12-8 黒い炎を纏って
――― 封印の扉の暗闇の中でその黒い火は静かに燃えていた。
黒い火。
その正体を俺は知らない。だが、それが俺には抗えない物だと言う事は触れた1秒後に理解出来た。
焼かれる。
俺の体と心を、黒い炎が焼き尽くそうと燃え上がる。
何分か…何時間か…何日か……黒い炎に焼かれ続けた俺は自分の限界を悟った。
もうすぐ死ぬな…。
その時、胸の辺りが光る。
生命の最後の輝き―――そんな美しい物じゃない。俺は、その光を知っている。この光を見たのは、時間の果て……全ての世界の歴史の書庫。
神様もどきのあの男が、俺が立ち去る寸前に寄越した小さな小さな光の粒。
その時もどきはこう言っていた。
『君達の世界に送る、最初で最後の切り札』
光が黒い炎を飲み込み、俺の体から黒い炎熱を剥ぎ取る。
その途端、声が聞こえた―――。
『求メル力ヲ思イ描ケ』
≪赤≫の声が。
* * *
「黒い炎…?」「その炎はいったい…?」「あの炎…なんだか怖いですの…」「主様の炎が更に力を…!!」
俺の右手で燃える黒い火。
それを見た皆の反応はそれぞれだ。
パンドラとフィリスは正体が分からず首を傾げ、白雪は得体の知れない炎に怯え、エメラルド達は俺の新しい力に目を輝かせている。俺を取り囲む亡者達は無反応。
そして、ハーデスは……
「ば…かなッ!? 原初の火を…何故……!!?」
動揺…いや、混乱していた。
まあ、それもそうだろう。
俺自身に≪赤≫が繋がった事で、俺にも≪赤≫の中に蓄積された記憶と経験が閲覧できるようになった。その中に原初の火に関する記録が少しだけ残っていた。まあ、冥府を焼き尽くした世界の理の外にある火…と言う程度の情報しかないが。
だが、あの反応を見る限りは、ハーデスにとってはこの黒い火がトラウマである事は間違いないらしい。
「では亡者諸君―――」
黒い炎の燃える右手を薙ぎ払うように横に振る。
「さようなら」
黒い炎が、津波のように何百と言う数の亡者を呑み込む。ハーデスがハッとなって「逃げろ!」と叫んだが、もう完全に手遅れだ。
亡者の脆く、朽ちている体は良く燃える。火が付いたら、灰になるまで2秒もかからない。灰になった後も、まるで爪の先程の跡形も残さないとでも言うように灰の一粒一粒に黒い炎が灯っている。
炎の波から逃れた数十匹の亡者が、「無駄な事を」と嘲笑うように近付いて来る。だが、すぐにその足が止まる。
亡者達は気付いたらしい。自分の仲間達が、一向に蘇らない事に。
「どうした? 遠慮せずにかかってこいよ? お前等御自慢の不死性があるから大丈夫だろ? ほら? 俺の炎なんて目じゃねえだろ?」
亡者共は喋っている以上、多少なりとも意思があるのだろう。
朽ちた肉体にこびり付いた自己意識が、俺に向かって来る事を拒んでいる。まあ、何時まで経っても地面から出て来ない仲間を見れば、当然と言えば当然か。
もう一発炎を撒いてやるか? と右手を動かした時、攻撃の気配を察したハーデスが大声を上げる。
「全員下がれ!」
王の言葉に、亡者達がビクッと反応し一瞬の静寂の後、残っていた者達は肉体を自壊させて土に還る。
「ありゃ? もうちょっとコイツの効果を試しておきたかったのに…」
「まさか…そんな物を持ち出して来るとはな…?」
さっきまでハーデスの行動と言動の端々に見えていた、“死なない”と言う余裕が完全に消えて、警戒レベルが最大になっている。
まあ、原初の火の力を知っていて、それがトラウマになってるなら当然か?
