3-26 炎の化身
カスラナの領主、レイヴェント=ヴィルードは次男坊である。
とは言っても、貴族にありがちな家督相続云々の争いを兄とした事はなく、むしろ自分よりずっと優れた兄が領主となるべきだと思っていた。
元々自由気ままな性格であった事もあり、貴族学校時代は家を出て冒険者にでもなろうかと考えていたくらいだった。と言うのも、彼には憧れる人が居た。
当時のクイーン級の冒険者で“紅の風”と恐れられた炎術師。偶然たった1度見た事があるだけの相手だったが、余りにもその強さは衝撃的だった。強大な魔物をあっと言う間に焼き尽くすその姿に強烈に憧れた。
彼の姿を目指し、魔法の修練の時間は全て炎術を磨く事に費やし(お陰で他の属性はからっきしである)、その甲斐あって学生でありながら10工程の魔法を操るレベルにまで到達していた。
後は学校を卒業後に、実戦で磨いて行こうと思っていた矢先に、兄が病気で死んだと言う訃報が届いた。レイヴェントの憧れを追うと言う未来設計はこの時に終わり、引き換えに兄の代わりに父の後を継いで領地と領民を守ると言う、自分には回って来る事がないと信じていた大役が渡されたのだった。
それからは、目まぐるしく日々が過ぎ、気付けば憧れを捨ててたから30年と言う月日が流れていた。何時の間にやら美しい妻(少なくても自分は美人だと思う)と娘が2人居て、つくづく月日の経つ早さに苦笑してしまう。
昔の自由を愛する心は今も消えていないが、今はそれ以上に家族と領民を守る事が優先事項の1番上に来ている。死に際に父に言われた「領主は領民に尽くし尽くされる関係であれ」という言葉が胸の真ん中に強く刻まれているのもその一因かもしれない。
何はともあれ、大森林からたまに出てくる魔物に頭を悩ませる事はあっても、静かで平穏な日常が続いていた。そろそろ上の娘の相手も考えなければな、と考えていた頃に、その娘が魔物に襲われて死んだ。
落ち込んだ等と言う話ではなかった。何もする気力が湧いて来ず、いっそ何もかも投げ出して、己が命が尽きるまで魔物達を殲滅し続けてやろうかとも思ったが、自分以上に涙を流した妻と、残された下の娘を捨て置いてそんな事も出来る筈も無く、町に魔物への注意を呼び掛け、妻と娘には出歩く時には護衛を付けた。
その後、上の娘の生き写しのような少女を下の娘の慰めになればと雇い入れたり、冒険者ギルドとの連絡を密にしたりと色々あって―――現在に至る。
「領主様、一体この町はどうなってしまうのですか?」
町の周りには夜の闇が広がり、その闇より更に暗い物がひしめいている。
魔物。
人のみならず、亜人も動物も、全ての命にとっての敵対者。その魔物が、とてつもない軍勢となってカスラナに襲いかかっていた。
(どうしてこんな事に……!)
始めの異変は、ソグラスに使いに出した者達から一向に連絡の無い事だった。大森林を抜けるのに苦労しているかと思っていた矢先、それを抜けて来たリアナの弟が現れた。
彼の語った事は悪夢のような事実であった。「魔物が巨大な群となって町に襲ってくるかもしれない」要約すればそういう話だ。信じたくない話だったが、大森林にそんな軍勢が潜んでいるのならば、使いの者達が連絡をしてこないのも頷ける。彼等はもう、恐らく…。
大森林の調査隊をギルドを通じて出したが、結果は異常なし。
今にして思えば、その異常がない事が異常だったのだ。すでにその予兆のような物は感じていたのに、森が平穏無事である何て事ある訳がない。
(あの時、何か手を打っていればこんな結果にはならなかったのに…)
だが、今は己の無能さを呪っている暇は無い。
レイヴェントはこの町の領主として考える。
(この町を……いや、贅沢は言わない。せめて1人でも多くの領民が助かる方法を考えるんだ!!)
