13-47 終幕
水野の体の中に突っ込まれた≪無色≫の手の中で……何かが弾け、力なく体が地面に崩れ落ちる。
体に傷1つ付ける事無く、相手の精神だけを殺す【精神破壊】。耐性やスキルでの防御が不可能な、奴だけが持つ究極の攻撃。
「…………」
誰もが口を開く事が出来なかった。
死んだ……のか? 俺達を―――この世界を脅かし続けた≪青≫の継承者は。
「随分と時間がかかってしまったな……」
≪無色≫が呟く。
自嘲するような、泣いて居るような、嬉しいような…そんな色々な感情が伝わってくる呟き。
コイツ……なんで水野を…?
いや、でも、本当に死んでるのか? 肉体が死んでいないのは分かっているけど…。
疑うには理由が有る。倒れている水野の体から、魔神の刻印が消えていない。世界のひび割れも収まっていない。って事は、あの体はまだ人間に戻っていない…魔神のままだ。
「ようやく…ようやくだ」
俺達を一瞥し、嘲笑うように鼻を鳴らし≪無色≫は静かに目を閉じる。
何かする…!? と警戒した次の瞬間、糸が切れたようにパタッと地面に倒れた。
「……え?」
俺達の視線の先で倒れる水野と阿久津良太の体。
何この展開? どう言う事?
あれで≪無色≫死亡とか、そんなオチじゃねえよな?
警戒を緩めず、近付いてみようとするのと同時に、水野の体がムクリと起き上がった。
「野郎…まだ生きてんのかよ!?」
≪無色≫が仕留め損ねたのか!? だったら、俺が体ごと引導渡してやる!!
原初の火を構え、トドメの一撃を放つ用意をする。
だが―――
「600年だ。あの失敗から、ここまで揃えるのに600年の年月を要した」
水野の口から出た言葉。
だが、明らかに喋り方や雰囲気が違う…! だから、気付いた。何故≪無色≫が倒れたのか。
「≪無色≫……なのか…!?」
俺の問い掛けに、無言のまま二ィッと口元を歪める。
確定だ! 水野の精神を殺したのは……自分がその体に入る為か!!?
いや、だが、これは俺達……俺にとって良い話しだ。≪無色≫が水野の体に移ったって事は、今、阿久津良太の体の中は空っぽで、取り返す事が出来る。
それに―――水野の体に入ってくれたんなら、問答無用で原初の火で焼き殺す事が出来る!!
その事実に気付いた途端、行動を起こした奴が居た。
俺の手を掴んで居た手を離して、カグが倒れたままの良太の体に向かって走り出した。
「―――カグ!?」
いくらなんでも不用意過ぎるだろ!? 良太の体のすぐ近くには、水野の体に入った≪無色≫が居るんだぞ!?
慌てて止めようと伸ばした手が空を切り、カグが風に乗って音速以上まで加速する。
カグの奴だって≪無色≫と殴り合うのは無謀だと分かっているようで、どうやらスピードに乗って、そのまま倒れている体を掻っ攫って離脱しようって事らしい。
≪無色≫はカグの動きを警戒している様子はないし、気付いては居るだろうが、特に何をする様子も無い。
あれなら大丈夫か…?
――― 考えが甘かった。
カグが速度を落とさず体を拾おうと手を伸ばしたその瞬間―――≪無色≫の足が、その手を蹴り上げた。
“警戒して居ない”のではなく、奴にとってカグの戦闘能力なら“警戒する必要が無い”のだ。
「ふんっ!」
「…ぁッ!?」
蹴りには大して力が入っておらず、軽くカグの手に当てただけだったらしく無事そうだ。しかし、体勢が崩されてカグの足が止まり、スピードが完全に死んだ。
その一瞬を逃さず、無造作に伸ばされた≪無色≫の手がカグの首を捕まえる。
「ぁ…ぐっ…」
「やれやれだ。君が中々魔神へと覚醒してくれないが為に、無駄な時間を過ごす事になってしまったじゃないか?」
舐めるような目。
怒ったような口調なのに、どこか楽しそうな狂人染みたところが、その体の元の持ち主に似ていて気持ち悪い。
俺達に見せ付けるように、カグの体を持ち上げて吊り上げる。
「ぅう…!!」
首を締め上げられたカグが苦しそうにもがき、周囲で風と雷が無茶苦茶に暴れ回る。
「テメエッ、カグを放せッ!!!」
原初の火を構える。
それを見て、カグの体を盾にするように位置取りを変えて来やがった…!
「撃てるならどうぞ。君の幼馴染が燃え尽きても良いならね?」
「くっ……!」
くっそ、手が出せねえ…!
原初の火をよしんば奴の体に当てられたとしても、カグに触れている状態で体が炎上したら燃え移って結局カグも死ぬ…!
【空間断裂】もカグを避けて、野郎だけを斬るなんて無理だ。【オーバーブースト】で突っ込んでも、奴の反応速度だと、俺があそこまで辿り着く前にカグをどうにかされる可能性が高い……。
俺以外の皆も、手が出せなくて手と足が止まる。
「600年の停滞がこれで終わる。素晴らしい…なんて素晴らしい! 世界の全てが、その瞬間を望んでいる」
何を言っているのか分からない。
だが、今の状況が凄まじくヤバいって事だけは分かる!
