきた感情に、嘘偽りはない。あの激励の手紙は俺の人生を大きく変えたと思う。けれど……広瀬さんは、俺のことを好きじゃない。
もちろん、もしかすると広瀬さんの恋がうまくいかなくて俺にチャンスが回ってくる可能性はある。ただ、そこに付け込んで自分の告白を成功させても……俺はうれしくない。いや、うれしいことはうれしいだろうが、納得できない。
初恋は実らない。きっとこれが心理なのだ。高校生の恋愛で相思相愛など、夢のまた夢でしかないのである。
そうやってすべてを振り切ったら、あっさりと俺は試合に出ることができるようになった。今までの苦労は何だったのかと思えるほどに。
「……まだ、告白はしないのか?」
つい、口からこぼれた質問。これに対して広瀬さんは眉にしわを寄せ、空を見上げて言った。
「した方が、いいのかなぁ……」
……? それは、いったいどういう意味だろうか。彼女は続けて、
「一週間とちょっとの間、結構攻めたと思う。中島くんのおかげで、告白しようと思ったときよりもずっと仲良くなれた。でも……仲良くなれた『だけ』な気がするんだよね」
「……」
それは、その通りなのだろう。大輔に好きな人がいるか聞いたが、きっぱり「いない」と言われてしまったからな。
「好意を寄せてるアピールはしたのに、全部スルーされてるというか。早い話が、友達以上にはまったく見られてないと思うの。まぁ、出会って少ししか経ってないわけだし当たり前なのかもしれないけど……女の勘っていうのかな。全くと言っていいほど脈がないように感じて」
このまま頑張っても、どのタイミングで告白したところで失敗するだけなんじゃないかな、と広瀬さんは悲しそうな笑顔を垣間見せる。
「ぶっちゃけ、告白が成功する確率は出会う前とほとんど変わってないと思う。むしろ失敗する可能性が高いってわかったせいで、告白する勇気がなくなっちゃった」
この状態は……おそらく、つい最近までの俺とよく似ている。好きな人と仲はいい。でも、告白しても勝算がない。
おそらく広瀬さんは今、どうすればいいのかわからずに困っているのだ。玉砕覚悟の告白をするか、失恋したことにしてすっぱりあきらめるかで――
「だからこの際、次の恋に移ろうかなって」
「……ホワッツ!?」
えっ、次!? な、なんだ、どういうことだ。
次の恋だって? 意味が分からない。突然現れた第三の選択肢に俺が動揺していると、さらに畳みかけるようにして広瀬さんは俺の顔を見つめてくる。
「実は私ね――
「次に広瀬叶は、『中島くんのこと、割と気になってたんだ』と言う」
――中島くんのこと、割と気になってたんだ……ハッ!?」
すると突如、何者かの声が広瀬さんのセリフを遮った。
連続して理解の許容を超える事態が発生し、俺の脳はオーバーヒート気味だったが、声の主が現れてすべてのことが吹き飛ぶ。
「やっほー中島。試合出場おめでとう」
「ぬ、布村さん? なんでこんなところに」
テニスウェアで奇妙なポーズをとっていたショートカットの少女が、ゆっくりとグラウンドの外から歩いてこちらに近づいてくる。いつも通り、片手にはお菓子の箱を持っていた。……というか、試合出場のことを知ってるってことは、結構前からここにいたってことか? 部活はどうしたんだろう。
「なんでって、冷たいなぁ。大輔が言ってたよ、今日は中島が百メートル走のタイムを測定する日だって。そりゃ部活なんか抜け出して、応援にも来るってもんでしょ。これ、お祝いのシルベーヌね」
「お、おお。ありがと」
どうやら俺の応援をしてくれていたらしい。とてもうれしいことではあるのだが、いまいち彼女がここにいる意味は理解できなかった。出てくるタイミングも、なにかがおかしい。
すると、広瀬さんが今までに一度も見たことがないような怖い顔をしていた。なんだ? 一体何が起きてるんだ?