まず、冒険者ギルドと衛兵達の中で硬化魔法と防御魔法を使える者達に、門と防壁へ魔法をかけるように命じ。弓や魔法での攻撃手段を持つ者達には、見張り台の上や、防壁に近い家屋の屋根で、近付く魔物の迎撃を命じる。
同時に探知魔法で敵の戦列の中で抜けられそうな場所がないかを探らせ、冒険者ギルドの緊急時の通信用の魔導器で応援を呼ぶ。
転移魔法は封じられているようなので、この町から逃げる術は走って行くしかない。だが、この魔物の群れを子供や老人の足で振り切るのはどう考えても無理だ。そもそも、逃げれそうな隙間がどこにもない。
この町はすでに手詰まっていた。
後はもう、冒険者ギルド伝手で誰かが救援に来てくれる事を祈って籠城する事くらいしか助かる道はない。だが、食料の備蓄を考えれば持って2日。そもそも、その間魔物の攻撃に耐え続ける事も無理だ。
(いや、もう1つ希望があるのか……?)
1時間以上前に、門から外に出て行った2人の冒険者。
1人は小さな体に焔色の装束を纏ったリアナの弟。もう1人は、その弟の従者(?)の氷のような表情のメイド。
皆は死んだと思っている。
だが、レイヴェントはあの時見張り台の上に居た衛兵のヘンリー達から話を聞いていた。
曰く、竜の息吹のような一撃を放って1000の敵を屠った。
曰く、天を焼き尽くす炎の道を通って駆けて行った。
聞くだけで頭の痛くなるような作り話だったが、詳しく聞く限りはどうやら何かの方法で魔物の群れを抜けて、大森林の方へと向かって行った事は本当らしい。
恐らく自分に少しでも希望を持たせる為にそんな作り話をしてくれたのだろうが、この場では下手な期待は絶望よりも残酷だと言う事を理解して欲しい。もし仮に、そんな真似が出来るとすれば、ほんの一握りの人間。そう、かつてレイヴェントが憧れた“紅の風”でもなければ出来る訳がない。
(だが、仮に万が一にも、あの2人がこの魔物の統率者を倒してくれれば…)
そんな淡い期待を抱いているが、その小さな期待は時間と共に萎んでいく。時間がたち過ぎている。そもそも、相手は影の指揮者……クイーン級の魔物かもしれないのだ。あの2人に勝てる相手ではない。であるのなら、せめて無事に逃げて、どこかの村や町に救援を求めて欲しい。
………とは言っても、近くの町と言っても片道4日はかかる距離だし、森の方へ向かったのなら行く先はソグラスだ。あの町は魔物の襲撃を受けたばかりで、他の町に救援を出せるような余裕はない。
だから、あの2人が無事に逃げてくれたのなら、それで良しとしよう。
「皆、案ずるな! 助けは必ず来る、諦めずに耐えるのだ!!」
必死に皆を鼓舞するが、効果が薄い。
分かっている。レイヴェント自身ですら心が折れそうになっているのだ、皆が絶望して手を止めてしまったとしても、それを責める事は出来ない。
「お、お父様……」
震える声で下の娘…ルーリエントが縋って来る。
領主の娘がその態度では皆が不安になる! と叱ってやりたいが、こんな状況でそれを言うのは親として出来なかった。
(領主としては失格だな…)
こんな時に、「やっぱり自分は領主の器ではないよ」。と先に逝ってしまった兄に心の中で文句を言う。
「大丈夫だ。虹の女神は決して我等を見捨てはしない」
「……でも、でも……アーク……リアナの弟も出て行っちゃった……」
「心配ない。きっと大丈夫だ」
慰めにもならない、ただの気休め。
しかし、それでも必死に自分を納得させて笑顔を作る娘に、領主として父として、感謝を述べたかった。そして………謝りたかった。
(お前を護れそうにない父ですまない…)
「リアナ、頼む」
娘の背を押して、上の娘に良く似た召使の少女に任せる。
「はい…。ルリ様、こちらに」
弟が門の外へ出て行った時は枯れる程涙を流していたが、今は目を腫らしながらも気丈にもいつも通りに振るまっている。
(すまないなリアナ。お前の弟を巻き込んだのも、私の無能故。もし弟が死んでいたら、私の事を恨んでくれ)
門の外の状況に変化はないか見張り台の上の衛兵に確認しようとした時、変化に気付く。
――― 音がしない?
