11-30 闇を纏う王
「む……ぅぐ!?」
アスラの拳の直撃を受けて、ハーデス―――≪白≫の魔人の体がくの字に折れる。
超人的能力のアスラの、しかも神器の右腕のストレート。空間を貫く様なその一撃には、全ての能力で人間を圧倒的に凌駕する魔人の体でも耐えられない。
痛みに顔を歪めて吹き飛ぶ。
辛うじて堪えて、地面に足を滑らせてブレーキをかける。
「逃げんなああッ!!!」
腐葉土を跳ね上げてアスラが追う。血の匂いを嗅ぎつけた鮫のような俊敏さ。そして、人間としては異常な速度。空間転移まがいの一瞬での距離潰し。
迷い無い踏み込みで拳を出す。
「くっ!?」
ハーデスも棒立ちで受ける程馬鹿ではない。腹のダメージに顔をしかめめつつも、辛うじて追い打ちの攻撃を避ける。
舞うように避けるハーデスを、獣のような動きで追うアスラ。
それを見守るしかない女性陣。
パンドラはアスラをフォローするタイミングを見計らい、フィリスはアスラのダメージを見兼ねて回復魔法をかけるタイミングを狙っている。
だが、2人共動きが早過ぎて割って入る事が出来ない。特に回復魔法は届く距離が極端に短く、その上持続的にかけ続けなければならない為、この状況ではほぼ無理だった。
パンドラ達も決して手が空いて暇をしているわけではなく、包囲し絶え間なく襲って来るゾンビの殲滅に手一杯だ。なんとかその間を縫ってフォローしようとしたのだが、レベル差があり過ぎる。
それに、もう1つ割って入れない理由があった。
「………綺麗ですの…」
エプロンドレスのポケットから顔だけを出した白雪は、とてつもないレベルの戦闘に見惚れていた。
勿論白雪の視覚や聴覚では戦闘状況の3分の1も見えていない。だが、それでも、その余りにも現実離れした力のぶつかり合いを美しいと感じてしまう。パンドラもフィリスも口にはしないが、白雪と同じような事を感じている。
時折アークが限界ギリギリの状態で見せる脅威的な戦い方と同じように、今目の前で戦っている2人にも目を奪われる。
極まった戦闘力と言うのは芸術品と同じだ。
限界を超えて発揮される身体能力と、その力を遺憾無く発揮するセンス。
アスラの動きには構えも何も無くなっている。滅茶苦茶な動きなのに洗練されている。型破りなのに繊細な肉体機動。
武器の扱いにしろ魔法にしろ、一定のラインを越えた瞬間からそれは技術ではなく奇跡の類になる。そんな物を見せられれば、変に介入して「自分の手で止めてしまいたくない」と状況も忘れて思ってしまうのも当然のことかもしれない。今のパンドラ達のように。
「ふっ―――!!」「死ねえええッ!!!!」
超人と魔人の拳がぶつかり、お互いに殺し切れなかった衝撃が空気を伝わって周囲に撒き散る。
相討ちかと思われた打撃戦。だが、怪我をして無理をしている筈のアスラが撃ち勝った。
ハーデスの拳が裂けて血が噴き出す。
「チッ…」「あああああああッ!!!」
ハーデスが引いた瞬間を逃さずにアスラが追う。
そして、
――― 連打
相手の体がアークの関係者だとか、女子だとか、そんな気使いの欠片も無い全力全開の殺意の乗った拳の連打。
一発殴るごとにハーデスの―――かぐやの体が軋む。
そして―――殴っているアスラの体も軋む。
元々ボロボロになって今すぐ死んでもおかしくない体だ。それをブチキレて限界以上に酷使したのだから、自分の攻撃にすら耐えられなくなって当然。だが、どれだけ体が痛んでも、動きが鈍くなろうとも拳が止まらない。
確実にこの連打で仕留めようと言う絶対的な殺意。
「気にいらないからぶん殴る」正義も何も無い、単純明快な怒りに沿った行動原理。
だが、精神がどれだけ相手を殺そうとしようとも、肉体がそれについて来れるかは別の話。
24発目の拳を振ったところで、腕が上がらなくなる。
膝がガクンッと地面に落ちて、糸が切れるように倒れる。
限界を超えて動いていた体が、精神で押さえられないレベルまで消耗してしまった。片足を“死”の沼に突っ込んで居た状態が、首元まで沼に浸かってしまった。どれだけ精神がダメージを認識しなくても、体がもう動かない。
「力尽きたか……」
ゼエゼエと息を切らせながら、口の中の血を吐き捨てる。
平気そうなふりをしているが、ハーデスも相当なダメージを負っている。気を抜けばその瞬間に【魔人化】が解けてしまう程に。