「……布村さん」
「どうしたのさ広瀬さん、怖い顔して。せっかく中島が試合に出られることになったんだから、祝福してあげないと」
「どういうつもり?」
「そりゃこっちのセリフなわけで」
何やら不穏な雰囲気。布村さんは表情こそ笑っているものの、とても穏やかな心境ではないように感じた。この二人、つい二週間ほど前に出会ったばかりだよな? 大輔と仲を深める過程でたまに顔を合わせたりしていたが、その短期間でここまで険悪なムードになるものなのだろうか。
つーか待てよ。思い出せ。
確かさっき、広瀬さんは俺に気がある、みたいなことを言っていなかったか?
硬直していた思考が再び回転し始める。それはつまりあれか? もしかして広瀬さんって、俺のことを男として大なり小なり思ってくれていたってことか!? マジで!?
いや、そりゃそうだよな。だって、いくら仲が良くてもさすがに男の家に泊まるなんておかしいもんな。なるほど、そうだったのか!
「中島―、浮かれるのは早いぞー」
「えっ? 痛っ」
しかし、布村さんはペシッと中指で俺の額にデコピンをかました。意外にも結構痛い。ていうかなぜ浮かれているとわかったのか。……顔に出てたんだろうな。俺って隠し事下手みたいだし。
「はてさて、どこから話したもんかなー。とりあえず最初から行くかね。ねぇ中島。下駄箱に入ってる手紙を受け取った時の事、覚えてる?」
「手紙? ……あー、あれか」
広瀬さんが大輔の下駄箱と間違えて俺のところに設置してしまった例のアレのことだろう。あまりにもショッキングだったので記憶の底にしまっておいたのに、まさかこのタイミングで掘り返されるとは。
……ん?
「ちょっと待てよ。なんで布村さんが、俺が手紙を受け取ったことを知ってるんだ? 誰にも言った覚えは無いんだが」
「そりゃまぁ、手に取って喜んでるところを目撃したから」
あ。あの時、何人かの生徒に現場を見られたんだった。その中に布村さんもいたのね。うっわ、恥ずかしい!
「ちなみに、広瀬さんが中島の下駄箱に手紙を入れてるところも見てたよ。こっちは偶然だったけどね」
「……!」
次の瞬間、広瀬さんの目が大きく開かれる。そりゃ恥ずかしいわな。ラブレターを入れる瞬間を他人に見られるなんて。
そういえばあの日、布村さんは日直でいつもより早く登校してたんだっけか。
「どこで手に入れたか知らないけど、名簿を片手に出席番号をよーく確認して、何度も間違えていないか確認しながら入れてたよね」
……はい?
間違えないようにして、入れていた?
なら、なんで俺の下駄箱に入ってたんだ。それじゃあまるで、最初から「間違えて入れるつもりだった」みたいじゃないか。
「というわけで質問その一。中島、手紙の内容はどんなだった?」
「えっと確か……『あなたにどうしても伝えたいことがあります。今日の放課後、体育倉庫裏に来てください。待っています。広瀬叶』だったかな」
……いや、違うんだよ。間違って入ってたラブレターとはいえ、初めてもらったものだからね? 一言一句忘れずにいたのも仕方なくない?
布村さんはなるほど、とつぶやき、
「思春期の男子高校生が受け取ったら、まず間違いなくラブレターだと思う内容だねぇ。と、いうことはー。広瀬さん、大輔との仲を取り持ってもらうためにわざと中島の下駄箱に手紙を入れたよね? 中島が自分に好意を持ってくれてることを知りながら、さ」
……え。
「何言ってるの!? 違うよ! 何を根拠にそんなこと!」
広瀬さんはすぐさま噛みついたが、テニスウェアの少女は冷静だった。
「あの日、広瀬さんが中島の下駄箱に何を入れたのか気になって、私は中島が登校してくるまで待ってたの。で、手紙を取り出して読んだ途端に大喜びして叫んでた。ま、普通に考えてラブレターだとは思ったんだけど……次の日の朝、なぜかびっくりするぐらい落ち込んでた。おかしいよね、ラブレター受け取ったはずなのに落ち込むって。となると、告白されなかった……つまり入れる下駄箱を間違えて、目当ての人が来てくれなかったっていう可能性が考えられる。でも、わざわざ名簿を見ながら何度も確認して間違えるのは、さすがに間抜けすぎるでしょ。この時点で私は、中島に何かがあったんだと思った。まだそれが何かはわからなかったけどね」
あの時、俺を慰めるためにポッキーをくれたのにはそんな裏があったんですか!?
