14-50 運命の檻を破って
人の姿に戻ったガゼルの戦闘力は、とてもではないが魔神に対抗出来る程の物ではない。その上、竜化の負荷と怪我のせいで動きに精彩を欠く。
対してジェネシスの動きは早く、迷いも無く、的確に返して来る。
アスラに突き刺さったままのヴァーミリオンをガゼルに向かって振る。その振りの速度で刃が抜け、アスラの体がガゼルに向かって放られる。
アスラの腹の傷が一気に開いて血が噴き出し、ガゼルの視界を真っ赤に染める。
「チッ―――!?」
砲弾のような速度で飛んで来た体をギリギリのタイミングで横に避ける。アスラを受け止める選択肢もあったが、もしそれを選べばその瞬間に2人揃って追い打ちを食らって終わりだ。
だから避ける。
避けて、すかさず反撃に移る。
「遅い」
溜息と同時に吐き出された一言。
ガゼルのカウンターの初動より早くジェネシスが足を出す。
器用にガゼルの槍を踏んで地面に押さえ、氷の剣で右肩を深く斬る。剣線を読んで辛うじて回避に回ったお陰でそれで済んだが、反応が間に合わなければ右腕を落とされて居た。
「ぐッ…!」
竜王の姿のガゼルであればジェネシスの速度にもパワーにも対応出来る。しかし、人の姿に戻った今その能力の差は逆立ちしても埋めようがない。
槍を押さえられ、右腕を潰された。そこから反撃に移るような間は与えて貰えず―――胸を一閃される。
「……がぅあッ!?」
「下がりたまえ」
蹴りで飛ばされて、地面に大量の血を撒きながら地面を転がる。
「残り3人」
視線を向けられたフィリス、真希、かぐやの3人が身構える。
アーク、ガゼル、アスラの3人が居なくなって近接で戦える人間が居なくなった。辛うじて壁役になれる可能性のあったパンドラも戦闘不能。この現状で踏み込まれて距離を詰められたら、その瞬間に手が出せずに全滅。
だが、ジェネシスはその場から一歩も動こうとせず、何かを思い付いたように緩く唇をあげて笑う。
「折角だ。君達は≪赤≫の力で散らせてやろう」
「な…にをッ!」
フィリスが吠える。
それを無視して、ジェネシスはゆっくりと、見せ付けるようにヴァーミリオンを空に掲げる。
光―――炎熱を振り撒く赤い光が剣先に集まる。
1秒とかからず赤い光は城すら呑み込める程の大きさになり、その光を―――熱エネルギーを野球ボール程の小ささまで圧縮、凝縮させる。
「そうだ、彼がこの力に名前をつけて居たな?」
チラッと倒れたままのアークを見る。
「“プロミネンス”」
深紅の光が3人に向かって弾ける。
かつてラーナエイトを滅ぼし、魔竜の体を焼き滅ぼした深紅の炎熱。
フィリスはその力の強大さを知っている。真希とかぐやはすぐさまその危険さを理解する。
そしてそれは間違いではない。食らえば間違いなく即死ダメージ。
3人の行動は早い。
「【炎熱耐性】! 【耐性効果上昇】、【属性効果半減】!」
真希が即座に魔法で炎耐性を全員に敷く。
「“隆起せよ”!」
フィリスがユグドラシルの枝を振り、岩盤を捲り上げて壁にする。更に≪青≫の大精霊の力を借りて全員の肉体の属性を強制的に水に書き替える。
「私の後ろに!!」
かぐやは前に出る。
≪白≫の大精霊の力を限界以上に引き出し、その全てで風を操作して暴風を生み出し、深紅の光にぶつける。
相殺する事は出来なくても、風をぶつけて熱量を少しでも横に逃がそうと考えたのだ。
一瞬で終わった。
深紅の光が辺りを満たし、岩盤の壁を吹き飛ばし、向かって来る風を押し退けて光がかぐや達に届く。
「キャぁッ!!」「ぅぐうっ!」「あっつッ!!?」
静寂。
全員の視界を深紅が染め上げ、その中で何かが倒れる音。
炎熱の光が迸っていたのは2秒程。光が収まると、大地は水分が抜けてひび割れて黒くなり、その中で全身から煙をあげながらかぐや達が倒れていた。