≪無色≫の瞳の奥で、ドロリとした光が躍る。その光が、カグを捉え―――
「遠き過去に砕かれし我が欠片よ、今こそ1つに戻る時だ」
全身から血を抜かれたような寒気。
体の奥で≪赤≫が蠢いているのが分かる。魔神の力が…奴に吸い寄せられてる…!?
離れている俺ですらこの反応だ。奴に捕まっているカグは―――!?
「ぁう……きゃああああああっ!!」
カグが悲鳴を上げ、体に纏っていた≪白≫の魔神の証である刻印が……剥がれ落ちる。
シールを剥がすように、カグの体からペリペリと刻印が離れ、≪無色≫の体の中に吸い込まれる。
≪白≫を取り込もうとしてる!?
ヤバい……! これ、マジでヤバいッ!!
かつて、パンドラが言った事が頭を過ぎる。
『―――≪無色≫が積極的に魔神を集め始めると言う事は、コチラの対処が手遅れになっている可能性が高いと判断します』
そして、今、≪無色≫が魔神を集めている。つまり、ここが奴を“何とかする”事が出来る最後のタイミングなんじゃないのか?
何とかしなければ―――と頭が考えた時には、全力で前に向かって足を踏み出していた。
「カグっ!!!」
俺が叫ぶように名を呼ぶと、
「ダ、メ………来ちゃ…ダメ…!」
唇を震わせて呟くと、それが限界だったのか目を閉じて体から力が抜ける。同時に、カグの心臓の辺りから白い光が飛び出し―――≪無色≫の中に吸収された。
頭の奥がカッとなって―――目の前が真っ赤になる。
「ぶち殺すッ!!!!!!!」
≪無色≫への殺意で周りが見えなくなる。
奴を殺す事以外何も考えられない。
「返すよ」
俺が襲いかかるよりも早く、≪無色≫が俺に向かってカグを放り投げる。興味の無くなった玩具を投げ捨てるような、適当で、雑な手付きで。
宙を舞うカグを見てハッと我に返り、慌ててその体を抱きとめる。
「カグ! おい、大丈夫か!? しっかりしろ!?」
息はしてる。体温も若干高いが異常な程じゃねえ。ちゃんと生きてる!
けど―――カグの体から魔神の気配が消えている…。
カグの体を地面に寝かせ、≪無色≫を睨む。
「これで、3つ。残りは―――」
≪無色≫も俺を見る。
全身に纏う≪青≫と≪黒≫の混じった藍色の魔神の刻印。その端々(はしばし)に、≪白≫が混ざっていた。
無意識に放出された力が視線と一緒に空中でぶつかり合い、不自然な熱や冷気が辺りに迸る。
「精霊共に会ったんだろう? だったら話は聞いているね? 返してくれるかな、俺―――いや、我の最後の欠片を」
「お断りだ!」
「では、力付くで奪わせて貰おうか」
≪無色≫の顔から笑みが消える。
野郎をぶっ殺したい……けど、マズイ…! コイツに、勝てるのか?
元々魔神2色だけでもギリギリな相手だった。それなのに、更に≪白≫と≪無色≫が乗っかりやがった…! 能力値にどれくらいの差が有るかなんて、絶望的過ぎて考えたくもない。
「おっと、その前に」
≪無色≫が、不便そうに自分の体の右腕を見る。
水野の体には右腕が無い。アルフェイルでの戦いで、俺が引っこ抜いてやったからだ。それ以降腕は無くなったままだったって事は、部位欠損を治せるような能力が奴…ないし奴等には無かったって事だと勝手に思っていた。
俺が【事象改変】で動きを止めている東天王国の兵士達に、≪無色≫がどこまでも冷たい視線を向ける。
「備えあれば何とやら。やはり、用意はしておく物だな? “混ざれ”」
何を言ったのか分からなかった。
だが、すぐに分かった。
兵士達の体が―――弾け飛んだ。
――― グチャグチャ、グシャ、メキ、ゴシャ
そこら中で肉が拉げ、骨が砕ける音が響き、大量の血飛沫が舞って赤い雨が降り注ぐ。
それなのに、兵士達自身の悲鳴が1つも無いのが不気味で仕方無い。
「な―――にを、してんだ…?」
肉塊になった兵士達の体が、寄り集まり、重なり、折り畳まれて1つになる。
何十mもある赤黒い肉の塊からボトボトと何かが絞り出され、巨大な肉が干乾びる程絞られた頃、そこには―――1本の人間の腕が出来上がっていた。
その腕が、≪無色≫の無くなった右腕に繋がる。
「ふむ」
手の平を開いて閉じて動きを確かめている。
なんだ今の? 兵士達の肉体を潰して、その肉を使って新しい腕を作った…のか!?