布村さんはさらに続ける。
「で、昼になったら中島は広瀬さんをうちのクラスに連れてきてた。大輔と飯を食うことになった……とか言ってたっけ。このときの広瀬さんの視線とかで、ピンと来たよね。私と大輔が会話してるところをすんごい形相で睨んでたし。あー、広瀬さんコイツのこと好きなんだーってさ。さしずめ中島は恋のキューピット役かなって、予想できない?」
「う、……」
広瀬さんは口をパクパク開閉させながら、次の言葉を紡げずに固まってしまう。あぁ、そこまで予想できたからあの時「かくかくしかじか」で理解されたのか。
「大輔のことが好きなのに、中島の下駄箱に意図的に間違えてラブレターともとれる手紙を入れたってことは、ここにも何かしらの意図があるはずで、好意には気づいていたと考えてもいいとは思う。これは憶測でしかないけどね?」
「ち、ちが……、う……」
声は尻すぼみになり、やがて完全に黙り込んでしまう広瀬さん。布村さんは追撃する。
「無言は肯定として受け取らせてもらうから、そのつもりで。というわけで中島。アンタが広瀬さんと大輔の仲を取り持つことになったのは、偶然じゃなくて必然だったってことになる」
これマジ?
……うん。なんかマジ臭いな。広瀬さん石像みたいに動かないもん。ここで反論してくれてたら少しはよかったんだけど、この様子だとぐうの音も出ないようだ。前に俺も似たような経験したからわかるよその気持ち。図星って、指されるとなんも言えなくなるのよね。
って、図星じゃダメだろ!
つまり何!? 体育倉庫裏でのあの会話、全部茶番だったの!? 完全に騙されてるじゃん俺!
「ちなみにこの推測に確信が持てたのは、尾行の日に中島が色々とゲロッたおかげだよん。あれが裏付けになったわけね」
「なっ、中島くん、あの時の事を布村さんに話したの!?」
「ちがっ、話してはないんだ! ただ、」
「あー布村さん、中島を責めないで。私が情報を引き出しただけだから」
いや本当にごめんなさい広瀬さん。そういえばあの時も布村さんは色々と鋭い推理をしてたなぁ。
「それじゃあ質問その二。私と大輔が日曜日に出かけた日、中島と広瀬さんが尾行してたのは知ってる。そこで一つ疑ってるんだけど……前日に広瀬さん、中島の家に泊まったでしょ?」
「はぁっ!?」
「……」
なぜそれが分かったのかと驚愕する俺。対して広瀬さんは再び沈黙した。
「相変わらず中島はわかりやすいなー。証明はできないけどあの日、尾行してた広瀬さんが大輔を取っていく時……広瀬さんの髪から中島の髪と同じ匂いがしたんだよね。でも、前に会った時とか日曜日以降は別の匂いだった。その日だけ同じシャンプーを使えば同じ匂いになるかもなーって思ってたんだけど、やっぱり泊まってたんだ」
もう彼女は名探偵とか目指していいんじゃなかろうか。
これに広瀬さんは開き直った。
「それが何だっていうの? 私と中島くんは中学の頃から同じ部活で長い付き合いだし、仲もいい友人。お泊りぐらいあってもいいじゃない」
「いやいやいや、おかしいでしょ。だって広瀬さん、大輔のことが好きなんじゃん。なのに別の男の家に泊まるってどういうことよ。何か理由があると考えた方が自然じゃない?」