服は焼け焦げてボロ布のようになっているが辛うじて形は保っている。そして、体の方も全身火傷が目立つが死んでいない。
「ほう、それなりに殺す気で放ったのだが生き残ったか」
殺し切れなかった事を少しだけ残念そうに言う。
「まあ、いい。これで全員戦闘不能だ」
唯一パンドラのポケットに隠れていた白雪だけが無事だが、その事はジェネシスも気付いている。だが、現状で小さい妖精に出来る事は何も無いと言う事も気付いている為放置した。
向き直り、アークに近付く。
「仲間達が倒れて行くのを見るのはどんな気分かな?」
嘲笑う。
悔しさと悲しみでアークが顔を歪ませるのを期待している。
それなのに―――アークは落ち付いていた。
気弱そうに瞳の中で光が揺らいでいるが、まだ死んでいない。心が折れていない。諦めていない者の目だ。
理解できない。
ジェネシスの困惑は当然だった。
魔神の力を失い、愛剣を敵に奪われ、動きを封じられ、仲間を失い、それでもなお何に縋るのかと…。
アーク以外の他の人間であれば【精神感知】が働いて感情や思考が見えるのだが、精霊王の力によって【精神干渉無効】を持つアークだけは何も視る事が出来ない。
「ああ…とても、残念だ」
反応が妙だ。
仲間がやられれば、アークの反応としてはもっと怒るかもっと悲しむかするものだろう。それなのに、表情にも声にも仕草にも感情がまったく見えない。
だが、何かを狙っているにしてもそれが分からない―――と言うより、何かを出来る訳がない。
原初の火が手の内に残って居ようと、それを放つ事を【事象改変】で無効にしている以上アークに打つ手はない。かと言って、それ以外に何かジェネシスを脅かす手が有るかと言えば、間違いなくNOだ。
そんな事はアーク自身にだって理解出来ている筈。それなのに、何故、その目の光は消えないのか? 何がその心を支えているのか?
「気にいらんな」
勝負は決している。
ジェネシスの勝利はすでに確定事項であり、この世界の未来は“終わり”だ。ここから逆転なんて都合の良い手は存在しない。それなのに、まだ何か足掻こうとする気配を見せるアークが―――不快だった。
ジェネシスが珍しく感じる苛立ち。
無言で動けないアークに雷撃を浴びせる。
「―――っッ…!!?」
電流を流された事により、筋肉の強制的な硬直。肉体が跳ねようとするが、【事象改変】によってそれすら許さない。
雷撃のダメージで悶絶するアークに、氷の刃が雨のように降り注ぐ。
全身を切り裂かれる。全身を貫かれる。冷気の刃が体温を奪う。
「ぁが…ぐっぁあ…!」
敢えて死なない程度に痛めつけている。
まだ殺さない。
死んだ方がましだと思える程のダメージを与える。精神が折れないと言うのなら、手っ取り早く肉体を痛めつける、単純な話だ。それでもまだ心が生きていると言うのなら、更に苦痛を与える。それで肉体が死ぬならそれで良い、別に無理に生かしておく理由も無い。
ただ単にムカついたからやっているだけだ。
「リョータ!」「マス…たー…!」「アーク様…! 貴様ッやめろ!!」
自身の体が痛むのも構わずかぐや達が叫ぶ。
そんな中、白雪1人だけがアークを見つめながら首を傾げていた。だが、そんな事に気付く人間は居ない。
周りの雑音はジェネシスの耳には入らない。今、その目と耳に入るのはアークの情報だけだ。
だから、分かる。
体を痛めつけてもアークの心は折れていない。
絶対的な力の差で体と心が怯えても、それでも負けていない。倒れていない。
「差し詰め、その諦めの悪さが君の最後の武器……と言ったところかな?」
褒めた訳ではない。「お前しつこいぞ」と言う皮肉だ。
言われたアークはと言えば、全身傷だらけの穴だらけで多量の血を流し、意識は朦朧としていた。だが―――それでも、笑った。