さっきまで、門を破ろうと派手な衝突音が響き、防壁を崩そうと叩く音が止む事がなかったのに、その音がピタリと止んでいる。
「何があった!?」
見張り台の上に声を上げると、呆けた顔のまま外を見ていた衛兵がハッとなって向き直る。
「門の外の敵が消えました!!」
「何!?」
まさか、まさか本当に―――?
「本当か!?」
「はっ、視界を埋め尽くしていた魔物は1匹も見当たりません!」
終わった…?
安堵と共に、それに対する確信が欲しくてすぐに門を開けさせる。
夕刻ぶりに開けられた門の外は、確かに何も居なかった。夜の闇と静かな風だけが通り過ぎて行く。
「終わったの…?」
誰かが呟く。
途端に、
「やったーーーーっ!!!」「助かったんだ! 俺達助かったんだよ!?」「良かった、良かったーー!!」「虹の女神よ、感謝します!」「明日からは真面目に働くぞーー!!」「ははっ、お前、それ昨日も言ってたじゃねえか!」「そうだったか? もう忘れた忘れた! ガハハっ!!」「魔物なんて怖くねえ!」「魔物め、このルーク級のバンダ様に恐れをなして逃げ出したな」
町中で安堵の笑い声と共に歓声が上がる。
「領主様、これで終わったのでしょうか?」
そう聞いたのはリアナだった。
事件が収まったのなら、今すぐにでも弟の亡骸を探しに行きたいのだろう。
しかし、まだ行かせる訳には行かない。厳しいとは思うが、まだ本当に危険が去ったのかも分からないのだから。
「ふむ、どうだろうな? 状況が分からん、至急大森林へ状況を確認――――」
その時、音も無く気配も無く、何かが門の前に現れた。
月の光を遮るように立つ巨体。逆光で、その姿がちゃんと確認出来ないが、1つだけ分かる事がある。
全身から立ち昇る黒いモヤ。つまり
「魔物だ! 逃げろっ!!!」
見張り台の上で衛兵が叫ぶ。
その声に反応したのか、巨大な魔物が巨腕を無造作に横に振る。
魔法で強化した防壁と門が、砂の山を崩すように弾け飛び、その破片が町中に死の弾丸となって降り注ぐ。
「な、な、なんだ、コイツは……」
貴族学校時代に様々な魔物の姿を教えられたが、こんな魔物は知らない。見た事も聞いた事もない。
月明かりに照らされた魔物の影から、何かが湧きだした。
――― 大量の魔物
(まさか、コイツが影の指揮者かッ!? いや、違う、奴はもっと小さい筈、だとすれば、この巨人はその上位種か!?)
その正体に考えを巡らせる間に更に巨人の影から魔物が這い出て来る。
もはや、町を護る防壁はなく、立ちはだかるのは単体で町を容易く滅ぼす巨人。その上、その巨人は魔物を生み出し続ける。
終わった。カスラナの町はもう終わりだ。誰もが諦めた。
だが、1人だけ足掻く人間が居た。
「【フレア・レイン】!!」
領主、レイヴェント=ヴィルードはただ1人、巨大な魔物の前に立ち魔法を唱えた。
領主として、娘を護る父として、例え自分が全く太刀打ちできない魔物が相手であろうと、蹂躙と殺戮と受け入れる訳にはいかなかった。
「お父様!?」「領主様!!」「レイ坊、無茶じゃ!!」
皆が口々に下がらせようとする。
だが、ここで下がってどうすると言うのだ。誰かがこの魔物の足を止めなければ、この町は―――父が、祖父が、ヴィルードの家名が護って来たこの町と住人達の死が確定してしまう。
1分でも、10秒でも、1秒でも、皆の命が伸ばされるのなら、逃げる可能性が生まれるのなら、自分の悪足掻きは決して無駄ではない。
魔法で生み出された炎が天から雨のように降り注ぐ。
だが、巨人はまったくダメージを受けた様子はなく、怯んだ様子もない。
自分の放てる最大級の魔法ですら、手傷を負わせる事すら叶わない。それが、目の前に示された無慈悲な現実だった。
(虹の女神よ! 私の命はもう良い。だが、どうか、どうか我が領民を、私の家族を奪わないで下さい!!)