「でも、あれは大輔との仲を進展させるための作戦会議のためだったぞ。それと翌日の尾行は朝早くから張り込む予定だったから、距離的に近い俺の家に泊まったんだ」
と、ここで少しだけ俺も反論を試みる。しかし、返答は早かった。
「作戦会議ねぇ? そんなの別に学校でも図書館でも、どこでもやればいいじゃん。わざわざ家に泊まってまでやることじゃないと思う。例え張り込みのために朝が早くなるにしたって、映画を見るってわかってたんだから、一番早い時間に見ると仮定しても、電車での移動時間を含めて考えたって朝7時に集合すれば十分張り込める。これぐらいの時間なら、わざわざ泊まらなくてもいいんじゃない?」
前者は確かにそうかもしれないが、後者の理由はいささか強引だ。もしかすると朝に弱い人ならば、7時に集合は辛いものがあるだろう。
……ただ、広瀬さんは朝が早いタイプ。言われてみれば、わざわざ俺の家に泊まる必要はなかったかもしれない。
「じゃあ、広瀬さんはなんで俺の家に泊まったんだよ」
「最初に言った通り、中島にも多少は気があったからだろうね」
ここで最初に広瀬さんの告白と被せたセリフが出てくるのか。
「これも憶測の域を出なかったんだけどね、もう確信してる。広瀬さんは大輔のことが好きなのと同時に、中島のことも好き。たぶん本命は大輔」
「それってつまり……俺と広瀬さんは両想いだった!?」
「羨ましい限りのポジティブシンキング! 本命は大輔なんだってば」
いや、だとしても、だ。広瀬さんが俺のことをある程度好きだというのなら、それこそ大輔に振られたとき、俺と付き合ってくれる可能性は十分にあり得るってことになる。そうだよ、広瀬さんが自分で言ってたもんな。努力してる人は好きだって。ポジティブシンキング、結構じゃないか。好きな人と好き同士だったのなら!
「ああもう、とにかく話を戻すよ。広瀬さんが中島の家に泊まったのは中島のことも好きだったから、仲を一層深めるためでしょ。でも本命は大輔で、そっちとも仲を深めていた。これってどういう意味か分かる? 中島」
どういう意味、と言われると……まさか。
「簡単に言えば、広瀬さんは中島をキープしてたってこと。中島は隠し事が下手くそだからね。広瀬さんは中島が自分を好いてくれてることに気づいてたはず。つまりその時点で、一応は両思いだとわかってた。でも、広瀬さんは大輔のことがもっと好きで、付き合いたい人第一候補だった」
広瀬さんは一言もしゃべらない。しかしそれは、布村さんに肯定と受け取られてしまう。
「大輔のことが好き。でも、告白しても勝算は無い。なら大輔と親友らしい中島を利用して仲を深め、ついでに中島との接点も増やす。そしてもし大輔が駄目なら、第二候補の中島に乗り換える……ってな感じのことを考えてたんだと私は推理するんだけど、どう? 当たってる?」
話を向けられた広瀬さんは、黙っていた。それはそれは、凄まじい怒りを表情に浮かべて。
もしも布村さんの言っていることがすべてでたらめだったとしたら、この怒りにはうなずける。あることないことをでっち上げられ、男をキープしていたなどと言われればそれは怒るかもしれない。
でも……すべて事実だったとしたら?
