12-5 ≪赤≫vs冥王
赤い炎が暗闇を切り裂くように奔る―――。
炎によって照らされた先に居るのは、鈍色の骸骨の仮面を被った人の形をした何か。全身をボロボロの黒いローブで包んだ異形…冥王ハーデスは幽霊のような足取り襲いかかる炎を横にかわす。
それを先読みしていたアークは【空間転移】ですぐさま距離を詰め、右手に握った深紅の愛剣を振り下ろす。
「ぉぉおおおっらああああ!!」
「ふんっ」
が、ヴァーミリオンが届く寸前で下からハーデスの影が伸びてそれを横に打ち払う。
剣を逸らされてアークの体勢が崩れる。お返しとばかりに、ハーデスは自分の手元の闇を集めて鋏のような剣を作りだし、アークの心臓目掛けて突き放つ。
「シャァッ―――!!」
「ぁっめえよ!」
鋏の剣先に、月の涙から放出した魔素で壁を作る。ガキンッと甲高い音をたてて突きが止まる。
ハーデスも攻撃を止められて体勢が崩れる。
お互いに満足に攻撃を放つ事は出来ない―――だから、肉体の状態とは無関係に発動させる事の出来る力をぶつけ合う。
アークの炎とハーデスの闇。
炎が闇を焼き尽くそうと燃え上がり、闇がそれを呑み込もうと広がる。
「っ!?」
「ちっ―――!」
力の衝突が拮抗した瞬間、タイミングを狙って距離を取り直す。
能力の放出での押し合いはほぼ互角。
だが、相性差で微かにアークが優勢。元々闇と影を使うハーデスにとって、光を放つ火と雷は天敵と言って良い。
「やるじゃん? 冥王の肩書も伊達じゃねえのな?」
「そう言うお前は何故手を抜いている?」
「別に抜いてねえけど?」
「ならば、何故左手を使わない」
ハーデスの指摘通り、アークは左手を1度も使っていない。先程の近接でも、左手は空いていたのに受けにも攻めにも使う気配がなかった。しかしそれも当然、アークの左手は身体機能を魔神に奪われている為、ほとんど使い物にならないからだ。
「父様…」
フードの中から、心配そうに白雪が声をかける。
片手が使えない事がどれ程のハンデなのかは戦いに加わらない白雪にだって分かる。
しかし…その心配を、アークは一笑に付した。
「ふっ、悪いな。別に手を抜いてたんじゃないんだが、そう言う事なら左も使う事にするわ」
その言葉に、左手が使えない事を知っているパンドラ達は驚く…と言うよりも心配した。アークの左手の握力は幼児のレベルにまで落ちていて、殴る事はおろかまともに剣を握る事も出来ないのだから。
だが、アークはもう知っていた。この左手でも戦える事に。
ロイドが≪赤≫と繋がっていた時、意識の表面に出ていた良太はロイドを間に挟んで≪赤≫の力を使っていた。だが、今はダイレクトに≪赤≫と繋がっている。別段それで特殊な力が使える様になる…と言う事はない。
しかし―――明らかに前と違う事がある。それは、今までの継承者が培って来た知恵や経験を視る事が出来る様になった事。
その中にあったのだ、“魔素を纏う事で瞬間的に膂力を上げる方法”が。アークならば、その方法の一歩先に行ける。エグゼルドから奪った【魔素操作】と【魔素形成】を使えるアークなら。
「【魔装】」
皆に見せるように左手を掲げる。
月の涙から取り出された大量の魔素を【魔素操作】で左手に集め、【魔素形成】で魔素を実体化させて籠手の様に固める。
左手を肘まで包む、真っ黒な籠手。
グッと握り込むと、鉄でさえ握り潰せそうな程力が入ったのが分かった。だが、それだけの力が出ていても魔素の籠手によって手が守られていて、蟻に噛まれた程の痛みも感じない。
魔神に奪われた身体機能を補って余りある程に強化された左手。
「さあ、御望み通り左手も使ってやるよ」
ヴァーミリオンを左手に持ち替えて右手を振る。
ハーデスの目の前に炎が壁のように広がり、周囲の闇を払い散らす。熱と光を間近で浴びて瞬間怯む。
アークはその隙を逃さない。
炎に【炎熱特性付与】で“吸引”を付与。しかし、簡単に炎の中に引っ張り込まれる程ハーデスは甘くない。その場で踏ん張り吸引に抗う。
――― だが、足は完全に止まった。