「何がおかしい」
ジェネシスの苛立ちは秒ごとに増して行く。
冷静に考えれば、すでに世界を創りかえる為の条件は満たしているのだからアークの事など無視すれば良い。
そんな事はジェネシスも理解している。それなのに目の前の子供を放置して先に行く事が出来ない。何故かはジェネシスにも説明できない。強いて言うのなら、この子供が事あるごとに予想を越えて来た“世界の道標”に足る存在だから…だろうか。
「いや、別に…」
簡素な返し。
だが、時間の経過はジェネシスに味方した。
――― ドンッ
突然辺りに響いた音。
大地を揺らすような轟音に、何事かと全員が身を縮こませる。
「聞こえたか? 新たなる世界が、古き世界の殻を破ろうとする音が」
ジェネシスのすぐ後ろの世界のひび割れから、もう1度大きな音が響く。
――― ドンッ
まるで、何かが扉をノックしているかのように何度も何度も音が続く。
生まれようとしている。この世界に現れてはいけない、誰も抗う事の出来ない、“新しい世界”と言う究極にして最強の敵が。
「理解したか? もはや何をしても無駄だ。君達も、この世界ももうすぐ消える」
ジェネシスの言葉に答えるようにひび割れから響く音が更に大きくなる。
「君より、仲間達の方がよっぽど事態をちゃんと理解しているように思えるが?」
剣をゆっくりと動かしてかぐや達を指す。
皆、一様に血の気が引いて真っ白な顔になっていた。皆気付いてしまったのだ、自分達は終わりに向かって坂を転がり落ちているのではなく、すでに崖の下に落ちている事に。
だが―――その中に1人だけ…白雪だけが違った。
何か…信じられない物を見るような目をジッとアークに向けている。
その反応にジェネシスが始めて気付いて、そしてその理由を考える。アークの記憶から読み取った情報を閲覧。白雪がアークと思考を繋いでいる事を即座に理解。他の全員が絶望した中、妖精1人だけが妙な反応をしているのは何故か?
アークから何かしらの指示が有った? それならば良い。小細工をしたところで現状は変わらない。
そこでハッとなる。
今まで頭の片隅にすら浮かぶ事の無かった小さな小さな可能性。それに気付き、アークを見る。そして改めて観察しなおす。わずかな表情の変化や息使いから感情を、人間性を読み取る。そして思った
――― 誰だコイツは?
その疑問をあと1秒でも早く考えていれば、結果は変わったかもしれない。
ジェネシスが気付いた事に気付き、アークは気弱そうな笑みを浮かべる。
「そりゃあ勝てないですよ。僕はあの人と違って、ただの臆病者ですから」
その時、まるでそのタイミングを待って居たかのようにジェネシスの背後にあったひびが広がる。
バキンッと世界が割れ、空間に穴が開く。
その穴から何かがジェネシス目掛けて飛び出す。
黒い炎
より正確には、黒い炎を纏った―――人間の腕。
ジェネシスが反応するよりも早く、その後ろ首を空間の穴から突き出された腕が掴む。
「何ッ!?」
ジェネシスが気付けなかった。
神の如き感知能力も、空間の“外側”まではカバー出来ない。それに“黒い炎”はジェネシスの全ての感知能力を擦り抜けてしまう。
首の後ろから焼ける感覚が広がって来る。それを無視して、ジェネシスは首を捻って後ろを確認した。
「よう」
その声を知っていた。感知能力も声の主が誰なのか教えてくれている。それでも、自分の目で確認せずには居られなかった。
ジェネシスの首を掴んでいる、黒い炎の使い手が言う。
「1つ訂正だ。諦めが悪いって点は否定しないが、“俺達”の最後の武器は―――」
ひび割れから現れた“黒い髪の少年”の声を聞きながら、体の痛みを堪えつつ、勝利を確信してロイドは笑った。
「俺達が2人だって事さ」
阿久津良太は黒い炎を燃やしながら言った。