「違う……違う! ちょっと嘘をついたりはしたかもしれないけど、それだけよ! 布村さんがバラさずにいたら、全部うまくいってたはずなのに! それに、いいことばかりじゃなかった! 男子が着替えてる最中の教室に突撃したし! 家に泊まった時だって、裸を見られて死ぬほど恥ずかしかったんだから!」
逆ギレ、だった。人間は図星を指されると怒りが湧くと言うが……おそらく、その典型。つまり今まで布村さんが語ってきたことはただの推測から真実へと変わってしまったということになる。……ところで男子が着替え中の教室に突撃したのは自分の不注意じゃないかな。あと裸を見たのは本当に事故なんですごめんなさいもう許してくださいなんで今そのことを言ったの。
「バラさなければうまくいってた……ねぇ。本当に腹立たしい。やっぱ私、広瀬さんの事大っ嫌いだわ」
いつも明るく、お菓子を幸せそうに食べる布村さんはそこにはいない。なぜそんなに広瀬さんを親の仇のように睨み付けているのだろうか。たったの二週間弱で、二人の間に何があったというのか。
「布村さん、なんでそんなに怒ってるんだよ。確かに広瀬さんのやったことは俺からすればちょっと悲しいことだけど……布村さんには関係ないだろ? 今までの推理だって、バラしたりしなかったら何も起きなかったのに」
おそらく俺は完全に騙されて、広瀬さんと付き合い始めていたことだろう。知らぬが仏という言葉もある、事情を何も知らないまま、俺の青春は輝かしいものになっていたかもしれない。
しかし。
「関係あるから、私はここにいるの!」
初めて、布村さんが声を荒げた。怒りだけ、ではない。そこには悲しみと、なぜか恥じらいのような感情も混ざっていた気がした。
「じゃあ、質問その三。中島は覚えてる?」
「覚えてるって、何を――」
「……『こんなに頑張っているんだもの。絶対にいつか、みんなを追い抜かせるよ』」
――それは。俺が陸上をずっと続けることを決めた理由の手紙。一言一句、忘れたことはない。今も心の支えとして残っている、大事な言葉。これがあったから俺は広瀬さんを好きになり、そして試合に出ることができるところまでやってこれたのだ。
なんで布村さんが、それを知っている……!?
「あの手紙ね。私が書いたの」
「な、ん……」
俺は二の句が継げなかった。
確かにあの手紙には、差出人が書かれていなかった。広瀬さんがロッカーに入れているところを目撃したために、広瀬さんが書いたものだとずっと思ってきた。
それが、違った……?
「あの時、私はタイムが伸び悩んでくじけそうになってた中島を元気づけるために、手紙を書いた。でも、当時の私には直接渡す勇気なんてなくて。下駄箱に入れるのを誰かに見つかって冷やかされたくなかったし、陸上部の部室のロッカーに侵入なんて恐ろしくて出来っこなかった。だから同じ陸上部で中島と顔見知りなはずの女子に、私の代わりに入れて置いてって頼んだの。このことは秘密にしておいてとも付け足して。その時は名前を知らなかったけど、今回のことでそれが広瀬さんだったとわかった」
二人は……中学の時、少しとはいえ面識があったのか。そういえばクラスで遭遇した時も、お互いに初めましてとは言ってなかったような気がする。
「そっか。あの手紙をくれたのは、布村さんだったんだな」
「そうだよ? なのに、大輔に中島の反応を聞いたら、『海斗は陸上部の女子があの手紙をくれたと思ってるみたいだぞ。しかも惚れたらしい』って言われて。どれだけ私が悲しかったことか」
えーっと。確かに気持ちはわからんでもない、が……。
「でも、それなら最初から差出人を書いておけばよかったのでは……? なんなら、直接俺にあの手紙を書いたのは私ですって言えば、誤解はその時すぐに解けたかもしれないのに」
中学から俺は大輔とつるみ始めたが、幼馴染ということで布村さんともその頃はすでに知り合っており、ある程度は仲が良かった。事実を告げるチャンスは多かったはずなのだ。例の言葉だって、直接口頭で伝えることができるぐらいの間柄だった気がする。