炎の壁に【炎熱吸収】で穴を空け、一足飛びで突っ込む。目の前には反応出来ていないハーデス。
「ぜぁああっ!!」
閃光のようにヴァーミリオンの刃が振り下ろされる。
そこでようやくハーデスが反応を始めた。しかし、すでに避ける道は無くなっている。だからハーデスは―――前に出た。
“吸引”の効果を逆に利用して加速し、剣が振り下ろされるより早く一歩を踏み出す。結果、ヴァーミリオンの根元が肩に食い込む。しかし、食い込んだだけで肩ごと斬り落とすまではいかない。
「チッ―――!?」
「グムゥッ!!」
攻守が逆転する。
アークが近過ぎる距離を嫌ってバックステップで離れようとする。それを逃がすまいとハーデスが鋏で突き殺しにかかる。
鋏は何時の間にやら短剣程の短さに変化している。振りが早く、アークのステップでは逃げるのに距離と速度が足りない。
鋏の刃がアークの胸を捉える―――と、見守っていたパンドラとフィリスが身を固くする。
だが、その刃がアークに届く事はなかった。
音も無くアークの姿が横にズレた。避けた、ではない。アークの体が動く事無く、立ち姿そのままに不自然に30cm程横にズレた。
アークは別に特別な事をした訳ではない。ただ、【空間転移】を使っただけだ。しかし、前提の話として、転移術はある程度の距離を移動する為の魔法であり能力である。たった30cmの移動を転移で行うなどと言う事は、そもそも誰にとっても想定外の事なのだ。
そういう想定外の戦闘術を、アークは≪赤≫の中に残っていた記録から知った。
「―――っ!?」
鋏が空を切り、ハーデスの思考が一瞬何が起こったのか分からず混乱する。
その一瞬で、もう1度攻守交代。
すかさずハーデスの腹に右ストレートを叩き込む。
「…ガッ!?」
魔神の補助と肉体強化のスキルで放たれた拳。並みの鎧ならば粉々にしてしまう威力のパンチを受けて、黒い衣に包まれた体が吹き飛ぶ。
受け身を取る為に空中で姿勢制御を試みる。しかし―――勝負は決していた。
ヴァーミリオンの熱量を解放し、アークが剣を振り下ろす。
――― ヒートブラスト
優に3000度を超える熱波が空中を泳ぐハーデスを飲み込む。
「―――――」
悲鳴は無く、熱に焼かれて鈍色の骸骨の仮面が焦げて砕け、纏っていた闇のような衣がゴミの様に吹き飛ぶ。
残った物は―――何も無い。
パンドラが戦闘の終わりかと近付こうとすると、その気配を感じて素早く声で制する。
「来るな、まだ終わってねえ」
「ですが、もう死んだのでは?」
パンドラの言葉を無視し、目の前の空間―――塵も残さず消し飛んだハーデスの居た場所に向かって当たり前の事のように声をかける。
「流石冥府の王って褒めるべきかな? お前、もしかして死なないのか?」
その言葉に答え、一瞬で闇が寄り集まる。その闇の奥には―――当然とでも言うようにハーデスが立っていた。
何も変わらぬ姿。
火傷1つ無く、服が焼けた様子もない。完全に無傷。最初の状態に戻っている。
「ふっふふ…気付かないようであれば、不意打ちの1つでもしてやろうかと思ったのだが」
「仮にも王を名乗る奴がせこい真似しようとしてんじゃねーよ」
「お気付きの様に、私は死なない。いや、と言うよりすでに死んでいる。故に剣で斬られようと、炎で燃やされようと死に落ちる事は無い。肉体も元々朽ち果てているのでな? どれだけ壊されても冥府に居る限りは何度でも元通りに出来る」
ズゾッと周囲の腐葉土が音をたてる。いくつもいくつも。
下から何かが掘り上がってこようとしている。パンドラ達は、何が来ようとしているのかすぐに気付いた。
「マスター、お気を付け下さい」「アーク様気を付けて下さい!」
地面から手が生える。
「うぉ、超気持ち悪ッ!?」
数え切れない程の亡者がノロノロと這い出て来る。
今にも倒れそうな立ち方で、アーク一行を取り囲む。
「そちらのお嬢さん達はすでに経験済みだろうが、死なないのも、肉体が滅びないのも、この亡者共も同じ。是非君も、終わりなく襲いかかる亡者達と遊んでくれたまえ」