14-55 【名も無き世界】
良太の中で何かが弾ける。
波1つ無い湖面に滴が落ちて波紋が大きく広がるように、良太の中で弾けた何かが大きくなる。
弾けた物は、小さな、小さな1つの光。
かつて、歴史を保管する時の果ての書庫で種蒔く者がアークに与えた光。
その光は、その力は―――種であった。
力を生みだす種。
命を生み出す種。
そして
――― 世界を生み出す種
種は良太の体を土壌とし、その願いと栄養とし、覚悟を水とし、良太を想う者達の祈りを陽の光とし―――静かに、音も無く発芽した。
そんな事に気付く事もなく、ジェネシスは攻撃を繰り出す。
先程と同じ、破壊の力を纏った腕を伸ばす。速さは変わっていない。しかし、先程よりも纏っている力が比べ物にならない程大きい。食らえば即死、受けても即死。
良太は失った右腕を押さえていた左手を離し、ゆっくりと言葉を放つ。
「【我は世界を否定する】」
ジェネシスの腕が纏っていたエネルギーが消失し、勢いのまま伸びて来た腕が良太の体にポコンッと情けない音を立てて当たる。それだけ。ダメージなんて有る筈も無い。ただ、ジェネシスの伸ばした手が良太に触れた―――それで終わり。
「……何…?」
警戒と若干の焦燥を帯びた声。
それ以上の攻め手はせず、大人しく伸ばしていた手を引っ込める。
刹那の観察と思考。
そして、ジェネシスはすぐさま気付いた。今、何が起こったのか。
――― 攻撃の無効化
ジェネシスの欠片たる魔神だけが持つ【事象改変】と同じ能力。
良太には何の力も無い事はジェネシスも知っている。故に、あとは原初の火だけを警戒すれば良いのではなかったのか?
そこで、ふと根本的な疑問がジェネシスの脳裏をかすめた。
何故この男だけが原初の火を使えるのか?
いや、疑問はそれだけではない。
1度この男から≪赤≫の魔神を回収しようとして失敗している事も謎だ。
だが、今、その答えは目の前にあった。
魔神と同じ力を使える理由は1つしかないからだ。
魔神の力とは、突き詰めればジェネシスの存在その物の力。それはつまり―――
「貴様も手にして居るのか…“創世の種”を!!?」
ひび割れの外側に居る“観客”が驚いた顔をする。だが、それを嘲笑う気になんてならない。何故なら、おそらく今自分も同じような顔をしているから。
創世の種―――それ以外に良太の周りに見える奇跡の力を説明する物は存在しなかった。
誰にも扱えない原初の火も、創世の種によって世界の理を書き換えてしまえば使う事が出来る可能性はある。
≪赤≫を1度奪うのに失敗した事も、ジェネシス自身の強制力よりも、良太の持つ創世の種の強制力が上回っていたとすれば説明がつく。
ジェネシスの問いに答えず、良太は歌うように言葉を紡ぐ。
「生者は言った。死の恐怖に触れた時、生命がどれ程眩く輝いているのかを知る。生は死への旅路であり、死は生に光を灯す太陽である…と」
何を言っているのか意味不明だった。
しかし、言葉が終わるや否や、地面を転がっていた良太の右手が消失し、右腕が元通りになる。
再生したのではなく、始めからダメージなんて受けて居なかったかのように、右腕が当たり前に存在していた。
「ダメージの無効…やはり貴様…!?」
「聖者は行った。真に助けを求める者に必要なのは祈りでは無く、差し伸べる手である。聖者は暗き道の先に居る弱き者の元へと駆けて行く」
「何を言っている?」
「性者は云った。命の営みは行われ、果てしない未来で違う己の可能性が生まれる事を信じる。性の交わりは、遺伝子の可能性を模索する悠久の旅であった」
「訳のわからぬ事をほざくな!」
そこで良太はようやく反応を示す。
ジッとジェネシスを真っ直ぐに見詰め、突き刺すように指先をジェネシスに向ける。
「世者は逝った―――」
「何…?」
「世界を俯瞰し、歴史を思うままに操って来た神の如き者は死に、その手から世界は転がり落ちた。ここより先は神の創る神話の時代が終わり、標を無くした世界は己の足で歩き出す」
「我が死ぬ…と? 終わらぬさ、何も終わりはしない。我が新しき世界を創り、その先に続いて行く」
「標はもう必要ない。いいや、元々そんな物必要無かった。生きとし生けるものは全て、己の目と耳で道を探し、己の足でその道を歩く力を持っていたのだから」
「……何が言いたい?」
イライラしたような問い返しに、良太は少しだけ笑う。
「ジェネシス、お前の言う通りだよ。ここが―――これが最後だ! テメエを殺すっ!!」
ジェネシスを指していた手を強く握る。
決意の拳。そしてジェネシスに死を告げる、覚悟の拳。
「殺す? 我を殺すとほざくか!?」
空間を震えさせる程の怒り。
