11-26 精霊の起床
≪赤≫の大精霊は、自室の溶岩の中で目を覚ました。
「………む…?」
果てしなく続く火山地帯。その中でも一際大きな火口が≪赤≫の寝床だった。
人のような肉の器を持たない精霊にとって、寝床はただの居心地のいい場所だ。寝心地やら湿度やら枕の堅さやら、そんなどうでも良い事を気にする精霊は極一部の変わり者だけだ。と言うより、そもそもの話として精霊は睡眠を必要としない。
睡眠とは、つまるところ体の疲れを取る為の作業だ。だから肉体のない精霊にはそれが必要ない。
一応眠る事は可能なので、昼夜の変化に合わせて眠る者は居る。≪赤≫の大精霊もその1人だった。
鉄さえ溶かす溶岩を、まるで海のように泳いで炎の体を外に出す。
――― 空が暗かった。
≪赤≫の起床時刻は、何時も変わらず陽が昇るのと同時だ。1000年以上の年月の間それが狂った事はない。
だが…今、初めて起床時間がズレた。
いつもより少しだけ早い目覚め。人間で有れば誤差で済ませてしまう小さな出来事だが、精霊…しかも世界の創生と共に生まれた四大精霊の1人である≪赤≫には、この小さな誤差が大きな意味が有るように思えた。
≪赤≫と≪白≫の魔神を精霊界に招き入れた次の日、と言う事も不安を感じた一因だった。
「様子を見て置くか」
火山地帯をノシノシと歩いて精霊王の城に通じる扉を目指す。
魔神達を連れて来る時に、水晶と雪の精霊に「自分が見張る」と言ってしまった手前、何か問題があればそれは自分の責任になる。
(とは言え、そこまで心配はしていないがな)
色々言葉を交していて≪赤≫の大精霊は、あの人間達は信用に足ると判断している。
(出来る事なら、願い通りに王に会わせてやりたいところだが…)
四大精霊として―――精霊の中で精霊王に次ぐ地位と力を持つ存在としてのケジメとして、魔神に対しての最低限の線引きは必要だ。他の精霊達への手前もある。
精霊界に連れて来て、他の四大精霊への顔繋ぎをしてやった事が最大限の協力であり、それ以上に手を出すつもりはない。
赤い扉を潜ると、物音一つ無い静寂の満ちた広いエントランス。
だが、そこに巨大な岩の塊が居た。
「≪黒≫の、早いな?」
「……………うむ……」
巨大な岩壁、≪黒≫の大精霊の顔が小さく頷く。
だが―――違和感。
四大精霊は基本的に寝るタイミングも起きるタイミングも一緒だ。≪赤≫はたまたま早く起きた。では、≪黒≫は何故ここに居るのか?
しかも、立っている場所が更に悪い。
“原初の火”が封印されている部屋の前―――。
誰も近付けぬように、四大精霊全員で最大級の封印を施した禁忌の部屋。扉を開ける事が出来るのは、封印をした四大精霊だけ。
何故―――よりによってこのタイミングでその扉の前に居るのか?