祈るように炎を強めるが、巨人どころか湧き出る魔物達すら足を止めない。
彼我の実力差は、圧倒的過ぎた。
(ダメなのか、コレでもう―――)
魔法の効果が切れ、炎の雨が止む。
ディレイが発生し、レイヴェントの詠唱が封じられる。
もう、打つ手はない。打つ手は無いが、それでも悪足掻きを止める訳にはいかない!!
腰に差していた、まだ1度もまともに使った事のない剣を抜き巨人に立ち向かう。
「ああああああぁぁぁぁぁッ!!」
敵わない。そんな事は自身でも良く分かっている。
だが、それが何だと言うのだ。護るべきものが居るこの町に、その薄汚い足を踏み入れるのを黙って見ていろとでも言うのか。
後ろで逃げ腰になりながらも、領主の背中から目が離せない住人達。皆が、その背を焼き付けておこうと、見惚れていた。
そして、そんな領主の願いが神に通じたかは定かではないが、救いの手は差し伸べられる。
「下がれっ!!!」
急に天から降って来た声に思わず足を止める。
「お父様!!」
耐え切れなくなった娘が飛びだし、その腕を引いて下がらせる。
空を飛んでいた何かが、途轍もない速度でまっすぐに巨人を目指して落下して来る。
それは細長い胴体に、蝙蝠のような翼を生やした蜥蜴。
そして、その背に乗る銀色の髪に、焔色の装束を着た小さな冒険者。
「ロイドっ!?」
リアナが叫ぶ。
生きていた事に安堵すると同時に、あの空を飛ぶ魔獣は一体…? と言う疑問が浮かぶ。
下の人間達の不安や疑問を無視して、空中で蜥蜴の背中から小さな体が飛び降りる。
「あっ!?」「危ない!!」
リアナの弟は深紅の剣を振り被る。
巨人が初めて、人間に対して反応する。頭上に振って来た少年の攻撃を防御しようと腕を上に構える。レイヴェントの魔法にはまったく無防備だったのに、どう言う事だ?
深紅の剣と巨人の腕が衝突する。
途端に―――剣戟の威力を殺し切れずに巨人の下の地面が抉れ、膝を突く。
(な!? なんだ今の!?)
少年は、巨人の腕を蹴って離れると、空中で蜥蜴の背にキャッチされ、目の前に降りて来た。
「大丈夫ですか!?」
「いや、君の方こそ大丈夫か!? 体が光っているぞ!?」
「え…!? ああ、これは、その、まあ、アレですから気にしないで下さい」
「ロイド―――じゃない、アーク、無事なの!?」
リアナが駆け寄って抱きしめようとしたが、少年がそれを押し留める。
「まだ戦い終わってないから、後で」
言うと、振り返って膝を突く巨人の方に歩いて行く。
「待て、無茶だ! あんな魔物に敵う訳がない」
「ご心配なく。俺も強さに自信がある訳じゃないけど―――」
手に持った深紅の剣を軽く振ると、全身から真っ赤な炎が噴き出す。
(なんだ、あの炎は!? どんな魔法を……いや、こんな事が出来るのは…まるで紅の風!?)
「少なくても、野郎よりは俺の方が強い!」
かつて見たクイーン級の冒険者、“紅の風”は炎術のスペシャリストであった。才能というチートを持って生まれ、何十年もかけてそれを磨け上げクイーン級と言う絶対的な強者の領域に上り詰めた。
では、目の前の少年はなんだ? 自分の半分も生きていないような若さで、これ程の力を操るそれは、才能なのか? それとももっと別の何か?
詳細は分からない。
だが、その場に居た人間は皆同じ事を思っていた。
夜の闇を照らす、極大な炎を纏うその姿は、まるで……
――― 炎の化身だ