女心は難解なので正論をぶつけるのはまずかったかもしれないが、それでもこれはぶつけたくなるってものだろう。すると布村さんは。
「……だ、だって……。そういうの、直接言うとか、その……恥ずかしい、し」
顔を真っ赤にして、うつむきながら恥ずかしそうにそう言った。
これがそうか。
この目の前にあるものが。
萌えか。
なるほど。
ブヒブヒ。
などとくだらないことを思っているうちに布村さんは気を取り直し、首を左右に振って顔の赤みを消す。そしてキッと怒りのボルテージを上げ、広瀬さんを睨んだ。
「それはともかく、ここで広瀬さんに質問その四。私の手紙をロッカーに入れた翌日ぐらいから、もう中島が自分に好意を向けてることに気が付いていたんじゃないの? その時すでに、中島のことを少し気になり始めてたんじゃないの!?」
うっ。確かにあの手紙を読んだとき、あまりに感動して差出人……だと勘違いしていた広瀬さんをすぐさま好きになってしまった。その気持ちに気づかれていても不思議ではないだろう。広瀬さんが俺のことを好きだったのかは知らないが。
「……、その通りかもしれない。あの手紙をロッカーに入れた日から、妙に中島くんの視線を感じるようになって。原因がきっとあの手紙で、手紙を書いたのは布村さんだとわかってて……私は、中島くんの勘違いを解こうとはしなかったから」
広瀬さんは布村さんと対照的に、ほとんど怒りを鎮めていた。それこそ、力なく笑ってしまうほどに。
「ごめんね中島くん。布村さんの言ったことはほとんどそう思われても仕方がない。酷いことをしてるっていう、自覚はあったよ。……でもね、違うの」
その目には、涙が溜まっていた。
嘘泣き、では絶対にない。体の内側からあふれ出す、感情の本流。
「私は、努力してる人が好きで……中島くんのことは、藤堂くんとほとんど変わらないぐらい好きなの。少しは気があった、程度なんかじゃない。そうじゃないと、裸を見られたことを許したりしないよ。たぶん一生根に持つ」
マジで本当にごめんなさいでした。できることならもうそのことは忘れていただけると助かりますです。
ただ、正直なところ……広瀬さんがそこまで俺のことを好きでいてくれたというのは予想外だ。
「あの手紙だって、間違えて入れたわけじゃない。最後までどちらに入れるかを真剣に悩んで、中島くんを選んだ。……つもりだった。いざ本人を前にすると緊張しちゃって、結局告白できなくて、ごまかして……最終的にこんなことになっちゃった。全部、私に勇気がなかったせいなの」
そうか、確かにあの文面なら俺の下駄箱に入れようが大輔の下駄箱に入れようが、呼び出しはできる。広瀬さんは、そこまで苦悩していたのか。
さっきの怒りは、たぶん自分に対するもの。布村さんの推測は、客観的に見ればそうとしか見えない物だった。次第に何も言えなくなって意気消沈したのは、そう思われても仕方がないと感じていたから。そして、それを自覚していたからこそいざ指摘されると自分に怒りが湧いた。
彼女は俺の顔を真正面から見据えて、口を開いた。
「中島くん。色々と、本当にごめんなさい。今更、虫がいい話だって分かってる。でも、言わせて欲しい。
……中学生の時から、ずっと頑張って努力し続けている君が好きです。私と、付き合ってください!」
人生で初めて、俺は女の子に告白された。
彼女にとってはおそらく、最悪の条件下における告白だろう。でも、うれしくないわけがない。だって広瀬さんは……俺が好きだった人だから。でも――
「ごめん。その気持ちは受け取れない」
――俺は真実を知ってしまった。だから、この告白は断らないといけない。
少女の頬を涙が伝う。
「そうだよね。……本当に、ごめんね――ッ!?」
走り出そうとした広瀬さんの腕を、俺は咄嗟に掴んで引き留めた。まだ話は終わってない。
「広瀬さんはさ、まだ大輔のこと、好きなんだろ? 俺に振られただけで失恋と思うのはまだ早いんじゃないか? 二人の人を同時に好きになるって、どういう気持ちか俺にはわからないけどさ。片方に振られてももう一回チャンスがあるって考えたらこう、お得感があるよな。俺、応援するよ。大輔とうまくいくように、手伝う。だから、頑張れ」