人型に切り取られた砂嵐のような姿ながら、そのふざけた見た目から噴きつける殺気は本物、世界を脅かす神に等しい存在のそれだ。
「ふふっ、良いだろう…! 受けて立とうではないか。我等は共に世界創造の種と資格を持った者同士、どちらが世界を創るに相応しいか決めようじゃないか?」
言いながら、ジェネシスから放たれる力。
炎が燃え盛り、熱が周囲を覆う。
雷が迸り、風が荒れ狂う。
大地が隆起し、重力が降りかかる。
全てが即死するレベルの攻撃。1つ1つの攻撃が城1つを容易く滅ぼせる威力と範囲。どこにも逃げ場所はない。
良太は逃げない。逃げる必要も無い―――。
「お前の世界の理じゃ、俺は傷付けられねえぜ」
良太に届く寸前、全ての攻撃が最初から無かったかのように音も無く消滅する。
良太の中で芽吹いた創世の種より生み出された力の1つ
【我は世界を否定する】
その能力は、良太自身の決めた理以外での全ての攻撃の無効化。
例えば良太が「拳のみで戦う」をルールとして定めた場合、殴り合い以外では双方一切のダメージが発生しない訳である。
現在の良太が設定しているルールは「肉体を使う攻撃のみ有効」だ。一見すれば両者を同じ土俵に上げるだけのように思えるが、実際はそうではない。この条件で平等になるのは、“お互いに肉体が有る場合”に限られる。
ジェネシスの今の体は、“肉体”ではなく、世界に自身の存在を固定させる実体を持った精神体である。故に、ジェネシスには良太にダメージを与える方法が存在しない。
ジェネシスもそれをすぐに理解した。だが慌てない、慌てる必要も無い
「なるほど、だが忘れるな? お前が出来る事は我にも出来るのだと言う事を。我等は同等……いや、精霊共から奪った原初を持っている分我の方が上かな?」
異形が肩を揺らして笑う。
良太がどんな能力で攻撃を防ごうとも、同じように自分も攻撃を防ぐ事も、その気になればその防御を突破する事も出来ると言う絶対的な自信。
「同等―――ではない、と言う点に関してだけは同意する」
言い終わると「ふぅ」っと小さく息を吐き、良太はゆっくりと歩き出す。
絶え間なくジェネシスから攻撃が飛んでくる。
炎の刃、冷気の渦、岩石の雨―――だが、良太には何1つ届かない。しかし、小雨を煩わしそうに感じるように、視界にチラつく攻撃を鬱陶しそうに目を細める。
良太の歩みは止まらない。
歩く。
歩く。
ゆっくりと、一歩ずつ。だが、確実にジェネシスに近付く。
「それで? 近付いたところでどうなる? そちらの攻撃も、同じように我が無効にするのは分かっているだろう? まさか、『永遠にこの世界で殺し合う事で、あの世界に干渉出来ないようにしよう』などと考えているのか?」
それに対し、良太は笑う。
「本当に“まさか”だよ。誰がテメェと永遠に顔突き合わせるなんて悪夢のような最後を選ぶかっつうの」
そして、拳を握る。
「それと、テメエが同じように俺の攻撃を無効にする? 出来るもんならやってみな!」
ジェネシスまで残り5歩の距離―――足を大きく前に出し、駆けだす。
駆ける、と言ってもその速さは人間の体の速さのままだ。ジェネシスにとっては虫が止まるどころか、虫が止まって卵を産めるような遅さだった。だが、逃げない。逃げる理由も、避ける理由もない。
原初の火への対策はしている。体表を焼かれるだけならば即座に体を削り落とせば良い。そこから反撃の1撃で終了。それがジェネシスの思い描いたシナリオ。
良太が踏み込みながら拳を振る。
ただの拳だ。
ただの子供の、ただの高校生の、ただの人間の、ただの小さな…小さな拳。
無言で振るわれた拳が、顔に当たる。
ジェネシスは動じなかった。
「今度はコチラの番―――」
―――バキンッ
何かが割れる音。
何かが壊れる音。
何かが―――終わる音。
「なん…だ?」
ジェネシスの視界―――右半分が突然真っ暗になり、左の視界の片隅で何かの破片がパラパラと、雪のように地面に落ちる。
地面に散らばる破片は、紛れも無く、ガラスのように砕けた
――― 自身の顔の右半分だった。
「………は?」
意味が解らなかった。
何故体が砕けたのかが解らない。
何故こんな砕かれ方をしたのかが解らない。
何故攻撃を無効に出来なかったのかが解らない。
混乱し、動きを止めたジェネシスの腹に衝撃―――良太のもう1つの拳が突き刺さっていた。
―――バキンッ
腹に穴が開き、そこにあった部位がガラス片のように地面に落ちる。
しかし、ジェネシスには痛みはない。それが尚の事ジェネシスの思考を混乱させる。
自分がやられていても、感覚がそれを認識していない。
「テメエと俺じゃ、同じじゃねーんだよボケ!」