「…今、魔神が来ている事は聞いているか?」
「……………うむ………」
「…もう、会ったのか?」
「……………うむ……」
「奴を、どうした!」
「……………この……中だ……」
予想通りの答えであったにも関わらず、ショックを隠せない。
「何故、魔神を中に入れた!?」
「……………試練…だ……」
原初の火。
かつて冥界を焼き尽くした火。
“種撒く者”が世界に残した―――最凶の火。
その強大な力は触れた者を容赦なく焼き尽くす。例え防御スキルを持っていようと、高い耐性を持っていようと、炎熱を遮断する究極防御である【炎熱無効】を持っていても、それを軽々と貫通して体を焼く。
その凶悪な火が封印されている部屋に≪黒≫が魔神を入れた。それが試練だから…と。
しかし≪赤≫の大精霊は即座に理解する。魔神を宿した子供は―――あの部屋から出てくる事は無い。
これは試練などではない。
≪黒≫は言っているのだ、魔神に―――
死ね、と。
「正気か…! いかに炎熱を司る≪赤≫の魔神であろうとも、原初の火に触れれば間違いなく死ぬぞ!?」
「……貴様らこそ…正気か……? まさか…本気で……魔神を…王に会わせる…つもりではあるまいな……?」
「それは……」
精霊としての答えであれば当然「NO」が正解。だが、≪赤≫はそれを口にする事を躊躇った。その一瞬の躊躇を≪黒≫は肯定と受け取った。
「……魔神が…王に会えば……何をするのか………分からん…」
「奴等は、そのような心配はいらぬよ」
「…何故言いきれる……? 魔神は……我等…精霊にとって………絶対的な敵…だ。…何故なら………魔神は………」
「いい…それ以上言うな!」
≪黒≫の続く言葉を制そうとしたが、それで止まる事はなく、むしろ叩きつけるように言葉を続けた。
「魔神は…………我等が…生み出してしまったのだから………」
* * *
熱い!
体が―――精神が、少しづつだが確実に焼け落ちて行く。
ロイド君の体には、≪赤≫から貰った【炎熱無効】のスキルが有る。溶岩だろうと太陽の熱だろうと、体のダメージと判定される熱量は全て遮断され、火傷1つ負う事はない―――筈だった。それなのに、この黒い炎の熱は無効にされる事無く体に届き、慈悲も容赦も無く体を焼く。
今こうして体が燃えている事が、まるで現実味がない。
感覚が剥げ落ちて行くような痛みはある。すぐそこまで死が近付いて来ていると言う実感もある。
それなのに、頭の中はやけに冷静だ。
焼け死ぬのは、2度目だな……。
初めてルディエに足を踏み入れた時、魔道皇帝の手下の炎熱魔法で体を焼かれて、その上……地下に落とされて……踏んだり蹴ったりも程がある。
あの時は≪赤≫との出会いで命を拾った。そして、あの瞬間から“アーク”が始まった。
炎に焼かれて始まった俺が、炎に焼かれて終わると言うのなら―――それを、運命と呼ぶのかもしれない。
しれないが………素直に従う理由にはならん!!
焼け落ちようとする体で必死に黒い炎に抗う。
抗うって言ったって、こんなスキルの防御を余裕で貫通して来る物を相手にどう抵抗して良いのかなんて分からない。まして今の俺は≪赤≫の支援も無い普通の人間だ。
それに、この黒い炎…ただ耐性や防御スキルを無視して来るだけじゃない。この炎は肉体だけでなく、精神を焼こうとしている。
体が燃えているのにやけに落ち着いて居られるのは、この黒い炎が肉体との繋がりを焼いて俺に伝わる感覚が薄くなっているから………だと思う、恐らく。
ジリジリと意識が遠くなって行く恐怖心と不快感。
俺の中に積み重ねて来た記憶と経験がどこか暗く深い所に溶け落ちて行くのが分かる。
――― 死ぬ
体ではなく、俺の精神がすでに死に向かって落ち始めている。
ああ……くそ、本当こんなんばっかりだな俺は…。
このまま、この意味不明な黒い炎に焼かれてジ・エンドってか?
「ふ……っざけんな……!!」
かなり厳しいところまで燃やされてしまったが、まだ体は生きている、動く!
こんなところで死ぬわけに行くかよ!!! もうちょっとでロイド君を生き返らせる事が出来んだぞ……! こんなクソ炎なんぞに蹴っ躓いてる場合じゃねえだろうが!!
そもそも、なんだこの炎は!?
俺は―――炎熱を意のままに操って来た。その俺を焼こうってか?
ざっけんなよボケがっ!!
上等じゃねえか、焼けるもんなら焼いてみろ!! こんな炎に焼かれる程、俺の命は―――約束は安くねえぞ!!