「侮っていたわけではないが……まだ人間相手と言う驕りが有ったな」
倒れたまま動かなくなったアスラだが、体の中で燃える闘争心だけが目の前に居る敵に殺意の視線を向け続けている。
「ましてや、他人の体では十二分に力が発揮出来ぬ…」
「言い訳ですか?」
パンドラの鋭いツッコミを鼻で笑う。
「フッ、そう取って貰って結構だ。だが、この体での戦いは無駄ではなかったよ? お陰で、近くまで来る時間を稼ぐ事が出来た。魔神の力の片鱗を直に見れた事も楽しめたしな?」
クスッと腫れあがった顔で笑うと、白い光に包まれて【魔人化】が解除され、人間の…秋峰かぐやの体に戻るとパタリと地面に倒れる。
「やった……のか?」「倒したんですの?」
ハーデスの敗北を感じ取ったのか、ゾンビ達の動きが止まる。数え切れない程の朽ちた肉体が、置き人形のようにそれぞれ一時停止をかけられたように止まっている。
「終わりですね」
パンドラが宣言し、武器を収めようとした瞬間―――洞窟の奥から闇が迫って来た。
ボンヤリと見えてた奥の景色が、闇に覆われて見えなくなる。冥府を照らしていた微かな光が、闇に捕食されて消えて行く―――。
闇の奥で、2つの瞳が闇を吸い込むように輝いていた。
「お待たせしてしまってすまないね?」
質の悪い変声機を使ったような変な声。性別も年齢も特定できない、おかしな声。
闇のカーテンに包まれてその姿は見えない。だが、それが何者かなんて考えるまでも無い。何故なら、動きを止めていたゾンビ達が、その何者かに道を空けるように壁際まで下がったからだ。
「冥王ですか?」
「その通りだ。私の本当の体をわざわざ遠くから引っ張って来たのだが……君達には見えていないかな?」
笑うような微かな息使いが闇の奥から響いて来る。
パンドラ達がゾンビと戦っていた時間は30分程の短い時間。その間にハーデスの本体は、300km以上の距離を移動して来たのだ。
「そちらの人間と、≪白≫の魔神はもう戦えそうにないな? 折角体を持って来たのだが、あまり力を見せる事が出来そうになくて残念だ」
暗に戦力外と言われた残りの3人が微妙な顔をする。
「あの2人に戦力的に劣る事は認めますが」「他人に言われると腹が立つな!!」「ですの!!」
「怒らせたのなら失礼した。では、試してみようか?」
パンドラ達が攻撃を予感して反応するよりも早く、自身の影に捕らわれた。“捕らわれた”とは、決して比喩表現ではない。足元に伸びていた影の手が、足に巻き付いて動きを封じているのだ。
次の瞬間、足に巻き付いていた影の手が大きく横に振られて―――投げ飛ばされた。ハーデスの本体の登場で壁際に避けていたゾンビ数体を巻き込んで壁に叩きつけられる。
「ぁッああ!?」「―――ッ!!?」
受け身を取る余裕もない早技。
素早く体勢を立て直して反撃をしようとするが、それぞれの武器を振るおうとした時には再び自身の影が勝手に動いて手を捕らえて封じている。
「くっ!?」「この力……【影縛り】ですか?」
「残念だがハズレだよ作り物のお嬢さん。私の能力は【闇の支配者】影と闇を意のままに操る異能さ」
分が悪い…などと言うレベルの話ではない。闇に包まれた冥界は、冥王ハーデスの土俵どころか手の平の上だ。それこそ相反する光を操る異能でも持っていない限り対抗出来ない。
「な、なんですの…!?」
「白雪、顔を出さないで下さい」
「は、はい!!」
周囲の様子が気になった白雪がポケットから出そうになるのを声で制する。闇の中で光る妖精の白雪は、外に出た途端にハーデスに狙われる可能性があるからだ。
「もう少し付き合ってあげたいところだが、本体でノンビリ戦っていると亡者共の手前恰好がつかないのでね? 早々に終わらせて貰うよ」
通路の奥からユックリと闇が広がって来る。
まるで世界その物を食らおうかとする様な、何も見えない暗黒が水のように沁み渡り冥界を包む。
「生きとし生ける者が逃れる事の出来ない絶対的な終わり―――それが“死”だ」
闇が地面に倒れているアスラとかぐやを呑み込み、壁際で自身の影に捕まっているフィリスとパンドラ、そしてポケットの中の白雪を何も見えない漆黒の世界に引きずり込む。
「死の果ての至るまで、夢の中で死に続けるがいい―――」