14-4 それは悪い夢のように
目が覚めると、ベッドで眠っていた。
「………?」
現状が分からん。
俺、戦ってた筈なのに、なんで寝てんの? いや、でもこの部屋は見覚えが有る。グラムシェルドの宿屋だ。
お隣のグレイス共和国の東端に居た筈なんだが…?
記憶の糸を辿ってみる…。
キュレーアの近くで、水野と戦ってて…そいで、≪無色≫がその体を乗っ取って、カグから≪白≫を取り上げて、俺からも≪赤≫を取り上げようとして失敗した。で、なんやかんや言われて……「2日後に決戦だ」的な事を言われて………うん? その後の記憶がない。
ジェネシスが立ち去った後、どうなったっけ?
………ダメだ、全然思い出せん。ベッドで悩んでないで、誰か探して訊くか。
上体を起こそうとして違和感に気付く。
――― 左手が動かない
右腕で体を支えて何とか体を起こし、左手の違和感を確認する。
「濃くなったなぁ…」
左手に刺青のように刻まれた赤い浸食の刻印。
体を魔神へと変質させる度に、徐々に身体機能を奪っていく「自分が人間である事を忘れるな」と言う戒めのような刻印。
赤い。
濃さに応じて浸食の度合いが増すらしいが、左手の刻印は深紅と言ってもいい程の濃さになっている。
実際、左手……肘から先がまったく動かない。二の腕辺りまでなら微妙に動くのだが、そこから先に力が入らない。
右手で触ってみると、触覚は辛うじて生きているようだが通常時に比べて感覚が遠い。抓ってみても、あんまり痛みを感じない。
服を捲って左肩を確認してみると、薄く刻印が広がっていた、左胸の入り口辺りまで…。
次に魔神になったら、確実に心臓まで届くな…。
「ハァ…」
溜息が洩れる。そしてちょっと泣きたい……。
ロイド君、今更だけど本当にゴメンなさい……。返すにしても、この体本当にボロボロにしちまった…。ジェネシスとの決戦を考えると、更にボロボロになりそうな未来が待ってそうだけど…。
1人ベッドの上で落ち込んで居ると、誰かが部屋に入って来た。
「マスター」「父様!」「リョータ!」
パンドラ、白雪、カグの3人だった。
パタパタと逸早く俺の所に飛んで来た白雪が、ギューっと頬に抱きついて来る。
「父様父様!」
いつまで経っても甘え癖の抜けない白雪を撫でながら、とりあえず寝起きの挨拶をする。
「おはよう」
「おはようございます」「呑気に挨拶してる場合かっつうの!」「父様が目を覚まして良かったですの」
色々聞きたい事はあるが、とりあえず一旦気持ちを落ち付かせる為に日常会話から入る。
「どこ行ってたん?」
「買い物に」
「白雪ちゃんが、リョータが目を覚ましたって言うから慌てて帰って来たのよ」
頬っぺたに張り付いている白雪が「そうですの!」と嬉しそうに光る。
静かに息を吐く。
さて、ではお待ちかねの現状確認と行きましょう。
何度目かになる、目が覚めてからの質問。
「で、俺何でここで寝てるんだ?」
パンドラとカグが少しだけ困った様に、そして不安そうに顔を見合わせる。
「ジェネシスが、俺の体を持ってどこかに消えたのは憶えてんだけど、その後の記憶がまったくない…」
「父様は、その後倒れたんですの」
「……そうか」
驚きはない。
ぶっちゃけ毎度の事だ。それに、白雪の俺が目を覚ました事への反応を見れば、予想出来ていた。
「体、大丈夫なの?」
「まあ、正直あんまり大丈夫ではないな? 水野相手に無理し過ぎたせいで、左手が完全に持って行かれた」
皆に左手を見せようと思ったが、腕が上がらなかった。
だが、俺のその反応ちゃんと深刻さが伝わったようで、カグは泣きそうな顔をするし、パンドラは心配そうに左手を握って来るし、白雪がビービー泣きだすし…。
「まあ、つっても、【魔装】で限界ギリギリのところまで膂力強化すれば、戦う事には支障ない程度には大丈夫だけどな?」
安心させる為に言ったが、俺自身の不安は消えない。