なんとか最後まで言い切って、手を放す。
広瀬さんは全速力でグラウンドを突っ切って、部室の方へと走り去ってしまった。さすが陸上選手、無駄にフォームが良く、恐ろしく速い。あっという間に彼女の姿は見えなくなってしまった。
布村さんはぽつりとつぶやく。
「私の推理、結構自信あったんだけど外れてたかー。二人を同時に好きになる、ねぇ。私も理解できないかな」
「人それぞれの『恋』があるってことじゃないか?」
恋愛観は人それぞれ違うのだと、つい最近答えを出したばかりだ。きっとそういう恋もあるのだろう。二人の人間を好きになってはいけないという法律があるわけでもないのだから。
「さて、っと。広瀬さんの告白を阻止できたことだし、私の目的は達成! そろそろ部活に戻ろうかな」
「もう戻るのか? 俺は話があるんだけど」
ビクンッ! と、布村さんの肩がはねる。そこまで驚かなくても。推測はお手の物じゃないか、これから何を言われるかぐらい予想できてると思うが。
「は、話、とは? あ、シルベーヌのことなら気にしなさんな。ただのお祝いだし、礼はいらんよ?」
「いやそうじゃなくて。ちゃんと俺と目を合わせてくれ」
「ん、んー? なにかなー?」
すんごい視線が泳いでる。ついでにさっきまでとキャラが違いすぎる。布村さんは緊張するとこうなるのだろうか。
仕方ない。なら、
「ごめん!」
「……へ? なぜ謝罪?」
キョトン、と首をかしげる布村さん。
「まさかあの手紙が、布村さんの書いてくれたものだとは思わなかった。なのにずっと広瀬さんが書いてくれたものだと勘違いしてて……本当にごめん!」
「まぁ、それに関しては私が悪いところもあったし? 中島の言った通り、直接渡すなり言うなりすれば済んだ話であって、私に勇気がなかったのが問題といいますか」
両手をぶんぶん振りながら謝罪を受け取ろうとしないテニスウェアの少女。おそらく緊張はさっきほどではなくなっているだろう。
言うなら、今だ。
「あと、ありがとう。あの手紙があったから、今日まで努力を続けることができた。試合にも出られるようになった。ずっと心の支えになってたんだ」
「そ、そうなんだ。いやー、手紙を出した甲斐があったよ」
「そして、俺の努力を見てくれていて、応援してくれた布村さんの事が好きになった。俺と、付き合ってほしい」
人生初の、告白だった。
まさか一日の間に告白されて、告白することになるとは思わなかったけれど、これが俺の本心だ。元々、試合に出られるようになったら告白するというつもりだったので、タイミング的にはばっちりである。最も、急に相手は変わってしまったが。
果たして、布村さんの反応は。
「……う、ぁ。わ、私も、その。中一の時、から。ずっと見てた、し。す、……き、だから。うん。えっと。よろしく、お願いします」
「おっ……しゃあぁぁぁあ!」
「ちょっ、叫ぶな! まだ陸上部員グラウンドに残ってるのに!」
告白、成功。
晴れて俺と布村さんは恋人同士になったというわけだ。
んで、次の日の事。
「うれしそうな顔してんなぁ珍しい」
「何かいいことでもあったん?」
「おー、わかる?」
安定の朝のHR前。大輔はいつになく上機嫌な様子だった。こういう表情はあまりお目にかかれないため、すぐに何かがあったのだと分かる。
「実は昨日の部活帰り、広瀬さんに告白されまして。付き合うことになった」
「「えええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」」
俺と布村さ――葉月の声が、見事にユニゾンした。
「なんだお前ら、息ぴったりだな。付き合ってんの?」
「「……」」
「ふーん、やっとか。まぁここは一応、おめでとうと言っておくか」
そうか、大輔は布村――葉月の幼馴染。その辺の事情は全部知ってたんだろうな。少しは手伝ってあげればよかったのに……。
「いや、そんなことより! はぁ!? 広瀬さんと付き合うって……嘘ぉ!?」
つーことは何か? 広瀬さんは俺に振られた後、すぐに立ち直って……そのまま大輔に告白したってことになるのか!?