「動きが鈍いか…。やはり雑魚の肉ではいかんな。100や200合わせても腕1本分のエネルギーすら確保出来ん。まあ、いい。今はこれで我慢しようか。待たせてすまなかったな? では、始めようか?」
≪無色≫が構えた訳でもないのに、攻める事が出来ない―――。
攻めに近付いたら、その瞬間に喰われると言う確信。
俺が攻めあぐねていると、その隙を作ってくれようとしたんだろう、背後からパンドラが魔弾を撃った。
「どうした? 攻めて来ないのなら、コチラから行くぞ?」
パンドラの放った魔弾が≪無色≫の体に当たって発動し、連続して爆発や雷が弾けるが、小雨でも浴びるように気にした様子もなく俺に向かって歩き始める。
俺からの攻撃を警戒する様子の無い無防備な歩み。例え俺が逃げたとしても、追い付けると言う絶対的な余裕で、静かにユックリと近付いて来る。
ヤベェ……怖い。
俺自身がビビってるのか、≪赤≫がコイツとの戦いを恐れているのかは分からないが、さっきまで有った筈の≪無色≫への殺意とか闘志とかが、野郎の気に当てられた途端に霧散してしまった。
パンドラに続くように、フィリスがユグドラシルの枝を振る。
「“落ちろ”!!」
空が一瞬明るくなり、神の鉄槌の如き巨大な雷が≪無色≫に落ちる。
落ちれば森の1つや2つ容易に焼き潰してしまう雷。
≪無色≫は自分目掛けて落ちて来る雷を、素手で虫を払うように捌く。視線すら向けない。あの威力の攻撃を、完全にあしらっている。
だが、この展開はフィリスにも予想通りだったらしい。本命は―――ガゼルだ。
いつの間にか立ち上がっていたガゼルが、無音で高速の投擲。
「まったく…」
溜息を吐きながら呟くが、それだけ。
飛来する槍にも、それを投げたガゼルにも興味がないのか、視線を向ける事はない。
静かに俺に向かっての歩みは止めず、無造作に腕を伸ばし―――音速を越えて届いた槍を掴む。
「静かにして欲しいものだ」
槍を投げ捨てる。
知ってた。知ってたけど―――スペックがマジでヤバい…!
けど―――決して無敵じゃない!
皆の立ち向かう姿に背を押され、消えていた闘志に炎が戻る。
「テメエもな―――!!」
あと10歩程まで近付いて来ていた≪無色≫。
この距離なら、逃げられねえだろう!
構えもなく、不意なタイミングから原初の火を放つ。
俺の手から放たれた真っ黒な炎が、渦を巻きながら真っ直ぐ≪無色≫に向かう。
どんなに肉体スペックが高かろうが、どんだけのスキルを積んで居ようが、この炎の焼滅効果からは逃れられねえぞ!
奴が使っているのは水野の体。あの命乞いが本気の奴だったとすれば、あと1回原初の火で殺せば、コイツはもう復活出来ない。
――― これで、終わりだ!
≪無色≫が足を止めて、向かって来る黒い炎に手を伸ばす。
手を差し出した…? 片手を犠牲にして、回避するつもりなのか?
黒い炎が≪無色≫の手に届く。
よし!
だが―――炎が燃え移らない。
「っ!?」
原初の火が≪無色≫の手の平で止められて、そこから先に燃え移らない。いや、それ以前に、その手の平が燃えていない!?
「アーク様の火が、止められた…?」「理解不能。未知の存在であり、交戦は避けるべきです」「と、父様…!」「おいおい、あの黒い炎が止められるって、相当まずいんじゃないか!?」
なん、で…!?
防御スキルや炎熱耐性を張ってたって、原初の火ならその全てを貫通して燃やせる。コイツ、どうやって!!?
「なるほど、これが“原初の火”か。誰が人の手にこんな物が渡るように仕向けたのやら…」
呆れたように言いながら、手の平で受けていた黒い炎を―――握り潰す。
俺の切り札―――誰が相手であろうとも、絶対的なアドバンテージであり、勝利をもたらしてくれる最強で最凶の……俺の炎。
世界の誰も、何者も抗う事が出来ない炎の姿をした死神。それが“原初の火”。
それを―――防いだ…!?
知らず、手が震える。
何だコイツ…? 何なんだ……? こんな奴、どうやって倒せば良いんだよ…!?
「お前は…なんなんだ…?」
その問いに、≪無色≫は少しだけ顔を和らげる。
「そう言えば、まだちゃんと名乗った事がなかったか?」
そして―――≪無色≫は名乗る。
高らかに声を響かせ、世界に己が名を轟かせるように。
「我が名は、ジェネシス」
ただ名乗っただけなのに、心臓が跳ねる。それは多分俺だけじゃない。その名を聞いた全員が怯えたのが雰囲気で分かった。
いや、俺達だけじゃない。大地が、空が、海が、世界がコイツに怯えている…。
俺達の感じている恐怖なんて気にした風も無く、≪無色≫……いや、ジェネシスは続ける。
「古き世界に幕を下ろし、新しき世界を開く―――」
――― 1週目の世界と同じ“終わり”が
「世界の道標なり」
――― すぐそこに、迫っていた
十三通目 終幕の魔神 おわり