【魔装】で強化すれば大丈夫ってのは嘘じゃないが、感覚が遠くなってるからいつも通りって訳には行かんし。
カグとパンドラは安堵した息を吐いて居たが、白雪は俺の思考を読んで更に泣く。
大丈夫だから泣くなっつうに…。
いつもより優しめに白雪の体を撫でて落ち付かせる。
「大丈夫ってんなら、カグの方だろ? ≪白≫を持って行かれた時気を失ってたっぽいけど大丈夫なのか?」
「うん、まあ、体は大丈夫よ? 全然元気だし。でも、≪白≫居なくなっちゃったから魔神依存のスキルは全滅、体に付与してある感知スキルとか一部のスキルはまだ使えるけど、性能ガタ落ちでなんか変な感じ……」
ルナと同じ状態。そして、ロイド君を失って≪赤≫との接続が切れた時の俺とも同じ状態。
持っていた強力な力を突然失って、もっと不安を感じてるかと思ったんだが……結構大丈夫そうだな? とか考えていたら、幼馴染的な勘の良さで俺の思考を読み「だって、私等からしたら、持ってる時の方が異常じゃない?」と言われた。確かにその通りだな…。
俺の左手を握って調子を見ていたパンドラが、少しだけ心配そうに言う。
「マスターが中々目を覚まさないので、とても心配しました」
「そうか、なんか悪いな毎回心配させて」
「はい。とても心配するので、無茶はなさらないで下さい」
返事に困る。「無茶をするな」と言われても、せざるを得ないのだから仕方ない。まあ、ロイド君には本当にゴメンなさいだが…。
って、あれ? そう言えば俺どれくらい寝てたんだ?
改めて窓の外に目をやると陽が高い。昼過ぎ…くらいかな? キュレーアとの時差を交えて計算すると、最低でも1度夜を跨いだ事になる。
「……アレから何日たった?」
まさか、約束の期日を寝過した……なんて馬鹿な展開ではないかと血の気が引く。もしそうだとしたら、今頃野郎が言い残した通りに、世界中の生物を根絶やしにする勢いで殺戮を振り撒いて居る筈だ。
「半日と少しです。正確には15時間34分22秒」
「そんな顔真っ青にしなくても大丈夫よ」「ですの」
ホッと一息。
決戦は……明日の日暮れって事か。
世界の命運を決める日に寝坊だなんて笑い話にしたって笑えない。
俺が安堵したのと反対に、カグの顔が曇る。なんでそんな顔してんのウチの幼馴染は?
「ねえ、リョータ?」
「何?」
一瞬の沈黙。
言いたいけど、言っていいのか分からない…って顔だな? 男子のチャックを指摘するか迷っている時にしている顔と同じだ。
「言いたい事あんなら言えよ。途中で止められる方が簡便だわ」
「う、うん……。あの、さ……リョータは、戦うの?」
「…?」
訊かれた意味が分からなかった。
俺が戦うのかって、そりゃ戦うだろう。戦う以外にねえんだから。
カグだってそれは分かってるだろうに……なんで今更そんな確認をしたんだ?
「おう、まあ…戦うだろ。っつか、ジェネシスの狙いが俺なんだから、他の誰が逃げたとしても、俺だけは逃げらんねえし」
とは言っても、野郎との戦いに迷いがないかと訊かれると、それはまた別の話だが…。
いつものように、戦う前に湧いて来る「おっしゃ、ぶっ潰してやる!」的なやる気が全然上がって来ない。
認めたくはない……認めたくはないが、これは、まあ、俺が野郎にビビっているって事なんだろう……。≪無色≫の精神干渉なんぞ無くても、俺はスッカリ恐怖心を刻まれてしまっている。
「戦う」ってハッキリ言えるのも、覚悟を決めたからではなく、逃げられないから仕方無く……と言う、どちらかと言えば後ろ向きな理由からだ。
「そう…だね…」
カグの納得してないけど納得しようとしている顔。
「マスター、最後までお供します」「ですの!」
「……うん。宜しく頼むわ」
パンドラも白雪も、俺が勝つ事を疑っていない。
いつもならその絶対的な信頼が嬉しくて、暖かくて、背中を押してくれるのに……今回だけは、それが重くて、痛くて堪らなかった…。