立ち直り早すぎだろ! 行動力ありすぎだろ! そういえば尾行の時に大胆な行動力を発揮してたなぁ!
「え、でも大輔って……広瀬さんのこと、好きだったの? あんまり好意的に見てた印象はないんだけど……」
布む――葉月の言うことはもっともである。先日、大輔に俺は直接聞いた。「好きな人とかいる?」と。こいつはすぐさま「別にいねぇな」と答えていた。
「好きな人はいないんじゃなかったのか?」
確認のためにもう一度問いただすと、大輔はあっさり、
「だって、好きじゃなかったとしてもあんなかわいい子に告白されて振るわけがないじゃん。それに付き合ってるうちに、本当に好きになるかもだろ?」
と答えた。
やっぱり恋愛の価値観って、人それぞれだわ……。
「ま、俺のことは置いといて。誤解が解けてよかったな、葉月」
「それはまぁ……うん。私のアピールは全然気が付いてもらえなかったけど」
「……アピール? 布――葉月、俺に対してアピールなんてしてたか? もしかして尾行の時に甘い物一緒に食べたり、カラオケ行ったり、ゲーセンに行ったこととか?」
今にして思えば、あの行動は結構好きですアピールだったと思えなくもない。普通に気づかず楽しんでたけど。
「そんなことしてたのか。でも違う、それじゃない。お前、しょっちゅう葉月にお菓子もらってたろ? あれだよ」
「は?」
確かに、ポッキーとかハイチュウとか、色々もらった覚えはあるが……なぜそれがアピールになる?
「言ったと思うんだけどなー。私にとって甘いものは命の次に大事なものだって」
……言ってた、気がする。
「分かりづらいわ! 命の次に大事なものをあげる=好きって……なんつーかこう、回りくどい!」
「えー、結構ストレートじゃない?」
あぁ、そういえば葉月は恥ずかしいセリフが直接言えないんだよな。そう考えると確かに、割とストレートではあるかもしれない……でも伝わってなかったら意味ねぇ!
「もっとダイレクトに感情をぶつけてくれると、俺としてはうれしいわけよ」
「むぅ……例えば?」
「そりゃもう色々あるでしょうよ。ハグとかキスとか――」
直後。葉月の顔面がドアップになる。
ふわっ、とミルクチョコレートのように甘い香りが鼻腔をくすぐり、唇に暖かく柔らかい感触がぶつかる。それは一瞬の出来事だったが、強烈に脳裏に焼き付いた。
「こ、ここ……教室……」
あまりにも突然の出来事に呂律がうまく回らない。ただ、周囲を見渡すと、教室内で雑談していた生徒たちが俺と葉月の方を見ていた。ざわざわと喧騒が大きくなっていき、しまいにはヒューヒューと冷やかしの声が上がる始末。
「わ。私だって、やるときはやるよ? フ、ファーストキスは、甘い味がしたよね、海斗」
顔、真っ赤だぞ。たぶん俺もだけど。あと、甘い味がしたのはたぶん、さっきお前が食ってたアルフォートの味だ。
……でも、まぁ。
「甘いものには人を幸せにする力がある……だっけか?」
短編とか言っときながら3万5千文字ありますが、一話完結なので短編なのです。
初めてプロットというやつを作って書いた作品なのですが、プロット通りの展開になったのはわずか5%、しかも序盤だけ。どうしてこうなった。私にはプロットを作る才能が無いのか。
もしよろしければ感想、アドバイス、誤字脱字等のご指摘をいただければと思います。それでは、