「マスター、その黒い炎は?」
対処していた亡者達が消えた事でパンドラ達が自由になり、俺の方のフォローをしようと寄って来る。
「原初の火とか言う、なんか良く分かんねえけど凄い火らしい」
「それが、原初の火だったのですね?」
「あれ? お前知ってたっけ?」
俺も≪赤≫の記憶を見て初めて知ったのに…。
「はい。そこの冥王が、マスターは原初の火によって殺されているだろうと」
「ああ、そう言う“知ってる”な…。それより、あんまし俺に近付くなよ? この炎、食らうと体だけじゃなくて精神や魂まで燃やしちまうから、マジで危ねえんだよ」
原初の火は、自分で使えるようになって少しづつ分かって来たが……まあ、消去プログラムみたいなもんだと思う。
燃やした相手のデータを強制的に0にする…みたいな?
どんなに複雑なプログラムだろうと、ファイアウォールで守って居ようとお構いなしに消去してしまう。
そう、例え―――魔神であろうとも。
「そんな事は知っている!! 何故ッ、何故人間がその火を自由に使っている!!? その火は―――原初の火はこの世界の法則に縛られない物! それ故に、人も精霊も、貴様ら魔神であろうともその制御が出来る訳がないっ!!!」
「グダグダうっせえな…。俺だってこの火がどんな物なのかはよく分かってねえ。けど、話はもっと単純だ」
「なんだと…?」
ハーデスに見せ付ける様に、黒い炎の灯る右手を前に出す。
「現世にも冥府にも、俺に御せない炎は存在しねえって事さ」
「っ!?」
たじろぐハーデス。
「マスター…!」「アーク様!」「父様ッ、格好良いですわ!!」
後ろの方から微妙にハートっぽい気配が飛んで来ている気がする…。いや、多分気のせいだろう、うん…きっと。白雪から「好き好き」な思念がマシンガンみたいに飛んで来てるけど…気のせいだな。
「で、どーすんだ大将? いちいち言うまでもねえと思うが一応言っておく、この炎を食らったらテメエでも死ぬぞ?」
まあ、死ぬって言っても今現在生きているのかどうかは知らないが。
正直ハーデスに対する怒りは沈静化してきていた。さっきまでボロ雑巾になるまでボコリ倒してやろうと思っていたのは本当だが、原初の火を見てビビりまくっている姿を見たら弱い者苛めしてるようで急激に熱が冷めた。
だから、このまま退くようなら、それで終わりにしても良いかな~…と。
「ふっ…なるほど君の言う通りだよ? 冥府の王たる私でも、その炎に焼かれれば2度と復活する事は出来ん」
お?
これは、謝って「手打ちにして下さい」ってコースか?
だが、予想に反してハーデスはまだ戦う気を無くしていないらしい。
「だが、その炎を持ってしても燃やせない物が存在するのだよ?」
「ぁあ?」
ねえよ、そんなもん。
挑発してんなら、腕の1本でも焼き落としたろかぃ?
「例えば―――」
ハーデスの体が…闇に吸い込まれる―――!?
逃がすか!!
黒い炎を闇の中に放つが、すでにそこにハーデスの姿はない。
「チッ…!」
逃げられた…!? クソッ、逃げ足がやたら早ぇな。
どうする? 冥府の奥まで殴りに行くか? いや、もういっその事ここら辺に原初の火を撒いて、「冥府を焼き落とされたくなければ出て来い」とか脅すか。
この後の対応に少し思考を巡らせていると、
――― 暴風が襲って来た
「っと」
ドンッと強く踏み込んで足を腐葉土に突き立て、飛ばされないように背後から襲って来た風に抗う。
重量級のパンドラは突っ立ったままサラリと風に対抗し、ゴールドとフィリスは頭を低くして、その上からエメラルドの手が覆いかぶさる。
空を飛んでいたサファイアは、慌てて体の上に乗っていた白雪をパクッと口の中に避難させて、羽を畳んで着地する。
暴風の発生源は―――いちいち振り返るまでもなく分かっている。風が起こった瞬間から、俺の中の≪赤≫が告げている。
――― ≪白≫の力を。
「原初の火を持ってしても焼く事が出来ない物―――」
涼やかな少女の声。
良く知っている……十年近くずっと聞いて来た幼馴染の声。
振り返ると、白く光る刻印を全身に浮かび上がらせたカグが立っていた。
「例えば…君の仲間だ」
「テメェ、本気でぶち殺されてぇらしいな?」