11-27 白の魔神=冥王
「まさか、魔神の体が手に入るとはな?」
手と足を軽く振って体の調子を確かめるハーデス。
ほっそりとしたピアニストを思わせる白い指を自分の眼前で開いては閉じる。
黒い髪に黒い瞳、異世界で言うアジア人の少女の体。
阿久津良太の幼馴染である、秋峰かぐやの体。
そして―――≪白≫の魔神を宿した体。
その体が今、冥府の長である冥王ハーデスの手に渡った。
冥王自身も神と呼ぶに足る能力を持っている存在だと言うのに、魔神の宿った体を使っているなどと、それはもう悪夢でしかない。
そんな悪夢のような存在に対して、「死ね死ね」言いながら近付くゾンビを殴りつつ、正義の使者を自称する男は吼える。
「冥王貴様! 男が女の体に入ったのか!?」
「そうだ」
「変態か!!」
「変態ではない……。私はそもそも性別の概念の外に存在している故、正確には男と言うわけではない」
「でもどっちかと言えば男だろう!?」
「………うむ」
「やっぱり変態かっ!?」「変態ですね」「変態…なんですの?」「冥府の王だけあって業が深いと言う事か…」
女性陣も全力で賛同した。
しかしハーデスは変態呼ばわりに怒る事無く、若干呆れたように溜息を吐いただけで流した。
「人間からの評価はどうでも良いのが……」
「何!? 変態呼びにめげないぞアイツ!?」「変態と書いて紳士なのでしょう」「え? 真の変態なんですの?」「絶対に近付きたくないな」
口撃の手を緩めないアスラ達に、腕を振るって烈風を叩き込む。
唐突な突風に煽られて、全員が体勢維持に行動が止まる。攻撃の手が止まるが、ゾンビも巻き添えを食らって吹き飛んだ。
「少し口を閉じたまえよ。五月蠅いのは亡者達だけで十分だ」
「くっ…!? なんだ今のは? 風魔法か?」
「腐っても原色の魔神を宿した体。注意しましょう」
ゾンビの接近を魔弾で牽制しつつ、かぐやが背中から降りた事で自由になったもう片方の手でスカーレットを抜く。
「そう言う事なら、冥王の相手は俺がする!」
パンドラ達が意見を口にするよりも早く一足飛びで冥王に突っ込んで行く。銃弾の様に目にも止まらぬ早さで、一瞬で目の前に冥王との距離を詰める。
「ふんッ―――!!」
突っ込んだ速度を、踏み込んだ足を滑らせる事で殺し、その運動エネルギーを拳に乗せて撃ち出す。手加減はない。アスラの戦いの中で研かれた本能が言っている。「手加減した拳では届かない」と。
アスラの本能は間違っていなかった。強いて間違いが有ったとすれば、“本気の拳”でも届かなかった事だ。
ハーデスの30cm手前まで迫った拳が、突然右にグンッと押されて軌道がズレた。
竜巻―――としか形容しようがない風力。
ハーデスの体を包むように、冥界の淀んだ空気が渦巻いている。
「!?」
ハーデスの顔の10cm横を拳が通り過ぎ―――すぐさまカウンターが来た。
軽く振り抜かれた掌底。
脅威的な反射神経と運動センスで左手がそれに反応し防御する。
「―――がっ!?」
掌底を受けた左手から全身を貫いた電撃。
アスラの意思を無視して、電撃によって全身の筋肉が硬直して体が跳ねる。その一瞬の行動不能を見逃さず、更に追い打ちをかけてくる。
「ショット」
指鉄砲から撃ち出される、圧縮した空気の砲弾。
避けるような余裕はない。ガラ空きになった腹に、渦を巻いた見えない空気の塊が食い込む―――。
「ぐ…ぅ―――!?」
吹っ飛びながらも痺れる体を無理矢理動かして受け身を取る。
「大丈夫ですの?」
「ああっ、吐きそうなぐらい痛かった!!」
アスラだからこそ「痛い」で済んでいるが、普通の人間が食らえばフルプレートのメイルでガチガチに固めていても間違いなく体が肉片になっている威力だった。
「ちょっと…あの女の子強くない?」
「はい」「ですの」「納得行かないが……まあ、強いだろうな」
「ちっきしょう! 燃えて来たっ!!!」
左手に右拳をパシッと当てて舌舐めずりする。
“正義の味方”の姿を隠れ蓑にした戦闘狂の本性が微かに顔を出し、瞳の奥で強者を目の前にした事への歓喜と興奮が闘志となって光る。
「やる気を出すのは結構ですが、あの女の処遇はマスターによって決定されるべきです」
「倒すにしても、助けるにしてもレッドに任せろって?」
「はい」
「無茶言うねえ! 相手するったって、手加減は苦手だし、そもそも手ぇ抜いてどうこう出来る安い相手じゃないぜ?」
「何とかして下さい」
「何とかって何だ!? レッドが居ないこの場をどう切り抜けるんだピンク!!」
「それは、まあ、アレをアレする感じで」
「具体案無しなのかピンク!!? 俺に丸投げなのかピンク!?」
「はい」
本当はパンドラ自身が相手をして押さえたかったが、相手は魔神の継承者の体、その上動かしているのは冥王ハーデス。
冷静に戦力分析をするまでもなく、自分の手に余る。かと言って、複数人でかかれる程の余裕は無い。何と言っても、絶え間なく迫って来るゾンビを倒し続けなければならないのだ。
この場での最強の個であるアスラに任せる以外の選択肢はない。とは言え、戦いを任せたところで、その決着の落とし所が見えていないのも確かなのだが…。アークが1秒でも早く来てくれる事を願わずには居られない。
それはともかく、相手に無茶を丸投げする姿をポケットの中から見ていた白雪は「父様に似て来ましたわ……」と呟いた。
「なんて無茶を言うんだ…! しかし、正義とはいつも無茶で無謀な物なのだ! 故に俺は負けん!!」
「お任せします」
そして淡々とゾンビの討伐に戻る。
一方アスラ。パンドラとのやり取りで良い感じにリラックス出来た。
「ふぅ…」
大きく息を吐いて呼吸を整える。
腹の痛みは我慢できる。電撃の痺れは若干残っているが、この程度であれば戦闘に支障は無い。
先制パンチをカウンターされたのは悔しいが、一撃で殺されてもおかしくない相手だと言う事を考えればむしろ運が良い。
静かに、冷静に、氷のような冷たく鋭い分析で相手の戦力を読み解く。
風の防御膜。横風に煽られて攻撃を逸らされる…が、風の流れを読んで踏み込みと拳の進入角度を変えれば対応可能。
雷撃。肉体の接触は全て雷撃のカウンターがあると思って良い。ただ―――右手なら遮断できる。
反応速度、身体能力はアスラが圧倒的に上。ただし、今の状態が相手の本気であるのなら…だが。
まだ何か能力を持っている可能性は大いに有る。しかし、対応する自信はある。
右手を前に出して半身に構える。
いつもとは逆向きの構え。いつもの左手を前に出す構えが攻撃型とすれば、逆の構えは防御主体の構え。
アスラに過信は無い。
観察と警戒、分析と対応。
直情気質に見られがちなアスラだが、その根っこはむしろ慎重な人間だ。相手の戦力が見切れていればガンガン攻めて行くが、底知れない相手や格上相手には無駄な手は打たずにジックリと攻め手を考えてから動く。
ただ、認めなければならない。正直、見た目に騙されて力を見誤っていた。アークと出会った時もそうだが、強者にしては特有のオーラのような物が見えないし、目の前に立っても強者と相対した時のビリビリした感覚が来ない。
だからこその警戒。
だからこその―――歓喜!
まだ見ぬ強者との出会いはこの上なく嬉しい。
「さあ、死闘ゾンビ村の第2ラウンドと行こうか!?」
「人間、君は強いな? 恐らく、人として到達できる力の最上級と言って良いだろう」
「褒めんなよ、照れるだろ!」
「いや、君は称賛に値するよ。まさか、何の“特別”も無いただの人間がここまで強くなれるとは……実に興味深く、驚いている。まあ、その右腕は少々特殊なようだがね?」
右腕の事を口にされ、アスラの右手がピクリと反応する。
無意識に警戒のレベルが1つ上がった。
「だからこそ有り難い。この体に眠っている力を、君になら存分に振るう事が出来そうだ」
「何?」
少女には似つかわしくない妖艶な笑みを唇に浮かべる。
「【魔人化】」